7月, 2024年

「疑惑判定・誤審」も「運」なのが勝負の世界

2024-07-31
今回のパリ五輪では“疑惑判定”や“誤審”がいくつかの場面で指摘されている。世の中の多くの人は、スポーツの世界では「審判の判定に不正があってはならない」と考えているようで、そのため本人も含めて抗議するケースが多い。柔道60㌔男子でもあったし、テニス女子シングルスでもあったし、男子バスケットボールでもあった。今回に限らず、スポーツの大会では、こういうことがしばしば起こる。いや、スポーツの大会に限らない。何かの賞コンテストとか、競技大会とか、選抜とかだって、ときどき誰が視ても「おかしい」と感じられるような評価が下されたり、勝敗が生まれたりする。圧倒的な“差”のある競技ではそういうことはまず起こらないのだが、微妙な力関係の場合は、プラスアルファとしての見た目とか、心理面とか、今後の思惑とか、さまざまな要素が加わって最終的に“判定”は下される。したがって、客観的に視て「おかしい」と思える評価が下されることは、しばしば起こり得ることで、意識的な不正も含めて“疑惑の判定”は或る意味で仕方がないと割り切った方が良い。将来的には、全ての判定をAIロボットが下すようになる時代が来るかもしれないが、少なくとも“ふつうの人間たち”が判定を下す場面が続く限りは、そんなに完璧な公平さを求めるのは無意味なことだと考えた方が良い。もともと人間には「運」があり、それに恵まれている人と、それに恵まれていない人とが世の中には居る。間違いなく居る。そして、運の良い人は本来なら与えられるはずのないものが与えられたり、窮地に陥っても何故か最終的には守られたりする。運の良くない人は、本来なら当然与えられるべきものが与えられなかったり、評価されるべきものが評価を得られなかったりする。つまり、実力が正当に評価されないことが、一度だけではなくしばしば起こる。それらに耐えて、それでも実力を磨いていけば、やがては“圧倒的な力の差”を見せつけて勝利を得ることもできる。つまり、運の悪さを“跳ね返すだけの根性”を持っていれば、世の中の不条理など怖くはないのだ。

「韓国」「中国」のドラマや映画を観て考える

2024-07-30
ときどき「韓国」や「中国」や「アメリカ」のドラマや映画でTV録画していたものを観る。そのたび、それぞれの国の“違い”というものを感じさせられる。特に、韓国や中国のドラマなどを見ていると、物語の構成の中で、身近な人物が他人の家の中に無断で入っていくというストーリーに驚かされることが多い。いまのわれわれ日本人では“考えられないこと”の一つだ。中国のドラマでは暗証番号を押さなければ入れない部屋に、勝手に暗証番号を押して侵入していくという姿を平然と入れている。韓国のドラマでも、相手の部屋に入って机の中やタンスの引き出しを勝手に開けて物色する場面が出てくる。こういう感覚は、いまの日本人にはない。おそらく欧米人にもないと思う。ただ考えてみれば、大昔の日本には“そういう部分”が残っていた。勝手に親しい人の部屋の中に入って、帰るのを待っているとか、手土産を置いていくとか、そういうことはしていた記憶がある。ただ何十年も前に、そういう風習は消えて行った。そういう意味で、いまの日本人は欧米人の方に近い。もう一つ、わたしが気になったのは食事風景で、特に中国人は自分の気に入った食べ物を相手に食べさせようと相手の器に勝手に入れる。或いは相手の口に持って行く。まあ、ムリにでも食べさせるというか、同じものを気に入ってもらうことが大切というか……。ああいう感覚は、少なくとも今の日本人にはない。酒の席で“一気飲みさせる風習”もいまだにあるようで、日本人のわれわれから視ると明らかに“パワハラ”というか“モラハラ”というか、危険な行為にしか視えないが、それをきちんと受けて何杯も“一気飲みできる”ことが、親しくなったことの“証し”とされているようだ。日本でも、昔はそういう感じに近い光景をよく視たが、もうそれらは何十年も昔の話で、いま同じようなことを日本で行うものはいないと思う。それが中国や韓国ではいまだに大手を振って行われていることに、驚きを禁じ得ない。やはり、中国や韓国はあまりにも短期間で“先進国入りした”せいかもしれないが、そういう“個々のプライベートの尊重”とか“自分の趣味趣向の押し付け”とかいうものに対して、もう少し“世界基準”に沿っていく努力をした方が良いのではないだろうか。

