12月, 2023年

早急に成立すべし‼ ホスト「売掛金禁止条例」

2023-12-06
あまりニュースとしては大きく報道されていないが「ナンバーワンになるためには、お前の力が必要だ」と毎日のように女子高生を口説き落とし、自分の店に通わせ「173万円を支払わせた」ということで、先月ホストクラブの代表が逮捕された。女子高生は費用をねん出するため大久保公園で毎日のように“立ちんぼ行為”を行い、約200万円を稼いでいたとされる。この逮捕がきっかけとなって新宿の区議が「売掛金禁止条例」の検討を都に要請している。表に出ていないだけで、この種の事件が急増しているという報道もある。飲食店は昔から「売掛金」と呼ばれる“金”が動きやすい世界だ。要するに実際のお金が足りない時に“貸し付けて飲ませる制度”のことだ。昔は“常連さん”のみに、そういうことを行ったが、近年は“初めての客”でも“そういう形”を使うことが珍しくない。その方が“通う形”を作らせやすいからだ。昔は“稼ぐ力”を持っている客だけに「売掛金」を許したが、現代のホストは女子高生とか女子大生とかを対象として行う。当然、彼女たちに“収入源”はない。そこで手っ取り早く“金を稼ぐ”方法として「大久保公園の立ちんぼ」が“その種の女性たち”と、それを知って“利用しようとする男性たち”で需要と供給が成立する場所となりつつある。大体、現在の新宿はホストクラブの数が多すぎる。新宿だけでなく、現在では各地に“その種の店”が増え始めている。日本の女性たちも経済力を身に着け、その結果としてホストクラブが増えて行くなら問題ないのだが、実際には常連として通う客の多くが“夜の仕事”をしている女性たちだった。ところが、コロナによって“その種の女性たち”が減ってしまった分を補う形で増えていったのが、女子高生とか、女子大生とか、社会に出て間もない会社員たちだった。こういう女性たちの方がいったん嵌まるとホストに夢中になりやすい。そうして金品を貢ぎやすい。学校を止めてしまうとか、ふつうの会社を辞めてしまうとかして、ホストの為だけに働くような結果となりやすいのだ。まだ女子高生とか女子大生とかが“転落する”のを自業自得だと突き放すのはやさしいが、いちばんの元凶となっている「売掛金禁止条例」だけは早急に成立させた方が良い。

ニューヨーク「法律」が“おかしく”なってきた⁉

2023-12-05
ニューヨークと言えば「世界最先端の都市」として誰もが認める。それだけに、ニューヨークで始まったことは“他の地域”に影響しかねない。そういう意味で危惧するのがニューヨークの新たな法律だ。本来なら、とうに“時効を迎えている”事件とか問題とかでも「取り上げて審議する」という風に法律が変わったのだ。そこで何が起こったのかというと、大昔の「性的暴行疑惑」が次々と訴えられている。主に訴えられているのは有名人やセレブ達だ。たとえばレストランで有名人から声をかけられ、次々エスカレートして身体に触られる事態となり、レストランのボディガードに助けを求めても無視され、結局、その後にフラッシュバックの後遺症が出るようになったケースなどだ。もちろん大昔の話で、34年前とか、48年前の事件の訴えとかだ。提訴を受けた方は「記憶にない」「出逢った事実もない」と否定するケースも多い。ただ1970年代や80年代の頃のアメリカでは、いまと違って“その種の事件・出来事が頻繁に起こっていた”印象がある。問題は、30年も40年も50年も前の話の場合、どこまで本当なのか、だれも証明できないという事実だ。さらに、もちろん、これは“それだからOK”という意味ではないが、時代背景として、その種のことが「許されがちだった時代」ということもある。日本人の場合はもともと無かった“作り話”をして金品を要求するケースは滅多にないが“うその話”をでっちあげることに良心の呵責を憶えない人種や民族もいる。日本でだって、70年代や80年代の頃には、いまだと“とうてい許されないセクハラ・パワハラ”が平然とまかり通っていた。それらを考えると、もしニューヨークだけで終わらず、世界各地で“時効消滅”ということになったら、さまざまな問題や事件が蘇ってくることになるだろう。極端なことを言えば、歴史が“塗り替えられる”ような事件が潜んでいるのかもしれない。ただ、それらを“掘り返す”ことが本当に正しいのか、時代というものを無視して“現代の法律”を当てはめることがほんとうに正義なのか、難しい問題をわれわれに投げかけている。

