9月, 2024年
2024-09-30
やや奇妙な形で“石破新政権”が誕生したかと思ったら、日本テレビとフジテレビが相次いで、新首相が30日に「衆議院解散の意向を表明する」との一報を流した。ほんとうなのだろうか。二つのテレビ局が“速報”として流したとすれば、少なくとも“その可能性”はありそうだ。ただ石破氏は厳密に言えば、まだ「新首相」ではない。10月1日の“任命式”を経なければ新首相でもなければ、新政権でもない。だから、あくまでも「その意向を持っている」という報道になる。しかも、その意向とは、本人の意向なのかと言えば…それははなはだ疑問で、元々本人は総裁選において“そういう発言”をしてこなかった。それは小泉進次郎氏の“意向”だったはずだ。国民を前にした“総裁選”の討論会などで、各自が述べていたことは、そのまま総裁となり、新首相となっても、有言実行されるもの……という受け止め方になる。それは一般国民もそうだし、特に投票権を持っている自民党員の方々にとってはなおのこと、そうでなければならない。したがって、もしも、実際に30日に“その意向を表明する”ことになれば、早くも、国民や党員への信頼を裏切る行為になる。さらに、新政権の誕生には“新内閣の組閣”を行うが、つまり、それぞれの大臣になってもらう方々から了承を経なければならないし、新大臣になる方々のプライドというものもある。新大臣に任命されて一か月も経たないうちに選挙で落とされたらたまったものではない。落されなくても、次の内閣に再び指名されるという保証はない。さらに、それよりも問題なのは金融市場だ。それでなくても、予想外の“新首相の誕生”に対して金融市場は“拒絶反応”が早かった。あっという間に為替は4円以上の“円高方向”に傾き、日経先物は2400円以上の急落となった。土曜・日曜と金融市場は“休み”なので、今日、月曜日からが本番だが、果たしてどうなるか……予測がつかないでいたところが、ますます“大荒れ”となる可能性ある「解散宣言」が飛び出せば、もはや収拾がつかなくなる。現在は強制的に下落を防止する装置が発動されるケースもあるが、理由が判然としていないとストップが効かない可能性もある。一部に、これは“決選投票”に持ち込まれることを見越して、最初から「了解あっての投票結果」だとする説もあり、そうだとすればアンフェア―な投票だった可能性もあり、今後に尾を引きそうな“解散表明”となる。もっとも、衆議院の解散は株式市場にとって「優位に働く」という過去のデータもあり、一時的には急落しても、時間経過とともにぐんぐん急騰しだす不可思議性もあるので、前にも述べたが今年の“日本株”は「世界一の急変動相場」になることだけは間違いがない。
2024-09-29
わたしがあえてここで述べる必要がないほど俳優の神田正輝氏の“衰え”は目立った。元々が“端正な外貌”であっただけに、近年における“その衰え”は異様なほどであった。だから、経済的な心配などない彼は、ほんとうはもっと早くに引退した方が良かったのだ。どうして彼は急激に衰えたのか。答えは簡単で“愛する人たち”二人が次々と亡くなっていったからだ。その一人は社長だった渡哲也氏であり、4年前にがんで亡くなっている。本来なら、その後継者的な立場にあった神田氏だが、なぜか一人だけフリーとなった。さらにその一年後、娘の神田沙也加氏が自殺した。札幌のホテル窓から“クリスマスの夜に転落死”という形での自殺であった。この時、久しぶりに神田氏は父親として遺骨を持ち、母親の松田聖子氏と並んだ。この時まで「神田正輝」の輝きはまだ失われてはいなかった。その気丈な対応の仕方も、母親とは対照的であった。ところが、どういうものかそれ以降、急速に彼は“痩せ衰えて”いったのだ。奇妙なことには、母親であった松田聖子氏の方は一時的には舞台に立てないほど憔悴しきっていたのだが、いまや再び“その若さ”を取り戻している。男性と女性の違いが見事に表れている。男性というのは、その時すぐ反応は起きなくても徐々に“その影響”が現れる。一方、女性の方はすぐ激しく反応するが、その一時期が過ぎると徐々に立ち直っていく。神田正輝氏の外貌に目立った“異変”が起きたのは昨年くらいからだが、実際にはそれよりも前から“精気”が失われ始めていた。