6月, 2020年

「丸い飛行物体」と「十字形」が空を行く⁉

2020-06-18
近年「UFO事件」が減った。だから、たまにこういう事件が起きると、称賛したくなる。お化けでもそうだが、いつも見ていると飽きる。たまに出て来るから“価値”がある。そういう意味では久々の快挙だ。何んと言っても明るい午前中の上空だ。場所は宮城県、福島県、山形県でも見えたそうだ。目撃者は大勢であり、写真もたくさん撮影された。新聞社も、TV局も、何しろ、毎日似たようなニュースばかりで憂鬱になる。そういう点「未確認飛行物体」は誰も傷つかない。ばかばかしいけど、面白いではないか。しかも、今回のは最後まで、正体がわからずじまいなのだ。ただ、さまざまなところが撮影し、動画としても残されている。真っ白い真ん丸い気球のような物体……誰もがそういう印象を受ける。航空法に基づく“届け出”とか“報告”は一切ない。つまり、何であったにせよ“飛ばしてはならないもの”なのだ。ただ単なる“白い球体”なのかというと、実はそうでもない。その下に吊り下げられている“十字形型の物体”も一緒になっているからだ。明らかに吊り下げられている。しかも、これは形からしても“人工物”だ。俗にいう「UFO」としてみると、あまりにも正体を現しすぎで、しかも、動きとしても遅い。この物体を追跡した航空機によると、吊り下げられた“十字形”の前後には「プロペラが取り付けられている」らしい。そうなると、もう明らかな人工物だということになる。もしかすると、気球のような物体の方に捜査室があり、吊り下げられた十字形によって位置や方向を制御している可能性もある。それとも、大型ドローンの一種で、地上からの操作で動いているのか。ただドローンだとすれば、真ん丸の形はおかしいし、上空2000メートル以上を飛ぶことが可能だろうか。とにかく、正午ごろになって、物体はややスピードを出して移動し、太平洋上へと消えていったらしい。気球であれば風に流されるが、そういう動き方ではないのだ。結局、110番通報が続いた今回の事件は、何者か知ることも出来ずに、見送ることしかできなかった。確か、日本でも「宇宙防衛軍」とかの部隊が出来るとか出来ないとか言われていたような…。

「美しい顔ランキング」紛れもなく“人種差別”

2020-06-17
モデルでタレントの水原希子氏が近年雑誌上で毎年発表され、ネット上にも掲載される「もっとも美しい顔100人ランキング」に疑問を投げかけ、それが一部から「日本人感出すのはやめてほしい」と批判され、それに対しての反論を行い、注目を浴びている。これは別に、日本人であるとかないとかの問題ではない。要するに「美しい顔」をランキングすること自体が理解に苦しむという発言で、通常感覚の人間なら、当然の疑問である。私自身も、毎年「なぜこんなことをするのだろう」と不思議に思っていた。一番問題なのは、投票結果でもなく、個人の主観で決めている、という点だ。何じゃ、そりゃ、という感じのコンテストなのだ。というか、それじゃ、コンテストでもない。単なる一人の男性の“好みの顔”を並べているだけで、一般の雑誌に掲載すべきものではない。さらに、それをネット上でも世界中に拡散しているのだから、問題は大きい。大体、人間の“美の基準”というのは“時代”により、“地域”により、“民族”により、違いがあるもので、決して一様ではない。最近、マスコミはさまざまなことに対してランキングをつけたがる。そして、そのランキングの“基準”というものが実に曖昧である。一応は、これこれの理由からとなっているのだが、かなり一方的な基準で、かつて「世界一幸福な国」とされていた国には、一時的に観光客が多数訪れたが、結局、その後は誰もが“沈黙”で、その答えの“怪しさ”を浮き上がらせたものだった。元々こういうランキングは“好み”や“理想”が繁栄されていることが多く、それが必ずしも、現実世界で歓迎されているとは限らない。例えば、ミスユニバースなどの場合、世界一に選ばれる女性は、必ず高身長である。普通の日本人女性としてみると、大柄すぎて、多くの男性からは敬遠される。つまり“世界基準”を決めていたとしても、それが必ずしも、世界“共通の美の基準”とは言い難いのだ。さらに個々の“好み”という問題が待ち構えている。もし、“完全なる美の基準”があるのであれば、美容整形の技術が進めば、誰もが共通の「美」を手に出来るかもしれない。けれども、そうなったら、逆に何もしていない“普通の顔”の方が“人間味があって美しい”となるかもしれないのだ。さらに「美」が残酷なのは“年齢”が崩れさせていく、という事実のあることだ。永久に美しいままでいられることはない。一方で“人種差別”を唱えながら、その一方で“美人ランキング”を行おうとする精神は、欧米人のヒューマニズムの“怪しさ”を証明するものでしかない。

