12月, 2019年

中村医師は「IS」存在誇示の標的となった

2019-12-06

アフガニスタン周辺が“危険な地域”であることは誰もが知っている。けれども、少なくとも支援活動をしているNGOに対して銃口を向けることはないだろう…という甘い観測が、平和な国で暮らしていると、どうしても抱いてしまう。けれども、むしろその考え方自体が“真逆なのだ”ということを日本人は知っていなければならない。NGOで現地でも称賛されているような人物こそ、格好の“標的”となる。なぜなら「ヒーロー」を銃撃すれば、黙っていても世界が報道してくれる。無名人70名より、有名人1名の方が“存在感を誇示する”役目を果たしてくれる。実際、半年間の間に外国人のNGO関係者が77人も殺傷されている国なのだ。11月には国連職員まで殺された。したがって中村哲医師も自分の身辺が“危険”であることは知っていた。だからこそ警備の車に先導されるような形で現地に向かっていた。ところが、その“行先”も“走行ルート”も、事前に察知されていた。最初から、走行ルートの途中で“行く手”を阻む形で装甲車が止まり、武装集団が警備車両に近づいた。そして彼らを先に撃ち、その後で後ろの車の助手席に座っていた中村哲医師にも銃口を向けたのだ。あっという間の残劇だった。撃ち終って引き揚げかけた時、振返った1人が「まだ生きているぞ」と叫び、とどめの銃弾を3発命中させた。最近、イスラム国は“脱退者”や“投降者”が相次いでいる。弱体化していると思われたくない彼ら「イスラム国」の“存在誇示”の標的になったのが、現地の英雄であった中村医師なのだ。海外でNGOとして派遣されている日本人はたくさんいるが、特に“過激派イスラム集団”が居る地域の日本人は狙われやすい。それは日本人がどの国へ行っても現地人に友好的だからである。現地人の中に“過激派”周辺の人物が混じっていても、日本人には見分けがつかない。そういうところから情報が洩れていく。イスラム原理主義者にとって日本人は「中立な国」なのではない。「キリスト教国に味方する国」なのだ。だから、どんなに「自分は仏教徒だ」と叫んでも、襲撃の対象となる。イスラムの神は、自分に縋りつく者以外に決して手を差し伸べようとはしない。

「反面教師」が「血が流れる娘」に変貌する時

2019-12-05

歌手・女優の神田沙也加氏と俳優の村田充氏が“離婚していた”ことが明らかになった。結婚当初は「おしどり夫婦」としてマスコミに取り上げられていただけに、あまりにも早い離婚劇が驚きを与えている。正直、私も、こんなに早く離婚するとは思わなかった。私自身は“二人の相性は良い”と思っていたからだ。今でも、それは変わらない。二人のホロスコープを重ね合わせた時、互いの金星同士が120度となる。このような関係の二人は、ごく自然に互いを“好ましく感じ合う”のだ。そして、それは生涯変らない。時折、そういう夫婦でもさまざまな理由から別れることがある。けれどもほとんどの場合、好感は持ち続ける。嫌いにはなれない間柄なのだ。もう一つ、二人を結び付けていたのは太陽と月との“0度一体化”だ。これも夫婦間でしばしば見受けられる惑星配置で、二人の場合は妻の太陽に対して、夫の月が重なる形だ。この場合、夫婦間では太陽側にリード権がある。つまり、神田沙也加氏の方が村田充氏をリードする家庭生活となる。これを無理に変えると、必ず支障が出る。二人のブログから推察すると、早い段階で“子供を作る”かどうかが争点で、夫が子供を望み、妻がそれを拒否した形のようだ。四柱命式では神田氏の四柱命式では年干に「梟神(偏印)」という星が出ている。「梟(ふくろう)」は“我が児を食べてしまう”習性を持っている。つまり、この星が出ていると、妊娠・出産に関して問題が発生しやすい。仮に子供が出来ても、自分自身は子育てをしないケースも多い。そういう神田氏に“子作り”を求めたことで、微妙な亀裂が生じたのかもしれない。そして、もう一つ、神田氏の月干に「印綬」という星が出ている。これは本来「母親」を表す星なのだ。この星を月干に持っていると、本人が意識するかしないに関わらず、社会生活上では“自分の母親に似た部分”が表出するようになる。だんだんそうなっていくのだ。私は以前“二人の結婚”について母親を「反面教師」として“家庭的な村田充氏”を択んだ…と記した。多分、実際にそういう部分はあっただろう。けれども、自分自身が「看板女優」に変わっていったことで、徐々に、同じ血が流れている「母親」に似た部分が“顔を出して来た”可能性もある。もちろん、それを批判することは誰も出来ない。「梟神」のもう一つの顔は“夢とロマン”の星だからだ。

