1月, 2023年
2023-01-08
日本人の場合、例えば「正月休み」といっても、せいぜい1週間程度で、10日間とか、2週間とか聞くと「長いなあ」と感じる。中には「元旦しか休まない」とか、三が日だけ…という人もいる。とにかく日本人の「正月休み」というのは、大体がその程度であって、一か月も休みを取るような人はほとんどいない。ところが「中国」では“旧正月を挟む前後の40日間”が「正月休暇」として認識されているらしい。そして、その期間に何んと延べ人数で20億9500万人が「大移動をする」というのだ。まず、この人数に圧倒される。改めて中国という国の人口の多さに驚く。もちろん、実際の中国人は14億人程度で20億人もいないのだ。この点は勘違いしやすい。つまり、一人が何回も地方に動いたり、国内外を出入りしたりするので、こういう人員数になる。それにしても、すごい数ではないか。そして同時に「春節前後の40日間」を“休暇時期”として認識しているところがすごい。そんなに休んで大丈夫なのかと思ってしまう。もちろん、すべての人が「正月休み」として40日間を捉えていることはないだろうが、それにしても“長い正月”だ。確か前にも書いたことがあるが、この「春節」を尊ぶ風習は中国本土だけでなく、中華圏全域に及ぶ。東洋では「日本」など一部の国だけが「旧正月」を正式には祝わない。日本の場合、明治6年までは「旧暦」を使っていたので、中国と同じように「春節」を祝った。けれども暦を切り替え、欧米に倣うようになって「春節」とは“おさらば”したのだ。生活様式の多くが、今の日本人は“やや欧米式”である。まあ島国で「アメリカ」と「中国」の“間”に位置しているので、半分“西洋式”半分“東洋式”となるのは自然なことなのかもしれない。或る意味で、2000年以降に生まれた人々は、そういう意味では“欧米人のような眼”で「韓国人(朝鮮人)」や「中国人」を眺める。だから新鮮であり、拒絶感はない。ところが、これが1950年より前に出生している人々にとって“あの頃の中国や朝鮮”というものがどうしても抜けない。“あの頃”とは戦中・戦後すぐの頃の中国や朝鮮(韓国)だ。結局、人は“それぞれの眼”でしか視ることが出来ない。高齢の日本人にとって“上から目線”でしか視ることが出来なかった国々が、今や世界をリードしつつあるのだ。それにしても中国の正月は長いなあ。
2023-01-07
ロシアのウクライナ侵攻では“ドローン攻撃”が奇妙な形で成果を上げているが、今回、ロシアの地元メディアが公表した“不可思議な動画”はミステリーとしか言いようがない。1月4日に公開された17秒の動画では、明らかにオレンジ色の球形物体が“撃ち落される”形となっている。そして、その物体に関して地元メディアは「UFO」である可能性が高いと解説しているのだ。果たして本当にUFOなのか、それとも戦闘の長期化で“ドローンがUFOに視える”のか、その辺はよく解からない。そもそも変幻自在の動きをするはずの2400m上空に居たとされるUFOが、地上からの防衛システムで簡単に“撃ち落せる”ものなのだろうか。ただ、もしも、これが本当にUFOであるなら、予想外の展開に発展していく可能性がある。なぜなら、まるで“ロシアの偵察”に来たかのようにも思えるからだ。仮にその場合には、何らかの意図が隠されているはずで、ただ単に面白がって“やって来る”ほど暇ではないはずだ。そうだとすれば、撃ち落してしまったことは、当然のことながら“宇宙人に敵対した行為”となる。UFO内に乗員がいたかどうかわからないが、彼らが“この状況”を把握できないはずがない。何しろ、報道ではロシアの防空部隊が相手の意志確認もせず撃ち落としたのだ。もし一週間くらいの間に、UFO側が何の反応を示さないのであれば救われるが、ホンモノだとすれば今後は“偵察”から“攻撃”に変化してくる可能性が強い。仮に、これが地球外のものではなく、当事者同士ではない第三国の球形ドローン(⁉)だったとしても、撃墜されてそのまま引っ込んでいるはずがない。したがって、この場合の“救い”は、このニュースが地元紙による“フェイクニュース”で、実際にはUFOなどではなかったと、あとになって世界に伝わることだ。そうであれば問題ないが、そうではなかった場合、つまりホンモノだった場合、ロシアは“宇宙人”とも闘わねばならない状態となる。文明の違いは当然、その攻撃の仕方も異なるはずで、果たして“通常兵器”が通用するのかどうかもわからない。しかも、これまで実際に姿を現さなかった彼らが“姿を現して来る”可能性も出て来る。そうして、いつの間にか、ロシアとウクライナは“無期限の休戦状態”へと向かっていく可能性さえ出て来る。とにかくウクライナ侵攻よりもはるかに難しいのが天空の侵略者たちなのだ。
2023-01-06
