6月, 2020年

神は「身代わり」を用意したのだが…

2020-06-06
“北朝鮮拉致家族”の象徴ともいうべき横田滋氏が老衰のため逝去された。拉致された横田めぐみさんの消息は未だ不明のままである。北朝鮮側は1986年に結婚をし、翌年にキム・ヘギョン氏を産んだが、1994年4月に自殺したと伝えている。一部の拉致被害者たちが戻って後、横田めぐみさんの娘であるキム・ヘギョン氏と祖父母にあたる横田夫妻のTV中継による“対話”が実現したことがある。ヘギョンさんは祖父母に逢いたいと言い、北朝鮮に迎えに来てほしいと言ったが、横田夫妻はそれに応ずることはなかった。日本のマスコミも世論も、ヘギョンさんを日本に連れて来ることには大反対で、逢って来ること自体にも大反対で、それらに押し切られるような形で「孫」との関係はぎくしゃくしたままで流れた。だが、当時、私は思っていた。その当時のヘギョンさんは丁度めぐみさんが失踪した年齢にほぼ符合している。もちろん、孫だから顔貌も似ている。もし、横田夫妻が気持ちを切り替えれば、ヘギョンさんを引き取って育てることは可能だったはずなのだ。もちろん、これには、さまざまな“異論”があることは知っている。けれども、私には、これが「神」が用意することが出来た“唯一の身代わり”であると思うのだ。もちろん、“身代わり”は“本物”には成れない。けれども、ホンモノのように愛することは出来る。孫は、娘のように応じたことだろう。私は、それで良いと思うのだ。世の中には「白黒」をつけなければ気の済まない人がいる。「本物」でなければ絶対に受け入れない人がいる。けれども「運命」という観点から考えると、必ずしも白黒をつけたから“幸せになれる”というものではない。必ずしも本物でなければ“幸せを得られない”というものでもない。せっかく「神」が用意してくれた“幸せ”を拒否するのが正しいとは言い切れないのだ。或る意味では“世論”がそうさせたともいえる“身代わり拒否”だが、運命の神は「それ以外はどうすることも出来ません」と哀し気に微笑むのみであった。

ZOOMで「新しい手相の観方」を伝授⁉

2020-06-05
私は元々IT関係のことは苦手だ。だから「オンライン講座」というものを「やっていただけないでしょうか?」と大阪の天晶先生から依頼された時にも、決して乗り気ではなかった。実はこれまでにも何度か個人的に、そういう風なことをやる予定はないですか、と問われるケースはあった。ただ私はIT関係の仕組みというか操作というか、そういう類のことを知らずに手出しをするつもりがなかったので「今のところは無いです」と返答し続けてきた。ただ社会全体が“リモート”に切り替えるという風潮の中で、今のままで良いのか、と考えることがなかったわけではない。丁度そういう気持ちが少しだけ働いていたタイミングで占術の専門教育に熱心な天晶先生に誘われたので「ZOOMは簡単ですから…」という言葉にほだされ、引き受けることになった。7月1日から12月16日までの半年間、月2回の講座なので全12回「手相プロ養成講座」を行う。やってみようかと思ったことの一つには、近年、芸人とかタレントとかの“片手間手相家”が多くなって、そういった人たちの“思い込みの仮説”が大手を振って世の中に流布されつつあることによる。つまり、間違った解釈が「正しい」かのよう普及し始めていることに歯止めを掛けたいのだ。手相は、正しい観察力と分析力があれば誰でも習得できる。ところが“思い込み”の強すぎる人が手相家として人気を集めると、正しくない“仮説”がまるで真実であるかのように知れ渡っていく。それが怖いのだ。私は、西洋式の手相の本も、東洋式の手相の本も出版した。ぜんぜん違った内容の本である。人気手相家と呼ばれる人たちの“手相書”の内容はどれもがほとんど同じなのだ。本来なら、何年間も手相を観察し続けていたら、一つや二つの“新たなる発見”があって良いはずなのに、そういうものが全然ない。既に“出来上がったもの”として「占い」を捉えている“占い師”は大体がそうである。どの占いであっても、まだまだ“未完成”なのだという根本的なことに気付かないと、“占い業界”だけは一歩も進まないで、何十年も、何百年も過ごしていくことになるだろう。