流れが変わった⁉「急落」した日本株の急騰⁉

2024-07-29
なにしろここ2週間ばかりの間で「日経平均」は4500円超も急落していた。だから、いくら“ちょっと上がり過ぎていた”といっても、ここまで急落する理由はなかった。あるとすれば、急激な「ドル円相場」による巻き戻し、つまり「ドル円」が161円から151円に急展開した“投機筋の動き”が波及したとしか言いようがない。ところが、土曜日辺りから、このドル円相場に“反転の動き”が出て来ている。したがって、もし、これが本格化すれば、弱気相場に傾いていた日本株は一気に“V字回復”を果たす可能性がある。大体、確かな理由なく急落した相場は“反転”しやすい。前にも述べたように、日本の経済は基本的には欧米諸国に遅れてインフレに向かい出したのだから、その国の株価もインフレに沿って“上昇していく”のは自然の理なのだ。よく、いまの日本経済がどうだからとか、いまの日本企業の業績がどうだからとか、あれこれ理屈をつけて「下落していったのは当たり前」とかいう人もいるが、欧州各国だって、そういう点で言えば似たようなものなのだが、株価は各国とも上昇基調でアメリカの株価に比較的連動している。そうであるなら、本来、アメリカの株価に“より連動しやすい”日本の株だけが、急落して“当たり前”なわけがない。しかも、欧米諸国に比べて、圧倒的に“円安時代”なのだ。もちろん、この為替に関しては、アメリカの「利下げ」と日本の「利上げ」によって、大きく変動する可能性、そして日本が“円高方向に進んでいく可能性”はあるのだが、それにしてもまだ“利下げ”も“利上げ”も、実際には行われていない。それなのに、もう既に行われたかのような“先取りの動き”は、どう考えても急速に過ぎる。したがって、ここは“仕掛け的に投機筋が動いた”だけであって、いったん元に戻す形で“再始動”というのが、本来の為替の動きのような気がする。大体、日本の輸出企業は今年度の為替レートを「140円~150円」としているところが多い。そうだとすれば、仮に151円になったとしても、まだその為替レートにさえ至っていない。つまり、実際の“為替差損”なお発生していないのだ。したがって「日本株」は“V字回復”とはいかないまでも、徐々に本来の状況へと回復していくことになるだろう。

お祭りの「金魚すくい」「かき氷」まで値上げ

2024-07-28
日本も徐々に“インフレ”の波が押し寄せつつある。これまで、あまりにも長いこと“デフレ”が続いていたせいで、モノの価格が“上がっていく”ということを忘れていた日本だが、とうとうそんな日本にもインフレの波が一気に押し寄せつつある。あれは今から何年前だろうか、もう5~6年も前かも知れないが、なんでも少し“先を行っている⁉”私は、日本も近々デフレからインフレへと切り替わる……日本の場合、それは徐々にではなく一気に訪れる、と書いておいた。もちろん、その当時、誰ひとりそんなことを信じる者もなく、寂しい想いをしたものだが、まあ、いつものことなので慣れている。大体、こういう予測というのは“ちょっとでも早すぎる”と、誰も共感してくれない。ただマスコミではないので、占い師という職業上“少し手前”で言っておかないと意味がない。だから、いつも共感者が乏しいのは承知で書いている。まあ、それでも後になって「そういえば、あの時、へんてこりんなことを予言していた奴がいたなあ」というふうな感じで想い出してくれればよろしい。ということで、なんでも“値上げの夏”、子供たちにとっては嬉しい「夏祭り」の露店商売があちこちに出現している。ところが、その露店商売で売られているモノにも“値上げの波”が押し寄せているらしい。定番の「金魚すくい」は300円から500円になり、これも定番の「かき氷」は300円から400円になっているという。これでは子供たちが“お小遣い”で購入して歩く…という価格ではなくなっているではないか。だが、これも原材料となるものの“仕入れ値”が軒並み値上がりしているのだから仕方がない。私の幼い頃は、50円とか100円とかで、いろいろ購入できたのだが、もう、そんな時代ではない。すべてのものが“何百円の時代”なのだ。もっとも、わたし自身は「金魚すくい」や「かき氷」には眼もくれず、もっぱら「籤(くじ)」を引くことだけ考えていた。なんとギャンブル的な性質であったことか。水原一平のようにならなくて良かった。だが、お祭り露天に出店している“籤の店”は、だいたいが当たらない。当たらないように出来ているのだ。それなのに、母親から何度も小銭を貰っては籤の店に行き、必死で当てようと努力していた。我が少年時代は何んと可愛いのだろう。

