私が24歳の頃、直接お逢いした手相家に門脇尚平氏がいる。彼は元々防衛庁の出身で、その所作にはどこか軍人のような部分があった。当時、私が生活していた室蘭にイベントで訪れた時、手紙のやり取りがあった私を、自分が泊まっているホテルへと招待してくれたのだ。彼は大量の写真を持って来ていて、さまざまな有名人たちと一緒に写っているところや、手相鑑定している写真を私に見せてくれた。その中には、当時まだ何かの大臣だった中曽根康弘氏とのツーショットもあった。防衛庁の出身ということもあって、政財界の人物多数を“雑誌の取材”という形で手相鑑定しているのが彼の強みであった。私がお願いしたわけでもないのに、私のことを占い、写真まで写して後から送ってくれた。帰り際、深々と頭を下げられた。私も慌てて頭を下げた。中曽根康弘氏はやがて総理大臣になった。門脇尚平氏の手相書には歴代首相の手型が掲載されている。その中で、もっとも「幸運な手相」と言えるのが、中曽根康弘氏の手相だった。次は佐藤栄作氏だった。確かに、この二人が首相になっていた時、日本国は繁栄していた。特に中曽根氏が首相だった時代、日本はバブル期に入って経済面で異様な発展を遂げた。彼が5年弱保った首相の座を遠のいて後、バブルは終焉を迎える。企業でもそうだが、社長の「運」は、そのままその企業自体の盛衰につながる。中曽根氏の手相は、太陽線が太陰丘(手首に接する小指寄り)からカーブを描いて太陽丘(薬指下)に上がり、もう一本は火星丘(感情線下の小指寄り)から上昇していた。2本のクッキリとした太陽線には勢いがあった。この2本の太陽線こそ、日本に「バブル」と呼ばれた繁栄期をもたらしたのだった。そこへ行くと田中角栄氏の手相は“若い時”に幸運が集中していた。頭脳線は短く、50代後半以降に生気がなかった。門脇氏の手相書には政治家だけでなく、芸能人の手相も多数掲載されていた。そういう意味では大変に興味深いのだが、肝心の手相そのものに対する解説はワンパターンだった。何十年経っても、新たな発見とか研究成果というものがなかった。有名な“キロの観方”を一歩も出るものではなかった。私を占星学のルル・ラブア氏に引き合わせたい…と言っていたが、既に二人とも亡くなっている。
高齢の“独り暮らし女性”の場合、防犯に気を使うのは当然だと言える。けれども、玄関の鍵をこじ開けられたら、どうしようもない。あとは“闘う”しかないのだ。そこで、日頃から鍛えておくことが重要になる。最近、独り暮らしの女性でジムに通う人が多くなったと聞く。もちろん、第一の目的は“美ボディ”なのだろうが、多少、身体を鍛えて“負けない身体づくり”の意識があるかもしれない。さて、ニューヨークでは先日、82歳で“独り暮らし”をする女性のもとに強盗が入った。なんと玄関の鍵を壊して侵入してきたのだ。万事休止と思いきや、ぼこぼこにされたのは“侵入者”の方だった。何しろ、このおばあちゃん、実は現役のボディビルダーで100㌔のバーベルを楽々と持ち上がる。侵入者にテーブルを叩きつけ、相手の身体の上で飛び跳ね、顔にはスプレーを噴射して、警察に突き出したのだ。怖い。強盗達よ。82歳だからと言って甘く見てはいけない。最近は日本でも女性向け“トレーニング雑誌”がアマゾンのランキングで1位になったりしている。ジムなど行かなくても、自室の中でストレッチ、ヨガ、スクワットを実践している女性達も多い。昔、ジャイアント馬場氏が黒柳徹子氏のTV番組に出た時「健康で長生きをしたい」という黒柳氏の求めで、スクワットのやり方を教えていた。その教えた馬場氏の方はあっけなく逝ってしまったが、教えられた黒柳氏の方はまだまだ現役である。そういえば昔、私のところに、いつも男性との恋愛相談に来ていた女性がいた。どちらかというと“線の細い”ちょっとひ弱な印象の女性だった。いつも婚約直前になると相手が去っていくと嘆いていた。ところが、或る時を境に来なくなった。そうして5年ほど経った時、彼女は再び私の前に出現した。「先生、私、変ったでしょう?」変わったどころではなかった。全くの別人になっていたのだ。肩が盛り上がり、胸が突き出ていた。話を訊くと、彼女はボデイビルダーになっていたのだ。あまりの変貌に、私は言葉を失っていた。もはや彼女は恋愛でも悩んではいなかった。仕事のことで訊きに来たのだ。哀しみをバネにすることで、人は大きく飛躍することがある。「強い女性」の過去には“哀しい夜”が横たわっているのだ。