「旅サラダ」という彼の代表的な番組を正式に引退することになったが、実際には一昨年くらいから“その潮時”が来ていた。最近は「セリフを憶えられなくなった」ということで俳優業も事実上引退していたが、樹木希林氏が最後の最期まで“老いぼれ女”を演じきって“役者魂”を見せたように、神田氏も作品さえ良質のものを得られればセリフの短い“老いぼれ役を演ずる”名優になっていけるような気はする。もっとも彼が過去をかなぐり捨てて“役者になり切れば”の話で、育ちの良い彼には難しいことであるかもしれない。彼の先輩である渡哲也氏は病身であっても演技を続けていた。彼もまた“若き日”の輝かしい姿を棄てて、年相応の“過去を背負った”役柄を見事に演じていた。役者は、その背中で過去を表現できるようになってからが本物なのだ。
2024-09-28
奇妙な形で“石破自民党総裁”が誕生した。わたしは8月15日の時点で次のように書いている。《「先天運」として、その可能性(首相になる可能性)があるのは、小泉進次郎氏と石破茂氏と茂木敏光氏だ。(中略)部下運が身に付けば高市氏の先天運も良い。(中略)総裁選の時期に群を抜いてホロスコープの惑星配置が良い人物はいなかった。比較的良いのは、小泉氏と石破氏で双方とも“120度アスペクトが三つ”ある。他の人物は共通して“二つ”に留まっている。》40日以上前のコラムであるから、まだ確実に誰が立候補するとも分からない時点で書いた文章だが、結果的には、石破氏が決選投票で高市氏を大きく上回った。最初の投票では高市氏が断然上回っていたので、逆転された形となった。運勢とは不思議なもので、同じような条件なら、運勢の強い方が勝つ。実力+アルファという形で“120度が多い分”石破氏に有利に働いたといえる。ここで補足しておくと、茂木氏だが党員からの人気は極端に低いが、議員票は“予想外なほど”多く集めていた。つまり生年月日による“先天運の威力”は決して少なくないのだ。高市氏は、やはり“部下運に難あり”という先天運を埋めることは出来なかった。実は、当日のTV映像を見て、石破氏の顔面、とくにその鼻柱と両頬骨の“色艶”が大変に良かった。その一方で、高市氏の方の鼻柱と両頬骨の色艶は“ふつう”だった。それに加え、わたしには彼女の下瞼付近の“暗蒙色点”が気になっていた。どうも、この人はもしかすると婦人科系に弱点があるのかもしれないが、以前から、この部位の気血色がよくない。本人も、それは承知のようで、化粧によってカバーするようにされているようだが、それを施してもなお茫洋と暗蒙色が浮かぶ。だから、この人は“部下後輩運”という部分で「裏切りに遭いやすい」に違いないのだ。これは今後、もし彼女がやがて首相になったとしても、作用するかも知れず、その点、注意が必要だ。さて、石破氏の方だが、総裁に選出されたのは良いことだが、そのあとすぐ「為替」と「日経先物」が激しく反応した。ドル円は何んと4円以上も一気に“円高方向”に振れてしまった。同時に日経先物も2200円以上も急落している。この金融市場の過激な反応は、予想以上で今後に影を投げかける。日本の経済に対して、市場は石破首相を歓迎していない。果たして、今後もこの状況が継続するなら、少なくとも経済面でまだ総理の椅子に座る以前から、怪しい雲域となっているのだ。占星学的な惑星配置から言えば、来年の2月以降~4月くらいにかけて、最初の試練や窮地がやってくるような気配がある。もし、その部分をスムーズに乗り切れば、案外、長期政権となっていく可能性もあるのだが……。
2024-09-27
最初、新庄監督が「日ハム」で“監督として再出発をする”と知った時、だれもが「大丈夫か」と不安に思った。なぜなら彼は、最初の年「勝つことは考えていない」というセリフを発して関係者に衝撃を与えたからだ。もちろん、彼自身の“本音”だとは思っていない。低迷したチームの選手たちに最初から「優勝を狙うぞ」と言ってもプレッシャーを与えるだけになる。だから最初の一年は「様子見で行こう」という意識が彼の中にはあったに違いない。実際、最初の一年は“大きな成果”は得られなかった。新庄監督自身のパフォーマンスばかりがマスコミに取り上げられた。けれども、徐々に彼はパフォーマンスをしなくなった。自分自身のアピールもしなくなった。