男性の方が「DV」に耐えていた⁉

2020-06-16
「家庭内DV」と言うと、どうしても男性から女性に対しての暴力を連想しがちである。けれども「言葉の暴力」に限って言えば、女性も決して負けてはいない。いや、夫婦間では女性の方が“言葉の暴力”を振るっていた、ということが明らかになった。その調査は弁護士相談の「カケコム」アンケート方式によって行われた。それによると、配偶者から受けた言葉の暴力に関してのアンケートでは、女性の側が7割、そして男性の側が9割(正確には92.9%)、過去に妻から“言葉の暴力”を受けたことがある、と回答しているのだ。確かに、言葉だけに限って言えば、女性は強い。さすがに“手を出す”女性は少ないが、言葉だけに限ってなら、DVは女性の方が行っている率が高い。どういうようなことを言っているのかと言えば「あなたとなんて結婚するんじゃなかった」「こんなオッサンと結婚しなければ良かった」「この甲斐性なし」「みっともないんだよ」「おい犬」「お前の人生滅茶苦茶にしてやる」「死ね」……なかなかに壮絶である。これらに対して、夫である男性達は、どう対応したのか。何らかの手段を取ったのか。「取りたいと思ったが、取れなかった」が40%、「(何も)取れなかった」が35%、合わせて75%の男性達は、何も出来ずにいるのだ。う~ん、こうしてみてくると、一般に言われているのとは逆に、男性達の方が“怖い妻”に怯えながらも必死に耐えているような印象を受けるのは私だけなのであろうか。現代の日本の男性は、諸外国に比べて紳士的である。昔のように、ちょっとしたことで“卓袱台をひっくり返す”ような男性は滅多に居ない。給料が振り込まれるようになって、主婦たちが働きに出るようになって、セクハラ、パワハラ、モラハラが騒がれるようになって、日本の男性達は軽々しく女性に接近できなくなった。うかつに、ものが言えない時代になったのだ。それに対して女性の側はどうかと言えば、近年、女性の弁護士が一気に増えて、被害者女性に味方しようと身構えている。弁護士相談に慣れていない男性は、結局、何を言われても黙るしかないのだ。

