5月, 2024年

アメリカも日本も「金利上昇」で先行きに暗雲

2024-05-31
このところアメリカも日本も、いや欧州で含めてだが、予想以上の金利上昇で、経済の先行きに暗雲が漂い始めている。このところ「日本」も、ようやくデフレから脱却して「経済にも明るさが視えてきた」という感じだったのだが、ここにきて急に「金利上昇」という不安材料が大きく頭をもたげている。この金利上昇に関しては、多少の上昇は予測されていた。特にアメリカの場合には、むしろそうなることは予測されていて、だからこそ“軟着陸”のむずかしさが最初から指摘されていた。とにかく、金利上昇のいちばんの影響は住宅関係で、アメリカの場合は誰でも感じる住宅価格そのものの上昇にプラスされる形で金利上昇が追い打ちをかけている。そして、それはアメリカや欧州のことだけかと思っていたら、金融緩和継続のはずの「日本」でも予想以上の金利上昇が始まってしまっている。それでなくても、日本の場合には給与の上昇がインフレ率に追いついていない。実質収入は、まだまだ低下傾向のままなのだ。それに加えて住宅価格は資材高騰などで眼に視えて上がっている。都内のタワマンは、今では1億円でもぎりぎり3LDKで狭すぎて少しも“セレブの住まい”などとは思えない。なぜかほんとうに広々としたタワマンは日本人ではなく、中国人など外国人名義のものが増えてきている。確か東京オリンピック前に、オリンピックが終わればタワマンの価格が下がって「その不動産価値は失われる」という説が吹聴されていたが、まったく逆の現象が起こっているではないか。金利上昇は半導体などを扱う先端企業にも“暗い影”を投げかける。なぜなら、この種の企業には投資資金が必要なのだ。多額の借り入れが、企業そのものの成長と収益とを遅らせる。もちろん、不動産分野も大いなる打撃を受ける。中国の不動産が急減速したのも、経済そのものの停滞だけでなく、金利上昇の影響も大きい。日本の場合、次々と事業を拡大してきた不動産企業にとって、会社自体も苦しくなるし、客層となる人たちも購入にストップが掛り出す可能性があり、それを予感してなのか日経平均も急速に下がり始めている。

「辛い食品」で⁉…“過激さ”増す「汚物風船」

2024-05-30
私は以前から韓国や朝鮮の食品類が“過激な性質”を助長しやすいのではないか、という考えを持っている。すぐ激高しやすい人が多いような気がするからだ。今回の事件は、その双方の性質が招いたような気がしてならない。28日の夜、北朝鮮から飛ばされてきたとみられる「汚物風船」がソウル市内など韓国の各所に大量に飛来してきている。北朝鮮は先日行われた「日・中・韓」の合同決議に対しての拒絶反応が強い。今回の風船事件も、その一環のような気がする。ただ名目は微妙に違っていて、北朝鮮側に言わせると今回の件は“お返し”なのだという。どういう“お返し”なのかと言えば、前に韓国が行った“行為”に対しての“お返し”なのだという。どういうことかと言えば、韓国には多数の北朝鮮から脱北してきた人たちがいる。その脱北者団体によって、韓国内から北朝鮮国内に向けて、北朝鮮政府や金正恩氏を批判した大量の“ビラの投与”が行われている。韓国政府はそれらに対して「表現の自由」として傍観している。これに対しての“対抗措置”だと、北朝鮮側は言うのだ。つまり韓国側が“北朝鮮に対する体制批判”を“ビラ散布”によって行うなら、自分たちも「表現の自由」として“汚物”や“ごみ”が詰まった袋を付けた風船を飛ばしても良いではないか、という理屈なのだ。う~ん、なかなかの反論……などと感心している場合ではない。とにかくこれまで確認されただけで260個以上の「汚物風船」がソウル市内などにやって来ている。どうやったら、そんなに上手くソウル市内などに落ちて来るよう出来るのか知りたいところだが、それよりも、とにかく「汚物」だけはどう考えても汚いのでやめてほしい旨、北朝鮮側にお願いすべきだ。もちろん、向こうは「じゃあ、そちら側からの批判チラシは止めるか」と問われるのに違いない。どちらも考えようによっては“子供のような発想”だが、そういえば北朝鮮は、このところ後継者らしい少女を常に金正恩氏と一緒に行動させている。もしかするとその娘さんから「汚物風船」などのヒントを貰っているのではないか。まあ、日本にまで飛来して来なくて良かったけど…。