昨年「エスコンフィールドHOKKAIDO」という名称の新しい開閉式屋根付き天然芝球場が誕生して、そこが一つの“売り”ともなって、不安視された入場者数も予想以上の成果を上げた。つまり、新庄監督自身がパフォーマンスで客を呼ばなくても、自然と窮状が埋まっていくような方向に徐々に変わりつつある。そうなれば当然、観客の視線は“野球そのもの”になる。今年は昨日、6年ぶりにCS進出が確定した。最下位の席が常連に変わりつつあった「日ハム」が再び“優勝を争えるチーム”に変わったのだ。これは、ひとえに監督の功績が大きい。なぜなら、選手自体は特別目立った選手が入ったわけではないからだ。昨年とほとんど変わらない陣営で、どちらかと言えば“地味な勝ち方”で勝ち進んできた。そういう部分も、着実に選手の素質を活かしてきた新庄監督の力によるところが大きい。1番の万波選手、3番の清宮選手、それにエースとして定着しつつある伊藤投手など、実質、新庄監督によって才能を開花させた選手達だ。わたしは正直、野球のことがそんなに解かっているわけではない。ただ新庄監督は一度もコーチを経験しなかった。いきなり監督となった。しかも、現役から遠ざかってからは海外に居住し“売れない画家⁉”としての暮らしを謳歌していた。そういう意味では、或る意味では“よくぞ野球界に戻れたもの”という人物なのだ。人間にはさまざまな生き方がある。「空白の期間」を持っていても、元々の素質が優れている場合には、いったん“すべてを失っても”蘇ってくることが出来る……彼の人生は、それを証明している。
2024-09-26
人は不条理な逆境に置かれたとき、どうやって自分の“生きる支え”を見つければ良いのか。そのヒントをこのニュースは教えてくれる。1948年に起こった“一家4人殺傷事件”で、当時23歳だった一人の青年が“容疑者”として逮捕された。その青年が免田栄氏だった。彼は身に覚えのない事件の犯人として逮捕され、しかも「死刑」が確定してしまったのだった。戦後の混乱期で、まだ十分な捜査や裁判が行われていたとは言い難い。彼は死刑囚となったが、その後も“無実”を訴え続け、そのかいあって再審が行われて1983年に「無罪」を勝ち取ることが出来た。こうして34年間もの間、獄中生活を送った彼は、出所後はそれ以上の38年間を生き、2020年に95歳で亡くなった。この事実を知ると、どんなに不条理な逆境に置かれたとしても、未来を信じ、正義を信じて、生きながらえてさえいれば、やがては“太陽の元”で生きることが出来るようになる……ことを教えてくれる。ただ多くの人にとって、34年間の獄中生活は耐えられるものではない。免田栄氏の場合、唯一彼を“癒し”“救った”のは獄中でも許されていた「読書」であったという。彼は出所後「読書は生きることだった」と述べている。この言葉は重要な事実を物語っている。人間は時として“誰ひとりとして”自分を理解してくれない時もある。すべてにおいて「神仏からさえも見放された」と感じることがある。そういう時、唯一、自分を慰めてくれるのは「本」なのだ。彼は獄中で2000冊以上の本を読んだ。このほど、その彼の読んでいた本の約半分が熊本大学へと寄贈された。通常の“貸出本”となるのかどうかはわからないが、彼の“生きて来られた証し”としての本であることは間違いないだろう。少なくとも、本は“誰に対しても平等”の“癒し”や“慰め”を与えてくれるのだ。だから、もし彼のような理不尽な逆境に追い込まれたときには、とりあえず“本を読むこと”で心の平安を保つのが良い。そうすることで“微かなる灯り”を見出し、生きていくこと、希望を持つことが出来るようになるならだ。
2024-09-25
