5月, 2024年

「バナナの皮」って、そんなに“痛い”だろうか⁉

2024-05-19
ときどき“わからない事件”というのがある。というか“それ”が事件なのだろうか⁉ と疑問に思ってしまうようなニュース報道がある。17日の夜に福岡県警直方署が逮捕した男の事件などもそうだ。別にわたしは「現代」を理解していないわけではないが、時には「昭和」が懐かしくなる。わたしは幼い頃、室蘭市の貧民街で育った。俗に“ハモニカ長屋”と呼ばれる薄暗い二階建ての長屋には十数世帯が入居していた。まあ、一言で言うなら“掘っ立て小屋”のようなものだった。ベニヤ板一枚で隣の住人と仕切られている。そうすると、隣の住人の会話が聴こえてくるのだ。何しろ、みんな“一部屋住まい”だから、そこから逃れようがない。会話ならまだ良いのだが、多かったのは怒鳴り声やモノがぶつかって壊れる物音だ。とにかく、そういうことが日常茶飯事で、以前にも書いたが“殺人事件”も起こったことがある。まあ、わたし自身は7歳~11歳くらいまでを過ごした場所なので、ぼんやりとした記憶でしかないが、とにかく“物静かな暮らし”とは無縁の日々だった。夫婦喧嘩などはしょっちゅうで毎日どの世帯からかは“ぼこぼこの音”が聴こえる。そういう中で育つと、夫婦が争い合うこと、殴り合うことなど、プロレスの試合のような感覚でなかなかに臨場感があった。だから、殴られて痣が出来ている人に、井戸の周りで出くわすことも珍しくなかった。不思議なもので、そういうカップルが多いのに、それでいて離婚したカップルを見たことがなかった。どちらかが出て行って、それっきりというのはあった気がするので、まあ、それが離婚だったのだろう。それに比べると17日の夜の福岡県警での逮捕劇は、なんと生ぬるいことだろう。酒を飲んだ夫が、妻をののしり“バナナの皮”で、頭を1回だけ殴ったというのだ。妻は「バナナで殴られた」と通報したのだが、実際には「バナナの皮」で殴ったのだ。ん⁉ バナナの皮ってフニャフニャで“そのカタチ”も何となく似ているのだが、そのフニャフニャで殴ったのか。それじゃ逮捕も仕方がない……という人もいるが……。

人生は「自分の居場所」を「さがし求める旅」

2024-05-18
ネットニュースに「ビリギャル」の小林さやか氏(36歳)がコロンビア大学の教育大学院を無事卒業したことが写真とともに掲載されていた。彼女の場合、まず『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶応大学に現役合格した話』という本がベストセラーとなって注目された。その後、本の内容は「ビリギャル」として映画化もされた。大学卒業後、彼女はウエディングプランナーとなり、その後、商社勤務となり、さらにベンチャー企業へと転職を重ねた。それでも飽き足らず2019年4月からは教育学を学ぶため、聖心女子大大学院へと進んだ。そうして2022年9月からはアメリカに留学、コロンビア大学の教育大学院で学び続けた。彼女の“終着点”がどこなのか、多分、彼女自身わからないのではないだろうか。36歳という年齢は決して若くはない。けれども遅すぎる年齢でもない。結局、人はだれでも“自分の居場所”を求めて右往左往する。そこが居心地よければ、そこにずっといることになるし、居心地が悪ければ、条件が整うなら“別の居場所”を探す。もちろん、居心地が悪くても、そこに居なければならない人生もある。居心地が良いのに、なぜか衝動的に“そこ”を飛び出してしまうこともある。計算通りに行かないのは「運命」というものが絡んでくることがあるからだ。もちろん、人によっていろいろな意味で条件的に恵まれている人と、条件的には恵まれていない人とが居る。それは“人の世”だから仕方がない。よくなんでも平等でなければ気の済まない人がいるが、そんなものはあり得ない。どういう環境でも、どういう状況でも、生命力の強い人、自分の人生を自分で択ぼうと努力する人は、そこから第一歩を踏み出していく。決して後悔というものをしないし、けっして“だれのせい”にもしない。周囲の反対を押し切ってでも、自らの決断と、自らの情熱で未知の世界へと飛び出していく。