相次いで…というべきか、今月22日には壇蜜氏が結婚し、27日には橋本マナミ氏が結婚した。お二人とも何故か「愛人」というキャッチフレーズでブレイクした。ということは、どこかにそう思わせる“顔貌”や“雰囲気”があったからに違いない。けれども結果的には、30代後半でめでたく結婚した。人相学的な観点からいうと、お二人に共通しているのは“額の形・髪の生え際”と“耳の内郭下部”と“口唇のライン”くらいであると思う。まず額だが、正確にいうと髪の生え際部分に似た要素があるので、形状的には“富士額”と“丸額”の中間的な額に当たる。女性と男性の“額”を比べると、側面部の“髪の生え際”に違いがある。女性は髪の生え際がクッキリとせず、特に側面部は“産毛”が残りやすい。これこそまさに「女の額」で、着物の似合う女性は総じて側面部の生え際が不明確なものだ。つまり、クッキリとした角額の女性は着物が似合わない。そういう意味で、お二人とも「女の額」をされているのだ。実は昔の日本女性の多くは、そういう額だった。けれども最近は“生え際クッキリ”の女性が多くなって、つまり理論思考型の女性が多くなって、情緒思考型の女性が少なくなった。或る意味では“理知的”になったともいえるし、“情緒性”が薄れたともいえる。外貌的にみると「女の額」である方が“愛人的”に見えやすい、ということだろう。確かに理知的過ぎると“愛人っぽく”ないような気がする。次に“耳”だが、これは注意深く観ないとなかなか気付かない。耳の“内郭下部”がお二人とも肉付き良く突き出ている。これは俗に言う“耳たぶ”のことではない。“耳穴”に接している内郭下部なのだ。図解で示さないと解からないかもしれない。とにかく、その部分がお二人とも発達している。この部分が発達している女性は少ない。この部位は“性愛的な感受力”を示すもので、古典的な相書には「名器の相」等とも書かれている。それから“口唇のライン”については、正確にいうと同じではない。壇蜜氏の方が両口元の上がる形で、その度合いが橋本氏より強い。ここが上がるのは“異性からの引き立て運”を持っているもので、昔は「玉の輿に乗る相」の一つとも言われた。お二人に共通しているのは、この形そのものよりも、口唇のクッキリとした輪郭線なのだ。クッキリとした輪郭線は“雰囲気やムード”に流されるとか、押し切られるとかいうことがない。つまり、仕事とプライベートをハッキリ分けている。こういう人達は家庭に入ると不倫や浮気はしないものである。こうして「愛人」と呼ばれた彼女たちは「人妻」と呼ばれる立場に変わった。情緒思考型の女性は「愛」が失われることだけ怖れている。
世界の「株式」が堅調さを取り戻しているのとは逆に、このところじわじわと下落し続けているのが「仮想通貨」の方だ。今年に入って、一時的に持ち直したかに見えていた“ビットコイン相場”だが、その脆弱な管理体制に多くの投資家は逃げ出してしまった。昨日、そのビットコインを扱う(株)ビットマスターという会社が“破産申請”していたことが明らかとなった。負債総額は109億円、2万2000人以上から投資を集めていた。この企業は最近まで毎日のように多くの投資家を集めて「セミナー」を行っていたらしい。大体、お金の絡む事業とか、新規投資とか、能力開発とか、宗教思想とか、そういったもので毎日セミナーを繰り返しているような団体にろくなものはない。もっと言えば、多くの人を集めて講師とやらが何もしなくても「儲かっていく」とか「成功する」とか「願望が叶う」とか…“謳い文句”を並べて宣伝するところは危ないのだ。この(株)ビットマスターという会社も、ビットコインそのものの販売というより、ビットコインのATMを販売する業務を主としていたらしい。ところが、そのビットコインATM自体が法律的には認められていないようなのだ。ビットコインそのものにしても、今は金融庁が登録許可を出した業者のみが正式には扱える。この会社は、元々金融庁から行政処分を受けた株式会社BMEXという会社の幹部が設立したものらしい。しかも、今年8月に本社事務所から火災が発生している。