「MOMO」は何故宇宙に届かないか

2020-06-15
旧約聖書の「バベルの塔」の物語は“宇宙事業”に対する示唆に富んでいる。神は「天にも届く塔を建てよう」とした人類の傲慢さを知って、“もう少し”というところで破壊してしまう。“宇宙事業”は傲慢な意識で取り組むと失敗するのだ。昨日、早朝に大樹町から打ち上げた「MOMO5号」は、あっという間に消滅した。実に4度目の失敗である。宇宙空間にさえも届いていない。「宇宙」に関する分野は“日進月歩”のはずなのだが、実験段階から失敗続きで中々軌道に乗せられない。今回は“クラウドファンディング”という手法を使って、実に2000名もの支援を受けて発射にまでこぎつけたのだが、またしても失敗してしまった。大樹町は最初、全面的に協力していたが、最近は全面的にとは言えないようで、この事業の出資者である堀江貴文氏との関係もギクシャクし始めている。私がもっとも心配するのは、やがて気の短い堀江氏は、自分がオーナーであるインターステラテクノロジズ社の従業員との関係もギクシャクしてくるのではないかという点だ。何回も失敗している「MOMO」の機体は、ここの従業員たちによってつくられている。堀江氏から重責を託されているのは稲川貴大社長である。この二人が真正面から衝突した時は、文字通り「MOMO」が永久に破壊される時になる。おそらく、稲川氏は堀江氏と従業員の中間に立って、辛い日々を過ごされていることだろう。私の正直な感想を言えば、将来的にも、宇宙事業として成功する可能性は低い。宇宙を相手にする事業は、何んと言っても“危険”が伴うので、何回も失敗ばかりしているところに“依頼発注”することは出来ない。堀江氏は「低予算で宇宙までものを運ぶ」ことを念頭に事業計画を進めているはずだが、そうしてそれが出来れば“巨大ビジネス”に成長できると踏んでいるはずだが、最初の「信頼」という部分が得られないのであれば、宇宙事業は成り立たないのだ。どうして失敗ばかりするのか。答えは簡単で、予算を切り詰めすぎるからである。子供の実験ではないのだから、工夫して“少しでも安く”という発想では「信頼」がますます遠のいていく。物事は何でも「安ければ良い」というものではない。それと宇宙事業は、やはり専門知識や技術が必要なのだが、残念ながらそういう点で本当に信頼できるキャリアの人物が配備されていないように見える。多くの人が期待を寄せ、応援してくれている内に、それに見合う成果を出していかないと、必ず「衝突」の危機は来る。

宗教は人類の「救い」か「妨げ」か

2020-06-14
世界における「新型コロナウイルス」の感染者数を見比べていくと、ある“事実”に気が付く。信仰心が強い国、国家的に一つの宗教が深く根付いている国、そういう国に感染者数が多い。これはもちろん、教会とかモスクとか、そういう宗教的な建物の内部で、密接しながら祈りを捧げるからで、或る意味では“当然”だと言える。わが日本は、その点、密接宗教の勢力は限られているので、そういう意味では“集団感染”が食い止められている。但し、日本の場合、真夜中の“飲食店”が“密接する場所”になりがちで、酒を仲介しながら「愛」の“信仰”が捧げられたりする。人は弱いので、誰でも「神」に接近したがる。その結果としての教会であり、モスクなのだ。神様は“平等”だから、キリスト教であれ、イスラム教であれ、その他の宗教であれ、夜のお店の“女神”であれ、接近する者達の中で感染者を増やしていく。最近、“人種間差別”の問題がクローズアップされてきてもいる。この“差別”を救ってきたのは、ほかならぬ“宗教”である。アメリカはキリスト教が深く浸透していく中で、人種問題を克服したかに見えた。ところが、ここに来て“宗教への依存”が薄らぐ中で、もう一度「人種問題」が“経済問題”や“感染比率”とセットで問題視されることが多くなった。もし、一時期のようにキリスト教が勢力を伸ばせば、人種問題だけは薄れていく可能性が強い。人間は、矛盾を解決する手段の一つとして「神」の存在をクローズアップさせ「最終的には平等」という理論で、大衆を納得させてきた。特に“眉の濃い”イスラム教徒は、自分たちに続く子孫が“神からの恩恵を受ける”ということで、目の前の理不尽さを克服してきた。これらが根本的に崩れ去るとき、社会秩序が保てなくなるのが“信仰心の強い国”なのだ。だから、本能的にも、人々は一緒に祈りを捧げようとする。神に“救い”を求めることで、人々は“安らぎ”を得られ、死が近づくとしても、怖くはないのだ。

