6月, 2024年

「金運」と「収入」とは“別物”と解るMJの負債

2024-06-30
2009年に謎の心停止により50歳で死去したマイケル・ジャクソン氏だが、いまだ法廷論争が続いているようで、彼は死の直前に800億円以上の負債を抱えていて、それを清算する意味でも生活を一新し“欧州の新たなツアー”に掛ける意欲は旺盛であったと証言されている。美しい宝飾品や美術品に眼のない彼は、手当たりしだいにそれを集めていた。その結果として、途方もない金額が“未払いのまま残っていた”ということらしい。もちろん、彼の収入はけた違いなので、仕事さえ継続していけば十分に返済できたに違いない。ただ、わたしは運命家の観点から、やはり人間の運命には「金運」というものがあって、それは「収入」とイコールではないことを、この話はわれわれに教えてくれる。いや正確に言えば「金運」と「収入」とは大いに関係しているが、ただ収入がいくらあっても“借金しがちな人生”はあるし、逆に収入は乏しくても“預貯金”を保有している人たちは居る。つまり「金運」というのは“暮らしていくためのお金”とは直接的につながってはいないのだ。マイケル・ジャクソン氏の場合、わたしが気になるのは彼が“顔面整形”を繰り返していたことだ。その結果、彼は“細く高く長い鼻”を手に入れた。ところが、この“見た目に美しい鼻”は、実は「金運」という観点から言うと、必ずしも幸運ではない。“気高く美しい人生観”を持っていて、そのためなら借金もいとわないことを物語っている鼻なのだ。したがって、彼がたとえ欧州の“新たなるツアー”を成功させて大金に恵まれても、だからといってすべての借金が無くなって“お金が貯まっていく”ことにはならない。新たなる“お金の消費材料”が必ず出てくるはずなのだ。日本人でも、彼と同じように“細くて高くて長い鼻”に変えたがる人はときどきいる。もし、精神性を必要とする仕事や、伝統とか歴史的な価値ある仕事、美に関連している仕事……そういうような仕事の方であれば、職業的には成功に向かう可能性が大きい。けれども、こと金運という点では、必ずしも恵まれているとは言い難く、オシャレな暮らしにお金が掛かるとか、ブランド品に消費しすぎるとか、高価な美術品を追い求めすぎるとか、実質的な暮らしとはあまり関係ない部分に、お金をかけ借金などしがちな人生を歩むケースが多いから注意しなければならない。

「元夫」の心境が知りたい「15cm足長」逆戻り

2024-06-29
欧米人には“足長の美女”が多い。モデルさんなどがステージを歩いているのを見ると、ほんとうに長いと感じるが、そうはいってもバランスという問題もある。何でもそうだが、バランスがあまりにもとれていないと美しくなくなる。そういう意味でも、元に戻って良かったのではないかと思うのが、ドイツのモデル・テレジア・フィッシャー氏(32歳)だ。彼女は何んと15㎝も肢を長くする骨延長術と呼ばれる手術を2016年と2022年と、二回に分けて受けたのだが、その痛みなどに耐えられず、骨の間に入れたピンを除去する手術を何度も受け、とうとう完全に除去することに成功したようなのだ。それにしても、だれがどう考えても15㎝は長すぎる。元々が身長168㎝であるから、女性はしてはやや長身といえる。もっともドイツ人だと普通か、少し低いくらいなのか……とにかく彼女は183㎝に一時的にはなっていたようだ。ここで一番わからないのは、彼女が肢を長くしようとしたのは、元夫に「肢を延ばしてくれるなら、一生愛する」と言われたからだというのだが、なんと、その夫はもう居ない。いままで掛かった総計8回の手術。約6100万円はどうやって賄ったのか。だれが支払ったのか。本業はモデルだが、彼女の場合は何度も手術しているし、入院期間やリハビリ期間もある。いまも車いす生活だ。その代償はあまりにも大きい。よく韓国などで女優とかモデル志願とかで、肢を長くする手術を行っている…というのは聴いたことがある。そういう人たちはたいていの場合、20歳前後までに行っているようだ。成長期であれば、そして3~4㎝迄であれば、その後の生活にそれほど支障はないと思われる。だが15㎝はどう考えてもムリがある。医師の方もなぜOKしたのか、それも不思議な気がする。医療が日を追って進んでいるのは感じるし、美容整形とか各種手術とかも日ごとに進んではいるかもしれないが、バランス的にも無謀すぎるし、痛みを伴うのは必然と思われる。近年、コスプレの流行もあってアニメの主人公に憧れる女性たちも出て来た。同じような「美」を求めての美容整形も行われつつあるが、バランス的に視て、あまりにも極端なものは「美」以前に“現実社会”というか“日常生活”として無理がある。医療制度として、限界線を決めておかないと、同じような事柄が今後も頻発していくような気がする。