実は、その時点で、もうギブアップだったのではないか、という噂がある。つまり、破産することが解かっていたから、自ら“証拠隠滅”を計っての放火だというのだ。それにしても「(株)ビットマスター」という社名に変更したのは2017年5月で、それからまだ2年半くらいしかたっていない。あまりにも企業としては“短い命”だった。実際「仮想通貨」を扱う企業は、そのくらいから急速に増えた。そして多分、今後は急速に“終焉”を迎えそうな気配ですらある。何しろ、仮想通貨の人気が急速に衰えている。もちろん、そう簡単に儲からなくなってきたからだが、一番はあまりにも“流出事件”が次々と生じたからだ。そんなところに「金を預けられない」というのが日本的な発想ではないだろうか。日本では現在、9機のビットコインATM機が設置されているそうだ。わずか9機。されど9機。頻繁にセミナーを開いているところは、何であれ危険なのだ。
生活様式が「運命」を変えることは誰でも知っている。日本で電化製品が急速に普及し始めたのは1960年代だ。テレビ、冷蔵庫、洗濯機、掃除機、炊飯器が各家庭の必需品に変わった。そうなると、家庭内においては、家族同士がそんなに協力し合わなくても生活していけるようになっていく。それに合わせるかのように住居も、それまでの長屋スタイルからマンションのような高層型の集合住宅が一挙に増えていく。つまり、私生活における“横のつながり”が閉ざされ、実質的に必要ない生活へと変わりだしたのだ。ごく自然に“核家族”の暮らし方になって、親戚同士の交流も減っていった。確かに、生活は便利になった。けれども、互いに協力し合わなくても良い生活はコミュニケーションを失わせてしまう。結果的に家族間においても、会話の乏しい家庭・家族が多くなった。そして、より増えて来たのは“単身生活”である。子供が成長して独り立ちしての単身生活もある。地方から都会に出てくる形での単身生活もある。転勤族としての単身生活もある。離婚による単身生活もある。子供達が出ていく形での単身生活もある。さまざまな形での単身生活者が多くなった。それは、今後、増えることはあっても減りそうにない。これまでは日常生活における買い物だけは会話を必要としたが、徐々にそれも必要なくなりつつある。宅配が普及し、コンビニでも会話はあまり必要がない。タレントのマツコ・デラックス氏が自宅での生活について「独り言が多くなった」と明かしている。もう一人の自分を想定し、その相手と普通に会話しながら生活しているのだという。実際、そういう人達が多くなっているような気がする。家族と一緒に生活していたとしても、その家族とはほとんど会話せず、もう一人の自分と会話するような生活の仕方をする人も多くなった。実は、運命学的な観点からいうと「独り言」というのは“孤独の象徴”なのだ。寂しいから自分に話しかける。孤独だから自分と対話する。そうでなければ、頭に浮かぶ思いだけで、それを口にする必要はない。だから総じて、独り暮らしで周りとの交流が少ないお年寄りは“独り言”を言う。マツコ・デラックス氏のように、さまざまな人達との交流を持っている人であっても「独り言を言う」というのは、現代の日本全体が“孤独の列車”に乗り合わせているということなのだ。電化製品やマンションの普及は、日本人から“日常会話”を奪ったのだ。
誕生日が接近している人たちには時々“運命的な出来事”が重なるように訪れる。1月12日生まれのイモトアヤコ氏は昨日、生放送の番組の中で「結婚」を公表した。一方、1月13日生まれの元KARAのク・ハラ氏は昨日、ソウルの自宅で「死亡」しているところを発見された。実は、この二人、占いの上からは“共通している部分”もある。その四柱命式で双方とも月干支に「己丑」を持っている。それはイモト氏の場合は「傷官」を表出し、ハラ氏の場合は「七殺」を表出する。そして今年は「己」の年に当たる。したがって本来ならイモト氏は“社会的に傷つく”か、又は“夫・恋人のことで傷つく”。ハラ氏は“社会的に殺される”か、又は“精神的に殺される”。素直な“運勢の読み方”をすれば、そういう風になる。ホロスコープでは、イモト氏の太陽は「やぎ座」21度にあり、ハラ氏の太陽は「やぎ座」22度にある。