6月, 2024年

「葬儀場で蘇る」とコントのようで後味が悪い

2024-06-12
アメリカのネブラスカ州にあるホスピスから、死亡したとして葬儀場へと運ばれたコンスタンス・グランツ氏(74歳)の遺体が、葬儀業者の手に渡って死後処理を施そうとしたとき「まだ息がある」ということに業者が気付いて連絡、病院へと緊急搬送されたらしい。時々、こういう話が伝わってくる。人の生命力というのは奇妙なもので、いったん、その時期に“死ぬ”はずだったものが、何らかの理由から「仮死状態から蘇える」よう……つまり、あちらの世界から「まだ、来なくて良いよ」と押し戻されるようなケースがときおり見受けられる。あっちの世界は、それで良いかもしれないが、こっちの世界としては「だって、死んだじゃない‼」ということで、いろいろ手続き的なものも済ませてしまっていたりすると、妙に気恥ずかしい。たとえば保険会社に連絡して、保険金が下りる手続きがなされているような場合、本人が急に「俺、死んでいないんだけど…」とか電話してきたら、怖いでしょう。それ、申し込んだ家族も「いや、実は死んでいたはずなんですが…」って説明するのも、ちょっと難しいし……。年金とかストップされたら、もう「まだなんですけど…」って言っても「ダメ、ダメ、不正は受け付けないよ、そんな判り切った嘘つくんじゃないよ」って諭されたりして……。どうもバツの悪いこと、極まりない。何しろ、葬式も済ませてるから、近所の人たちも「似た人がいるもんだな⁉」って、似た人じゃなくって、本人なのッて、いくら説明しても怪訝な顔をされるだけで、やっぱり、ここは、殺すときはしっかり殺してくれないと、その後が大変なんだからって、そういう集まりがあった時に話したんですよって、どこの集まり⁉ 大体、本人だって覚悟してたのに、向こうに行ってからの予定だって、ちゃんと組んでたのに、この不始末はどうしてくれるんだよ‼って、あの人、嘆いていたみたいですよ。

「近隣住民」は、そんなに「王様」だろうか⁉

2024-06-11
東京都の国立市で積水ハウスが建築中だった分譲マンションが、既に九割方完成していたのに、今月4日に建設中止になり、解体することが決った。建設中に何か不備が見つかったとかいう話ではない。近隣住民たちの「景観を損ねる」という意見が通っての建設中止なのだ。これが国立市の“条例違反”とか“規制違反”とか言うなら話は解かるが、そうではなくて、あくまでも「景観への影響を配慮しなかった」という理由からの中止・解体なのだ。もし、これがまだ半分程度の完成度なら、それも仕方がないなと思うが、既に9割以上完成していて、外観的には“ほぼ完成”の状態にある。外見を観る限り、なかなかシャレた感じの小ぶりなマンションだ。地上10階建ては、決して高層マンションの部類ではない。しかも総8戸入りということで、横幅だって広くはない。つまり、縦にしろ、横にしろ、そんなに景観を邪魔するようなマンションではない。もっとも「富士見通り」と呼ばれる“その通り”の入り口辺りから、これまで見通せていた富士山が、半分視えなくなるのは事実だ。ただ、そういうことって都会のマンション建設ではよくあることで、市の規制違反をしていたならともかく、あくまでも「近隣住民への配慮」が問題だったというのだ。たとえば、これが東京都内で「東京タワーが視えなくなる」とか「スカイツリーが視えなくなる」とか言うような場合、九割方完成している分譲マンションを取り壊したりするだろうか。時代は「景観を変える」というのは歴史が証明している。占いの「風水」では“自然との調和”を何よりも重視するが、そうかといって“時代を無視しての調和”ではなく、あくまでも“時代環境を意識しての調和”ということが重要とされる。大都会ではビルの乱立は当然のことなので、そういう中に在っての高層マンションは、むしろその地域における時代との調和を保っている。逆に田舎では一つだけポツンと高層マンションが建ったなら、それは調和的ではない。今回のマンションの場合、東京都ではあっても大都会とは言えない国立市、だからといって田舎でもない国立市、そこに10階建ての小ぶりなマンションを建てることが「調和」なのか「不調和」なのか判然とはしないが、とにかく九割方完成してから解体するのは、出産直前で新生児を遺棄してしまうような残酷さを私に感じさせる。