いつも思うのだが“芸術の価値”というのは、あって無きがごときものだ。或る人たちにとって何百億、何千億の価値を持っていたとしても、興味のない人たちにとっては“無価値”であり、ただの“粗大ごみ”にしか過ぎない。そういう意味で天才ゴッホは“不運な人生”だったとしか言いようがない。彼は沢山の名画を遺したが、その生涯は貧困の連続、失敗の連続で、最終的には精神的にも狂気と化して自ら命を絶った。もし、彼の絵画に対する才能を世間が“早くから評価”していたなら、もっと幸せな人生を歩めたに違いないのだ。彼の代表作の一つ「ひまわり」は、現在日本のSOMPO美術館にある。その「ひまわり」に対して“1000億円の訴訟”を起こした人物がいる。天才ゴッホの遺族ではなく、その“最初の所有者”の遺族だ。けれども、本来この絵画は1987年にロンドンで“公開オークション”にかけられ、それを当時の日本の安田火災海上保険が58億円という史上最高額で“競り落とした”ものだ。当時は大変なニュースにもなった。ところが、訴えを起こした遺族の主張では、この「ひまわり」は1934年ナチスによって強制的に売却させられたもので、元所有者は“大いなる損害”を被った。したがって現所有者は、この絵画によって不当に得てきた利益を“損害賠償”という形で、絵画の返還と共に行うべきだ、というのが訴えの中身だ。どうも、解ったような解からない主張なのだが、そもそも彼らは元の所有者でもないし、作品を描いたゴッホの遺族でもない。もしも、それを言うのなら、まず、作品を描いたゴッホに対して“高額の作品代金”を支払うべきだが、実際には極めて低い金額で、しかもゴッホが亡くなった後になって購入されたものだ。つまり、これを描いた本人は“絵の具代”さえも得ていない。彼が作品を描き続けられたのは、その生涯にわたって弟が援助し続けていたからである。つまり、弟が実兄の才能を“見抜いていた”哀しいことだが“ただ一人の人物”だったのだ。いや、実際にはゴーギャンという画家仲間も見抜いていたのだが、途中で“喧嘩別れ”してしまった。そして、それ以降、彼の精神はおかしくなっていったような気がする。せめて、もう少し彼の周りに理解者が居たなら、もう少し、幸せな人生を歩めていただろうに……私には「1000億円の損害を被った」などと言う主張を展開する遺族には、この絵画を渡してはならない気がする。
2023-01-05
年齢が行ってくると、自分の経験してきたことが“いかに少ないか”ということを改めて思い知らされる。たとえば「雪かき」だ。わたしは北海道に生まれて、今も北海道に暮らしているが、北国の代名詞ともいうべき「雪かき」を“2~3回”しか行ったことがない。つまり、雪かきが必要な地域や家屋にあまり暮らしたことがないからだ。唯一、江別市で暮らした時期だけが「雪かき」を行った経験がある時期だ。たまたまTVのニュース番組で“豪雪地帯”に暮らす人々の映像が流れた。ひっきりなしに降り積もる雪の中で「一日に3回~4回は雪かきをする」という女性が居た。わたしは自分の“僅かな経験”を想い出した。一度行なっただけでクタクタになったのを忘れない。雪かきというのは見掛け以上に疲れる。要領の悪いせいもあるが、ほんの少しの面積でも完璧に行うには時間が掛かる。わたしは子供時代を室蘭で育ったが、あそこは雪かきが不要の地域だった。風が強くて一か所に雪を留めておかないのだ。わたしが居住した地域は下から巻き上げるような風が冬場はずっと吹き続けていた。だから雪は降っても“積み上がっていく”感じにはならない。ただ気温が極端に低いと、降った先から凍り付き、変色するような感じに固まっていく。そうすると歩くのが大変なのだ。下から巻き上げるような風が吹く中、スケートリンクのように固まった路面をソロソロと歩く。滑って転んでの骨折が後を絶たない。札幌に初めて出てきたとき、その雪の白さに感激した。室蘭は製鉄所など工場が多く、雪はすぐ薄汚く変わっていた。真っ白く積み上げられた雪と、ひんやりとした冷気はあっても風を伴わない路は滑らなかった。わたしはこの街を“天国”のように思った。大雪の降った日、わたしは子供のように雪の中を歩き続けた。「白い雪」が絨毯のように積み上がっていき、むしろ街中を暖かくした。そこを歩くと、絵本の中を歩いているような感慨があった。室蘭の時には、そんな悠長なことは言っていられない。とにかく必死だった。目的地に着くためには歩き続けなければならない。けれども暴風雪が行く手をくらます。滑るのと風が強いのとで前へと進まないのだ。それでも必死だった。身体の中を風が吹き抜けていく中で、神に祈りをささげるかのような思いで一歩一歩と歩を進める。ときどき強風で元に戻るが、とにかく耐えるしかなかった。わたしは忍耐力というものを、この地で学んだのだ。もしかすると豪雪地帯の「雪かき作業」も“忍耐力”を培う最良の場かもしれない。
2023-01-04