「マンガ雑誌」のような警官と路上生活者の闇

2024-06-28
ときどき漫画雑誌の中に出てくるような事件というのが起こる。今回のJR新宿駅付近で起きた路上生活者の女が警察官をハサミで刺して一時は意識不明の重傷となった事件も、そういう感じのドタバタ劇だ。理由が何だったのか判然としないが、女と警察官は“追いかけっこ”をしていた。おそらく最初は警察官の方が何かで女に対して注意をしたところから始まったのだろう。もしかすると、それで女が怒って立ち向かったのか、或いは警察官が逮捕しようとして詰め寄ったのか、とにかく“追いかけっこ”をしていたことは間違いがない。そして、女がハサミを取り出したとき、警察官は躓いて転倒してしまった。双方のタイミングが良すぎたのだ。そこで、女の方が馬乗りとなって警察官の腹や胸に思いっきりハサミを突き刺していった。こうして、女は警察官を単独では半殺しとしたが、当然すぐに通報され複数の警官たちがやってきて、喚きながらも逮捕されてしまった。この路上生活者の女は、その付近では有名らしく、誰にでも突っかかるというか、気性の激しいところを持っていたようだ。ただ、わたしが解からないのは、どうして、その警察官は単独で彼女と“追っかけっこ”をしたのだろう。通常、警察官は単独で“怪しい人物”に近づくことは禁じられている。必ず二人以上で対応することになっているはずだ。相手が女性だったので、少し甘く見たのだろうか。もう一つはハサミに殺傷能力があるということ、腹部や胸に重傷を負ったというから、相当な力で突き刺したと思われる。そういう使い方を初めて知った。彼女は捕まったのだが、それは「罪と罰」を与えることになるのだろうか。殺人未遂の彼女は、これで相当長い期間を刑務所内で暮らすことになる。路上生活者にとって、三食付きの独房は“ホテル”のように感じられないだろうか。教訓として、今後は警察官たちは“危ない女”には用心して必ず二人以上で注意をするよう改善されるのではないだろうか。

「妄想神社」は「奉納・寄進・お布施」全てOK

2024-06-27
タレントで実業家のおかもとまり氏が26日、自ら「宗教団体を設立した」と宣言した。その名称は「まりまり宗教」だそうで、本気なのか、冗談なのか、よく解からないような宣言文を寄稿している。彼女曰く、我が息子を守り抜いていくための守護神的な宗教だそうで、それなら勝手にやっていれば良さそうなものだが、わざわざSNS上で“宣言”をするところが、いまふうで面白いと言えば面白い。ただ、設立宣言文の中身の中で「お布施などは一切受け取らない」とも宣言しているのだが、宗教団体って、それなくして成立できるのだろうかと、ふと思った。そういう風に考えると、わたしなども、この春『こっそり妄想神社にお参りしなさい』という本を出しているのだから、考えようによっては神社を設立したのと同様ではないか。或る意味では、彼女なんかよりももっと具体的に妄想神社の中身について詳述している。また、その神社にお参りすることによって「願いが叶う」ことを解説している。そうだったのだ。何のことはない、わたしはこの春に神社を創設して、新しい宗教団体を設立していたのだった。ここで誤解を生んではいけない。わたしが設立した「妄想神社」では、奉納、寄進、お布施……なんでもOKで、否むということがない。すべてはありがたく受け入れ、皆々さまのために霊験ある神社を開放し、その願いを叶えてあげるため、日々妄想の世界の中で働いているのではなかったか。これが“無料奉仕”であって良いわけがない。むしろ、もろもろの先輩神様たちから“お叱り”を受けるではないか。だから、わたしの方の「妄想神社」では「まりまり宗教」とは違って、どちらかといえば“こっそり”お参りしてほしいのだが、けれども奉納とか寄進とか御布施とかは大歓迎で、決して嫌がるようなことはなく、むしろ進んで受け取ろうとする“さもしい神様”であったということを書き忘れていたので、ぜひ、ぜひ、心ある皆さまにご理解いただいて、ものぐさな人には特に、忙しくて神社には行けない人にも、妄想神社に来ていただいて、その“お志”を分け与えていただくことが出来れば、神様と私と二人、ありがたく、ありがたく、それを受け入れ日々“願いが叶う”ようお手伝いすることを、誓うのかな⁉