「個人情報」より「個人生命」を重視すべき時

2024-06-10
近年はなんでもかんでも“個人情報”ということで、本人の“特定情報”が隠されがちである。それを良いことに、ネット上での誹謗中傷が後を絶たない。それを受けることで、芸能界とかスポーツ界とか政治世界とか、さまざまな分野から“深く傷ついた人たち”が消えて行く。時には“自ら命を絶つ”ような場合さえも起こる。そういうことが何回も繰り返されているが、それでも“個人情報”の壁に阻まれて、なかなか誹謗中傷した本人は検挙されない。昔、各所に防犯カメラを取り付けることに対して、一部から“個人情報保護”の観点からの強い抵抗があった。けれども時代の趨勢がそれを押し切り、いまでは様々な公共の場に防犯カメラがとり付けられ、その結果、多数の犯罪が暴かれるに至っている。少なくとも、人の命は個人情報に優先するという“当たり前のこと”がようやく世間的に行き渡った感が強い。昨日、女優・モデルの齋藤なぎさ氏がSNSでネット上における誹謗中傷に対して悲痛な思いを投稿した。≪わたしも人間なので人格を否定されたり、容姿をあれこれ言われたり、自分の周りまで攻撃されたり、全否定する投稿があったりすると、生きていることが苦しく、息することも辛くなります≫といったような内容だ。彼女はまだ20歳でもっとも感受性が強い時期を抜けきっていない。人は10代半ば~20代半ばくらいにかけ、もっとも感受性が強い。或る程度の年齢になってしまうと、感受性が鈍感になるので、誹謗中傷など受けてもそんなに傷つかないのだが、青春期の女性は特に傷つきやすい。防犯カメラと同じようなSNS上の監視カメラが機能しないと、おそらく誹謗中傷の投稿は後を絶たない。わたしは以前から主張していることだが、ほんとうに誹謗中傷したいなら、本名で堂々と誹謗中傷すればいい。そうすれば、それに対しての反論も本名で返ってくるはずで、SNS上でのやりとりが透明性を持つ。人は陰に隠れていろいろ言うが、意外と真正面切っては言って来ないものだ。真正面切ってでも言ってくる場合は、それに対して真正面切って反論すればいい。そういう社会になれば、少なくとも「イジメ」などの問題も半減していくことだろう。

経済が変動する時、社会に「暴動」起こる証明

2024-06-09
どうも最近の“世の中”は物騒でいけない。やっぱり“平和の国”が良いよなぁって欧州のニュースを観ていて思う。6月7日、デンマークでは欧州でも実力者として呼び声が高いフレデリクセン首相がコペンハーゲンの路上で暴漢に襲われた。さいわい怪我はたいしたことがなかったらしいが、次期EU大統領とも言われる若き人物への襲撃はEU各国にショックを与えている。じつは欧州の政治家が襲われることは稀ではない。5月15日にはスロバキアのフィツオ首相が首都郊外で銃撃を受け重傷を負った。5月3日にはドイツ社会民主党のマティアス・エッケ議員が若者4人から暴行を受け手術が必要な重傷を負った。6月4日にも「ドイツのための選択肢」に属する議員が路上でナイフを持つ男に刺された。なんと「ドイツのための選択肢」という政党は狙われやすいのか、2023年だけで議員への暴行が86件も報告されている。もう一つの「90年連合・緑の党」議員も狙われやすく、62件の暴行行為が報告されている。ドイツ人というのはそんなに暴力的なのか。確かに、ここにきてドイツは国内情勢が不安定だ。欧州の中でもロシアに近いドイツは、いろいろな意味でロシアの影響を受けている。どうしても、そういう人たちが「国」を“一つの纏まり”として認めないような部分があるのだ。近年まで、比較的それが抑えられていたのは、経済的に安定していたからだ。ところがここにきて急速に“その部分”にほころびが出て来ている。欧州の中でもそのインフレ率は極端に高かった。それに、ガザ戦争の影響、ウクライナ戦争の影響も身近に感じられて、人々の暮らしも殺気立っている。最近の“インフレ”は世界的な傾向だが、われわれが意識しやすいアメリカよりも、実は欧州の方がその問題に対しては頭を抱えている。なぜならアメリカのように財政が豊かではないからだ。日本と欧州とは、こと“経済的な成長率”という点ではそんなに変わらない。もちろん日本の方が劣っているのだが、意外と欧州もイタリアとかドイツとか決して経済が順調とは言えない国も出て来ている。したがって、特に個々の主義主張が強い欧州の人たちをまとめるのは、日本人のように比較的主義主張が少ない人種よりも難しいのだ。だから、日本もいろいろと問題山積みで政府の支持率も低いが、それでも「やっぱり日本は平和で好いなあ」と感じるのは、わたしだけであろうか。