もうオリンピックは「平和の祭典」ではない‼

2024-07-27
オリンピックを「平和の祭典」というふうな表現をしていたのはいつだったろう。いや、今でもだろうか。まさか、もう誰もそんなことは信じない。いろいろな意味で、オリンピックは汚れてしまったのだ。だから、そういう意味では“冬季五輪”を再び「札幌へ」という思惑が外れたのは良いことだ。嫌な思いをしなくて済む。開催国ではなく、参加国として“遠くから見守る”分には“良いアスリートの祭典”だ。もう「平和の祭典」などという呼び方だけは止めた方が良い。だいいち、もう「国」同士が“争い合う”という意味が無くなっている。日本人という“枠”の中に「あなたは本当に日本人なのですか」と訊きたくなるような選手がたくさん入っている。それにしても、私が驚いたのはサッカーという競技だ。現在、日本人選手で、海外で活躍している選手の“多いこと”に驚く。いちばんは男子選手だけでなく、女子選手でも海外のチームで活躍している選手が、わたしに聞き違いでなければ11名も居たことだ。だから、早い話が“海外選手たち”だけでチームが作れる。それが日本人チームなのだ。男子サッカーの方はもっと極端で、海外選手だけ集めても“溢れてしまう選手”が出てくる。それなのに、日本の一般的なニュース報道では海外で活躍している選手たちの動向は一向に伝わってこない。ドジャーズの大谷選手の動向は毎日毎日伝えるのに、それ以外の選手たち、とくにサッカーの選手たちは各国に散らばっているせいもあって、ほとんど一般的に報道されることもない。まあ、よく言えばそれだけ日本人選手たちのレベルが上がってきているということだろう。いまでは、あらゆるスポーツ分野で海外で活躍する選手たちがいる。それなのに人気のあるスポーツはTV中継もされるし、スポーツ新聞でも大きく扱うが、あまり一般的ではないスポーツ、たとえば馬術とか、アーチェリーとか、そういう感じのスポーツでは税金もあまり投じられない。人気あるスポーツでは税金だけでなくスポンサー収入というものも与えられる。もはやオリンピックは「アマチュアの祭典」などでは完全にないし、政治も絡んできているし、世界的企業の宣伝の場でもあるし、なにかが寂しい気がするのは私だけなのであろうか。