アムステルダム警察は「表彰物の警察署」か⁉

2024-06-26
「♬ボロは着てても心は錦…」という歌が昔あったが、ときどき、そういうことを思わせる心温まるニュースが飛び込んでくる。人間、一年半以上ものあいだ“路上生活”を送っていれば、通常は心がすさむ。けれども、中にはそうならない“清廉潔白な人物”もいる。アムステルダム中央駅で、とりあえずの金銭獲得方法として空のペットボトルを集めて換金して生活しているホームレスのハジェル・アルアリ氏は駅構内でペットボトルを回収していた時、置き忘れたままになっていた財布を見つけ中を確認したが、本人を特定できるようなものがなかったため、それをそのまま駅に近い警察へと届けた。警察が改めて中を確認すると2000ユーロ(約34万円)が入っていたが証明書的なものがなく、一年間保管して、持ち主が現れるのを待ち、もし現れなければ、届け出たアルアリ氏に手渡すことになった。その調書を取っていて、警察官は彼が路上生活者と知ったが、届け出てくれたことに感謝し、すぐさま市民を顕彰する「銀の親指賞」を与えることにした。これは社会的に貢献してくれた市民を対象として、表彰状と共に50ユーロ(約8600円)相当の商品券を渡す決まりとなっている。こうして、アルアリ氏は、路上生活者としては破格の報酬を受け取ったことになる。わたしがこの話で感心するのは、もちろん、路上生活になっても、落し物はきちんと届け出る…という立派な精神もそうなのだが、それ以上に、そういう人物からの届け出に対して、すぐに機転を利かして「名誉市民」としての称号を与えて、当面の生活費に役立つに違いない商品券を“お礼”として与えたアムステルダム警察の人情部分にある。果たして、日本の場合、仮にこういうことと同じような事柄が起こった場合、警察官は機転を利かせて“何らかの賞”を与えるとか、それに付随した商品券を与えるとか、出来るだろうか。おそらく手続き的にも面倒な日本の警察署では難しいだろう。いや、手続き上の問題だけでなく、そういう発想そのものをしないのではないだろうか。路上生活者であっても、同様な市民として扱うという“その時点”で難しいような気がするのはわたしだけであろうか。

デヴィ夫人“名誉のため⁉刑事&民事で「提訴」

2024-06-25
デヴィ夫人というのは現在84歳ということだが、まだまだ血気が盛んなようで、このほど週刊文春の記事を“名誉棄損”として既に「刑事」の方では提訴しているのだが、それでは飽き足らないらしく「民事」の方でも提訴に踏み切ったという。この方は育ちは決して良くないのだが、努力して銀座の華となり、インドネシアの大統領夫人にまでなった人だ。ただ昔からいろいろトラブルの絶えない人としても知られている。人間の運命というのは面白いもので、どんなに社会的に成功しても、その人の性格はあまり変わらないし、人生上に表われて来る“出来事”も基本的には大きく違わない。ということで、この人の場合には、名誉もたくさん授かったし、経済的にも恵まれたが、それでいて金銭トラブルのようなものはいつまでも付いて回っている。今回の提訴内容は週刊誌に本意ではないことが書かれていて、深く名誉が傷つき、それを謝罪してもらうための提訴であるらしく、同時に慰謝料としても双方の提訴それぞれ6600万円を請求している。わたしはその週刊誌記事も読んでいないし、提訴の中身もよく解からない。ただハッキリしていることは、この人は何でも白黒つけなければ気の済まない人だなということ。どういう場合でも金銭要求の激しい人だなということ。そして何よりもプライドが高く、傷ついたままでは死んでも死にきれないような想いを抱いているに違いない、ということだ。この“勝気さ”というか“プライドの高さ”というか、これこそが正に彼女を「世界のデヴィ夫人」に押し上げたに違いない。まあ、そういう意味では“特徴ある性格”というのは、社会的に成功するための一つの“有力な武器”であることが解かる。それに彼女はもう84歳なのであるが、その外貌も体力も気力もまだまだ若い。人間、衰えて来ると“闘う”という意識がまず薄れてくる。そういう意味からいえば、この人はまだまだ“若く”“活き活きとして”人生を歩んでいるのだな…と感じられ、或る意味では素晴らしいことであると、改めてそう思うのだった。