知っていますか「59人」都知事選立候補予定⁉

2024-06-08
わたしのように度近眼だと、よほど近づかないと「顔」が判らない。ましてや選挙ポスターって、ふだんの特徴が表れにくいような写真が多くて困ってしまいそう。でも、安心してください。わたしは都民ではなかった。だから選挙関係ないじゃん。とはいうものの、やっぱり、都知事選ってどうしてそんなに立候補者が多いのか、気にはなりますよね。何しろ、既に立候補を表明している人だけで30人以上も居るのですよ。多過ぎません⁉ 何でもそうですが、多過ぎると迷ってしまう。当然のことです。それで、つい全然関係ない人の名前を書いてしまったりして……お恥ずかしい。まあ30人でも多いんだけど、実際にはもっと多くなることが確実です。何しろ立候補に必要な書類を提出している人だけで、現状、59名に達するのだとか…。そこでいちばん困っているのが選挙ポスターを貼るボード版の設置作業らしい。現状、枠を少し多めに見積もって「48名まではギリギリ貼れるようになっている」らしい。やはり、これは「AKB作戦」と呼ぶのだろうか。だけど、もし59名にまで増えたらどうするのって、そんなこと知りません。少なくとも間に合いません。まあ“重ね貼り”っていうのはどうでしょうか。ダメ、それじゃ、届け出順で“早い者勝ち”っていうのはどうでしょうか。ダメ、選挙の公平性に欠く……なるほど、ごもっともな御意見で……ワカリマシタ……デジタルの時代です。もう紙のポスターなんてチンケなことを言ってないで、デジタル表示の掲示板にして、次々顔が浮き上がっては消えて行く方式を採用しませんか。それだと大きく表示できるし、それぞれの特徴なんかも“浮き上がらせ”たり“目立たせたり”出来て、印象に残りやすいんとちゃうの⁉ それにデジタルに切り替えれば、5秒間隔くらいにすれば、本人が自分で党名と名前を言いきることが出来る。その方が一人一人を憶えられるから、選挙カーで廻らなくってもみんなに憶えてももらえると思うな。だいたい選挙カーで廻るのって、そんなにたくさん立候補したら交通の妨げになっちゃうんじゃあないの。それぞれが選挙妨害をしようとしていなくても、自然に聴き取りづらくなって、要するに何を言いたいのか解かんなくなっちゃうんと違います⁉ 何となく無駄なことが多すぎるって感じるのは、ワイだけなんやろか⁉

ネットは使い方しだい⁉「天使」か「悪魔」か

2024-06-07
アマゾンの奥地で暮らすマルボ族にとって、インターネットの接続が良かったことより、悪かったことの方が多い…との結論に至りそうだ。2023年9月まで、ブラジルのアマゾン奥地の熱帯雨林地帯に暮らすマルボ族にはインターネット環境がなかった。衛星によるインターネットサービスというものが出来たせいで、アマゾンの奥地であっても“ネット環境”を手に入れることが可能となった。問題はアマゾン奥地での暮らし方が、当然の話だが、われわれ文明社会に暮らす人たちとは相当に違っている、ということにある。或る意味では熱帯雨林地域での暮らし方は、長老を中心としたまとまりがなければ、成り立たないようになっている。文明地域で生きている人のような“楽な暮らし方”は出来ない。それなのに、インターネットが繋がったことによって、若者たちは“さまざまな欲望”に目覚めてしまった。特に問題なのは、働き手の多くが「ポルノ中毒になってしまったこと」であるらしい。働かず、一日中、ポルノを見ていたのではここでの生活が成り立たない。結局、長老たちは会議を開き、今後はインターネットに制限を設けて、特に夕方以降と日曜日はネットに繋がらないよう変えてしまうそうだ。もちろん蛇に噛まれたりしたとき、すぐ当局に連絡を入れて助かった命もある。だから、ネットのすべてがダメだとは思わない。けれども、元々は「慎み深かったわれわれ」がネットの“ポルノ動画”をマネしたり、試してみたがる傾向が出て来ている。アマゾン奥地の暮らしには、自分たち特有の暮らし方がある。総じて大人たちは批判的だが若者たちにとっては“新たな世界”が広がったことは間違いがない。実際、動画を見て都会にでて医療を学びたいとか、外国を旅してまわりたい、とか夢を語る若者たちも出て来た。結局、まだまだ存在する未開文明の地域においては、溢れる情報をどう選択してマルボ族の暮らしにもプラス作用にしていけるか、ということなのだろう。彼らにとっての「文明」はいま始まったばかりなのだ。