五輪開会式に「歌手のアヤ・ナカムラ」出演⁉

2024-07-26
ときどき“ややこしいこと”をする人がいる。そしてそれが妙に注目を集めて、欧米においては“寵児”として人気者になったりするケースも多い。そういう人物の一人が「アヤ・ナカムラ」だ。果たしてそんな日本人いたっけ⁉ そういう風に思ったあなたはいたって正常だ。なぜなら彼女は日本人ではない。フランスで“アフロポップシンガー”として活躍するアフリカ系フランス移民の女性(29歳)だ。彼女の名前は「日本」とは直接なんの関係もない。彼女が気に入っていたドラマに出てきた人物名を、そのまま芸名として名乗ったに過ぎない。本名は「アヤ・ダニオコ」という。「アヤ」だけは本名なのだ。とにかく、このまぎらわしいフランス人が、もしかしたらパリ五輪で開会式に歌手として登場し、楽曲を披露する可能性があるという。なにしろYouTube動画の再生回数8億回というから、欧州では群を抜いた人気歌手なのだ。その名前に“日本”を借用しているように、彼女の動画でも“日本っぽさ”をいろいろ散りばめていたりしている。そういうのが昨今の流行らしい。コンゴ生れのベルギー人シンガーにも「ルース・アンド・ザ・ヤクザ」という“へんてこりんな名前”を用いて人気を集める歌手がいる。彼女は「ヤクザ」がどういう意味なのか知っているのだろうか。そういえば、このヤクザ氏の方は線が細くて“ヤクザ好み”な感じがしないでもない。アヤ・ナカムラ氏の方は“ヤクザ好み”というよりは、欧州の“マフィア好み”のような気もするが、ちゃんと日本のメディアに対しても気を遣っていて「日本のファンの皆様にも早くお逢いしたいです」と、解かったような解からないメッセージを送っている。欧州では近年、アフリカ系のシンガーたちに対して「アフロ・トラップ歌手」という表現を使うことも多い。フランスをはじめとして最近はアフリカからの移民が多くなっている。もはや昔のイメージであるパリジェンヌばかりが居る街ではなくなってしまった。欧州が徐々に“アフリカ模様”を加えていくことは何となく寂しいような気もするが、そういうふうなイメージを持つこと自体、多様性に生きる若者たちからすれば“今の時代”として受け入れられないこと…なのかもしれない。

9年間「野良犬として生きたチワワ」飼い主の元

2024-07-25
わたしは動物たちに関して詳しくないのでわからないが、犬は「飼い主」を求める性質を持ち、猫は「飼われた家」を求める性質を持つ、ということは知っている。つまり、どこまでも飼い主を捜し求めるような傾向を持っているのが「犬」だ。人間はどうだろう、むかし何かの本で森の中に捨てられた幼児が野生の狼たちと一緒に生活して、成長していく物語があった。その後、人間が発見して保護されたのだが、なかなか人間に慣れることが出来ず、近づくと唸り声をあげ、四足歩行をし、夜行性を帯び、もはや人間とは思えないような“動物となっていた”という。その後はどうなったのか、その本には、それ以上のことは書かれていなかった。ただ、その時、強く感じたのは、いかに“幼児教育”というものが、人間を人間らしい暮らし方にしているか……考えさせられるところがあった。まだ、わたしが20代の時に読んだ本だったので、もしかすると、その後の追跡調査などがあるのかもしれない。人間は人間のままだと“森の中”では生きて行けない。おそらく、幼児は本能的に人間を棄て去って、獣として生きて行く道を本能的に学んだのだ。だから逆に“ふつうの人間”にはもう戻ることが出来なくなったのかもしれない。これは極端な例だが、この物語には運命学的に“大きな教訓”が秘められている。つまり、いったん、何かの事情でそれまでの境遇から逸脱してしまったなら、そのその当時のことは“忘れて生きる”のがいちばんだということである。忘れなければ、生きてはいけないのだ。さて、アメリカのラスベガスで、9年前の2015年2月、裕福な家庭に飼われていたチワワが、たまたま裏庭の鍵が壊れていた扉から逃げ出し“行方不明”となった。飼い主だったモラレス氏はすぐにフェイスブックでそれを知らせて情報を募った。けれども特定できるような情報は集まらず、行方不明犬ギズモの話題はいつの間にか消えて行った。ところが、最近、動物救急センターに野良犬として保護された犬のマイクロチップをスキャンしたところ、モナレス氏が飼っていたギズモであることが判明、9年ぶりの対面となった。もちろんギズモはモナレス氏を憶えていた。ただ野生で生きてきたギズモは満身創痍だった。全身の毛を剃らなければならないほど体毛がもつれ、歯の病気にかかり、目と耳とが感染症に侵され、背骨と足に骨折した跡があり、それが固まって身動きも自由ではなかった。それでも、飼い主だったモナレスに出逢えて、いまは落ち着きを取り戻し、徐々に本来の姿に戻るべく回復へと向かっている…。