ニューカレドニアは「暴動の島」に変わった⁉

2024-05-17
ある程度の年代以降の方達なら、だれもが「ニューカレドニア」と聴いて「天国にいちばん近い島」というキャッチフレーズを想い出す。奇妙なほど、この島の名前は“そういうイメージ”が浮かびやすい。実際、その海岸線は今でも美しい。「天国」かどうかは解からないが、リゾート地として日本人の理想と結びつきやすい不可思議な島なのだ。そのニューカレドニアがピンチに襲われている。ここ数日、中心都市ヌメアの各地で暴動が勃発しているのだ。商店や住宅に火をつけるなどの過激な暴動だ。街を歩いているだけで、いきなり襲われ暴行されるなどの被害も起こり始めている。既に4人が死亡、60人以上が負傷するなど、小さな島での“大きな出来事”に発展しつつある。日本企業もその看板や社屋が襲撃されるなどしていて安泰ではない。暴動を行っているのは元々の現地人、つまりニューカレドニアに昔から暮らしていた人達だ。現在この島には欧米人など多数の海外からの移住者たちが住み着いている。日本人も少なからずいる……と言われる。フランス領として管理下に置かれているニューカレドニアでは“憲法改正”を行うとして軍隊を派遣しているのだが、自分たちの島が「フランス政府に奪われていくような不安」を現地の人たちは感じているのかもしれない。それにしても、島のあちこちから炎が巻き上がっているのはいただけない。小さな島なので商店であるスーパーが焼け落ちてしまうと、もはや日常の品を買いに行く場所がない。元々ニューカレドニアは観光で世界に名前が知られた島ではないか。あちこちから炎が上がったのでは何よりも観光業にひびく。日本人の多くも、観光業に関わっている。そういう点でも深刻なのだ。「天国にいちばん近い島」でも、いつの間にか“弱点”を曝け出すようになっている。結局、だれが言い始めたのか知らないが「天国にいちばん近い島」というのは、やっぱりイメージだけが先行していたもので、実際には「ごくフツーの南太平洋の島」として“悩みを抱えている島”だった。

「詩集3冊」出した元警備員(71歳)が首相銃撃‼

2024-05-16
多分、ほとんどの人はその位置を知らない。今回、現役の首相が銃撃を受けたスロバキアという国の位置だ。何となく欧州にあるのは解かっていたりする。だが、その的確な場所は解からない。解かりやすいヒントは“ウクライナの隣”だということだ。したがって、今回の銃撃も、多分それと無関係ではない。つまり、われわれ日本人が、フランスやイタリアの出来事より、韓国や台湾のような“隣の国”の出来事の方が何となく身近で詳しいのと同様なのだ。昨年の9月に現在のフィツオ首相が総選挙で誕生した。その首相が15日に首都近郊の町で支持者たちに囲まれ、油断が生じた時に銃撃された。銃撃は4発で、そのうちの1発が腹部に命中した。現在、首相は重体で犯人はその場で拘束された。銃撃犯は“若い人”ではなかった。ショッピングモールの元警備員で71歳の男だが、同時に詩人で過去に3冊の詩集を出し、作家協会の会員でもある。したがって、その詩はそれなりの評価を得ているものだったに違いない。そうでなければ作家協会に入れない。したがって知的レベルは高く、それなりの思想の持ち主だったに違いない。ウクライナの隣にあるスロバキアはEUとNATOの加盟国であるが、現在のフィツオ首相はウクライナへの軍事支援を拒否すると主張、ウクライナのNATO加盟にも反対の立場を取っていた。そういう主張で国民の支持多数で首相になったのだ。それは、これまでの国の方針を大きく転換するものだった。今回の事件に対してアメリカのバイデン大統領は「恐ろしい暴力行為」と表現した。ロシアのプーチン大統領も「恐ろしい犯罪」と表現した。はからずも、両大統領とも、ほとんど同じ表現をした。思想の違いを“銃撃”や“殺傷”で表すことは、だれであっても許されることではない。ましてや作家協会の会員であったなら、なぜ銃撃などで意見表明するのか。自らの4冊目の詩集で“それ”を表現すべきだ。人は、それぞれ自分にとっての“相応しい表現の方法”というものを持っている。ましてや芸術家は、その表現によって人々を味方につけるべきなのだ。