現在、そこにはトランジットで通過中の冥王星が位置している。つまり、二人とも出生時の太陽とトランジットの冥王星が“0度一体化”の状態にある。これは何を意味するのかというと「生まれ変わる時期にある」ということを意味する。実際、イモト氏は“結婚”によって生まれ変わり、ハラ氏は“死亡”によって生まれ変わる。もし、生まれ変わりが存在するならば…。ただ、この“違い”は大きい。どうしてこういうことになってしまったのかというと、実はイモト氏の方は太陽にピッタリと貼り付くように金星が傍にいたのだ。つまり、冥王星は太陽と一体化していたが、同時に出生時の金星とも一体化していたのだ。その結果「結婚」という形で“生まれ変わる”ことになったというわけだ。一方のハラ氏の方は先月トランジットの土星が出生時の海王星に0度一体化していた。海王星は“迷い”と“哀しみ”を授けやすい。元々、今年は“七殺の年”なので、本人にとっては“生き辛い年”だったに違いない。5月にも“自殺未遂”を行っていた。また先月、親友のソルリ氏が自殺していた。こうして、誕生日は一日違い(生まれ年は異なる)なのに、片方は「結婚」という吉現象となり、もう片方は「死亡」という凶現象となって表れた。実は、もう少しだけ待つことが出来れば、ク・ハラ氏にも“幸運”が訪れたはずなのだ。それは2020年の6月~10月で、トランジットの天王星が彼女の出生時の金星、天王星、木星の三惑星にアスペクトする。それが、具体的にどういう形で幸運をもたらすかは微妙だが、突然の“人気爆発”や“恋愛・結婚”や“大ヒット”のどれかで実現した可能性が強い。どうして、それまで待っていられなかったのだろう。残念でならない。
今日11月24日、横浜で来日中のフィリピンのソル・ダウレ弁護士が講演する。その内容はかなり深刻だ。現フィリピン大統領であるドゥテルテ氏の「麻薬戦争」がおかしな方向へと進み始めていて、政府にとって都合の悪い農民たちが「理由なく殺され始めている」というものだ。そして、そのフィリピン政府の軍隊に資金援助している日本に、考え直してほしいという訴えなのだ。確かに、最近のドゥテルテ大統領は少し変だ。つい最近も“公共の場”において「電子タバコ」を喫煙した者は“現行犯逮捕する”という制度を、大統領令によって急きょ制定した。電子タバコのどこがいけないのか知らないが、そこは豪腕で強行していく。それよりも怖いのは「麻薬戦争」の名のもとに、麻薬の製造者も、密売人も、所有者も、その関係者も、有無を言わせず“殺害する”という手法だ。ソル・ダウレ弁護士によると「反論の機会さえ与えられず殺される」「無実であっても“怪しければ”殺される」という徹底ぶりのようだ。しかも、それは「農民が圧倒的に多い」という事実がある。どうして、農民が多いのかというと、農民の多くが“政府”に対して不満を持っているからだ。フィリピンは大昔スペインの植民地だった。その当時に施行された制度の一つ「大土地所有制」というのがあって、それがいまだに尾を引いている。多くの農民は5割以上の“年貢”を納めなければならない。歴代の大統領が、この制度を改善すると約束して当選するのだが、なしくずしに続いているらしい。実は、今回の来日も、本当はサトウキビ労働者の組合を率いるロザンデ事務局長と一緒に来るはずだったのだが、彼は直前に逮捕されてしまった。武器不法所持による逮捕のやり方は、最初に軍関係者が来て本人を調査し、その後警察が着て家宅捜索する、そうすると室内から銃が出てくる。本当かどうか知らないが、軍関係者が来た時、室内に“銃”を隠していくという。手品のような手法を用いるのだ。したがって、歯向かってきた人物は誰でも逮捕できる。ドゥテルテ大統領が就任した時、フィリピンの国民の多くは「麻薬撲滅」のスローガンに賛同した。けれども、いつの間にか、その銃口は“歯向かう者”に向けられるよう変わった。独裁者が国を支配する時、無実の「血」があちこちで飛び交うのだ。