「人気急落」気になる「小指の短さ&曲がり」

2024-06-24
「手相」というと、ほとんどの人は掌を差し出さなければ判断できないと思っているようだが、ちょっとした仕草などでも“手指の特徴”は判断することが出来る。わたしが気になっていたのはCMに出てくる田中みな実氏の“小指の短さと曲がり”だった。小指というのは、曲がるとか捻じれるとか傾くとか“奇形になりやすい指”である。そして「小指」というくらいで“子供運”と関係が深い。だが女性たちの場合には、子供運の前に“男性運・結婚運”とも関係が深い。総じて小指に何らかの支障を持っている場合、その結婚運や子供運、さらには晩年運や金運にも、何らかの問題が浮上しやすい。そういう意味で、わたしは田中みな実氏の“特異な小指”が気になっていたのだった。だが、いまや彼女はタレントと女優の二刀流で人気の頂点にある……と思っていたのだが、実はそうでもないらしい。確かに3年ほど前には絶大なる人気を誇っていたようだが、その後、急速に人気が下降し「すでに賞味期限切れ」という評価が芸能界では囁かれているらしい。2019年末に出した写真集は爆発的に売れ、一か月で50万部を売り切った。女性からも男性からも支持者が多かった。ところが、ここにきて急速に人気が凋落しているのは“亀梨和也氏との熱愛説”が急浮上し、結婚説まで囁かれているのがいちばんの理由らしい。つまり「みんなのみな実」から「亀だけのみな実」に変わってしまったことで、彼女を慕っていた人達が離れていったというのだ。それと入れ替わる形で今や“美容番長”はMEGUMI氏に変わった…とも言われている。確かに、女優としてもタレントとしても最近はMEGUMI氏の躍進が著しい。田中みな実氏の弱点は女優としてはいま一つ確かな成長が感じられないことだ。面白い演技はするが、ほんとうにその役柄に入り切っての演技かといえば疑問が生ずる。そういう演技が多い。言ってみれば役者としての基礎を持たず入り込んでしまっただけに、果たして今後も女優として継続できるか疑問視する声が多い。「みんなのみな実」で居ればファンは継続するが、そうでなくなった時ファンが離れていくタイプの芸能人は、特に小指が短いか変形している人は“恋愛・結婚”は不吉なキーワードなのかもしれない。

財務省&警察庁「顔が斜めに」新紙幣サギ注意

2024-06-23
財務省と検察庁とが注意喚起を呼び掛けているのが「新紙幣サギ」についてだ。一部SNSで「古い紙幣が使えなくなる」という噂が広まっているのだという。もちろん、そんなことはない。けれども、なんとなく「そうなのかな⁉」という気にさせる噂ではある。だから、高齢者などがそう思って振り込め詐欺集団に狙われないとも限らない。特に自宅金庫とか、タンス預金とか、そういう形で現金を保有しているような場合「旧紙幣が使えなくなるので、新紙幣と交換しますから振り込んでください」などといわれると、それに従ってしまいそうな可能性がある。それを予防するための注意喚起だ。新紙幣は7月3日から発行されるらしいが、今回の紙幣は偽造が難しいように、いくつもの仕掛けが施されているらしい。その一つに浮き上がる顔が、なんと紙幣を斜めにすると正面向きから斜め向きに“顔を変えていく”ように出来ている。これでは偽造は難しそうだ。ただ一つ私が気になったことがある。5千円札の津田梅子氏の顔なのだが、おそらくこれはある程度の地位を得てからの顔だと思われるのだが、髪型のせいもあって、あまり女性らしくない。もう少し若い時の“女性らしい顔立ち”の時を使ってあげられないものだろうか。「日本を代表する顔」となるわけで、日本女性の“美しさ”的なものも外国に示してあげた方が良いような気がするのは、わたしだけなのであろうか。今回、一万円札に登場する渋沢栄一氏は、さまざまな事業を起こした人物で、そういう人物が紙幣に登場するのは、今後の「日本」が世界においても“さまざまな事業”を主導していく予兆を含んでいるようで、それは大変に良い。世界的な貨幣価値から言って日本の「一万円」の価値が上がるか、下がるかは、新紙幣に握られているような気がしないでもない。そして津田梅子氏のように、女性で“世界をリードしていくような女性”が日本から誕生していくような“そういう予感”は正直あまりしないが、もしかすると“女性だけど女性に視えない”ようなタイプの方が、世界に大きく飛翔していく予兆なのかもしれない。