「孫17人」もいるのに⁉37歳年下夫の「子供」

2024-05-15
世の中いろいろ珍しい人は居て、たいていのことには驚かないが、そういう私でも“おったまげてしまう”のがアメリカのインフルエンサーとして活躍している63歳のシェリル氏だ。460万人という数のフォロワーを持つ彼女に子供が出来たのだ。「えっ、63歳で妊娠⁉」と思う人が居るかもしれないが、そうではない。正確に言うと、彼女が依頼した代理母の女性が妊娠したのだ。だから、もちろん彼女自身の子供ということになる。夫はちょっと年下だ。いや、ちょっとどころではない。37歳も年下なのだ。だから、まだ26歳のクランくん、じゃなかったクラン氏。ふたりとも〔胎児のエコー動画〕をアップして嬉しそうだ。それにしても、ふたりの出逢いが気になる。実は出逢いは12年も前だ。年下だからってバカにしないでもらいたい。まだ彼が14歳の時なのだ。その時、彼はジョージア州のレストランでアルバイトをしていた。その同じ職場に当時51歳のシェリルさんが居たのだ。どっちが先に声を掛けたかは定かではない。とにかく、気がついたら二人は“結ばれていた”のだ。それから、しばらくの間、ふたりの“愛”は続いた。けれども、クラン氏は徐々に大人になる。こうして、ふたりはいつの間にか離れた。ところが「運命」は二人をそのまま別れさせなかった。2020年、クラン氏は偶然訪れたコンビニでレジを打っていたシェリル氏に出逢ってしまった。もちろん言葉など不要だった。今度は何のためらいもなく、二人は“結ばれた”というわけだ。クランもシェリルも独身だったのだから入籍をする。そして「子供が欲しいね」という話になる。「代理母」を思いつく。なんと素晴らしい制度があるものだ。こうして、ふたりの“胎児”が誕生した…というお話なのだ。もちろん、17人も孫がいるシェリル氏には7人の子供もいる。それでも“新しい家族”“孫のような我が子”の誕生は最高の悦びを与える。SNSでも「ほんとうに嬉しい。待ちきれない。ついに我々に家族が出来た」と手放しの喜びようだ。この動画は260万回も再生され、1万件ものコメントが寄せられている。みんな何かを……何かを言いたくなるのだ。

学校教育は、もっと「AIロボット」活用すべき

2024-05-14
日本の場合、その仕事量に見合った収入を得ていない分野が多いが、特に感じるのは“小中学校の教員たち”だ。5月に入って「5月病」と呼ばれる“新人さんたち”が増えていく時期だが、中でも教職として小学校や中学校に勤め始めた新人たちは、改めて子供達やその保護者たちの対応に苦慮していることだろう。実質的な労働時間が、定められた労働時間をはるかに上回っているのが小中学校の教員だが、仕事そのものにも慣れないうちに生徒や父兄の対応に神経をすり減らして“心を病んでしまう”新米教師たちも多い。最近、TVなどではよくAIによる自動音声を使ったアナウンスが流れる。実に自然で、何の違和感もない。多少、抑揚に乏し過ぎる感は否めないが、むしろ複雑なニュースなどでは、その方が理解しやすい場合もある。これだけAIが学習機能に優れているのであれば、小中学校の教育現場にこれらを活かせないものだろうか。個々の生徒の学習プリントなどの採点とか、学習アドバイスとか、補強すべき弱点とか、そういうものをAIに学習させれば、いちいち教師が採点やアドバイスなど行なわなくても、行なってくれるのではないだろうか。また教育部門によっては「AIが生徒たちに教える」という形式があっても良いような気がする。近年は“個性重視”ということで、個々の個性や特徴を見出して教育していく方針がとられるケースが多い。ところが、あまりに雑務で忙しいと、実際には“個性を見抜く”までのゆとりが、教員の方に生れないのではないか、という気がする。それと、なによりも若手の教育者にとって対応が難しい保護者たちに対してであるが、これも可能な部分は「AIで対応する」と文科省とかが決めてしまえば解決することなどではないだろうか。世の中にはクレーム好きな人もいるし、難癖をつけたがる人もいる。それらにいちいち丁寧に対応していたのでは教員の身が持たない。適当に“あしらう”ということが出来れば問題ないのだが、真面目な新米教員の中には相手が満足するまで対応するという“クレーム処理係”のようなことを行いがちな方もいる。もっと、そういう無駄な時間を“AI任せにする”よう仕向けないと、いつまでたっても教員たちは救われない。