トイレは「出産の場所」でもないので…

2020-06-13
最近「トイレ」の活用法が一部で騒がれているが、やはり「トイレ」を“出産の場所”として利用することは、ちょっとまずいような気がする。それにしても、神戸地裁で「住所不定」として法廷に立った26歳の女は今年3月31日の未明、飲食店のトイレ内で出産のため“いきんで”いた。多分「住所不定」なので、産む場所が見つからなかったのだろう。それにしても、単独での出産は大変だったはずである。最近は“自宅出産”を選択する人もいるが、そういう女性の“逞しさ”に驚いてしまう。やはり、女性は男性よりも、究極的には“強い生き物”のような気がする。私など、怖くてとても“へその緒”を切れない気がする。昨日、神戸地裁が下した判決では、懲役1年6カ月、執行猶予3年という刑期だ。これが妥当なのかどうかは私には解からない。私がいちばん気になったのは、その犯行動機で「妊娠・出産を親に知られると叱られると思って怖かった」という部分だ。この人は、26歳になっての出産なのだが、まったくと言ってよいほど“自分が親だ”という自覚が乏しかったと見える。そうでなければ「親に叱られる」という言葉は出てこない。実際に自覚が乏しかったから、出産した児をそのまま飲食店のトイレに放置できたのだ。同時に、この人にとっては“子供を棄てる”行為よりも、自分の親に“妊娠・出産したこと”を知られることの方が、恐怖だったに違いない。もしかすると、それなりに“厳格な家庭”だったのかもしれない。結局、犯罪者となって、おそらく実家に戻る形となって、再出発をしなければならないのではないか。「住所不定」では、裁判所も釈放することが出来ないからだ。時々「親に迷惑を掛けたくない」とか「親を心配させたくない」とか言って、犯罪を犯すような人達がいる。その方がはるかに、親に迷惑が掛かるのだが、そこまでは考えないのか、心もとない“シングルマザー”の誕生ではある。本人は反省し「罪を償い、ちゃんとした親になる」と誓ってはいる。やっぱり、ちょっと危なっかしいので、しばらくは親元で“叱られても”一緒に子育てをする方が良いような…。

遅れてやってきた「二番底」が怖い

2020-06-12
とうとう「その日」がやってきた。世界の株価が「二番底」に向けて“一気に動き出す日”である。日経平均は昨日、大きく下落した。最近の「日本株」は“世界の株価”の先駆けとなる。ニューヨークの動きを察知したかのように“先回り”して動く。ただ日経平均の下落率はそう大きくはなかった。現在進行形のニューヨークの「ダウ」は、これを書いている段階で1800ドルも下落していて、世界の株価もそれに引き摺られている。一つだけ“救い”になるのは、日本の場合、思ったほど「円高」が進行していないことだ。多分これからも極端な円高は避けられるのではないか。これで「円高」も同時に進むと、ほんとうに救いようがなくなる。私は以前「二番底が来る」と予告した。けれども、その時には奇妙にも再び株価が上昇したのだ。明らかに“不自然な形”で元に戻した。本当はあのとき来ていた方が「経済の崩壊」は短くて済んだ。いったん、持ち直して、多くのアナリストが「もう二番底はない」と断言した今になって、二番底に向かっていくのは「世界の経済の低迷」が長期に及ぶことを示唆する。先ほども述べたように、円高が進まなければ、日本株に関しては、それこそニューヨークよりも早く浮上する可能性が高い。実際、日本の“コロナの感染者数”は世界的に観ると少ない。ただ感染者数は少ないのだが、その影響力は他の国よりも大きい。これにはいくつか理由があって、その一番は日本が島国で“諸外国”を抜きには生活できない国だからである。つまり日本国自体は“大丈夫”になっても、他の国がほんとうに“大丈夫”になるまで、経済的には回復しにくいのだ。そういう意味では、はやく「アフリカ」の諸国を救済しなければいけない。特に医療の分野で大量の人員を、欧米とも連携して派遣する形が本当は必要なのだ。もちろん、今の日本には他国に手を差し出すだけの余裕がない。だから、今すぐはムリでも、ある程度日本が収まった段階で、それを考えていかないと、一見、日本には関係がないようなアフリカの国の“感染者数拡大”が、わが日本にいつまでも“足枷”を与えることになるだろう。