私が子供の頃、ちょっとだけ「漫画家になろうかな」と思った時期があった。小学生の頃だ。漫画家なら“引きこもり”でも成立するし、自分の好きな“空想の世界”に浸っていられる。そう思ったが、今一つ、肝心の漫画が上手く書けない。早く書けない。これではプロになれない。ただ時々コマ割りをしてストーリー漫画を描いた。もし、あの時、描き続けていれば…占い好きな漫画家は誕生したのだろうか。わからない。海外から発信された記事を見ていて、パリ市内の中に通称「マンガ通り」と呼ばれる地域があることを知った。フランスの日本漫画が好きな若者たちの集まってくる専門店があるという。今や「日本のMANGA」は世界の若者たちから支持されている。昔はTVアニメの方がヨーロッパでは広く浸透していた。二十数年前、デパートのおもちゃ売り場にはポケモンのぬいぐるみやおもちゃが並んでいたものだ。けれども、今は紙書籍化されている漫画本の方が熱い支持を得ている。多分、一つには日本とほぼ同時に“翻訳本”が書店に並ぶからだ。ITの進化で今や日本の漫画は国内だけではなく、世界を相手として出版されるようになったのだ。そのせいもあって、今の漫画には“国籍”というものを取っ払ってしまったようなストーリー構成も多い。特に“魔法もの”や“異世界もの”や“冒険もの”などがそうだ。フランスの若者の場合、漫画の世界に入り込んで本格的なコスプレをするとか、そこに出て来る“架空の武器”作りをする人が多い。だから漫画の書店内では“刀”や“武器”も展示販売している。それにしても、日本のさまざまなジャンルの漫画がフランスやスペインの若者たちに受け入れられているのは不思議な気がする。どちらも芸術性に富んだ国ではないか。スペインの漫画専門店の看板は「心MANGA」となっていて、漫画そのものが“日本の心”を売る作品群となっている。最近、日本のさまざまなものが海外で“価値を高め”或る種ブランド化されて帰って来る。昔は“言葉の壁”があってなかなか理解され難かったものが、TVアニメや漫画の浸透によって「日本語」も徐々に“国際語”としての価値を発揮し出しているような面もある。但し、日本人が“失ってしまったもの、”或いは“忘れてしまったもの”を外国人が上手く吸収して、日本人が反対に教わる残念な状況も出てきている。占いの中にも、日本独自のモノ、日本で進化していったモノがいくつもある。漫画家が“パリで最先端の職業”に変ったように、日本の占いも「世界」で称賛されるようなものに変えていかなければならない。
ひとには、それぞれ「生き方」というものがある。その「生き方」の中でも“過去”に対しての“向き合い方”は完全に二つの分かれるよう私には感じられる。つまり「過去」を大切に“傍に置いて生きる”か、それとも「過去」を完全に捨て去って“切り離し”生きて行くか、の二つだ。或るバライティ番組の中でタレントのスザンヌ氏が自宅にあるスワロフスキー製のシンデレラ城を公開した。それは初婚の相手である斉藤和巳氏からプロポーズの時にプレゼントされた「城」らしい。重さが200㌔もあり500万円もした「城」であるという。それを彼女は離婚後4回も引っ越しをしたのに大切に持ち続けていた。そして「一生、大切にしていく」と誓っていた。これをどう見るかは、完全に二つに分かれると私は思う。つまり、どうして「過去」を捨ててしまわないのか、という感じ方と、ずっと死ぬまで大切にしていってほしい、という感じ方だ。考えようによってはプロポーズに「シンデレラ城」というのはなかなかにロマンチックである。その時、指輪を渡したかどうかは知らないが、どんな高価な指輪よりも、インパクトがある。ただ、もう一つの観方も出来る。シンデレラには“魔法”が登場する。12時を過ぎてしまうと“魔法”が解けてしまうのだ。そういう点では「シンデレラ城」でプロポーズした時点で、愛が変わっていく可能性が暗示されていた…ともいえる。スザンヌ氏の結婚生活は3年半ほどしか続かなかった。それでも、彼女は前夫との“想い出の品”を大切にし続けていた。そして、今後も「大切にする」と断言している。それは、過去の自分を“大切にしたい”気持ちの表れである。もっとも、200キロの想い出は「新たな相手」が出現した時、やっかいである。俗に「過去を引き摺る」という言葉があるが、正にその言葉通りの“生き方”となってしまう可能性もある。ところが、女性というのは男性と違って、案外、後になってみると正反対の行動に出ている場合がしばしばある。嘘をついていたわけではない。その時は本当にその気持ちでいたのだ。