「国境越え・支持率低下」戦争は終わっている

2024-05-13
いま「戦争」と言ったら、どの戦争を思い浮かべるだろうか。「ロシア×ウクライナ戦争」を思い浮かべる人は意外に少ないかもしれない。「イスラエル×ハマス戦争」の方が何かと目立っているからだ。世界は刻々と変わっていく。それによって、人々の気持ちも変わっていく。一時期“90%”の支持率を誇っていたゼレンスキー大統領だが、もはやその面影はなく、60%程度の支持率に変わっている。もはやウクライナ人たちの多くが「彼の役割は終わった」と口にするようになっている。さらにはロシアからの“暗殺指令”が忍び寄っている……という噂もある。ゼレンスキー大統領が頼みの綱としている西側諸国も“一枚岩”ではなくなりつつある。もう一つ、大きいのは最初の頃のように士気が上がらなくなってきていることだ。ウクライナ国民は18歳から60歳の男子は“兵役義務”が課せられているが、最近、それを逃れるため“国境越え”をする男性たちが多くなっているのだ。中には女装して“国境越え”を試みる者、ゴムボートで川を越えようとする者など出て来ている。弾薬も乏しくなっていて、前は1日100発打てたのに、いまは30発が限界であるという。これらは、もはや戦争が「終わりに近づいてきている」ことを感じさせる。最近のゼレンスキー大統領の顔貌と、プーチン大統領の顔貌を比べると、ゼレンスキー氏の方はいっそう険しい表情が目立ち、プーチン氏の方はやや穏やかな表情に変わりつつある。戦争というのは、正しいとか正しくないとかはあまり関係がない。最終的に勝ったか、負けたか、が重要なのだ。戦争だけでなく、戦いというのは、昔からそういうことになっている。負けると、さまざまな負担が国民に負わせられる。だから勝敗が見え始めると、国民というのは徐々に上層部の指令に従わなくなる。ゼレンスキー大統領を彼の部下たちが拘束するような事態が起こらないことを願うばかりだが……いずれにしても、戦争の犠牲になるのは「罪もない一般庶民の人達」なのだ。

「87歳」現役トレーダーの「教え」が売れる⁉

2024-05-12
発売間もないのに、あっという間に12万部が売れ、まだまだ売れそうだという本がある。87歳で現役ディトレーダーである“シゲルさん”の人生を振り返りながらの“投資の「教え」が書かれた本”だ。昔から株の本は、奇妙なものでファンドマネージャーなどプロ投資家が書いたものより、俗に“素人”と呼ばれる個人投資家が書いたものの方が圧倒的に売れる。それは、こういう本を読む人たちの多くが“投資の初心者に近い人達”だからだ。いや初心者ではなくても、株で資産を形成できていない人たちだからだ。株で或る程度の資産を形成できているような人達は、通常こういう本を読まない。なぜなら、もう“自分なりの投資法”が確立されていて、それに沿って投資を行っていて、迷いがないからだ。勝ったり、負けたりを繰り返していて、さほど資産も形成できていないとか、ずっと負け続けているとか、元々の資金が乏しいので、そんなに増えることがないとか……そういう人たちが読む。そして、そういう人たちが“世の中には多い”ので、こういう本は売れるのだ。どうして“金融のプロたち”が書いた本は売れないのかというと、合理的に書かれているからだ。ほとんどの人たちは一冊くらいは“そういう本”も読んでいる。ただ難しいし、その通りにやっても、たいていは上手くゆかない。だから、そういう人たちの“正当な教え”にはあまり耳を貸さない。そのかわり、ごく一般的な家庭で育って、経済的な余裕などない中から投資を始めて、徐々に徐々に資産を蓄えていったような“そういうオジイさん”の「教え」には耳を貸そうとする。どういうものか、オバアさんより、オジイさんの方が受けが良い。もしかすると、そういうオバアさんというのは、どこか“人柄が悪そうなイメージ”が付いて回るからだろうか。別に実際にそうとは限らないのに、不思議にひとりで地道に株投資を行って、徐々に資産を形成していった独り身のオバアさんというのは、なんとなく信用できなさそうなイメージを与えるから不思議だ。そこへいくと、オジイさんのほうは、たとえ実際には守銭奴であったとしても、なんとなくイメージとして“ものを分け与えてくれそうな雰囲気”を感じたりする。だから、そういうオジイさんの「教え」には耳を傾けるのだ。まあ、だけど、そういう本を読んでも、たいていの場合には“あまり役立たない”んだけどね。