世の中「困っちゃう人」というのは居るもので…

2020-06-11
こういう話は“初耳”ではない。だが、何んとも「困ったもの」としか言いようがない。「刑務所に入りたかった」というのだ。う~ん、確かに“住まい(⁉)”と“食事”は与えられるのだが…。せっかく数日前、刑務所を出て来たばかりだというのに…。きっと、彼にとっては“通常の世の中”は暮らしにくいところなのに違いない。けれども、まだ55歳。その気になれば、もうひと踏ん張りできるのに、“刑務所に入りたい”なんて何んともやるせない希望なのだ。しかも、彼は数年前にも、同じことをやって、捕まっているのだ。「4プラに爆弾を仕掛けた」と110番通報をしたのだ。せめて、向かいのビルにするとか、ススキノのビルに変えるとか、とにかく“工夫”というものがない。“4プラ”というのは「4丁目プラザビル」のことで、札幌市民なら誰でも知っている。この通報をした後で、彼が行ったのは、これも札幌市民なら誰でも知っている「大通公園」を出刃包丁を持ってうろつくことだった。そして、彼は“望み通り”庶民からの通報で駆けつけた警察官に6月8日午前11時頃“現行犯逮捕”された。その後の供述で、訊かれもしないのに110番通報を行ったのも自分であると、罪を増やして再逮捕された。もちろん、ビルの方にも警察官が駆け付け、店内をくまなく捜索したが“それらしきもの”は無かった。だから、本人が供述しなければ、単なる“イタズラ電話”にされてしまうところだった。せめて、それらしきものを置いてくるとか、とにかく努力というものがない。何かの本に、こういうタイプの人は、刑務所内の規律に対してはことごとく“従うタイプ”なので、どうしても刑期が多少軽減され、予定より“早め”に出てくる。刑期中に行わなければならない“社会復帰のための軽作業(仕事)”にはとても熱心な場合が多いという。つまり、働くことが“根っから嫌い”というタイプではない。ところが、どういうものか、実際に社会に復帰すると、すぐ犯罪を犯して、舞い戻ってくる。刑務所が「我が家」になってしまっているのだ。再犯だから、多少、刑期は重くなる。だが、多分だが「模範囚」になるはずなので、そんなに長くは居られない。そうすると、また…。

「執念」なのか「偶然」なのか

2020-06-10
人が人を見つけ出す時、大きく分けて二つある。つまり、“偶然”に見つけ出す時と、“執念”の末に見つけ出す時と…。例えば離れていた恋人同士が偶然に街の中ですれ違う。漫画やテレビドラマなどでよくあるシーンだ。そうかと思うと、どうしても見つけ出したいと、あらゆる方法で捜し出して執念の末に見つけ出す。これまた敏腕の刑事ドラマとか、失踪事件の推理ドラマとかで、時折見掛けるシーンだ。さて、今回の場合には、どちらなのか公表された資料には書かれていないので、わからない。わかっているのは、妻が夫を見つけ出したということ、それも“離婚調停中の夫”を見つけ出したということ、そして、その車に強引に乗り込んだということ。さらに、その車の中で、夫に暴力をふるったということ。ついでに、同乗していた“不倫女性”にも暴力をふるったということ。その結果、何んと逮捕されてしまったということ…などである。う~ん、いろいろ考えさせられる事件だ。実は、この出来事、逮捕された女性の街で起こったものではない。彼女が住んでいるのは三重県亀山市。そして、夫の車に乗り込んだのは三重県松阪市。亀山市と松阪市とは“隣り合っている街”ではない。同じ三重県でも隔たりがあるのだ。しかも、彼女が乗り込んだのは、実は県道を走行中の車だったのだ。信号待ちで、一時停車していた時の出来事である。もし、これが“偶然”に見つけたのだとすれば、稀なる偶然である。大体どうして大きく隔たっている街に彼女はいたのか。元々が夫の車なので“見つけやすい”というのは解からないでもないのだが…。ここで興味深いのは、夫がその妻を乗せていることである。そんなに強引に乗り込まれてきたのだろうか。しかも、その後すぐ暴力をふるっている。何しろ信号待ちなのだ。もっとも、妻側の言い分では車が動き出したので、止めて欲しくて叩いたらしい。同乗していた不倫女性も殴ったというが、これは否定している。とにかく、既に“離婚調停”に入っている場合には、たとえ夫の車であっても、強引に乗り込んで暴力をふるえば「逮捕されてしまう」ということだけはよく解かった。そして多分「怖い奥さん」だったのだろう、ということもよく解かった。ただ、“殴りたくなる気持ち”も、まあちょっとだけ解かった。不思議な事件だ。