全員「4女性」なのに「父親誕生」の不思議⁉

2024-06-22
最近は“こんがらかる話”というのがときどきある。裁判関係は特にそうだ。今回の裁判は東京地裁では長女、次女とも「父親にあらず」という判決が下され、東京高裁ではその“出産”が「性別変更前だった」という理由から、長女のみ「父親になれる」という判決が下され、今回の最高裁では長女、次女とも、時代的な変化を取り入れ「父親になれる」という判決となった。その結果、実に奇妙な家族関係が実際には誕生した。つまり、父親も女性で、母親も女性で、長女、次女も当然「女性」なので、法律的には4人とも女性だが「ふつうの家族」として認められ、男性は存在しないが“父親”は現存している……という“ややこしい関係”となったのだ。この家族で、不可思議なところは、ふたりの児が共に“凍結精子”を用いて妊娠・出産した子供達だということだ。したがって、実質的な“性交なき子供達”だということになる。夫側は当初から“それ”を意識して“凍結精子”し、そののち“性別変更”に向かったと思われる。妻側はどうだったのかハッキリしていないが、おそらく、夫の意思を尊重して、当初から“女になる”ことを見越したうえで正式入籍し、夫に対して協力していったと思われる。そうでなければ、同じパートナーで“性別変更”を挟んで長女を産み、次女を産み出来るはずがない。したがって、そういうことを考えると、実に長期的な計画をもって、精子凍結し、入籍し、妊娠・出産し、性別変更し、また妊娠・出産しという経過を辿ったことになる。通常なら、第一子を誕生させた時点で、性別変更したのだから「三人家族で…」となりそうなものだが、そうはならないで「もうひとり…」となったところが、この家族の不思議なところだ。おそらく、それだけ“ふつうの家族構成”を望んだということなのだろう。とはいうものの“性別変更”をした時点で“ふつうの家族”とは言い難い。何よりも妻側の方が、身内親戚などからの“質問攻勢”とか“疑惑干渉”とかを受けやすい。そういう点を考えると、この妻女性はそうとうに強い意志をもって難局を乗り切ってきたはずで、どういう方かは知らないが、とりあえず、この女性に拍手を送りたくなる。

「N党」はもはや「法律の眼をかいくぐる党」⁉

2024-06-21
わたしが都知事選の立候補者数が多くなりすぎてポスター掲示板を「どうするのだろう」と心配した内容を書いたのは6月8日だが、昨日になってその心配が“変な形”で具体化しつつある。なにかと“お騒がせ”が多い「NHKから国民を守る党」(通称「N党」)では、今回の選挙に24名を立候補させるらしい。それは良いとして、そのポスター枠に対して“候補者の顔写真”を貼るのではなく、どうも“それぞれの主張”とか“へんてこりんな写真”とか貼っていく方針らしい。報道によると、何を貼るかは法律的には自由らしく、必ずしも「顔写真」と限定しているモノではないのだという。それにしても、都知事をめざそうという人のまともな発想ではない。「N党」を率いる立花孝志氏は、初期の頃には“政治改革意識”があったのかもしれないが、ガーシー候補を担ぎ出したころから“おかしくなってきて”今やまともに政治と向き合っているような感じがしない。或る意味で、立花氏が登場したことで、NHKは“国民不在の局”から“国民重視の局”に変わり始めたようなところもあり、そういう意味では十分に“その役目を果たし終えた”と言えるのかもしれない。そうなってしまうと、もう、彼にはほんとうのところ“出る幕がない”ので、いたずらに“政治を愚弄する方向”へと歩み始めたと言えるのかもしれない。だから、いつの間にか立花孝志氏の党は「NHKから国民を守る党」ではなくなっていて、むしろ「法律の眼をかいくぐる党」に成り下がってしまった。そうして、奇妙なことには国民から遊離していたはずのNHKそのものが、妙に「国民に寄り添っている放送局」に今や思えてくる。NHKの良いところは、選挙などでは“公平性”を保って、単に人気のある人たちだけではなく、そうではない人たちも含め報道していることで、なぜか民放各局は“それ”をやらない。選挙だけではないが、いまや民放の方が“偏りある報道”が多いようなときもある。そういう状況をみると、いかに“公平性を保つ”ということが実際には難しいことなのか、改めて感じさせられる。