こっそり妄想神社にお参りしなさい

2024-05-29

「妄想神社」って、怪しげな神社かなと思われた方……ハズレです!
「妄想神社」は、あなたの心の中だけに存在する「聖域」で、潜在意識へのアクセスが可能になる驚くべき「パワースポット」なのです。この「妄想神社」に日々参拝することによって、あなたのさまざまな願望が実現化していきます。

【恋愛・お金・幸せ・成功・栄達】などのさまざまな願望は、どのようにすれば達成できるのか……古今東西の占いを研究し尽くした占術界の巨匠がこっそりアドバイス、どんな本よりも具体的にそのコツをわかりやすく教えてくれます。

実は潜在意識はAI(人工知能)のようなもので、本人の預かり知らぬ領域で、着々と仕事をしています。本人の経験・体験や、小説や実用書などから吸収した知識、そしてユングのいう集合無意識の領域の叡智、それらのエッセンスをすくいあげ、一つに取りまとめ分類しているのです。その潜在意識に、毎日、自分の具体的な成功イメージを送り続けることによって、後は潜在意識が良きようにとりはからってくれます。

具体的にはどうするのか…… 
あなたの心の中の「妄想神社」に日々お参りして、叶えたい願望を描いた絵馬を奉納し、賽銭箱に願望を封じ込めた珠玉を投げ入れてください。そうすればその日のミッションは完了です。そのように、毎日毎日、顕在意識から潜在意識に繰り返し繰り返し働きかけていくと、最初は小さかった願望イメージがやがて開花し大きくなり、思い通りに願望が実現化して、あなたの運命は改変されていくのです。この願望成就の術は、不確定な未来を意のままに操作する究極のメソッドでもあるのです。

なお、誰もが理解して、即日実践にとりかかれるように、「妄想神社」参拝手順のカラー絵コンテを巻末に掲載しています。イメージングをしやすいイラストで時系列に誘導するように工夫されていて画期的です。是非お試しください。

「結婚」占星学の奥義

2024-05-29

本書は、『占星学秘密教本』で好評を博した著者が、結婚に特化した占星術の書を書き下ろしたもの。結婚の時期・相性・宿縁(絆)・複数婚・玉の輿婚・離婚について、独自理論を駆使して大胆に解説。また、その理論の正当性を主張すべく、著名人のホロスコープ149例を徹底検証している。ずばりタイトルどおり、プロ向きの奥義書であるものの、初級者が読んで理解できないものでは全くない。ある程度の西洋占星術の基礎知識さえあれば、スムースに本文を読解でき、著名人のホロスコープ実例研究も読み解くことができよう。
第1章・結婚時期…著者が若かりし頃、占い喫茶で依頼される鑑定の大半は恋愛・結婚について…。その実占に苦労した著者がたどりついた、結婚時期を表すトランジット惑星として最も主導的だった惑星は?
第2章・相性判断…日本での西洋占星術の黎明期、四人の占星家に導かれ、独学で占星術を学んだ著者が、古典的な「星座同士の相性」の観点から脱し、同じ惑星同士の間でアスペクトが成立する「共通アスペクト」が相性を占ううえで重要な役割を担うことに気づく。その「共通アスペクト」とは?
第3章・宿縁(絆)…「相性」が良いからと言って、必ずしも結婚は出来ない。結婚については、縁(絆)というものが強力に作用する。双方のホロスコープを重ね合わせる形で、主要な惑星同士でアスペクトを形成する「相互アスペクト」が多数あることが重要。カール・ユングが公表した実際の夫婦間に基づくデータにも言及しながら、「相互アスペクト」の神秘性に迫る。
第4章・複数婚…結婚観の劇的な変化にとまどいながら、新しい結婚占星術を模索する著者。現代女性を象徴する「複数婚」のサンプルには、ソフトアスペクト(120度・60度・30度・72度・144度など)よりも、ハードアスペクト(0度・180度・90度・150度・45度・135度など)が圧倒的に多くみられる。「現実派」「理論派」「行動派」で意志の強い女性達は、どのアスペクトに導かれて結婚を繰り返すのか。
第5章・玉の輿婚…知人のA美さんの運命的で劇的な玉の輿婚のストーリーを紹介し、玉の輿婚に特有なアスペクト、ならびに惑星同士のアスペクト線の交差が作り出す、特異な「アスペクト図形」の存在を知らしめる。
第6章・離婚…既存の占星学教科書では、「離婚時期」は明確に記されないことが多い。恋愛・結婚の別れに限らず、家族や親友との別れについても、あるトランジット惑星が関与していることを示唆し、「別れのアスペクト」を解説する。
※特別付録として、『この占いがすごい!』2017年版から「西洋占星学の誕生と発展」を再録。