「素晴らしい貢献」と「疑問符が付く貢献」

2020-06-09
世の中にはさまざまな形で「社会貢献」を行っている人がいる。その中には、第三者的な立場から見て“素晴らしい”と拍手を送りたくなるような貢献の仕方もあれば、なんとなく“首を傾げてしまう”貢献の仕方もある。まずは拍手を送りたくなるような貢献の仕方で、俳優の志尊淳氏が、日本赤十字社と共同募金会とに対して合わせて1000万円の寄付金を贈った。彼は“コロナ騒動”の中で、自分に何が出来るかを考え「志尊の自粛部屋」を立ち上げる。その中で、自らが「きぼうのあしおと」という楽曲を制作・配信するとか、自らのオリジナルTシャツを制作・販売するとかして、その収益から寄付金を集めたのだ。そうして医療関係者へ役立ててほしいとの願いから間違いのないところへと寄付した。この行動のすべてが、芸能人の対応として本当に素晴らしい。芸能人の中には“政府を批判”するような人も多いが、それを行ったからと言って解決できるような問題ではない。その点で彼のように、芸能人にしかできない形で、社会貢献をしていくのは本当に素晴らしい。私が素晴らしいと思うのは、この人は偽善でやっているのではなく、日頃からそういう意識の中で生活していることが感じられるからだ。よく有名人の中には“税金対策の一環”として社会貢献している人たちがいる。どうせ税金で持っていかれるくらいなら、寄付でもしておこうか、というような人達である。もちろん、それでも貢献は貢献なのだが、何かが違う。同じ日に、海外から、興味深いニュースが入った。ロッキー山脈の山中に“宝探し”を仕掛けていた美術商のフォレスト・フェン氏(89歳)が、自らの宝石箱が発見されたと報告したのだ。十年以上も前に隠しておいたその場所から、無事、発見した人物が匿名でそれを“写真付きの報告と感謝”を伝えて来たというのだ。ただ、この美術商は「リーマンショックに負けないでほしい」という気持ちから“宝探し”を思いついたというが、ヒントは当時発売した自伝の中にある―ということで、その本を買わなければ“宝探し”が出来ないようになっていた。実際、“宝石箱”を目当てに、多くの人が仕事を辞めてロッキーに挑んだり、その途中で命を失ったりもしている。勝手に仕事を辞めて“宝探し”をすること自体にも問題はあるが、そういう“仕掛け”を社会貢献と言い切ることにも疑問符が付く。