けれども、新たな相手が出現することで、それまで輝いていたものが色あせていくケースは少なくない。そこに男性との“根本的な違い”がある。もちろん、最初から「過去」はどんどん“切り捨てていく”タイプの女性もいる。そういう女性にとっては“別れた相手”の品物はことごとく棄てて、何ら後悔しないのが常で、時々、我が児を捨てて家出する女性がいるが、それは“相手につながるもの”として無意識に切り離そうとするからだ。運命学的には、どちらが正しいともいえない。もしかしたら、女性は“へその緒”を切って出産するように、新たな相手の出現で“無意識に過去を断ち切る”という生き方が、もっとも自然なのかもしれない。
あなたは「ピカソの絵画」を贈られたならどうするだろう。自分の部屋に飾るだろうか。それとも“売り”に出してしまうだろうか。それとも、車庫の中に“眠らせて”置くだろうか。彼ピエール・ルゲネクは自宅車庫の中に眠らせておいた。それが彼の主張だった。それも40年間という長期にわたってである。もし、彼の言うごとく、本当にそれが贈られたものであるのなら、自宅車庫の中であるから、誰も罪には問えない。けれども十年間にも及んだ裁判の結果は“盗品”とみなされた。なぜ、盗品とみなされたのか。一つには“贈られたモノ”にしては点数が多過ぎるのだ。何んとその数271点。ピカソの作品ばかり、そんなに数多くの作品を“車庫に眠らせる”ような人物に贈るだろうか。どう考えてもおかしい。しかも、彼は美術マニアではなく、ただの電気工なのだ。フランスの裁判所は、それでも十年間もの間、法廷で争わせたのだ。何んと素晴らしい裁判所であることか。結局、判決は4年前と変わらず、執行猶予付きの禁固2年だった。それなら双方とも、そんなに意地を張らなくても…と私などは思うのだが。もちろん、本人にとっては“大きな違い”なのに違いない。実は、この裁判、もしかしたら被告の言う通り“盗品”などではなく“贈られたモノ”であった可能性もある。なぜかというと、こんなに夫婦2人で盗めるはずがないのだ。27点ではない。271点だ。しかも“巨匠ピカソの作品”である。1点でも貴重だというのに、どの美術館でも厳重な監視下にあるというのに、夫婦2人だけで盗めるはずがない。もちろん、検察側も、それは承知している。彼らが直接盗んだと考えてはいないのだ。富裕な美術商に“利用された”と考えているのだ。そうして“盗み”の片棒を担がされた、と見ているのだ。確かに、美術商が介在しているのは間違いがない。けれども、もしかしたら本当に彼らは“盗品”とは知らず、絵画を大量に貰ったが、興味がないので車庫に入れたままにしておいた、ということもあり得ないことではない。なぜかというと、もし彼らが“ピカソ作品”の価値を知っていたなら、少なくとも何点かは“金に換えていた”と思われるからだ。40年間ずっと車庫に保管しておいても一銭にもならない。大体、絵画を盗むのなら、それが“高額で売りたい”からか、その“作品が死ぬほど好き”だからか、二つに一つで、それ以外のケースは考えられない。車庫にぶん投げておくために盗むということ自体、ありえないのだ。そうだとすれば、理由はよく解からないが、実際に美術商から「大切にしてほしい」と贈られ、けれども絵に興味がないから、車庫に入れておいた…ということもあり得ないことではない。それはともかく、40年間の“眠り”から目覚めた271点の作品は、その“価値が解かる人達”の元へと旅立っていく。
私は何となく、この人に“日本一の富豪”と同じ“匂い”を感じるのだ。この人とは「星野リゾート」を各地で展開している星野佳路代表のことだ。もちろん、現在の“日本一富豪”は「ユニクロ」を展開している柳井正氏だ。「ユニクロ」がいつの間にか“世界のユニクロ”になったように、おそらく「星野リゾート」も二十年先には“世界の星野リゾート”になっているのに違いない。その第一歩ともいうべきものがハワイで、来年1月15日から始まる。ホノルル市街に建つ「ザサーフジャックホテル&スイミングクラブ」を全面改装した「星野リゾート サーフジャックハワイ」の開業だ。このホテルこそ、星野リゾートが“北米進出”するための足掛かりとして最重要視しているホテルなのだ。もちろん、北米だけではない。