「思いやり予算」は「ぼったくり予算」だった

2019-12-04

ときどき政治家たちの資質を疑ってしまう時がある。連日「桜を観る会」のメンバーについて騒ぎつづけている。誰を招待しようが、そんなことはどうでも良い。もっと、政治家がやらなければならないこと、議論しなければならないことが沢山ある。その代表的なことの一つが「ぼったくり予算」ではなかった「思いやり予算」についてだ。実は報道機関も、あまり真正面からこの問題を大きく扱っていない。だから日本人の多くも「何のこと?」という人が大半であろう。まず名称が良くない。正式には「在日米軍駐留経費」というのだが、通称は「思いやり予算」として認知されている。アメリカは世界各地に軍隊を派遣している。そして、その経費をその派遣先である各国にも要求し、トランプ大統領が就任以降、その経費の増額を各国に求めている。トランプ氏いわく「アメリカだけが沢山負担するのはおかしい」。けれども、極端なことを言えば勝手によその国にやって来て、その滞在費をお前のところで賄え!と言っているに等しい。けれどもそれを拒否できないのは、実際、そのお陰で“安全が保障されている”部分もあるからだ。アメリカさんが居座ってるなら攻めるの止そう…ということになるからだ。そういうわけで、簡単に無くすわけにもいかないのだが、そうはいってもアメリカさんだって、周辺国に“睨み”を利かせるため陣取っているのであって“善意”で守っているわけでもない。そういう意味ではフィフティフィフティなのだ。さて日本の場合、現在どのくらいアメリカさんに支払っているのかというと約2000億円だ。すごい額である。けれども、トランプ大統領は「日本は裕福な国にも拘らず、米国は多数の金を払っている」ととぼけたことを言っている。そして、現在の日本の負担金を8000億円まで引き上げろ!と打診してきているのだ。なんと強欲で厚かましい要求であることか。今の日本は、決して“裕福な国”なんかではない。なぜ彼は“裕福な国”という誤った認識を持っているのか。それは、彼が青年時代に、つまり不動産屋だった時代に、日本がバブルでアメリカのビルを片っ端から買い占めていた時期があったからだ。あの頃の記憶が抜けないのだ。誰か、彼の頭を冷やしてやってくれ。そうでないと「言いなり予算」になりかねない。いやその前に「思いやり予算」という“言い方”だけでも改めていこう。この名称を観たり聞いたりするたびに「パワハラ」めいた響きを感じてしまうのは私だけだろうか。

「希望」は自らが“見つけ出す”もの

2019-12-03

今年9月に池袋のホテルで死体で発見された36歳の女性は、容疑者として逮捕された私大生に“殺人を依頼”していたことが初公判で明らかとなった。被害者とは初対面であったのに、容疑者は「嘱託殺人罪」という珍しい罪状で起訴された。つまり“依頼を受けて殺した罪”である。よく家族が「もう死にたい」という病人に頼まれ、その願いを受け入れる形で“殺した”場合に適用される。そういう罪状だ。したがって少なくとも検察側は、この事件に対して容疑者が何らかの目的で被害者を強引に殺したのではなく、依頼を受け入れる形で“殺しを実行した”と見ているのだ。おそらく、ツイッターで知り合っている二人には交信の記録が残っていて、それが決定的な決め手になったと思われる。容疑者の供述では、ツイッターによって“自殺志願者”何人かとやり取りしていて、志願者たちを数人殺してから、自らも死のうと決めていたらしい。つまり自らも“自殺志願者”だったというのだ。どうしてかというと、教員採用試験に失敗したからだ。言ってみれば、それだけのことでだ。おそらく、彼に殺人を依頼した36歳の女性も、客観的にみれば決して切羽詰まったような状態だったわけではない。なぜなら、彼女は母親に対して「病院に行ってくる」と言って家を出ているからだ。36歳だが無職で実家暮らしであった。切羽詰まってはいないが、将来に対して「希望を見出せない」状態ではあったに違いない。人間は、将来に希望を見出せなくなると、生きていること自体が“辛く”なる。逆に「希望」があれば、どんな過酷な状況でも、悲惨な状況でも、生きていくことが出来る。街が徹底的に破壊された戦時下においても、子供達の目は輝いている。未来の「希望」を見つめているからだ。けれども希望は、誰かが与えてくれるものではない。自らが“見つけ出して”いくものなのだ。その“希望の光”は、どんなにへとへとになっても、ボロボロになっても、ズタズタになっても、這いずり回ってでも見つけ出す方が勝ちなのだ。けれども、現代はあまりにも早くから人生を放棄してしまう人が多い。ちょっとしたことでも深いダメージを受けて、そこから立ち上がろうという気力を持たない人が多い。「希望」だけは、周りの人も家族でも与えることが出来ない。そして「希望」だけが、人生と未来を輝かせるのだ。