世界的な経済の指標の一つに「フィラデルフィア半導体指数」と呼ばれるものがある。「SOX指数」とも呼ばれるが、要するに今の世の中を、或る意味で牛耳っている「半導体」の“勢いを数字化したもの”と思えば良い。この半導体指数が再び勢いづいて来ている。数字的に表せば、今年7月この数値は一度「5900」超まで上った。今年いっぱい、この勢いは続くかに思われたが、なぜかすぐに急減速して勢いを失い、一時的には「4500」以下まで下がった。そしてまた勢いを取り戻し「5250」付近まで戻ったが、再び大きく下落し、もう一度「4500」付近まで下がった。もはや「ここまでなのか⁉」と誰もが思う中、再びじわじわと上昇し始めて現在は「5100」付近まで戻ってきている。この「半導体指数」に振り回される形で、日本の半導体関連企業の株価も、上がったり、下がったりを繰り返している。日本人は、どちらかというと他所の国の人たちに比べて諦めが早い。それに、よその国よりも今の“日本の株価”の変動は激しい。今年に限って言えば、世界一激しい。だから、それでなくても半導体関連株の上下運動は激しいので、持ち続けることに憶病になる。ただ最初にも述べたように、世界の“半導体関連株”を動かしている元となっているのは“この指数”なのだ。そして、この指数は先にも述べたように現在は“頂点”を目指す上昇の途上にある。私の勝手な予測では、この“現在の位置”から言って、その頂点がやって来るのは今年の12月か、来年の1月くらいと思われる。そして、その頂点は7月に付けた「5900」超を必ず抜いていく。もちろん、何の保証もない。わたしの勘に過ぎない。つまり、わたしの勘では「6000」超に到達し、それが一応の半導体指数の頂上になる。もちろん、日本の「日経平均」は以前にも言ったようにアメリカ「ナスダック」の指数と連動している。「ダウ」ではなくて「ナスダック」の方だ。そして、その「ナスダック」は「フィラデルフィア半導体指数」と連動している。したがって「日経平均」は今年12月に“史上最高値”をつけてくる可能性が強い。今年7月、文字通り“半導体指数”に連動して、またナスダックに連動して、日経平均は42500円弱を付けた。わたしが春先に予言したように「42000円台」までやって来たのだ。そのあと急落して、一気に「31000円台」まで下落した。信じられないほど下落した。だから多くの人は、もう「42000円台」なんて無理だと思っている。けれども、半導体指数は“上昇途上”なのだ。そのうち一気に上がってくる。こういうわたしの勘を“信じるか”“信じないか”……保証はしない。重要なことは、あなたの勘で勝負すべきだということだ。
2024-09-24
時代はさまざまなものを“消滅”させ、そしてさまざまなものを“登場”させる。けれども、時としては“消滅”しかかっていたものを“蘇らせる”ことがある。1960年代から70年代にかけ全国を席巻していた「キャバレー」は時代の波に飲み込まれて次々と消滅していった。ところが東京でも残っていないキャバレーが今も大阪には残っている。その最盛期には37軒もあったそうだが、現在は3軒のみのようだ。ところが、ここにきて、その「レトロなキャバレーが好い」と、若者たちや女性たちの間で“静かなブーム”が巻き起こりつつある。わたしは、いずれ、このブームが全国に徐々に波及するのではないか…と思っている。まず、東京でさえも無くなったのに、大阪ではなぜ生き残って来たのか、ひとつには関西人の方が“接触対話”や“親近感”を好むからではないだろうか。「ミス大坂」は昭和12年の創業で今年で86年になる。170名のホステスを抱え、545席のボックス席を備え、いまも生演奏を欠かさない。客層は20代から70代までと幅広く、最近は若者グループや単身の女性客も多いという。ここがポイントなのだ。最近の若者たちは“こういう店には寄り付かない”とされていた。そうでもないのだ。また昔は女性客など来なかったものだが、いまはホストクラブに飽きた、或いは興味のない女性客もやってくる。より若者や女性客を取り込んでいる「グランドサロン十三」によると、近年はボクシングイベントとか地下アイドルグループなどをステージに迎えることで“若い人たち”の関心も高まっているらしい。もう一つは、若い人たちの中にはキャバレーの店内が備えている“レトロな昭和の雰囲気”がある。ほんとうは経済的に“新しく改装できない”だけなのだが、むしろ“そのレトロな雰囲気”が若い客層には、或る種の“癒し効果”を持っているらしいのだ。実際、最近は日本の70年代から80年代にかけての歌謡曲が日本の若者だけでなく、海外からも支持者が多く“再ヒット”したりしている。日本の高度成長期やバブル期はただ単に経済だけが“世界をリードしていた”のではない。あらゆる文化や芸能においても“世界のお手本”的な部分を持っていたのだ。その一つとして、失われてしまった“キャバレー文化”もあった。明瞭会計であることもキャバレーの利点だ。どんな会話でも応じてくれる“臨機応変なホステスさん”たちが待っている。文字通り“社交場”として全国に普及・復活していくような気がする。