盛り上がらないこと必至「リモート五輪」開催⁉

2020-06-08
最近「飲み会」とかを“リモートで行う”等という人達が増えてきた。「画面を見て乾杯」なんて、なんか寂しい気もするが、案外「そうではない」と主張する人たちもいる。普段なら、或いは一人でなら、なかなか足を踏み入れにくい場所へでも、リモートなら平気だからというのだ。確かに、飲食店などで、ふだん一人でだと、なかなか足を踏み込みにくい店はある。「会員制の店」などだと、誰かの紹介とかがないとは入れない。まあ、そうまでして入りたい店も、私の場合にはないが…。けれども、ふだん味わったことのない雰囲気を“覗き見たい”という心理はだれにだってある。そう考えると「リモート飲み会」というのも、一応“新しい形”とは言えそうだ。実は昨日、IOCの有力委員の一人であるピエールオリビア氏が“2020年夏”に延期された「東京五輪」について、実際に開催するかどうかの最終判断は「来年春になるだろう」と述べたらしい。来年夏に決まったものと思っていた私は、それを知って初めて「決まったわけではなかった」という事実を知った。もし、来年の夏が無理であった場合には「東京五輪」は無くなってしまう…と、それだけは決まっているらしい。そこでだ。どうせ、いろいろ用意はしたのだし、この際「リモート五輪」というのはどうだろう…と私は思うのだ。各国ごと、ささやかに開催して、東京から世界各国を中継で繋いで“時差”や“季節の違い”や“競技場の違い”など、それぞれを楽しみながら行う。元々オリンピック精神というものは、そういうものではなかったのか。「参加することに意義がある」と言っていたのは誰だ。今やオリンピックは完全に商業化され、何千個も“メダル”が用意され、参加することに“意義がある”のか疑問になっている。あまりにも競技数が多くなりすぎていて、“素朴な世界一”を争う大会ではなくなっている。誰もが「速い」と思う選手。誰もが「強い」と思う選手。誰もが「すごい」と思う能力。そういうもので十分ではないのか。0.01秒を争うなんて、ほんとうの速さや強さではない。ぶっちぎり、誰が見ても群を抜いている選手。それであれば世界中の称賛に値する。もはや、オリンピックは古代ギリシャの精神を失ったのだ。

「自分の軸」を持つ“生き方”

2020-06-07
大河内奈々子氏という女優を知っているだろうか? かつて「牡丹と薔薇」というテレビドラマのヒロインとして小沢真珠氏と共に脚光を浴びた女優だ。今から16年も前の作品だが、ドロドロの愛憎劇で強烈な印象が残っている。その大河内氏の方だが、現在は女優と共に2015年からフラワースタイリストという分野で頑張っているらしい。オンラインでのフラワーショップ「blooom」を運営している。けっして女優の“片手間”として始めた職業ではなく、きちんと学校にも通い、生花店で3年間働き、手指を傷つけながら習得していった技能だ。そのインタビュー記事が出ていたのだが、私がいちばん良いと思ったのは、フラワースタイリストになろうとして身につけたのではなく「自分の軸を持ちたい」という一心で習得していった、という点である。多くの人は人生の中で将来に迷いが生じた時に「将来のために学ぶ」とか「転職を希望して学ぶ」とかしがちなものである。けれども、それだと、何か“壁”に突き当たった時、せっかく途中まで習得して行ったものを放棄してしまうことになりやすい。それが“無くても大丈夫”とか“仕事としては不可能”とか、自分の中で理由付けして辞めてしまうことになりやすい。けれども「自分の軸を持ちたい」というような動機の場合、それを途中で放り出してしまうことによって“軸のない自分”に戻ってしまうことになる。それは嫌だったに違いない。かつて演じた「牡丹と薔薇」でも、確か「お前はただのブタよ‼」と虐げられる場面がある。自分が演じた「役」そのまま将来を迎えるのは耐え難かったのだろう。“人気”や“運”に左右されがちな“役者”という職業に、人生の「軸」を置くことは出来なかったのだ。そして、いったん女優業を休業して「花」を学んでいる。どちらも、こなせるほど器用ではないことを本人がいちばん良く知っている。結局、それが今になって実って来たと言える。仕事だけが人生を支えるとは限らない。「軸を忘れたカナリア」は生涯さまよい続けるのだ。 « Older Entries Newer Entries »