「小さな美容室」&「小さなステーキ店」窮地

2024-05-11
今年前半の倒産件数で急増している業種が「美容室」と「ステーキ屋」だ。それもフランチャイズ店とかではなく、大きく名の知れたところではなく、どちらかと言えば街角などで“こじんまり営業している”ところだ。中でも美容室の倒産は急増中らしい。コロナ禍を乗り切って、何とか元に戻りつつある美容業界だが、支援金が打ち切られたせいと、美容資材が総体的に高騰しているせいで、持たなくなってきているのが現状であるらしい。美容室というのは店舗と資材さえあれば一人ででも営業できる。技術さえあれば、小資本でも独立できる。この二つの条件を持っているので、人を使わず、使われず…で生きて行きたい人にはうってつけの職業なのだ。一方、ステーキ屋さんの方も一人では難しいが、立地の良い店舗さえ確保できるなら、ステーキ好きの人はごまんと居る。ラーメン店などと違って、特別な修行のようなものは必要がない。良質の肉を、どれだけ安く仕入れられるか、お酒が進みやすい雰囲気を演出できるか…に掛かっている。こうして共に新規参入しやすい分野だが、その反面、長続きできずに潰れてしまうところも多い。何よりも現在は“円安”時代で、輸入物を扱う職種はどこも苦戦している。美容資材も上質なステーキ肉も、輸入価格がどんどん高騰している。それを店の価格に上乗せできれば問題ないが“街の小さなお店”というのは、昔からの固定客で成り立っている。それでなくても日用品や食品の値上げラッシュが続いている中で「今日から右習えで30%値上げします」となかなか言えるものではない。その結果、踏ん張り切れなくて負債金額が少ないのに倒産していく。特に美容室の場合、経営者の年齢が若ければ、徐々に負債額が膨らんでいくより、技術はあるのだから、かえって勤める形をとった方が今のような状況では有利なのだ。医療業界でもそうだが、日進月歩で新たな機器などが出てくるところは、それらの機器を導入するために借金していくのでは体力が持たない。若くて敏感な客層を扱っているところは、いまのような情報化時代は“大量仕入れ”のフランチャイズ店に太刀打ちできるわけがない。だから、同じ小さなお店であっても、比較的年齢層が高く、全てを“お任せ”でやってもらっているような客層は逃げない。だから“こじんまり営業している”ところは、かえって新しい機器や製品や方式など導入しない方が良いのだ。

アスリートも、アーティストも、風俗嬢も…⁉

2024-05-10
日本の製造業の多くは“輸出企業”である。したがって多くの輸出企業にとって「円安」はプラスに作用する。但し、暮しに直結するガソリン・電気・ガスなどエネルギーや食品類には輸入品が多い。その結果、日本にも一気にインフレの波がやってきて生活は豊かになっていない。そこで、一部の人たちは「自分を輸出すれば良いんだ」と思いつく。アスリートとか、アーティストとか、言葉いらずで“輸出ができて”商品として海外に通じる人たちだ。海外に出向いて自分を“売って”商売をすれば、その収益を日本に戻って「円」に換金すれば、国内で働いているよりも、はるかに大きな収入が得られていることになる。実際、最近は実力のあるアスリートやアーティストたちはこぞって海外に出向く。海外で働いた方が、収入ばかりではなく、才能的にも大きな評価を得ている場合が多い。そこで……というわけで、いま、アメリカなどに自分を輸出しようとする風俗嬢が後を絶たないのだという。アメリカは原則“風俗店”は禁止されている場合が多く、そういう意味ではマリファナなどと違って合法ではない。だから風俗嬢も斡旋業者が居て“ギリギリのところ”で働く。なぜなのかはハッキリしないが、日本女性の評価が、他のアジア系女性たちよりも高いようだ。昔から日本女性は欧米男性の受けが良い。つまり“稼げる”のだ。こうして、アメリカに数週間とか数か月とか働きに出て、国内で働く何倍もの収入を得て帰ってくる。或る意味ではアスリートにも似ている彼女らは、その身体や技能を使って高収入を稼ぎ出しているともいえる。但し、日本政府はこれらに対して「犯罪に巻き込まれる恐れがある」という観点から、必死に注意喚起を呼び掛けている。日本女性は体格的にも華奢で、欧米男性に暴行されたらひとたまりもない。英語などの言葉が出来る女性はまだ良いが、言葉も解からない場合、助けを呼ぶことも出来なくなってしまう。そういう点で、海外で働くということは“危険を伴っている”ということをゆめゆめ忘れてはならない。

