8月, 2017年

「墓」にもたれかかるように死んでいく

2017-08-06

近年、素朴な信仰心がお年寄りたちに多く芽生えてきているような気がする。日本は間違いなく“長寿国”となり、その平均寿命も徐々に伸ばされていく。当たり前の話だが、誰もが日々高齢に向かって生きている。年齢が行くごと、あちこち故障の個所が出て来て、それでも何んとか“生き延びていく”。つまり、いつ死んでもおかしくない人たちが街中にはあふれている。極端なことを言うと「死の境界線」が曖昧になってきつつある。お年寄りたちは漠然と“やがて来るべき日”を予感している。そこで“優しく迎え入れてもらえるかどうか”は、丁度、老人ホームに受け入れてもらえるかどうかと似たような感覚に変わりつつある。だから“死後”出逢うであろう身内の霊達を大切にしなければならない。そうでないと、自分だけ“弾かれてしまいそうな”気がするからである。そういう感覚から生れる信仰心。それが私のいう“素朴な信仰心”だ。昨日、兵庫県の町で、墓地の近くに住む吉川精一さん89歳は、同年齢の妻と一緒に“墓の清掃”に来ていた。なかなか自宅に戻らない両親を心配した息子さんが墓地に行き、自らの家系の墓にもたれかかるような形で死んでいる父親を発見した。同年齢の奥さんも一緒だったが、こちらの方は熱中症だけで命はとりとめた。家系の墓にもたれかかるような形で“死んでいく”…おそらく、暑さの中で意識がもうろうとなり、気が付いたら“あちらの世界”へと来ていたということなのだろう。もしかしたら、しばしば“墓の清掃”をしていることで、向こうの近親者たちに“そろそろ良いだろう”ということで呼ばれてしまったのかもしれない。身内の霊達を“大切にしなければ”という意識で“墓磨き”をしながら死んでいく…何んと素晴らしい「死の境界線」の渡り方ではないだろうか。長く生きるだけが“良いこと”かどうかには疑問もある。墓磨きをしながら、その墓に呼ばれて、もたれかかるように死んでいく、誰もが、そういう風に死ぬことが出来れば、何の苦しみもなく、心配もなく、あの世へと行ける。

2017年8月の運勢アドバイス

2017-08-06

夢は「結婚」でなく「博士号」になった?

2017-08-05

今年のAKB48総選挙で「結婚宣言」をし、一躍注目を浴びたのが須藤凜々花さんだった。その須藤さんが8月末の卒業を前に、各自が今後の目標を記す色紙の中で「私はドイツで博士号を取ってきます」と宣言していることが明らかとなった。う~ん、この人、無意識なのかもしれないが、中々の“食わせ者”である。「あれ、結婚じゃなかったの?」というやつである。実は、この人、昨年の“総選挙”の時にも「母親が子宮頸がんで闘病中」であることを告白し、周囲を驚かせた。今年の場合は「結婚」だったが、メンバーの誰一人知らされていなかったため、仲間たちにも衝撃を与えた。私はそれがニュースとなった6月19日にブログの中で彼女を扱い、ユニークな惑星配置で“超個性派”であり、AKB48のような組織には向いていないので“離脱すべき”と書いた。結婚に関しては“微妙”とも書いた。その後、一時は“撤回・存続か”と見られていた彼女の活動だが、やはり8月末に卒業することが決まった。ただ“結婚”という方向性は霧に包まれたままである。そして、いつの間にか彼女の宣言は「結婚」から「博士号」へと変わっていた。そういう変節を大人は非難するかもしれないが、彼女はまだ20歳である。この年頃は気持ちの変わりやすい時期で、目標も変更されやすい。新しい「ドイツ留学での博士号」という選択肢も、もしかしたら変わっていくかもしれない。例えば、博士号と思って留学したが、芸術や技術の“特異性”に惹かれて、その方面へと鞍替えしてしまうとか、或いは欧米人男性との“運命的出逢い”から新たな“結婚宣言”が飛び出すとか、別に「博士号」に固執する必要はない。ただ若い女性が“哲学者を目指す”というそれだけでも貴重な存在であることは間違いがない。多少、エキセントリックな部分があり、そういう点で組織向きではないし、良識派からは後ろ指さされそうな点はあるが、最終的には“自分の人生”である。「違う」と思ったら、すぐ方向転換すれば良いのだ。まだ20代であればそれは許される。これが50代を過ぎて行うようになると“手遅れ”の場合も多い。自分の「居場所」を見つけることは、誰もが課せられた“人生最大の仕事”なのかもしれない。