予測的中「マヤ文明最大の建造物」発見は、まだ序曲⁉

2020-06-04
私は今回発見・発表された“マヤ遺跡”のすぐ近くから、定説を覆す「マヤ文字遺跡」が発見された時、つまり今年3月12日に《来るか「古代文明」の“謎の発見”連鎖⁉》と題して、今年の場合には“地球異変”が起こりやすいということを前提に《今年はそういう地味だが貴重な「古代文明の発見や解明」が次々もたらされる年になるのではないか》と記した。それを証明するように昨日英国のネイチャー誌上で「マヤ文明最大の建造物」(南北に1400m、東西に400m)が地下に存在していることをレーザー測量によって確認公表した。9本の道路や人工貯水池なども確認している。アグダナ・フェニックス遺跡と呼ばれる。この発見のすごいところは、米アリゾナ大の猪俣教授、日茨城大の青山教授など“日本人主体のチーム”であることだ。近年、マヤ・アステカ文明など中米の古代文明には日本人の研究者が指揮をとっているケースが多い。古代文明の発掘・研究には時間と費用が掛かる。費用さえ出してくれるのなら、日本人研究者は地元研究者たちと力を合わせて、着実で信頼に値する研究を粘り強く成し遂げるのに相応しい。今回の建造物だけでなく、マヤ文明には、まだまだ未開拓の領域が眠っている。今回の発見で価値があるのは、紀元前1000年頃から200年くらいかけて築いた祭祀用基壇であろうと予測していることだ。これまでにも、マヤ文明は紀元前から始まっているとはされていたが、明確な遺跡が見当たらなかった。今回の発見で、改めて「マヤ文明」が、「古代エジプト文明」や「古代中国文明(殷王朝文明)」と同じような時代に、既に“立派な文明”として存在していたということが明らかになった。もちろん、今年の発見が、これだけで“お終い”になるとは思えない。“地球異変”の年だからこその発見は今後も続く。そうあってほしいとの思いも込めて、次の“発見”がもっと“度肝を抜くような発見”であることを期待したい。

「渡辺麻友」&「遊井亮子」の“共通点”

2020-06-03
私が以前から主張している“興味深い事実”がある。ホロスコープにおける「太陽」と「月」との関係で“0度一体化”で産まれている人たちは“公私の生活も一体化”していくし、“180度で対冲”した時に産まれている人たちは“公私のバランス”に生涯苦しむ。その一例を5月31日で引退した元AKB48 渡辺麻友氏と、今年6歳年下ディレクターと結婚した女優の遊井亮子氏に観る。ふたりは、同じ日、ネット上をざわつかせた。一方は言うまでもなく元AKB48で2014年の“総選挙”では1位に輝いている。“浮いた噂”一つもなく、芸能界を去った。もう一方は「結婚して幸せだっていう人を見たことがない」と豪語していた女優だが、その言葉を発した番組のディレクターと、あっという間に結婚してしまい、その番組内で「今は幸せです」との報告をした。この一見、共通点が無さそうな二人なのだが、実は二人とも、その出生時において太陽と月とが180度で向かい合っている。太陽というのは、当たり前の話だが朝に上昇してきて夕方に沈む。われわれは普通その間に“社会・世間”と呼ばれるところで働いている。月というのはこれまた当たり前の話だが夕方から上昇してきて朝方に消える。つまり「昼の顔=太陽」と「夜の顔=月」という組み合わせだ。われわれが暮す地球は、この二つの天体があるお陰で存続している。われわれは普通「夜の顔」を家族とか恋人にしか見せない。つまりプライベートな顔だ。太陽と月とが180で産まれている人は、このバランスに苦労する。「昼の顔」にウエイトを掛けると「夜の顔」が“宙に浮き”、逆に「夜の顔」にウエイトを掛けると「昼の顔」が“宙に浮く”。だから、多くの場合、180度で産まれている人は“どちらか”を優先して、“どちらか”はその犠牲になってしまうことを覚悟している。おそらく、渡辺麻友氏も、遊井亮子氏も、そうやって生きて来たのだ。だから、渡辺氏は「恋愛は禁止だった」と言葉通りの生活を貫き、遊井氏は「結婚に拒絶的な」生活を貫いてきたのに違いない。ここに来て、その二人に変化が訪れる。「私生活」に重心を移し始めたのだ。そうすると、どうなるのかというと「社会生活」は“宙に浮く”。そうしないと上手くバランスを保てないのが、太陽と月とが180度の人達なのだ。もし、遊井氏が“家庭”も、“仕事”も、と考えているのなら、それは改めた方が良い。そうしてしまうと、必ず“家庭”を失ってしまうことになる。たまーに、ほんのたまーに出る程度…に留めておかないと、バランスが崩れていく。渡辺氏は多分それを感じ取っての“完全引退”なのだ。その方が良い。彼女には、他にも水星と土星の0度アスペクトがあって、これは仕事を突き詰めて考えてしまう人の特徴である。時として“うつになりやすい人”の特徴でもある。だから、そうなりそうなら仕事から離れる方が良い。そうして、恋愛にのめり込むが好い。そうすれば、少なくとも精神は崩壊しないで済むのだ。