近年はSNSを「日記」代わりに用いている人も多いので、その流れの中で“自らの再婚”とか“再々婚”とかを、ひっそり報告する人も多くなった。元プロテニスの伊達公子氏は昨年1月に、俳優の前田吟氏は昨年6月に、kiroroの金城綾乃氏は今年1月1日に、それぞれ“再婚していた”ことをひっそりと報告した。いずれも、一時期は“時代の寵児”だった人たちだが、もはやブームからは大きく遠のき、そして“初婚”では“別れの哀しみ”を経験している。それだけに“悦びいっぱいの報告”というよりは「一応、お伝えしておかなければ…」的な意味合いの強い報告となっている。たとえば伊達公子氏の場合、実際に結婚されたのは昨年の1月だが、約一年を経てからの報告となっている。それは彼女の中でどこかに“大丈夫か”問うものがあったからに違いない。そこで公にはせず暮らしていって“大丈夫だ”と自信を持ったから、二人一緒の写真とともに公開したのだろう。同じことは前田吟氏にも言えて、彼の場合は前妻をがんで亡くしている。そして今年になって披露した再婚相手は“夫と死別している”女性だった。実際に入籍したのは昨年6月で、こちらは約半年間の“見極め期間”を経ての公開となった。金城氏だけが“入籍のその日”に再婚報告をしたが「神様のプレゼント」というような表現で再婚相手を報告している。長年連れ添ったギタリストで“仕事上のパートナー”でもある。だから“見極めの期間”は不要なのだ。このように、いずれも二度目の結婚に対しては、それなりに慎重のようだ。彼女らだけではなく、だれでも“二度目”“三度目”の結婚の場合、それなりに慎重になる。どうしても初婚期間が“それなりの期間”を経ている人達は、さまざまなことが“永い年月”の間にはあることを味わっている。だから、どうしても慎重になるのだ。もし、初婚が短期間で終わっていれば、そうはならない。それなりの期間を経ているのは、初婚のときにも“一生を共にする覚悟”で居たからに違いない。それが、そうではなくなった時、人はうろたえるものだ。そうして、改めて“自分の結婚”を問うことになる。そういう期間を経て、それでも“新たな出逢い”があって、ひっそりと再婚した人たちは上手くいくケースが多い。
2023-01-03
人間の“生き方”には、大きく分けて「開拓者」として自らが“その道を拓いて行く”生き方と、信頼できる「先導者」が先に居て“その道に従って就いて行く”生き方とがある。比率的に言えば圧倒的に後者の“生き方”を択ぶ場合が多く、その方が間違いも少ない。ところが、その“後者の生き方”を択んだはずなのに、いつの間にか“先導者が消えていってしまう”人生がある。たとえば「三遊亭円楽」という先導者が居て、その後を歩んでいこうと決めていたのに亡くなってしまう。三遊亭らっきー氏(31歳)はそういう運命に見舞われた。ほとんどの人は知らない“二つ目の無名落語家”である。彼は最初に就いていた仕事をなげうって、弟子入りしたほどの“円楽ひとすじ”の人物だった。自ら「落語が好きだったのではない、円楽という師匠に惚れて就いて行こうとしていただけに過ぎない」と言う。そのひたむきさは、昨年9月に師匠が亡くなって、その後、悩み続けた日々に現れている。自らが“就いて行くべき人”を失ったことで、どうして良いかわからなくなったのだ。そして、とうとう今年に入って1月1日に「廃業報告」という形で、自らが落語の世界から身を引き、家業である木工店で“ゼロから職人として修業し直す”人生を択ぶと宣言した。こういう“生き方”もあると改めて思った。もちろん落語界の先輩たちは無数にいて、おそらく彼自身が属した“円楽一門の先輩たち”からも、身の振り方の助言があったに違いない。けれども彼は「円楽師匠に惚れた」のだ。それ以外の道を歩むことは、彼自身の魂が許せなかったのだろう。或る種“潔い生き方”であることは間違いがない。彼は人生において“職業”を択んだのではなく“人”を択んだのだ。私の場合、十代半ばから「英国のキロ」と「日本の中村文聰」の二人を“自分の目標”と定めていた。ところが、ふたりとも、わたしは直接に逢っていないのだ。中村文聰氏からは手紙を頂いたことはあるが、その後すぐ亡くなってしまったので、逢うことはなかった。結局、わたしはだれも頼ることが出来なかったので、自らが「開拓者」となるしか方法がなかった。私の占いを「波木流」などと言う人がいるが、私自身が名付けたものではない。わたしは“頼るべき人”を持たなかったため、世の中に出るのも遅れたし、だれからも直接教わっていないが、そのかわりに“独自の世界”を開拓していくことが出来た。どっちが良いのかは、そう簡単に言えることではない。ただ道なき道を歩みだすのは勇気がいるし、傷だらけになる覚悟もいる。だから、どの世界でも“傷つくのが怖い人”には奨められない。
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