「幸運」と「幸福」は、必ずしも一致しない

2024-05-29
多くの人は“幸運な人”を“幸福な人”であるかのように勘違いしがちだ。けれども、必ずしも“幸運な人”=“幸福な人”であるとは限らない。先日、タレントの室井佑月氏が結婚後に仕事が減って、現在は家賃5万のぼろビル住まいであることを投稿し、話題となっている。政治家で元知事でもある米山隆一氏と結婚されたので“玉の輿のようなもの”と誰もが想像したが、実際には仕事が無くなって、タワマンの最上階からボロビル暮らしへと変わってしまったというのだ。ただ、室井氏はそれを嘆いたわけではなく、現在は庶民的な暮らしに変わったが、思想信条を貫いて暮らしている形で、人の評価など気にならないと強気だ。実際、タワマンに暮らしたからと言って、倖せであるとは限らない。まあ見掛けたは確かに良いが、人間の日常というのはそんなに変わるものではなく、タワマンからの景色も3か月も観れば見飽きてしまう。ただ“世間の眼”としては、マスコミに常時出ていた頃は、華やかな“成功者”として映りがちである。だから「落ちぶれた」という評価を受けるのも仕方がない、と言えば仕方がない。ただ人間というのは“平坦な人生”よりも“ジェットコースター”のような人生の方が、或る意味ではドラマチックで、そういうふうに願っても、なかなか“そういう人生”は歩めない。中国の運命学では、昔「平坦な人生」を“幸福な人生”と見立てていた。だから、そういう生まれの人を“幸運”とし、そういう人生に「どうすれば近づけられるか」ということで、運命学の仕組みを捉えていた。したがって、そういう古典的な運命学の方から学んだ人たちは「平坦な人生」悪く言うと「平凡な人生」を“幸福な先天運”として、それに近づくためのノウハウを学んだりした。さて、現代はどうだろう。正直、個々の価値観によって“幸福”の基準は変る。何が幸福な人生と言えるかは、ほんとうのところ本人にしかわからない。死ぬ間際になって「自分は幸福な人生だった」と言えるか、或るいは「幸運な人生だった」と言えるか、或いは「不幸な人生だった」と思うか、或いは「不運な人生だった」と思うか、だれにも予測できない。

