2月, 2019年

「映像」が“正義”であるとは限らない

2019-02-04

近年、動画映像が誰でも撮影できるようになったことで、さまざまな出来事の“証拠品”として用いられることが多くなった。けれども、映像は時に“編集”される場合もあるし、意図的に“音声が省かれる”場合もある。その結果、見ようによっては“仕組まれた映像”のように思われる“投稿動画”も多くなった。1月31日、スウェーデンの地下鉄で妊娠中の女性が数名の警備員によって「電車から強制的に降ろされた」とする動画が女性ブロガーによって投稿された。投稿者によれば―妊娠中の女性であっても“アフリカ系移民”に対しては強引に電車から引き摺り下ろし、ベンチに顔をこすりつける等の行為がまかり通っている―というメッセージ性が強い投稿のようである。実際、それに共感した人も多いらしく、またたく間に世界中に拡散した。けれども、この動画を“ニュース”として扱った新聞によれば、この女性がなぜ電車から降ろされたのかと言えば、車掌に対して乗車券を見せるのを拒否したからであり、何かの言語で喚きだしたからであり、致し方のない行為だったと説明している。また妊娠中であることについては、それを確認して後、救急車で病院へ搬送したと解説している。こういう“前後説明”をしると、必ずしも電車内から強引に降ろした行為は“異常”とも“差別”とも言われない。むしろ職務に従った自然な対処であるような気がする。マスコミ報道でも良くあることだが、意図的に編集するとマスコミ側が“言わせたい言葉”“行わせたい行動”だけが切り抜かれてしまう。そういう意味では、あまりに「正義」を振りかざす映像というのは、偏った思想へと誘導しかねない部分を秘めている。ところで映像と言えば、近年「UFO映像」が著しく減少した。せっかく誰でも撮れる時代になったのに、ドローンが飛ぶようになって遠慮し過ぎているのかもしれないが、もう一度“賑わい”を見せて欲しいものだ。

双子の運勢の違い

2019-02-03

芸能界では時々、双子の人達が注目を浴びる時がある。例えばそのうちの一人が結婚をする。そうすると、どうしても“もう一人の方”に注目が集まる。何となくだが結婚も一緒に行いそうなイメージがあるからだ。それはあくまで“イメージ”にすぎないのだが、占い師ではない“一般の方々”が、同じ時に「結婚運」がやって来そうな観方をしてしまいがちである。そういうわけで、昨日、双子の女優として幼い頃から有名だった“マナカナ”の“マナの方”つまり三倉茉奈氏が「結婚」の報告をした。もう一人の三倉佳奈氏の方が2012年に結婚されているので、7年の隔たりがあったことになる。一応、占星学的な観点から言えば、三倉佳奈氏の方はトランジットの海王星が出生時の太陽に0度で一体化した年に結婚し、三倉茉奈氏の方はトランジットの海王星が出生時の金星に0度で一体化した年に結婚したことになる。こういう風に、結婚期というのは必ずしも一度だけ訪れるわけではない。人生に何回かはやって来る。だから、一度や二度、結婚寸前までいって破れたとしても、もうだから“結婚できない”などとあきらめる必要はない。ただダメな年は無理してもダメで、少し間を開けた形で“何度目かの婚期”はやって来る。同じように病気や体調の変化が起こった時にも、双子の場合には,同じ時期に危険がやって来そうなイメージがある。先日、お笑い芸人の“双子コンビ=吉田たち”の吉田こうへい氏が舞台で漫才をやっている最中に倒れた。それまで普通に漫才を行っていたのに、急にこうへい氏の動きと言葉が止まって、そのあとバーンという具合に、そのまま倒れたのだ。関係者は大慌てとなり、救急搬送された。幸い、数日後には元気となって、なぜ倒れたのか、原因はハッキリしていない。けれども、こういう時でも、双子の場合、吉田ゆうへい氏の方は大丈夫なのだろうか…と思ってしまう。私の研究では、双子で“一卵性双生児”の場合でも、性格とか、才能とか、体質とか、それぞれ微妙に違っている。そして何よりも異なるのは“運気が異なる”ことで、その双子によっても違いがあるが、たいていの場合には、一方が経験したことを、もう一方は少したってから経験するような傾向がみられる。つまり、同時にやってkるケースは少ないのだ。けれども、ややずらす形にはなるが“運命的な出来事”の多くは、同じように経験する。ただ内容的にも“微妙に違う形”となるのが特徴だ。双子だから、兄や姉の方が“先に訪れる”とは限らない。それでも、多くの方が本能的に感じる“同じこと”は、そういう意味では確かに起こるのだ。