「水原一平」の“ワル”に相応しい「大仁田厚」

2024-06-06
わたしがTVドラマのプロデューサーなら、迷わず“水原一平役”には俳優ではないが大仁田厚氏を使う。もちろん大仁田厚氏はプロレスラーで政治家でもあるが、役者的な要素がいっぱいだし、怪しい部分ももって居るし、なんとなく“暗い情熱”というものを、その背中から感じさせる。もちろん水原一平は大谷翔平氏の元通訳で、許されざる犯罪を犯した。だが、その生き方には妙にドラマチックなところがあり、それがアメリカの敏腕プロデューサーを動かしたのだろう。アメリカのTVでドラマ化されることが早くも決定しているらしい。もちろん、ドラマ化には大金が動くはずで、とてつもない借金を抱えることになった水原一平は“それ”を拒否するはずがない。大谷氏の方はプライベートを晒されるのは好まないはずで、おそらく水原一平の物語だが、実名を伏せるような形で“完全ドラマ化”するならOKを出すのではないだろうか。さて、問題は誰を“水原一平役”とするか、誰を“大谷翔平役”とするか、それらの部分に絞られる。この場合、大リーグの選手としてしまうと、すぐ大谷翔平の名が思い浮かぶので、わたしなら今アメリカで活躍している“プロレスラーの通訳”という形にする。そうすれば或る程度時間も自由になり、一緒に行動して移動しても、不自然ではない。そして、そのアメリカで活躍しているプロレスラーという設定では現新日本プロレスの社長である棚橋弘至氏に出演してもらう。そうすれば違和感は少ない。棚橋氏はかつて“覆面プロレスラー役”での映画出演の実績がある。そして問題の“水原一平役”として適任なのは大仁田厚氏だ。彼は、まず何よりも、その風貌が水原一平に似ている。少し小柄で年齢も違いすぎるのが難点だが“暗い情熱”と眼光の鋭さはどうしても必要な役柄で、もう一つアメリカ在住経験がどうしても必要だ。大仁田厚氏は武者修行時代にも、それ以降にも、何度もアメリカにわたっていて、その在住経験者特有の雰囲気も身に付いている。それに、どこかに“人間的魅力”もある。このドラマは“どうしようもないワル”なのだが、それでいて人間性もあるというか、奇妙な魅力ももって居なければならない。そして何より“どす黒い野望の持ち主”であることも必要なのだ。もし、大仁田厚氏を「水原一平役」としてドラマ化することが出来れば、間違いなく世界に配信しても大ヒットするに違いない。