そんなに「険しい顔」で立候補されても……⁉

2024-05-28
東京都知事選に蓮舫氏が立候補を決めた。どうせ立つのなら、早い段階から決断して公表するのは良いことだ。ただ、どうして「無所属」という形なのか、理解に無苦しむ。そして、それよりも、わたしがいちばん気になったのは、彼女の顔が“とても険しいこと”だった。う~ん、これから冒険旅行に出掛けるとか、格闘技の試合を控えているとか、収監が迫っているとか……じゃないのに、どうしてそんなに険しい顔で“ぎすぎすした雰囲気”で話さなければならないんだろう。都知事って、東京都の都職員って、どのくらいいるか知らないけど、相当数の方達のトップなわけだけど、ああいう感じで話されたら職員の方達…ちょっとビビりそう。というか、一緒に頑張りましょう、という感じにならないのでは…心配。会社でも、学校でも、そうだけど、どんなに正しかったとしても、完全主義のトップってあんまり慕われない。蓮舫氏の顔貌は、最近、ますます“女らしさ”が消えて、プロボクサーのような目鼻立ちとなってる。真っ白いスーツは素敵なんだけど、あまりにも隙がなさ過ぎて、シミを付けたら怒鳴られそうで……。観相学的な観方からすると、顔面を横に三分割すると「下停(地停)」に当たる部分が脆く弱い。こういう顔面は「理想主義者の相」だけど、通常、政治家の“大物”と言われる人たちは、この部分が発達している。この部分が弱いと、後ろから“付いて来てくれる人”が居なくなっちゃう。だから、都職員たちにソッポを向かれないようにしないと、孤立しちゃうんだ。そういえば、彼女は民主党の党首になった時にも、孤立していたような……。まあ、まだ都知事になったわけでもないし、今から心配することじゃないけど、対外的にも、外国の要人たちとも接することの多い立場だからね。もう少しだけ“やさしさ”と“笑顔”を向けて話すことを憶えないと、ちょっと嫌がられちゃいそうで、それが心配かな。ん⁉ だれ、当選しないから、そんな心配は無用だって、言ったのは、ねえ、だれ⁉ 「いちばんでなきゃ、いけないんですか」……

「多様性」を認めるなら「老害」の指摘は変⁉

2024-05-27
最近、いろいろなところで「老害」というものが話題として取り上げられる。TVのバラエティー番組で50代のタレントが「先輩としてのちょっとした指摘も、それは老害と言われては何も言えなくなってしまう」と問題提起した。そして、その一例を話したのだが、視聴者たちから「まさに老害の典型」という形で指摘され、年配者たちからさえも擁護されず、総攻撃を受けている状態であるという。確かに、その一例は良いとは言えなかったが、ただ、わたしは思うのだ。最近は、あまりにも“ハラスメント”とか“老害”とかいう表現で、さまざまな年代の“生き方”そのものを否定するような傾向が強まっているのではないかと…。考え方にしろ、生き方にしろ、行動の在り方にしろ、時代によって変化していくのは当然のことだが、その時代に正しいから、いつの時代にも正しいとは限らない。われわれが歴史を学ぶというのは、そういう「時代的な変遷」を学ぶということでもある。現代の“ハラスメント”や“老害”というものに対しての捉え方は、この根本的な事実を“置き去りにしている部分”が多いように思われる。別に、わたしは「昭和が正しい」などというつもりはないが、少なくとも、そういう時代を経てきたから“生まれ育った文化や芸術や事業”が多数あることは認めた方が良い。そして、そうであるなら、同じように“そういう時代”を生き延びてきたことで“形成された”考え方とか、生き方とか、行動の仕方とかに対しても、受け入れる必要はないが“傍観する大らかさ”はあっても良いのではないだろうか。現代は70年代とか80年代とかの日本のポップスが世界的に静かなブームとなっている。その当時のドラマや映画にも魅力的なものは多い。そこに描かれているのは、現代なら各種のハラスメントや老害行為として排除されるような内容のものが大変に多い。それなのに、視ていて決して違和感はなく、規制され過ぎた現代のものよりも、はるかに面白い。これもいけない、あれもいけないで果たして“人間性豊かな心”は育まれるのであろうか。それが本当に“多様性ある生き方”を生み出すというのだろうか。一方で“多様性”を認めろと言いながら、その一方では「この範囲内でなければいけない」と規制する世の中は、少しも“多様性ではない”よう感じられるのは、わたしだけなのだろうか。