「目的」判然としない光浦靖子氏「海外移住」

2024-06-20
2021年の夏、突如「海外留学」という形で“芸人タレント”を休業した光浦靖子氏。このほどカナダ移住3年目にして自らのYouTubeチャンネルを開設したと報道されている。その初回動画はいま一つ“何”を目的としたYouTubeなのかが判然としない内容のような気がした。最近、タレントなどの著名人で海外移住する人たちが多くなった。さまざまな規制や干渉や税負担がちらつく「日本」を脱出して「もっと自由にのびのび暮らしたい」という想いが背景としてあるのかもしれないが、目的が判然としないまま海外に飛び出すのは、必ずしも好結果に結び付くとは思えない。光浦靖子氏の場合、最初は“語学留学”的な意味合いが強いのかと思っていたが、それにしては3年間は長い。それでは完全“移住”を考えてのことなのだろうか。今回のYouTube動画を見る限り、そういうふうな感じでもない。彼女の場合、芸能活動も“一時的な休業状態”という形となっていて、完全に引退ということでもないらしい。もし完全に引退をして、趣味としていた“人形作家”として生きて行くのであれば、それはそれで良いと思うし、どこに居ても制作は可能なので、そういう意味では快い環境で暮らすのが好い。ところが、初回ゲストに芸人を招くなど、どうも“芸人タレント”を棄ててしまったというのでもないらしい。つまり、タレント業にも未練を残しながら、人形作家としても“本当のプロ”という領域までは達していなくて「中途半端な二刀流」のまま今後を模索しているような印象なのだ。もしかすると、最初は海外で「夫や恋人となる人を捜しに行く」という気持ちが強いのかと思ったが、それなら初回に“昔の仲間”をゲストとして招いたりはしないと思う。カナダという国は“さまざまな人種や民族を受け入れる”ところとして近年知られていて、そういう意味では日本人が暮らしても比較的暮らしやすいに違いない。ただ、目的が判然としないまま“芸能活動は休業”という形のまま「留学」の期間としては、ちょっと長すぎるような気も……。もっと本腰で「未来の旦那様」を択ぼうと努力した方が、より良い海外移住になれそうな気がする。

「死亡者続出」の「聖地大巡礼」後悔はない⁉

2024-06-19
サウジアラビアのメッカと言えば、昔からイスラム教徒にとっては「聖地」として知られている。少なくともイスラム教徒であれば、一生に一度はやって来てカーバ神殿においての儀式を受けなければならない。今年の場合には6月14日から19日の期間が“その期間”に当たる。したがって、当然のことながら世界中からイスラム教徒がやって来る。もちろん、そこはアラビアの大地で「カーバ神殿」の外には周りに高い建物がなく、真夏の日差しが容赦なく照り付ける。しかも、その神殿めがけて世界中から巡礼者たちが一挙に訪れる。そして気温は51度超。もう、それを聴いただけでぶっ倒れそうな気温なのだ。しかも、彼らは宗教上の理由から、人前では基本的に肌を見せない。ハダカにもなれないのだ。そうすると、どうなるかというと、熱中症とか脳卒中とか、そういった現象が巡礼者たちの間に次々と現れる。ちょっと表現は良くないが、神に祈りを捧げながら亡くなっていく人が続出しているのだ。実際に昨年は240人が死亡している。通常だと、そういうことなら“救急搬送”とか“応急施設”とかあって良さそうなものであるが、何しろ、場所が場所なので、そういうものは事前に用意してはならないらしい。それに、巡礼者たちの人の渦で身動き自体が容易ではない。いったん前に進みだしたら、後戻りなど出来ないのだ。こうした、さまざまな理由から、神様に接近して亡くなっていく人が後を絶たない。奇妙なもので、イスラム教というのは“一日に5回の礼拝”など、その戒律は他の宗教よりも厳しい。それなのに、なぜか信仰者たちは増え続けていて、他の宗教とは微妙に異なる。結局、文明が発展すればするほど、神が定めた(⁉)戒律に従おうとする者が増えている……という奇妙な現象が続いている。インドネシア当局は自国からメッカに向かった巡礼者のうち「136人が死亡した」と報道している。そんなに、人間の命を“奪い取っていく神”を誰も責めない。神の傍で息絶えたことも“聖戦”として受け止めるのだろうか。 « Older Entries