「7本指のピアニスト」は“7年間”で蘇った

2019-12-02

「業(ごう)」という言葉にはさまざまな解釈がある。「仕事・職業」という解釈もあるし「日頃の行い」という解釈もあるし「過去世の報い」的な解釈もある。とにかく運命的なニュアンスの強い言葉ではある。時々ピアニストには、この“業”としてピアニストという職業に就いているような人たちがいる。西川悟平氏(45歳)も、そういう一人だ。とは言っても「盲目のピアニスト」として有名な辻井伸行氏ほどの“運命的な歩み”でもない。辻井氏の場合は、先天的に盲目で生まれて、けれども幼少期からピアノの音に対する天才的な閃きがあった。それを察知した母親が幼少期からつきっきりでその才能に磨きをかけ、世界的なピアニストにまで育てた。ピアノの鍵盤が見えないというのも“決定的に不利な条件”からのスタートだが、同じように不利な条件として、“指が動かない”という条件もある。西川悟平氏の場合、ピアノの本格的な練習は15歳から始めた。通常、幼少期からスタートする音楽の世界では極めて遅い。それでも1日に8時間から10時間という猛練習のお陰で徐々に頭角を現し、やがて24歳の時には単独でニューヨークへと渡り、ピアニストとしてのデビューを飾った。或る意味、順調なスタートだったと言える。けれども、その2年後に悲劇が訪れる。或る日、突然、指が動かなくなったのだ。ジストニアという神経疾患で、医師からは「もう一生ピアノは弾けません」と宣告されてしまった。そのショックは大きく、一時的にはうつ病にもなった。けれども、西川氏はあきらめなかった。左手は中指、薬指、小指と曲がって動かない。動くのは親指と人差し指。それも、ようやく動く程度だ。右手の方も、最初は動かなかったが徐々に動くようになった。結果的には7本指だけで何んとかピアノを弾こうと決心したのだ。死に物狂いの練習が始まる。けれども、元々、人よりスタートが遅かった彼は、天才ではなかった彼は、努力によって“7本指で弾く”ことに成功し出したのだ。もし彼が幼少期から天才的に弾くことが出来た人物なら、このような病気になって、医師からもあきらめるよう勧められ、努力を放棄したに違いない。けれども、ダメ元で頑張った成果は、7年後に実った。私が一番言いたいのはこの部分で、プロだった彼でも、一から出直すのに7年間かかったのだ。それでも、あきらめなかった彼は今、祖父母が眠る倉敷市でリサイタルが開けるまでになった。彼が「7本指のピアニスト」として改めてニューヨークで迎えられる少し前、父親や母親は相次いで亡くなっている。

2019年12月の運勢

2019-12-01

「じたばたしない」が大切と教えた本

2019-12-01

このほどトーハンや日販の年間ランキングで共に総合1位に輝いたのが『一切なりゆき~樹木希林の言葉~』であったと公表された。実は、その3位や5位という形で、もう一冊の類似本『樹木希林120の遺言』も入っている。つまり、昨年亡くなった女優・樹木希林氏の言葉を編集した本が二冊ともランキングを飾ったということである。生前、別に“熱狂的なファン”を持っていたわけではない。どちらかと言えば、晩年までは“個性派女優”として知られていた。或る意味、60代を過ぎてから脚光を浴びたと言ってもいい。ただ若い時から“面白い女優”として注目はされていた。しかも、その頃は「悠木千帆(ゆうきちほ)」と名乗っていた。ところが、何かのオークション番組で、その“芸名”を売りに出したのだ。結局20200円で買われた。それを観て「なんて大胆な女優だろう」と思ったものだ。浅田美代子氏の母親役の「時間ですよ」や、郷ひろみ氏とデュエットした「林檎殺人事件」でも人気を集めた。私生活の方でもロックシンガーの内田裕也氏との結婚が驚きの的となった。世間的には二人のイメージが結び付かなかったからだ。実際、その結婚生活は上手くゆかず、すぐに別居生活に入った。それでも、死ぬまで離婚はしなかった。晩年は作品に恵まれたが、いくつものがんを患い、満身創痍で仕事をしていた。そのどれをとっても、スター女優の生涯ではない。顔貌から言っても、どこにでもいる“おばさん顔”である。けれども、世の中では、こういう“おばさん顔”で様々な苦労を乗り越えてきた人が、多くの人から慕われ、頼りにされているケースが多い。それを証明するように『一切なりゆき~樹木希林の言葉~』は150万部を超えるベストセラーとなった。この事実は同時に、人生の半ばを過ぎた多くの日本人が、混沌とした世の中でどう生きていけばよいか、“上から目線ではない生き方”を求めていることの証しでもある。多くの女性が夫や恋人との関係に悩み、その距離感を探っている。40年間の別居生活というのが、本当にその答えに相応しいのかは疑問なのだが、共感性は得られそうである。また、多くの日本人ががんをはじめとする諸病に苦しんでいる。全身がんと公表しながらも、堂々と死の直前まで仕事をやり遂げた彼女は、或る意味で律儀な日本人の理想の姿なのだ。「死」とどう向き合うか「病」とどう付き合うか、医者にはない答えを読者は求めたに違いない。多分「じたばたしない」が、彼女の答えなのだ。

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