2024-09-23
時代が大きく“動きつつある”と感じるのは、さまざまな部分にある。たとえば「日本人」とか「アメリカ人」とか「中国人」とかいう“人種による捉え方”などもそうだ。昔「外国」というのは“見知らぬ国”として誰もが感じて、明らかに“我が国”とは異なっていた。外貌もそうだし、言葉や習慣もそうだし、その性質だって、それぞれの国による特徴が窺われた。けれども、いまはどうだろう。それらほとんどの“境界線”が失われてしまったような印象を受ける。いまでは、その国の言葉を知らなくても、スマホが翻訳してくれたりする。外貌だって、国際化が進み、純粋な日本の血統を引いている人だけが「日本人」の時代は徐々に終わりつつある。その生活スタイルも動画の普及は、あっという間に“世界の垣根”を奪いつつある。日本のアニメを見て育つ子供たちは、世界のどこに居ようと“日本の暮らしのスタイル”や“ものの考え方”を幼い頃から、だれに学ぶということもなく自然と身に付けていくのだ。だから、大昔は欧米人が日本の暮らしに馴染んでいくのは容易ではなかったが、現在では何の苦労もない。若い人ほど簡単に馴染んでしまう。逆に、日本人が海外に行く場合、海外で暮らす場合だって、同じことが言える。現代はさまざまな理由から海外で暮らす人が多くなった。昨日、昔、日本で「国民的美少女コンテスト」から女優となって活躍した忽那汐里(くつなしおり)氏がミラノで行われた“25年春夏コレクション”にゲスト出演するということでSNSに写真投稿していた姿がニュースとなっていた。この女優さんは現在アメリカに拠点を移しているらしいが「別人のようだ」とネット上で騒がれている。確かに、その写真を観ると昔の面影がない。まあ、アメリカに拠点を移して暮らしているのだから「アメリカっぽく」変わっていくのは当然だともいえる。この人は四柱命式で観ると「年・月・日」が「壬申・壬子・壬申」という干支配列で、すべて“水干支”で統一される特殊な格局だ。元々が“超個性派としての人生を歩む”よう宿命づけられている。ただ彼女の場合だけでなく、これからの時代は「国」という垣根が不要になっていく時代に入りつつあるのではないだろうか。むしろ、これからは「生れた世代」によって“大枠が決まる”ような、そういう時代に入っていくような気がする。
2024-09-22
ときどき日本人は現実を「観て見ぬふりをする人種」なのだろうか、と思うことがある。たとえば「能登半島」だ。今年1月1日に“大地震”が襲った。丁度“飛び出ているその部分”だけを狙ったかのような地震だった。1月1日に起こった…というのは決して偶然とは言えない。今年は「この地域には近づかないでください」という暗黙の示唆なのだ。もちろん、その地域で暮らしてきた人々にとって「そんなことを言われても…」という反応になる。但し、若い人たちにとっては「自分の生まれ育ったところだけど、もう限界なのかな…」という想いも渦巻く。これは、能登半島だけでなく、多くの“生まれ育った場所”に違和感を抱く人たちが感じることなのだ。そして、そういう人たちの多くは、その地域を出た方が“幸運”を掴める。運命学的には、14歳までの間に、生まれ育ったところに“違和感を抱く”人は、その地域を出た方が“幸運”を掴める。もし14歳までの間に一度も“違和感を抱く”ことがなく、むしろ「この地域に生まれ育ってよかった」と感じる人たちは、そこに居続ける方が倖せを掴める。また、そういう感情とは別に、もっと早い段階から“その土地を離れざるを得ない人”は「第二の故郷」が待っているか、あるいは根本的に「根無し草の人生」を歩むか、いずれかになる。人間の運命というのは、そういった“いくつかのパターン”に振り分けられた人生を歩むように出来ている。能登半島は、私が思うに、出来れば“若い人たち”は「新天地」を求める方が良い地域になった。なぜなら、もう100%守ってくれる神様が居住していないように感じられるからだ。だから、そういう地域は自然災害に遭いやすくなる。今回も暴風雨が同時に襲ってきている。それは“若い人たち”は、ここから離れた方が良い…という最後の警告なのだ。つい最近、全国の地価が公表されたが「能登半島周辺地域」だけが“大きく値下がり”していた。当然といえば当然のことなのだが、致し方がない。時代は“勢いのある地域”と“勢いの失われた地域”を土地の価格として表す。古今東西、神様や仏様に“守られた地域”には壮麗な神社仏閣が存在する。そういうものが荒れ果ててきたとき、神仏は去っていく。いや神仏が去ったから荒れ果ててしまったのかもしれない。神社仏閣が崩壊されて再建の見通しが起たなければ、神仏は戻れない。