「一人娘への溺愛」が「首狩り殺人鬼」を生む

2024-06-05
昨年、世間を騒がせた「ススキノの首狩り殺人」の公判が始まった。容疑者・田村瑠奈の母親が証言台に立ち、さまざまな事実を語った。それらから推測するに、殺人ほう助の父親も含めて、この三人家族の在り方は、明らかに異様だった。或る意味で、父親は精神科医であったが故、自らの家庭を“実験現場”のような認識を持っていて、精神異常者(瑠奈容疑者)を“救う”には何が必要なのか、どうするのが正しいのか、試していたような節も窺われる。そうでなければ、引き篭もりの娘を「お嬢さん」と奉り、自分たちが“運転手”や“風俗嬢”など蔑まれた“奴隷的な扱い”を甘んじて受け入れるはずがない。父親は精神科医として、娘に“全幅の愛情”を捧げることで、いつか娘が“まともな状態”へと立ち直っていくか…の期待を抱いていたのではないだろうか。瑠奈容疑者は「多重人格的要素がある」とも言われているが、それも、もしかしたら、父親の方が“そういう方向”へと無意識に仕向けた可能性はないのか。そうすることで、或る意味では、甘やかしすぎて不登校から引き籠もりにいたり、さらにはわがまま放題となって“お姫様状態”の暮らしを助長させていったことへの言い訳にしていたような節も窺われる。これは、だから、或る意味では多くの“引き籠もり状態”を続けている子供を持つ親たちへの警告でもある。やはりというか、あまりの放置状態、加えて、あまりのわがまま状態を“世間から目隠し”してはならないのだ。なぜなら、そうすればするほど、本人は「ありのままで良い」という歌のような錯覚を持つ。あの歌は危険なのだ。ほんとうにありのままで良いのは、社会生活を健全に送っている人達のことだ。健全に社会生活を送れていない人たちが“ありのまま”で良いはずがない。幼少期とか、青春期とかの引き籠もりは、或る意味では仕方がない場合もある。また身体に欠陥がある場合にも、仕方がない場合もある。けれども、心身とも本来は“正常”である場合、社会に“居場所を見いだせない”のは、本人の方にも何らかの問題はある。そういう認識がなければ、いつまでたっても“引き籠もり”からは脱却できない。自分の子供を“異常者”にしないためにも、ありのままで居させてはならない。

海外暮らし「吉・凶」半々と分れる「孤独感」

2024-06-04
外務省に届け出がある海外居住者たちに対してのアンケート調査の結果が報告されている。今回、外務省が調査目的としたのは「孤独感の割合」だ。対象となっているのは129万人だが、そのうちの5万5千人から回答があった。それによると海外生活において孤独を感じている人達は全体では45%くらいで、このうちの7%が「常に感じている」と回答。特にアジアやアフリカより欧州に暮らす人にその割合が高い。ただ、そういう人たちよりも「孤独を感じていない」人の割合の方が52%とやや高い。海外であっても、ほとんど孤独など感じず暮らしている人が半数以上のようだ。この調査は外務省が実施した海外居住者を対象としたものだが、わたしには何となく、地方から東京など「都会に出てきた人たち」を対象として行っても、似たような数字になるのではないか、という気がした。地方から東京に出て行けば、完全な標準語でない限り、その言葉の違いというのは微妙に周りとの距離感を作る。もちろん性格的に“そういうこと”を気にしない人なら、スムーズに周囲に打ち解けていくことが出来る。結局、海外であっても、国内であっても、孤独を感じるかどうかは“言葉”よりも“性格”の方が大きく影響しているような気がする。なぜなら、同じ外国でも、欧州に暮らしている人達の方が、アフリカに暮らしている人達よりも“孤独”を強く感じているからだ。もし、言葉の問題だけなら、アフリカの方が壁が大きいはずなのだ。人は言葉や会話だけで、周囲に打ち解けていくのではない。何となくの“考え方の違い”や“暮らし方の違い”に孤独感を噛みしめることもある。仕事や勉強などで仕方なく海外での暮らしをしている方と、自ら「日本」を飛び出すような形で出て行った方とでも、おのずと違いはありそうだ。自ら飛び出していく場合には、それなりの覚悟も居るし、帰る場所を持たない場合も多い。そういう場合には、新たな場所や暮らしに溶け込んでいく以外にはない。自分を“そこ”に合わせて行く以外にないのだ。或る意味では、帰る場所を持っていて、いつでも帰ろうと思えば帰れる状態にある方が、より“そこ”に溶け込んでいくことの難しさを感じて、孤独な気持ちから抜けきれないのかもしれない。