日本人監督が「世界の映画祭」で才能を発揮‼

2024-05-26
最近、日本人の若手映画監督が世界的な祭典で「賞」を受賞することが多くなった。今回も、カンヌ映画祭で、まだ27歳の山中瑶子監督が「ナミビアの砂漠」という作品で「国際批評家連盟賞」を受賞した。おそらく低予算で、実力はあるが有名とは言えない役者さんたちを使って、撮影された映画だと思われる。カンヌ映画祭のような舞台で、そういう作品が評価を得られるようになった。そのこと自体が、なによりも素晴らしい。わたしは、正直この映画監督がどういう過去や履歴を持っているか知らないが、近年、日本人監督は優秀な人材が多く育っているような印象を受ける。一時期、日本の映画産業は明らかに斜陽で、才能のある人たちが“映画世界を見限った時代”が長く続いた。けれども、ここにきて急速に日本の映画界には“新しい波”が押し寄せているような印象を受ける。優れた人材が集まって来ている印象を受ける。人はいろいろなものによって感動し、その人生に影響を受けるが、その中に一つとして「映画」というものもある。映画の良さの一つは何度も繰り返し見ることが出来る点だ。もう一つ、映画は舞台と違って“幻想”とか“想像”とか“特殊撮影”とかが出来る。舞台は一方からしか視ることが出来ないが、映画は遠近も角度も自由自在に変換できる。それだけ、われわれの頭脳に“鮮明な映像”を届けることが出来る。実際には10秒のシーンを30分くらいに拡大して表現することもできる。小説も同じように表現できるが、映画は映像としてリアルに伝えられる。日頃、想像力の乏しい人でも、映像として見せられると、納得できるということもある。また音楽であるとか、擬音であるとか、バックの風景であるとかを加えて、迫力を増したり、臨場感を強めたりも出来る。バックに映る風景とか情景とかは、通常、直接的に物語を構成するものではないが、それでいて妙にわれわれに訴えかけてくる場面がある。幼い頃から、良い映画をたくさん見て育てば、必ず、成長してから、さまざまな場面でそれらが生きて来るように、人生は出来ているのだ。

「見知らぬ投資家」からの電話やSNSに要注意‼

2024-05-25
最近「投資詐欺」に関する報道が多すぎる。それだけ「だます奴&だまされる人」が多いことを表しているが、一日のうちに4件も5件も“違った形の詐欺事件”が起こるとは、どういうことなのだろう。昨日、24日に報道された分だけでも、①電機メーカーの社員を名乗る男からの電話で「500万円を上乗せしてあげるから」との誘いに、84歳の女性が9回に分けて総計2500万円を郵送してしまった事件があった。②SNSを通じて知り合った「投資グループ」の投資家に指導を受けるという名目で、40代男性が総計972万円を指定口座に振り込んでしまった。③官公庁の職員を名乗る男から「あなたが犯罪に関わるメールを多数出している」と電話で言われ、今度は警察を名乗る男から「逮捕される」と脅された70代の女性が、総計3770万円を宅配便などで郵送してしまった。④SNSで有名ジャーナリストの奨める暗号資産への投資を3月~4月にかけ、50代の女性が総計3000万円を指定された口座に振り込んでしまった。……と、まあ、それぞれやり方は違っているので、別々の“悪い奴”が行っているとは思うのだが、それにしても、みなさん“お金持ちであること”に驚いてしまう。そんなにお金があるなら暮しに困ることなどないはずで、どうしてそれなのに、お金を増やそうとかするのだろう。これからは徐々に銀行金利も付いていくので、何千万も所有しているなら、そして、これまで投資など行なって来ていないなら、そういう話には乗らない方が良い。投資というのは、性格的に“向いている人”と“向いていない人”とが居る。総じて、真面目で何十年もコツコツ貯蓄してきたような方は、投資そのものに向いていない。向いていないのだから、そういう話が来ても「自分は興味がない」と断れば良いのだ。ただ“向いている人”もいる。どういう人が向いているかといえば、常日頃から「一攫千金が得られる方法はないかなあ」という考えを持ち「人生はギャンブル」くらいに考えている人。そういう人は“向き・不向き”だけで言えば、向いている人なのだ。但し、そういう人の多くは今現在コツコツ型の人たちと違って、手元に現金がない。だから、上手い話に飛び乗りやすく失敗も多い。けれども、本質的には向いている。だから、そういう人は“投資”を行っても良いが「見知らぬ相手」が出てくるような話には絶対に乗らないこと。世の中、見知らぬ人があなたの“お金を増やしてくれる”なんてことは100%ない。見知らぬ人は見知らぬ人なのだ。だから、そういう人は、自分の頭と体と度胸を使って投資をすれば良い。そうすれば、10回のうち、2~3回は勝てるかもしれない⁉