「五輪」や「万博」の“時代”は、もう終わった⁉

2023-12-04
彼がTVに出始めた頃、わたしは彼の発言に対し「それはないだろう」と思うことが多かった。それに、どこか人間としての“冷たさ”を持っているようで、その部分も私には好きになれなかった。ただそれから何年も経って、ときどき「彼も良いことを言うなあ」と思うような発言が多くなった。社会学者の古市憲寿氏である。彼が“一般的な考え方”に近づいたのか、それとも、われわれの方が“彼のような考え方”に近づいていったのか。今回も「万博はそもそもいらないと思う」という発言をしていて、わたしも同様な考え方を持っていたので、改めて奇妙な共感性を持った。大阪で開かれる「関西万博」に関しては、以前からいろいろと問題が指摘されている。いちばんは“建設費増額”の問題だ。どんどん膨れ上がっていきそうで、それでいて各パビリオンの“建設遅れ”も指摘されている。更に問題となっているのが“高額なチケット代”で、その結果として売れ行きも良くないらしい。いくつかの国が“撤退の意向”を表明している。あまりにも問題が多すぎて「東京五輪」以上に、開催する前から批判を浴びている。古市氏が言うように、昔は開催する意義があったが、現在では「未来が視えない時代」に入っていて、そういう時代においては「意味を持たない」という意見なのだ。ほんとうに、その通りで「五輪」にしろ「万博」にしろ、現代は“それ”によって世界が統一されるとか、平和になるとか、交流を深められるかと、もはや、そういう時代ではない。アスリートの場合は、各種競技別に「世界大会」というものがある。それで十分なような気がする。昔のように“総合的な大会”は“平和のため”というよりは“金儲けの場”に変わってきていて「国別」という本来の意義も、人種や民族の移動・混合で“何国人”なのか、もはや判然としなくなっている。「万博」にしても同様で、各種の展示会や交流の場は万博だけではなくなっている。それに“そこ”で描かれた未来が、必ずしも将来の主役になるとは限らない。昔は、或る程度まで“その予測”が通用したが、現代では不可能になっている。さらに経費の問題がある。こういうイベントは途方もないお金がかかる。ハッキリ言って現代の日本は、そういうものに巨費を投じれるような経済状況ではない。ましてや前回の開催地がドバイだっただけに、大阪で“掛けられる予算”が貧弱に視える。チケット代が高い割には“優雅な気分”“ぜいたくな気分”は味わうことが出来ないのだ。いまの日本で巨額な費用が掛かるイベントの開催は、批判なしには勧められない。どうせ巨費をかけるなら、もっと日本国民が悦ぶ耐久性のある施設の設置とかを進めた方が良い。

「株入門」と「強く、気高く、美しく」の二人

2023-12-03
たまたま2人の人物の新刊書と、それにまつわる自伝的なインタビュー記事を目にした。その一人は元将棋棋士の桐谷広人氏であり、もう一人は元プロレスラーの赤井沙希氏である。元棋士7段であった桐谷氏の方は趣味で始めた“株投資”がいつの間にか本職となり、それが雑誌・TVなどで紹介されていくうち、その入門書を書いて「桐谷さんの株入門」ということで増刷を重ねているらしい。この種の本は多いが、難しい“書き方”をしたものや“テクニック解説”をしたものが多く、いわゆる素人の人が入門書を択ぶ時“自分と同じような目線”で教えてくれる本が少ない。そういう点で、二度も大きな失敗をして窮地に陥っている桐谷氏の本は近づきやすいのだ。また、この人がもう70代であるのに独身であること、車を持っていないこと、失恋が株を始めたきっかけであること、部屋の中ぐぐちゃぐちゃであることなども、もしかしたら“親近感”に繋がっているのかもしれない。一方の赤井氏の方は“浪速のロッキーこと赤井英和氏の娘”ということで認知度が高い。もっとも、そのこと自体が本人にとっては“苦痛の種”だったらしく、幼い頃に家族がバラバラになった関係で、実際には“幼い頃の父親”しか記憶にはない。その父親の名前が、何かと言えば持ち出されることに“苦痛”を感じながら成長したのは当然だった。そして、そういうことも含めて“すべて曝け出した”のが自伝本としての「強く、気高く、美しく」だった。おそらく彼女は、これを書くことで「自分は娘だが娘ではない」ということ、また「格闘技を択んだが父親とは関係ない」ということ、この二つを何よりも訴えたいのではないだろうか。或る意味で、ふたりとも“本を書く”とか“本を出す”とかが本業ではない。けれども、そういう人が書いた本が妙に人々の胸に伝わることがある。本人のコンプレックスでさえあった「過去は無駄ではなかったのだ」と感じることがある。もし、ふたりとも順調に成功していたなら「自分の体験が少しでも役立つなら…」という形での本執筆はなかったであろう。ちょっと“ふがいない部分”も持ちながらの成功記録であったことが、多くの株入門者や格闘技初心者に共感を与えて惹きつけているのだ。