「米9月&12月利下げ」「日7月利上げ」決定⁉

2024-07-24
国家の“経済運営”に大きな役割を果たすのが中央銀行の「利上げ」と「利下げ」の決断だ。現在、その「利上げ・利下げ」の両方で、日本とアメリカ…それぞれに“決断の時”が訪れようとしている。まずは「日本」の方だが、7月「利上げ」に踏み切るのは、為替市場の動きなどからすると、ほぼ確定ではないかと思われる。日本の場合、まだまだ経済の動きは弱く、本来なら利上げする時期には至っていない。けれども、もしアメリカの大統領選挙で“トランプ勝利”となった場合“ドル安方向”に舵を切りたいトランプ氏は、必ず“その部分”を「日本」に指摘してくる。そうなった場合を想定し、先に“ドル安方向”に動かしておけば、日本政府や日銀は“トランプ攻撃”を受けなくて済む。その一番手っ取り早い方法が日銀の「利上げ」なのだ。もちろん、ハリス氏が大統領になる場合もあるが、その場合には先に“総裁選”が行われる「日本」が、そのお相手として高市早苗氏を首相にしておけば良い。こうして「日本」と「アメリカ」は、いまよりも“もっと良好な関係性”が築かれるはずだ。世界をリードする“アメリカの経済”は、今年に入って実に不安定な状況が続いていた。先行き、どっちに転ぶのか判然としなかったからだ。だから日本とは逆に「利下げ」を行うのか、行なわないのか、行なうにしても“いつ”行うのか“何回”行うのか、判然としなかったのだ。さまざまな指標が“強気”にむかったり“弱気”に向かったりしていた。ここにきて、ようやく、それらが落ち着きつつある。この分だと、ほとんど確実にアメリカは9月と12月に2回「利下げ」する。もちろん、そうなればトランプ氏が攻撃した「円安ずるい」発言は消えて、ごく自然に“ドル高”は是正され「円高ドル安方向」へと動き出す。というか、既にそれを市場は予測して、大きく動き始めている。このあいだまで“1ドル=161台円”だったのが、現在では“1ドル=155円台”に変わってきている。まだ日本もアメリカも、利上げも利下げも行っていないのに、既に市場は“それ”を織り込み始めたのだ。こうなった以上、日銀も実質的に「利上げ」せざるを得ない状況だと言っていい。なぜなら、5円以上も円高となったのに、もし、ここで「利上げ」をしなかったら、一気に円安方向に逆戻りして大混乱となり、日銀も、政府も、国民からも、アメリカからも批判されることが眼に視えているからだ。トランプ氏はともかく、国民からの「円安批難」を交わすことは難しくなる。こうして市場に引っ張られる形で、日銀の「利上げ」は決定事項なのだ。

「小5助川蓮プロレスデビュー」大いなる疑問

2024-07-23
近年、アスリートたちの“早熟化”が進んでいる。あらゆるスポーツの分野で、幼い頃からの“英才教育”とでもいうか、特別指導が行われていて、それが実を結んで、早くからその能力を存分に発揮していくケースが多い。ただ、あまりにもそれが進みすぎていて、アスリート全体が“低年齢化傾向”にあるような気がしていて、それが私には心配なのだ。もちろん、そういう「天才的な素質の子」は昔から居たし、若くして栄光を掴んでいた。だから「特別な子」に対しては心配していないのだ。オーバーに言えば「神から与えられし能力」とでもいうか、そういう天才的な素質を持った子というのはいる。そして、そういう子は大成していく場合が多い。けれども近年多くなってきているのは「天才」とは言えない子供をムリヤリとでもいうか、懸命にとでもいうか“そういう方向”へ進ませていこうとする一部の親や指導者がいる…という点なのだ。極端なことを言えば「天才」は、放って置いても天才なのだ。それを無理やりとでもいうか“天才仕立て”にしていく大人たちがいることに、わたしは不安を覚えるのだ。昨日、小学校5年生でプロレスデビューをすることが決った助川蓮氏の記者会見があった。これは単なるイベント的な催し物ではなく、本格的なプロレスラーとしての契約デビューを意味する。彼の場合には小1の時から道場に通って十分にその素質を買われてのデビューらしい。ただ小5であるから身長148㎝56㎏とプロレスラーとして考えるなら“超小型選手”に属する。これでは実際に闘う選手は、或る程度、限られてくるはずで、そうまでして8月にデビューさせる理由があるのか、いささか疑問なのだ。プロレスファンには眼の肥えている人が多い。もしも、それが“ヤラセ”的に視えれば、応援はしなくなる。そうは言っても小学生に怪我をさせるわけにはゆかないだろう。どうして中学を卒業する15歳までプロ基準を引き上げられないのだろう。もし、これが、元々の素質として10歳ではあるけれども身長が165㎝70㎏とかいうのであれば、身体能力だけでなく体力的にも「通常の選手とも互角に戦える」としてプロデビューさせるのも良いだろう。けれども、まだ彼は150㎝にも満たない。通常の選手で言えば、むかし出て来た“小人プロレス選手”と同じだ。もし“手抜きなし”で戦うのであれば怪我をすること確実ではないか。もしかすると“話題作り”の意味があっての「小学生デビュー」なのかもしれないが、そうだとすればかえって本人が将来“苦しまない”ためにも、もう少し待ってからデビューさせてあげて欲しい。