95歳で「世界新が三つ」60歳から始めた平泳ぎ

2024-06-03
なんの分野でも“世界新記録”というのは、そうそう打ち建てられるものではない。しかも、この女性は“世界新”を打ち建てた水泳を60歳になってから開始しているのだ。そこがすごい。子供のころからやってきて、その結果として“世界新記録”まで辿り着いたというのではなく、60歳になってから開始して、国内記録はだいぶ前に達成していて、一応、そこで“終わり”のはずだったのだが、そのためいったん止めていたのだが、どういうものが5年のブランクを経過しているのに「こんどは世界記録に挑戦したい」となったらしい。そこで、改めて水泳を開始して、あっという間に「世界記録達成」ということとなった。時々、こういう“余生”ともいうべき頃になって、ぐんぐん力を発揮していく人たちがいる。木村悦子氏は95歳で一人暮らしだが、炊事も洗濯も掃除も、すべて一人でやっていて、人の助けを借りるということがない。だからこそ、自然に体力がつき、ブランクがあっても力が衰えなかったのだろう。そういう意味では基礎体力を保ち続ける意味では、家事全般というのは有効な手段と言えるのかもしれない。今回の記録は平泳ぎの部門で50m、100m、200mの三種目だ。まあ、考えてみれば、記録は関係なく95歳で200m泳ぎ切れるということ自体がすごい。若い頃から、経済的な理由で、毎日、仕事を掛け持ちで頑張り続けていたらしい。おそらく、そのことも、基礎体力が保ち続けて居られた理由かもしれない。だから、そういう意味では、子供時代も大人になってからも貧乏の中で育つというのは、或る意味で“基礎体力を高める環境”を与えられていた…ということで、人間、何がプラスになるかわからないものなのだ。おそらく、どんなに恵まれた環境でスポーツの王道を歩んだ人であっても、高齢になっていくと、基礎体力が落ちて記録を伸ばすことなどは出来ないだろう。彼女は環境に恵まれずに、90代まで来てしまったことが、結果的に体力を失わずにいられた一番の理由となった。だから、何ごとも“環境のせい”などという理由は“ごまかし”に過ぎない。どういう環境からだって、素質と根性のある人は伸びていくのだ。

「惑星回帰」で、人は「自らの使命」想い出す

2024-06-02
「ひょうきん族」などで人気アナとなった寺田理恵子氏も、もう62歳となっていた。久しぶりのインタビュー記事で、現在は「朗読教室の講師」として活躍しているという。アナウンサーではないか、極めてアナウンサー寄りの仕事だ。その関係の本も出版されていて『日々の名作音読で人生の深みを知る』というエッセイ本も好評らしい。ところが、そんな彼女でも2012年に夫に他界され、いざ働かなければ……となった時、どんな仕事も採用されなかったという。人間の運命というのは、そういうもので、どんなに才能があろうと、過去の立派な履歴があろうと、運勢的に窮地にある時には、仕事を得られない。そこで、彼女はとりあえずつてに頼ってコールセンターのバイトを始めたらしい。それでも、思うような感じでちゃんとした仕事は出来なかったという。そういう中で偶然出逢った放送関係者から声を掛けられ、ラジオ番組に出られるようになった。それから現在につながる朗読教室の講師の仕事依頼もやって来たらしい。人生というのは解からないもので、どこから、どういうつながりで、何に関わるかわからない。ただ、その人に“相応しい役割や仕事”というのは必ずある。それは、本人が諦めることなく、自暴自棄にならず、いろいろ多方面に働きかけていれば、必ず、出逢うことが出来る。神様が与えてくれると言っても良い。これは、結婚相手にしても、そうである。本人が諦めてしまうと、そこで終わってしまうが、諦めなければ、よこしまな心を持たなければ、必ず“佳い出逢い”というものは生まれる。特に、わたしが「惑星回帰」と呼んでいるトランジット惑星が、出生時の同一惑星に対してアスペクトするとき、それも、ひとつの惑星だけでなく、いくつもの惑星がアスペクトするとき、そういう現象が生まれやすい。たとえば寺田氏の場合、現在トランジットの木星が木星に120度、天王星が天王星に90度、冥王星が冥王星に144度、ドラゴンヘッドがドラゴンヘッドに135度…と多数の惑星が同一惑星にアスペクトしている。正確に言えば「回帰」ではないが、同時に多数の惑星が自らの惑星にアスペクトするとき、人は自らの「使命」に目覚める。改めて目覚めると言った方が良い。そうして、自分が“生きている意味”を見出すのだ。

2024年6月の運勢

2024-06-01
« Older Entries