「規則正しい生活」に「不登校」は生まれない

2024-05-24
年々「不登校児」が増えている。いまや小中学生だけで30万人だ。いちばんの原因は、ちょっと拍子抜けする。「無気力・不安」という回答が52%にも達しているではないか。わたしはてっきり「イジメ」なのかと思っていた。イジメが原因での不登校は何んと0.2%と少ない。つまり、ほとんどの不登校は、そういう深刻な問題からではなく、なんとなくだったり、ちょっとだけ気不味かったり、不安な気持ちからだったり、つまらなかったり、家の中でダラダラしていたかったり……という“判然としない”理由からなのだ。人はだれでも“怠け心”というものを持っている。子供にとって、学校で学習するのは何かの目標とか目的があってのことではない場合が多い。したがって、怠け心が生じると「なんとなく行きたくない」という気持ちとなる。最初は一日だけだったのが、二日、三日と続くと「もう、面倒だし、行きたくない」に変わっていく。不登校の原因として「無気力」の次にきているのは「親子関係」に何らかの問題が生じた場合と「友人関係」に何らかの問題が生じた場合とだ。そういう場合は、当然、気持ち的に沈むし、憂鬱な気持ちになる。まあ、だから一日くらいなら、学校を休んでダラダラするとか遊びに出掛けるとかして気分を変え、次の日から登校すれば良い。そういう“切り替え方”を知らない子が多いのだろうか。わたしは、子供時代も、それから大人になっての会社員時代も“休み”の多い方だった。会社などは有給だけでなく、欠勤を使ってまで休んだりした。ただ、それで「会社に行きたくない」となったことはない。一つには習慣として、朝起きたら「行く準備」を無意識の中でしている。おそらく、いまの子供たちは、そういう“無意識で行く準備をする”という習慣が乏しいのではないだろうか。人間は、本来、いろいろなことを親から学んで身に着けていく。学校に行くという行為も、親とか、兄弟とか、周囲とかから、なんとなく学んで始める行為の一つだ。何となく始めても、人間というのはそれが習慣づけば、なんとなくそれを繰り返す。特に、他に特別“夢中になること”がなければ、そうなっていく。つまり、子供が“独りでも楽しい時間”を多く持ち、学校へは朝起きてから準備することなく行ける状態になっていると、かえって“習慣”として身に付きにくい。早い話“独りの楽しい時間”が無くなって、習慣として、朝起きたら“学校に行く用意”を自然に行ってしまうような習慣が身に付いていれば、自然と不登校にはならないのではないだろうか。