「ハリス米女性大統領」&「高市早苗首相」⁉

2024-07-22
世間の9割方が、今回の米大統領選は「トランプで勝負あった」と見ていたのに、ここにきてバイデン現大統領が「撤退」を表明。現副大統領である「カマラ・ハリス女史を推す‼」と方針転換した、と報道されている。そうなれば、ほとんどの人たちが「トランプで決まり」と見ていたものが“違ったもの”になっていく可能性が生じてくる。なにしろ、アメリカ人というのは“初物”に弱い。もし、ハリス氏が大統領になれば「女性初のアメリカ大統領」という肩書がつく。現大統領が撤退してしまうと、これまで“若さ⁉”と“強さ⁉”を売りに出来ていたトランプ氏だが、それが出来なくなる。何しろ、トランプ氏は男性にはめっぽう強いが、女性たちからはこれまでにもしばしば攻撃を受けがちである。しかも、今度の相手は女性にしては大柄で“力負けしなそうな”雰囲気がある。歯切れ良い物言いをする。アメリカ人好みなのだ。アメリカ人は「討論会での対決」で“最終判断”をしていくケースも多い。そうなると、まだまだ“勝負は決まっていない”可能性もある。そして、実はその前に、わが日本の「総裁選」というものが行われる。これが、また混とんとしていて“人気”という点では圧倒的に不利な岸田現首相だが、これまでの実績をアピールすることで“継続を果たしたい”意欲が強い。彼が、どうしてこんなに“不人気”なのかはわからないが、まあ世界的に視ても、どの国家も“現政権トップ”は不人気だから、そう心配するものでもないらしい。とはいっても日本の場合は“けた違いの不人気”で、アンケート調査の結果では“現首相継続”を望む人は極端に少ない。実際の投票がどうなるかはわからないが、少なくとも党内からも“強力なバックアップ”は期待しずらい。そうなると、日本の総裁選も誰が本命として出てくるか混とんとしてくる。もしかすると「党内人気は低い」とされている高市早苗氏が急浮上してくる可能性もある。そうなると、日本は「女性初の首相」が誕生し、アメリカは「女性初の大統領」は誕生し、この二人、わたしが観るところでは“相性が良さそう”なのだ。そうなれば「日本」にとっては経済面などが特に好都合に運んでいく可能性がないでもない。