日本では許されない「不倫」という劇薬

2017-08-04

女優の斉藤由貴さんが“不倫報道”を受けて記者会見を開いた。今年はこの手の報道が多い。多くの場合は「否定会見」となる。もっとも、現在は昔と違って“推定”や“憶測”だけで記事にされることはほとんどない。したがって、一流の誌面に載った時には観念した方が良い。ただ日本の場合、不倫報道は仕事に大きく影響する。日本人は元々“潔癖観”の強い民族で、宗教民族ではないのだが背徳行為を許さない意識が強い。かつて石田純一氏が「不倫は文化」と発言して窮地に陥ったように、不倫を肯定的に捉えるとバッシングを受ける傾向が強い。けれども、石田氏の発言にも一理あって、歴史的に見れば様々な芸術や文学は“不倫”を土壌に生れて来たものである。“許されない愛”が数々の“哀しい物語”を生み出し、世界中の人達に共感を与えた。ましてや“役者”という職業は、さまざまな役柄になりきらなければならない。そういう時に過去の体験は“迫真の演技”を産む。経験しているのと、頭で知っているのとでは“天と地”ほどの違いがある。私のような占い師という立場の職業でも、さまざまな体験は相談者にとって、その選択上のポイントの一つになる。昔から「恋の病」というくらいで、占い師の元を“不倫相談”に訪れる人は多い。本人が不倫をしている場合も多いが、配偶者が不倫をしている場合の相談例も多い。その“それぞれ”に対して、過去の体験から語れる占い師は“頼もしい味方”となって解決につなげる場合が多い。けっして誇れるようなことではないが、私自身も昔、“不倫”いう理由から離婚に至った。ギクシャクしていた時期だとはいえ、今考えると“愚かな幻想”が支配していたと思うが、その時にはなかなか冷静になれないものである。特に自然の成り行きの中で、相手側から誘われた場合、衝動に逆らって魅力的な相手を拒絶するのは余程意志が強くないとできない。多くの場合、家庭も大切にしたいが、今の“この愛”も大切にしたい、などと勝手なことを思うものだ。けれども、神様はよくしたもので、必ず「懺悔の部屋」を用意している?

「神」と「運命」への挑戦

2017-08-03

世の中には、時々自らの「運命」に逆らおうとする人がいる。時として、それは「神」への挑戦、或いは「神」への冒涜ではないか、と思える行動を促す。今回の閣僚人事で“総務相”に内定した野田聖子議員などもその一人だ。彼女は政治家だが、私は別に“政治家としての野田聖子”をどうこう言うつもりはない。大変に“政治家向き”な人物ではあると思う。例えば、眉間の広さ…女性では滅多に見受けられないくらいの広さを持っている。こういう人相は、度量が大きく部下・後輩が付いてくる。政治家や実業家として、人を率いていくのにふさわしい相だ。ただ何度も言うが、ここでは政治家・野田聖子を扱うのではなく、“人間・野田聖子”或いは“女性・野田聖子”を扱うのだ。なぜなら、自らの不妊体質を乗り越えて、命を懸けて子宮摘出までしながら出産し、障害児を産んで子育てし続けているからだ。彼女が最初に“事実婚”をしたのは40歳の時であるが、それからずっと不妊治療や流産を繰り返した。やがて初婚の相手と別れたが、すぐ別な男性と“事実婚”(後に入籍)して、再び不妊治療に乗り出す。そして体外受精14回、50歳にして出産をした。しかも、アメリカ女性の“卵子提供”を得ての妊娠・出産であった。もちろん、この間のことはマスコミでも各種紹介され、自らも『私は産みたい』という著書としてまとめた。不妊治療とか、体外受精とかは女性の身体に負担が掛かる。さらに年齢的な限界というものもある。加えて“障害児となる確率”も高くなる。さまざまな理由から、通常は或る程度の年数や年齢が来るとあきらめる。ところが、彼女はあきらめなかった。結果的に彼女は“瀕死の障害児”を得、自らの子宮を失った。世間的にも、一部の人達から相当なバッシングを受けた。けれども、“強い母親”は「神」に逆らい「運命」に逆らって、強引に“命”をもぎ取った。実際に出産した児は、不安視された通りに重い障害を抱え、今後もそれは続く。「神」も「運命」も、“健常児”は授けようとしなかった。それでも母親としての喜びを噛みしめ、生れてから2年以上も病院で過ごさなければならなかった“か弱い生命”を今後も慈しみ育てていく。その決意は揺るがない。或る意味で、これほど“強い女性”はいない。そうなのだ。「神」も「運命」も、それに逆らおうとする者を容易に許したりはしない。けれども、粘り強く、自らの命と引き換えにしてでも“獲得しようとする熱意”に、いわば根負けするような形で“求めるもの”を与える。これが「運命」の実態なのだ。