「ネパールが世界で認められることが嬉しい」

2024-05-23
エベレストという山が“世界一の高さ”であることは誰でも知っている。では、その世界一の高さの山に何度、登頂すれば“世界一”になれるのか……カミ・リタ氏(54歳)は“世界一”をまたもや更新したことで受けたインタビューで「わたしの登頂によってネパール人が世界で認められることが嬉しい」と語っている。自分の記録が…というよりも、ネパール人そのものの存在が評価されることが嬉しいというのだ。われわれはなかなか“そういう感覚”にはなれない。たぶん、それは日本人を“同胞”とは思っても、そこまで“一体化した存在”として意識していないためだ。われわれが同じような感覚を抱くのは、たとえばオリンピックに出場して“金メダル”を得たようなときだろう。特に大昔、日本人が初めて“金メダル”を得たようなときであれば、そういう感覚を得ていたのかもしれない。そういえば、われわれは「ネパール」という国を、知ってはいるし、そこがエベレストのある国だということも、なんとなくは知っているが、その時「ネパール人の顔」は出て来ないのだ。それくらい、世界の人々にとってネパール人は存在感が薄い。だからこそ、彼は「存在が評価されること」という表現を使った。何しろ、彼は54歳だが8848mの山に30回も登頂したのだ。これは、そう簡単に破られる記録ではない。もちろん、自己が持っていた記録を塗り替えての30回だった。彼が自分の記録というよりも「ネパール人の存在」という表現を取っているのは、彼が“登山ガイド”を多く輩出している“シェルパ族”の出身だからだ。つまり、より正しく言えば「シェルパ族が認められることが嬉しい」ということなのだ。確かに、ヒマラヤのふもとで育ち、幼い頃から身近に親しんでいるエベレストは“庭のようなもの”なのに違いない。だから、そういう自分たちの民族の誇らしいところを「世界が改めて評価する」ことが嬉しいのだ。実はネパールには60以上の民族がいる。シェルパ族はその一つに過ぎない。山岳地帯が国土の64%を占めている国は、シェルパ族がリードしていかなければならないのだ。

「広告付きハガキ&封筒」なら値上げは不要⁉

2024-05-22
年々ハガキや郵便を使う人が減少し、それに伴なって「郵便料金値上げ」を行うという。そのこと自体に関しては、おそらく多くの人が了解してくれることだろう。但し、今回の値上げは、そのアップ率が少し高すぎるような感じを受けるのは、わたしだけなのだろうか。ハガキは63円が85円に、封書は84円が110円に変わるのだという。もちろん現代は昔と違って、さまざまなものがネット経由で行われる。ネット上のメールは実質的に“無料”のようなものだから、ハガキや封書を使う人が減っていくのは当然のことだし、紙代なども値上げしているのだから、ハガキや封書の料金も値上げして悪いわけではない。ただ、どう考えても、そのアップ率は少し急上昇過ぎるのではないか。赤字事業だから、このくらい上げないと黒字にならない、ということなのかもしれないが、ハガキとか封書とかいうのは、実質的にさまざまな理由から使用し続けている人達が多い。これがハガキや封書の利用が、企業中心で個人間でのやりとりは死滅しているというなら、それはそれで仕方がないのだが、実際にはまだまだ“それがなければ困る”人達も多い。たとえばネットが使えない人たちもいる。スマホや携帯電話は持っていても、或いはパソコンは持っていても「メールを打つことはできない」という高齢者の人たちがたくさんいる。九州に居る姉は、最初から文字送信を嫌って、手書きの封書やハガキで送ってくる。年齢的に若い人たちは総じて、長い文章を書かないので、メールやラインの方が手間取らなくて良いと思うのかもしれないが、どちらかというと“長文型の人”は、メールよりも手書きで書く方を好んだりもする。もっとも、近年は不要なダイレクトメールとか、広告ハガキも多いから、そういう点では高い料金に変わることで、それらが減って良いという部分があるかもしれない。ただ、先日も高齢者の男性から、わたしの本に対しての感想を受け取った。彼はスマホを持っているが、連絡は電話だし、感想文などは手紙の中に記す。そういう人たちのことも考えると、正月の年賀ハガキのように、広告を入れて、その分料金を安くするという方法もあるのではないだろうか。封書の場合も、封筒そのものを“広告入り封筒”に全面的に変えてしまえば、或いは広告入り便せんに変えてしまえば、もっと安くする方法はあるような気がしてならない。 « Older Entries