時代の変化を感じる「電話帳・番号案内」消滅

2024-07-21
“時代の変化”はどうしようもなく、やって来る。それは誰しもが経験することで、どの年齢の人たちもが、いずれは感じるようになる。問題は、その変化に“自分を合わせて”生きて行けるかだ。これが、たやすそうで実際にはなかなか難しい。とうとうというべきか、来年末をもって電話帳である「タウンページ」も、それから「番号案内」も、正式に廃止されるという。毎年、利用者が減っていく中で、数十億円にも上る“赤字”を計上していたらしい。そのうち、固定電話も廃止されてしまうのだろうか。それは困る。私は、どうも携帯電話というものが苦手で、所有はしているのだが、ふだんはほとんど電源も入れていない。自分から電話をすることが嫌いな私は固定電話の方が断然に使いやすいし、外出時は携帯をもって居なければ、掛かって来ていたとしても“留守電対応”になるから知らぬまま過ごせる。私のように、ふだんあまり外出しない人はそれでも済むが、外出しがちな人とかひんぱんに電話が掛かって来る人は、携帯電話は必需品ということになる。確かに携帯は便利なのだが“自由を縛る”側面も持っている。世の中が便利になるにつれて、ほんとうの意味での「自由」が奪われていっているような気がしないでもない。1分1秒を争うような世界に生きているならともかく、そうでもない限り、そんなに便利で早くなったからと言って“倖せが多くなる”わけでもない。むしろ、乏しくなっていくような気がする。先日、録画していたTV番組をまとめて視た。一般の人たちの“家についていく番組”で老夫婦が出ていたのだが「毎日、平穏で同じことを繰り返し行っている日常が最高に倖せ」と強調していた。とかく、若いうちは“生活に変化”を求めがちなものだが、ほんとうの倖せというのは“平穏な同じことの繰り返しの中に在る”ということを改めて感じさせてくれる。この夫婦は、散々苦労してきたから、いまの平穏な繰り返しの日常が“倖せ”なのだ。映画とかドラマとかでは変化の連続の方が観ていて楽しいし、そういう日常が“幸せそう”に視えたりするものだが、実際の人生では波乱万丈の連続では“疲れる”し、平穏さに憧れるようになる。ドラマのような人生は途中まではそれでも良いが、最晩年とでもいうか、完全に仕事を離れるような年齢が近づいたなら、後は“ずっと同じことの繰り返し”をである日常を愉しめるのが、いちばん幸福かもしれない。

記録的な豪雨が「2億年前の恐竜」を蘇らせた⁉

2024-07-20
異常気象というのは、時として思いもかけぬ「発見」をもたらす。ブラジル南部を襲ったのは記録的な豪雨だった。それによって多数の地域で洪水とか土砂崩れなどが起こったのだが、それによって視えなかったはずのものが“視えて来る”という恩恵ももたらされた。本来なら、なかなか見つけ出すことが出来ない「2億年以上前の地層」が表面に表れたのだ。そうすると、どうなったのかと言えば、その地層に埋まっていた“ほぼ完全に近い恐竜化石”が姿を現したのである。大体が、恐竜化石の多くは比較的“完全な状態”で発見されることが多い。今回もそうだったのだが、それはこの動物が地球上で天下を取っていた時代、急に地球上に何かが起こって一気に多くの生物たちが死滅したのではないかと思われる。何が起こったかは分からないが、地球変動ともいうべき“何か”が起こったことは間違いがない。そうでなければ、一気に恐竜たちが化石化されてしまうはずがないのだ。興味深いのは、一部の「宇宙人を観た」と証言している人たちの中に、その外貌が直立型“恐竜”のような印象を持っている人たちもいることだ。われわれはどうしても“人間的な宇宙人”を連想しがちだが、もしかすると直立型恐竜がかつて“地球の支配者”であったように、地球外からやってきた生物が“恐竜に近い外貌”だったとして、ありえないこととは言い切れない。ともかく2億年前には数多くの恐竜たちが地球上を闊歩していたのだ。その中でも今回発見されたのはヘレラサウルス科に属する肉食恐竜グナトボラクス・カブレイライではないか…と視られている。ブラジルやアルゼンチンでは二足歩行の肉食恐竜の化石がさまざまな形で発見されている。今回の化石は、発掘したのではなく、土砂崩れによって偶然に出現してきた形なので、ほぼ完ぺきな化石であるという。こういう自然現象によって“いまとは違う地球”に生きていた生物が“出現して来る”というのは、偶然と言えば偶然なのだが、わたしには“それ”だけではない何かを感じさせる。もしかすると、今後の地球環境は再び“恐竜のような生物”が支配するような「地球」へと戻っていくことを暗示しているような“その警告”としての出現のような気もするのだ。 « Older Entries