最終的には「ユニクロ」と同じように全世界に進出していく。実は既にタヒチ、バリ、台湾には「星野リゾート」が進出している。だから初めて海外進出するわけではない。けれども、今回のホテルはそれらと違って明確に“北米”を見据えた戦略がある。ここが成功すれば躊躇せず北米に進出できるし、もし失敗に終われば、戦略を見直さなければならない。その後には中国とヨーロッパが控えている。ハワイへの観光客は世界中から集まって来るが、もっとも多いのはアメリカ本土からの観光客だ。したがって、ここで成功できれば、北米でも成功できるのだ。もちろん、日本からの観光客も抑えたいが、それをメインとはしていない。そうしてしまうと、北米に進出するための“足掛かりホテル”とはなれないからだ。実はハワイを狙っているのは、星野リゾートだけではない。京屋グループは「シェラトン・プリンセス・カイクラニ」を再開発しているし、三井不動産は「ハレプナワイキキバイハレクラニ」を改装中である。ただ、それらのところは“日本人客”がメインなのだ。もちろん日本人をメインに据えた方が営業面だけで言えば簡単かもしれない。けれども、それでは「ユニクロ」にはなれない。“世界の星野リゾート”に育てていくためには、日本からの観光客をメインに据えてはならないのだ。もっとも「ユニクロ」が“世界のユニクロ”になったからと言って、それが“日本のファッション”とか“日本の代表的アパレル”と思われるのは、未だに納得できない。こういう言い方は柳井氏に失礼なのだが“ファッションセンス”として、本当は日本を代表してほしくない。それと同じような感慨を、もしかしたらわれわれは“世界の星野リゾート”に抱くかもしれない。それを防ぎたいなら、早急に星野リゾートに立ちはだかる“ホテルブランド”が世界戦略を練らねばならないのだ。
もちろん犯罪には厳正に対処しなければならない。けれども、そんなに欲しかったんだな…と同情してしまいそうになる事件もある。慶応大学理工学部の敏腕教授が、その敏腕にモノを言わせて“2枚で400円”の下着を盗み、走り去ろうとしたのだ。ところが、その姿に気付いたのは奥さんではなく、窓越しに見ていたご主人の方だった。そしてご主人は、その敏腕教授をどこまでも追いかけ御用としたのだ。お手柄ではある。だが、何となく、昔のコントっぽい話だ。アパートの軒下に下着を干す。その“干された下着”を欲しくなる男がいる。それは何となく理解できる。私も十代半ばくらいの時には、そういう願望があった。いただけないのはご主人の居る人妻の下着を狙ったことだ。しかも、ご主人が何気なく窓の方を見ているときに狙ったことだ。“2枚400円”の下着を慶応大の教授が握りしめて走り去ろうとするのを、そのご主人は追いかけて、追いかけて、どこまでも追いかけて、捕まえたのだ。ところが、盗品というのは、必ず、何を盗んだのか、その品物が、いくつで、いくらの商品なのか、警察署内で記録しなければならない。当然、盗まれたモノは丁寧に包装されてから返されることもない、その2枚の下着を握りしめて今度は家に戻らなければならない。じろじろ見られても、走り出すことは出来ない。“2枚で400円”を屈辱には感じなかっただろうか。また、盗んだ教授の方も、どうして“2枚で1万円”くらいのものを狙わなかったか、と後悔はしないだろうか。しかも、ご主人が窓の方を見るというのは、相当に“暇なとき”に限られる。ご主人が暇を持て余しているとき狙うなど最低だ。基礎の基礎からやり直しだ。慶応大の教授だというのに、どうしてそんなにとんまなんだ。敏腕教授と言われているのに、腕が落ちたのか。だから家の中に居たご主人に、すぐ走って逃げたのに捕まえられたのだ。相当なスピードで追いかけて来たのだ。逃げる教授も必死だが、追いかけるご主人も必死だったのだ。なんか友情が生れそうな話ではないか。それにしても“2枚で400円”はどう考えても“セクシーな下着”ではない。それなのに、なぜ盗みたくなったのだろう。“洗い立て”なら臭いもシミもついてはいない。それなら「真新しい下着」を自分で購入した方が、罪に問われることもなく、良いような気がするのだが…。
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