「顔」に「顔」のタトゥを入れるのだけは……

2019-02-02

私はたいていのことに関しては“寛容”な方である。だから誰がどんなタトゥを入れることにも、基本的に反対はしない。ただ、そういう私であっても「顔」に「顔」のタトゥを入れることだけは「止めた方が良いのに…」と言いたくなった。もっとも、“ロックンロールの世界に生きている女”を自称している彼女には、そんな老婆心など通じないに違いない。彼女の場合「アーティストとしての道が拓けたのも彼のおかげ」と思っているのだから、その“慕い”“尊敬する想い”をタトゥとして「顔」に彫り込むのは当然のことなのかもしれない。う~ん、そうは言っても、やっぱり…と思ってしまう。とにかく右頬いっぱいに「ハリー・スタイルズ」の画像は刻まれている。「それって、誰?」なんて彼女に言おうものなら、ぶん殴られかねない。彼女ケルシー・カーターは、まだ24歳のニュージーランド出身のロックミュージシャン。もちろん、つい最近「Harry」と題した曲もリリースしたばかりだ。もしかして、その宣伝のための“タトゥシール”なんじゃないかという噂もあったが、担当した彫師が“途中経過の動画”を投稿したことで、その疑いは晴れた。まあ、尊敬してやまない人物と、いつも一緒に居たい、という気持ちがわからないではない。ただ、それなら“二の腕”とか“肩”とか“背中”でも良かった気がするのだ。何も「顔」に「顔」を入れなくても…。仮に彼女が結婚した場合、配偶者は毎日「ハリー・スタイルズ」という男性の“顔”を見ながら暮らすことになる。ほっぺたにキスなんて出来ない。もっとも、それではわれわれ“普通人?”は「顔」に「顔」を描いていないのかと問われると、残念ながら、私はこれを否定することが出来ない。つまり「自分の顔」に「他人の顔」を、ここだけの話だが“誰でも描いている”のだ。人相術の方でいうところの「画相」と呼ばれる“現象(奥義)”であるが、誰でも自分の顔の中に、丁度“心霊写真”のように他の人物の“画像”を無意識のうちに“表出”しながら生きている。それはどうしてなのかというと、運命的な事象として、その人が自分に関わってくる場合、その事柄を表わす「部位」に“心霊画像”のように出現してくる。たとえば自分が“片想い”しているような場合、その相手の画像が“眼尻後方”に出現する。また仕事上で特別に“引き立ててくれる相手”がいる場合、その顔は“額中央”に出現する。もちろん、その事柄が終わってしまうと、画像(画相)も消えていく。そういう意味では、ケルシー・カーターの顔面にも「大きな画相が出現した」と思うのが適切なのか…。

2019年2月の運勢

2019-02-01

「素敵なスーツ」の基準は変わる⁉

2019-02-01

インターネット通販ZOZOが、2019年3月期の売上高予想を大幅に下方修正した。プライベートブランド「ZOZOSUIT」が予想以上に“不評”だったのだ。ZOZO自体は、誰でも安く“身体にピッタリのスーツ”が着られる、ということで“高評価”を得られると信じて疑わなかった新商品である。ところが、実際には身体の計測もそれほど容易くはなく、注文してからも時間が掛かり過ぎ、さらに出来上がった品物が身体に合わないなど…問題続出であった。早い話が“大失敗作品”だったのである。前にも書いたが「ZOZOSUIT」は“身体にピッタリ”というのが“売り”なのに、実際には背中の部分がピッタリではない。つまり、背中の計測が難しいので、その部分だけが何となくだぶつくのだ。そんなことよりも、“身体にピッタリ”のスーツであればそれが“格好良く”“素敵に見える”と信じて疑わない、前澤友作社長の“考え方”自体に問題がある。それは、彼や、その周辺の人達の“感覚・趣向”でしかない。今回の決算報告でも、彼は「皆様にピッタリの洋服を提供できるよう努力していく」と表明している。つまり、まだ物事の本質が解かっていない。もし彼が“完全オーダーメードの洋服店”の店主であれば、その言葉は適切である。けれども、彼は「通販衣料店」を率いているのだ。つまり、購入者は全国の未知の人々であり、その多くは“若い人たち”である。だから“会員値引き”をすることで、これまで急成長してきたのだ。若い人たちの“体形変化”は早い。昨日ピッタリだったスーツが、明日になれば合わないことも珍しくはない。それに、ここが一番問題なのだが、“ピッタリ”ということは、体形的な“弱点”を隠すとか補うとか、上手くカバーすることが出来ない。世の中には“自分の体形”に不満を持っている人が山ほどいるのだ。したがって“身体にピッタリ”のスーツは、必ずしも“感謝されるスーツ”とは限らない。ここを前澤氏はまったく理解していない。さらに「流行は変わる」というファッション業界における“大前提”も忘れがちのようである。現代は、確かに“身体にピッタリ”のスーツが流行している。けれども、私の若い頃にはむしろ“余裕のある洋服”が好まれた。時代と共に、多くの人達が“好むファッション”も変化していく。洋服の場合には、何十年おきかで“似たような流行”が循環的に生まれる。だから、いま“身体にピッタリ”が当然のように思えても、やがてそれは“過去の流行”と呼ばれるようになる。自ら“広告塔”となって、話題作りをし“時代の寵児”として巨富を得た前澤氏だが、いったん“流行”が覆れば、もはや“見向きもされないブランド”へと転落していく可能性があることに早く気付いてほしい。

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