社会問題化した「アシュラ」という漫画

2020-06-02
年配の方なら憶えているかもしれない。それがジョージ秋山氏の描いた「アシュラ」「銭ゲバ」「現訳聖書」といった一連の“強烈な漫画世界”である。今日ではジョージ秋山氏と言えば「浮浪雲」という漫画の方で知られている。この作品は実に44年間もの間続いたからだ。けれども、私にとってのジョージ秋山氏は「アシュラ」の作者としての印象が強く、頭から離れない。そのジョージ秋山氏が今年5月に亡くなっていたことが明らかになった。私が少年だったころ、マンガと言えば「正義の使者」が登場するヒーローものに話が決まっていた。今のようにさまざまなジャンルは存在していなかった。だから私は「月光仮面」に憧れ「まぼろし探偵」に憧れた。マフラーをなびかせ、バイクにまたがって現れるのが“正義の味方”の姿であった。そういうオーソドックスな漫画を読んで育った。だから「銭ゲバ」とか「アシュラ」とかいう社会問題化した“ドロドロとした世界”が漫画に登場してくるなんて思いもしなかった。「銭ゲバ」は“金の亡者”の話だし「アシュラ」は飢えから自分の子供を食べてしまおうとする母親が出てくる。漫画のタッチも「浮浪雲」などとは違って、おどろおどろしい描写の画風だった。因みに「アシュラ」とは仏教用語の「阿修羅」から来ている。とにかく内容があまりにも“強烈すぎる”ということで、子供達に読ませるような内容ではないと、抗議が殺到したのだ。けれども、私はなぜか作者のジョージ秋山氏そのものに興味を持った。こういう“禁断の世界”を描く人物に興味を持った。もっと描いてほしいと思ったが、不買運動まで起こったためか、早々に消えてしまった。私は記憶力が悪いので、詳しい内容までは思い出せないが、とにかく“良い”か“悪いか”は解からないが、こういう強烈な作品がある方が、子供達が無意識に「生きる」ということを考え「人間」を見つめなおし「運命」や「神仏」を意識し始めるようになるだけでも、価値ある作品のように思った。もちろん漫画には「健全な夢」を描く作品が主流であってほしい。けれども、それだけでは片手落ちのような気がするのだ。特に、今年のような「予期せぬ自然災害」「防ぎようのない自然災害」が襲ってくるような時代には、改めて「アシュラ」のような“強烈な世界”を描く作品も、漫画世界に加えた方が役立つのではないだろうか。

2020年6月の運勢

2020-06-01

「自営型」と「勤務型」の微妙な違い

2020-06-01
人には元々「勤務する形での仕事形態」が合っている人と「独立自営する形での仕事形態」が合っている人とがいる。これは多分に“先天的なもの”で、もちろんどちらでも器用にこなせる人もいるが、大抵はどっちかの方がしっくりと行く。たまには、どちらも“不向き”というやっかいな人もいる。昨日、それまで15年間、奈良市内で洋菓子店「にこにこ庵」を営業してきた木村洋司氏が店を閉店した。自分が理想とするケーキ作りに体力がついていかず、また家族との時間も限られてきてしまったためだ。要するに、自営でやっていくのは限界が来た、ということらしい。今後は同じ市内の洋菓子店で「もう一度、職人として働く」ことが決まっている。彼が名を知られたのは「完売するまで店を閉めない」宣言をしてからである。自分が誠心誠意作った“食べられる洋菓子”を捨ててしまうのはもったいないということで、売り切るまで店を閉めない、と宣言して営業してきたのだ。当然、深夜や朝方まで店を開けていることもあった。体力が持たないのは、言ってみれば当然である。そこまでしなくても、と私などは思うが、こだわりの強い職人や技術者には、そういう人が時々いる。私などは、予約がない日など“悦んでしまう”のだが…。とにかく、こだわりの強すぎる職人や技術者が自分で経営すると、損得を度外視して頑張ることになりやすい。先天的に、自分が「自営型」か「勤務型」かを知る方法の一つは、周囲の眼を気にせず仕事が出来るかどうか、物事を決めるのが早いかどうか、一つの仕事が終わってから反省することが多いかどうかだ。基本的に、人の眼を必要以上に気にする人は自営には向いていない。また物事を決めるのに時間が掛り過ぎる人は自営には向いていない。一つの仕事が終わったのに、いつまでもそれを反芻し過ぎる人は自営には向いていない。要するに、人の眼を気にせず、即断即決が出来て、終わった仕事に拘泥しない人が自営に向いている。そういう人は、多少、まだ無理かな…というような状況からでも始めてしまえば何とかなっていく。自営に向いていない人は、もう大丈夫という段階になっても着手しないケースが多い。あまりに慎重すぎる人は、せっかくのチャンスを失うことが多い。人生に「完璧な計画書」とか「無敵の開業書」など存在しない。みんな手探りで開始するのだ。 Newer Entries »