前進か、逆戻りか、後継者「ジュエ女将軍」⁉

2023-12-02
「北朝鮮」という国は、ほんとうに解からない。11月29日は北朝鮮で航空隊が創設された記念日「航空節」だが、それに合わせて金正恩氏と“その娘=ジュエ”氏とが空軍司令部を訪れたと報道された。昔、日本の勝手な憶測では、そのうち北朝鮮は自滅していく、という観方が圧倒的だったが、自滅どころか“大いなる繫栄”をしている事実は認めなければならない。日本人は、少し“思い込みで判断しすぎる”が、客観的にみて、現在の北朝鮮は“独自路線”を歩みながら、世界にとって“眼を離せない存在”に変わりつつある、というのが実情だろう。もちろん、多くの国民が“その犠牲になっている”のは事実だとしても、それは“われわれの国家観”がそう思わせるので、国家観が違えば、違った風に見える。たとえば古代エジプトにおいて、昔、古代エジプト人たち国民は“強制労働”によってピラミッドを建設させられた、とわれわれは教えられた。けれども現代では、それは国家事業として“国民たちも喜んで奉仕した”という風に変わっている。同じことが今の北朝鮮国民にも言えないとは限らない。国家のために、自分たちの生活は多少犠牲にしても……という考え方だ。実は、このような考えは特殊ではなく、イスラム原理主義的な思想を持つ国家の多くは“神のために戦う”という国家観を持っている。つまり自分たちの暮らしを犠牲にしてでも「イスラムの神は偉大だ」ということを証明しようとする。そのために“自爆テロ行為”などに出る。とにかく“日本人の国家観”だけが絶対とは言えないのだ。そして北朝鮮だが、ここにきて金正恩氏に“娘”が同行するケースが多くなった。そして北朝鮮自国の報道でも、娘のことを「朝鮮の新星」という表現を使って持ち上げたりする。さらには「女将軍」という表現を使ったりする。それはまさしく、彼女がやがては金正恩氏の後継者になっていくことを予告しているかのようである。空軍司令部に“その女将軍”を連れて行って演説もしたのだが、その時、注目すべき発言を金正恩氏はしている。「卵に思想を詰めれば岩をも砕く」と述べたのだ。北朝鮮特有の表現だが、この言葉には“見逃せない部分”がある。「卵」とは何か、ということである。わたしは“二つの意味”があると思うのだ。つまり、やがて後継者にしていく“自分の娘”と核ミサイルの“弾丸そのもの”を形容している。そう考えると、称賛は出来ないが、彼が自らの国を「宇宙強国時代に入った」と胸を張るのも、それなりに理解できようというものである。

なぜか新鮮に見えない⁉前原氏の「新党結成」

2023-12-01
通常、政治家が“新党”を結成すれば、なんとなく一時的ではあっても“新鮮な雰囲気”が漂うものだ。ところが、今回の新党結成の記者会見は、そういう“新鮮さ”というものがまったく感じられなかった。一つには、前原氏が所属していた「国民民主党」からの“離党の仕方”がおかしかったからだ。というのは6日前に彼の地元である京都の新聞が、前原氏が離党して新党を結成する、とのスクープを報じたのだ。ところが、そのあとすぐ前原氏は“それ”を「誤報です」と批判したのだ。もしも、あの時、すんなりとそれを認めていれば、このように“しらけた記者会見”にはならなかったものと思われる。前原誠司氏も、もう61歳である。政治家として長い。だから多少、政治家としての“泥臭い部分”が出て来たとしても、それはそれで仕方がない。ところが、彼はまるで“クリーンな政治団体”でもあるかのように新党名を「教育無償を実現する会」とした。そして、支持率が落ちている岸田政権に加担するかのような「国民民主党」とは相容れないから離党したと強調した。けれども、これはおかしい。まず、支持率が“高い”とか“低い”とかで政治の良し悪しは計れない。これはメディア関係者でも時々間違っている人がいるが、支持率の高い低いと、政策の良し悪しは、全く別物である。大衆はマスコミの誘導に左右されやすい。マスコミが結集すれば、支持率などいくらでも変えられるのだ。菅政権が発足した時、マスコミはこぞって彼を持ち上げ、その結果そのスタート時は高支持率となった。けれども徐々に失態が目立つと、マスコミが総攻撃を加えて支持率は低迷していった。何よりも政治家に必要なのは信念と実行力だ。支持率に振り回されるような人物はろくな政治家にはなれない。前原氏には“信念”というものがないのか。辞めるなら、きちんと辞める会見を先に開いて、それから「新党」の会見をすべきだ。最初は自ら離党を否定し、正しい記事報道を批判し、その6日後に自らの言葉を覆すような政治家を「信用しろ」という方がどうかしている。さらに、まだ「新党」を結成したばかりで、何の実績もないのに、他の野党との共闘を模索している。自分で新党を立ち上げたなら、他の党と組むことなど考えず、まずは「自分の党はこうやっていく」ということを声高に主張すべきだ。最初から「どの党と一緒にやっていくか」など、自らの政治信念というものがまったく感じられない。新しい党は、ほんとうに“その党”で活躍したい人が創るものだ。 Newer Entries »