「愛」は不変ではなく「子供」は所有物でない

2024-05-09
世の中に「離婚」が多くなって、その結果として“子供の親権争い”も多くなってきた。昔と違って、仕事をしながら育児もこなす暮らし方が可能になりつつあり、収入面でも男女差が縮まりつつある。そうなると“親権争い”は、どちらが有利とも言い切れなくなっている。こうして離婚した男女が、どちらも子供に対して“強い愛情”を抱いていると、親権争いが思わぬ悲劇を生む。アメリカのテキサス州で32歳の母親と3歳の息子の遺体が公園内で発見された。その母親は、翌日“親権争い”で裁判所に出廷する予定だった。つまり母親は、親権争いに敗れる可能性を察知し、それなら“その前日”に息子の命を奪って、自らも自殺しようと考えたのだった。この女性は息子だけを愛していたのではない。おそらく離婚した夫も愛していたのだ。なぜなら、彼女は元夫の自宅にも訪れ、だれも居ない部屋で洋服をずたずたに切り裂いたり、家具を壊したりもしているからだ。さらに自分自身の家のベッドには、結婚式の写真とウエディングドレス姿の写真を並べて、その2枚も銃弾で打ち抜いている。こうして全ての準備が整った後、母親は保育園から息子を連れだし、公園に行ってスマホを取り出し動画撮影で「さあ、パパにバイバイして」と呼び掛けている。3歳の息子は何も疑わない。そのあと子供向け動画を検索した形跡が残っている。おそらく、息子にそれを見せている間に後ろから頭部を銃撃したのだ。そして、その後、自分自身の頭も銃撃した。彼女は強い愛情の持ち主であったに違いない。最後の写真は、息子だけでなく、自分も並んで笑顔を向けている。それは“復讐”にしても“道ずれ”にしても、あまりに哀しい。おそらく気持ちを切り替え、新たな夫や新たな子供を得ようとすれば“新たな幸福”を得られたに違いないのだが、それを拒否した。あの夫と、この息子でなければ「自分の倖せはない」と頑なに信じていたに違いない。彼女は、自分の決断ひとつで、自分自身も、過去の相手も、そして自分の所有物ではない息子の将来も、幸福に出来た可能性のすべてを自らの銃弾で奪ったのだ。

本当に“胸を打つ”シーンは「そこ」じゃない‼

2024-05-08
偶然なのだろうが、この春のTVドラマで登場人物たちが“記憶を失う”というシーンが続出しているようだ。なんと全部で5人も居るというのだ。ちょっと多すぎないか。どうして、こういうことになるのだろう。おそらく、そういう人物を出すことで「感動的なシーン」や「不条理な出来事」というのを演出しやすいからだ。つまり、視てくれている人達がドラマ全体に対しても、あまり批判的でなく、やさしい気持ちで視て貰えるような、受け入れてくれるような“下地を作りたい”からではないだろうか。しかし、わたしは最近の漫画的な“ありえない設定”が、物語をつまらなくしているような気がする。なぜなら、そういう“ふつうではない場面設定”だと、視聴者との間に距離が生まれる。なぜなら、身の回りには“記憶を失った人”など居ないからだ。どうして、もっと“ふつうの設定”で視る者を引き込めないのか。わたしは最近、TVで録画しておいた外国の映画を観た。その映画は“100年ほど前のアメリカ”を描いたもので、経済的にも追い詰められた家族が“力を合わせて生きて行く”というような設定だった。その物語の中で、男女の葛藤を描くシーンで、トランプカードを握り潰していく……というシーンがあった。どうすることも出来ない感情を抑えきれなくて、無意識に握り潰していく……ただそれだけで、相手との言葉のやり取りや表現は一言もないのだ。本当は山ほど言いたいのに何も言えなくて、そういう中で耐え切れずにカードを握り潰していく。そういうことは誰にでもある。そういう経験というのは、或いは記憶というのは誰にでもあって、その手元だけ映し出しているのだが、何も言わない時間が妙に訴えかけるのだ。こういう“自然な設定”“自然な描写”というものを、いまのドラマは忘れているのではないか。なんでも言葉として表す。形として示す。文字として表記する。だれにでも解るように……というのがいまのTVには必要なのかもしれない。けれども、あえて「解る人には解かる」という“カードを握り潰す”だけのシーンの方が、実際には百倍も雄弁に物語っている。多くの人は、言葉のない中で“AIではない人間”と暮らしているのだ。 « Older Entries