「仮想通貨」が泣いている

2017-08-02

滋賀県の山中から“行方不明となっていた女性”の遺体が発見された。飲食店のパートをしながら、投資関連のセミナーなども行っていた野田みゆきさん(53歳)の遺体だった。どうして山中に埋められているのが判ったのかというと、容疑者がダム湖近くに埋めたことを自白したからである。建設用の重機を使って、遺体を地中深くに埋めたもので、当然、重機を使える者の犯行ということになる。既に逮捕されていた土木作業員・西田市也容疑者(20歳)にはその可能性があった。被害者と容疑者を繋ぐ糸は「仮想通貨」に関心を持っていたという点にある。実際、被害者女性が“行方不明”となった日にも、大垣市で“投資セミナー”が行われていた。もっとも内容的には、仮想通貨のセミナーというより“ネットワークビジネス”のセミナーといった方が正しいのだが、“仮想通貨”として行う方が人が集まり、今風でもあるので“そういう形”で行われていたのだった。とにかく、その帰り掛け個人的に「ビットコインのことで話がある」という西田容疑者からの依頼に、野田みゆきさんは気軽に応じていた。この時点で、西田容疑者が殺意を抱いていたのかどうかはわからない。けれども、何らかの形で“復讐心”を抱いていたことは間違いがない。そんな西田容疑者を、野田さんは少し軽んじていた。53歳で夜の世界など渡り歩いていた野田さんにしてみれば、土木作業員で仮想通貨に興味を持つ若者をあしらうことなど手慣れていたからだ。おそらく、そろそろ何かを言って来るだろう…と予感する部分もあった。案の定、若者は「約束が違う」と彼女に迫り、彼女はせせら笑いながら「あなたが勝手にそう思っただけでしょ」と突っぱねた。若者は逆上した。ここで一言謝れば展開は違っていたかもしれない。彼女は謝らなかった。この数時間後、彼女は山中に埋められていたのだ。しかし、若者は致命的なミスを犯した。彼女のバッグやスマホなどを自宅に隠したことである。万一、死体が掘り起こされても、身元を特定するものがなければ、犯行が闇に消えると…。けれども、それは逆だった。行方不明の届けが出されて、駅前の防犯カメラの映像や目撃証言から、西田容疑者の車に乗り込む野田さんの姿が最後となった。彼の自宅から野田さんのバッグやスマホが発見され逮捕状請求となった。「仮想通貨」や「ネットワークビジネス」そのものが悪いわけではない。けれども、さまざまな“悲劇”や“事件”を引き起こしているのは間違いがない。

 

 

それぞれの立場からの「愛」

2017-08-01

「愛」の判定というのは中々に難しい。今井絵理子議員の“不倫スキャンダル”は、彼女の精いっぱいの言い訳「一線は超えていません」という名言を生み出した。それは「愛し合ってはいますが…」という“隠し言葉”を添えた表現であった。一方の橋下健市議の方は、最初、週刊誌の突撃に「恋愛対象ではありません」と突っぱねておきながら、やがて今井氏と口裏を合わせたかのように、実は自分の方から“交際を求めた”ことを告白している。但し、それだとおかしいので「4~5年前からすでに家庭は崩壊していた」と付け加えた。ところがここに来て、橋本氏の妻側弁護士から「夫は一方的に離婚を要求し、自分から妻子を残して家を出ていった」と反論されている。実は有名人でなくても、このような形の“不倫問題”が、占い師の元へと持ち込まれて来るケースは少なくない。つまり、妻子ある男性が不倫し、それが妻に発覚した場合、それぞれの「愛」に対する捉え方が微妙に異なっているケースが多いのだ。これは夫が不倫する側ではなく、妻の方が不倫する場合でもほぼ同様である。必ずと言って良いほど、不倫する側は「家庭はすでに崩壊している」「夫婦としては終わっている」「いずれ離婚するのは決まっている」などと夫婦間を否定的に認識している。一方、不倫された側は「私たちはやり直せる」「いずれ昔のように戻れる」「愛の絆は残されている」などと夫婦間を肯定的に認識している。また、不倫の対象となる独身者の方は「いつか一緒に暮らせる」「いずれ正式に別れてくれる」「二人の間にしか本当の愛はない」などと自らの不倫を肯定的に認識している。これらの思惑が絡み合うのだから、スムーズに解決できるはずがない。不倫が発覚したことで、離婚に至るケースもあるが、それによってすぐに不倫相手と入籍するケースはそれほど多くはない。また不倫が発覚しても“絶対に離婚しない”と防戦する妻達もいる。また若い女性の中には、不倫はしても、だからと言って、その男性と結婚はしたくない、とうそぶく女性もいる。それぞれの「愛」は、微妙にきしみあいながらも“夜の海”へと漕ぎ出していく…。

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