2024-09-21
東京都が都内に通勤・通学している18歳以上の独身の男女を対象として婚活用のマッチングアプリ「TOKYO縁結び」を立ち上げた。AIを使って、その人に相応しい相手を“択び出してくれる”というもののようだ。登録料は2年間で1万1000円と安くはないが、わたしはとても良い試みであると思う。そして、東京都だけでなく全国の自治体でも早急に“同じようなもの”を開始すべきだ。最近、少子化対策として、さまざまなことが自治体を発信源として行われているが、少子化対策のいちばんの決め手は“婚姻数の増加”にある。それなくして“出産や育児”だけに税金を投じるのは賢い方策ではない。いまより婚姻数が確実に増加していけば、黙っていても出産数は増加していく。逆に、自治体が結婚の手助けをしなければ、確実に少子化は避けられない。しかも、今回の「縁結び」では登録する方達に“独身証明書”や“源泉徴収票”の提出を義務付けているという。こうすることで、あとになって生じる可能性があるトラブルを防ごうとしている。現在、独身の男女で“結婚”を望みながら「とくべつ何もしていない」男女が7割なのだそうだ。そうであれば、自治体が登録している人たちを保証する形で、独自の“婚活用マッチングアプリ”を提供する……というのはとても良い試みだ。特に私が良いと思ったのは、その判断としてAIを活用するということ、その部分が何よりも良いと思った。言ってみれば“二人のキューピッド役”として「AI」が登場して来るということ。そうすれば不公平がないし、人に秘密を知られる心配もない。しかも、もしそれで“上手くゆかなかった”としても、それは“ダメなAIのせい”にすることが出来る。この部分がいちばん好い。なぜなら人を不愉快にさせたり、心配させたりする必要がない。AIは中立・公平で無駄口をたたかない。悪口も言わないし、噂話もしない。つまり信用できるのだ。もっとも、各自治体がこれを採用していったなら、私のような“占い師への需要”も確実に減るかもしれないが、元々、占いはこと結婚に関して、それほど相談数が多いわけではない。昔は多かったが、いまはさまざまな形で“占いに変わるもの”も存在するので、結婚を占いに頼る人は少ない。恋愛は“占い”でなければ解決できない相談も多いが、こと結婚は逆に“占いだけではどうにもならない”諸問題が控えている。そういう意味では各自治体とも競って“最良の婚活アプリ”を早急に開発・提供すべきなのだ。
2024-09-20
その昔、もう何十年も前に歌手の尾崎豊氏や俳優の川崎麻世氏と“浮名”を流したのが斉藤由貴氏だ。そして今58歳になっても週刊誌で2017年にW不倫という形で大々的に報道された医師と、再び“二重生活”としてスクープされた。こういうカタチで何十年経っても大々的に私生活が週刊誌に取り上げられる芸能人はそうそう居ない。そういう意味では、まず“ずっと一流芸能人”で居られていることの証明のようなものだ。大体“芸能界”というところは昔から「スター」というくらいで、輝いていないといけない。ただ単に“きらびやかな生活”ということだけでは、いまの日本人は喰い付いてくれない。きらびやかな部分と「妖しい要素」を併せ持っていないと、週刊誌やネット民は騒がない。ただ近年の日本人は芸能人だけではなく有名人全般に対して、ことのほかキビシイ。或る種のコンプライアンスが効いているのか、とにかく“目立つ不倫”や“背徳交際”をすると徹底的に叩かれる。日本はイスラム教国ではないはずだが「ムチ打ちの刑」のように徹底的に叩かれる。近年は特に、日本人の暮らしがそうさせるのか何事に対しても“寛容さに乏しい国民”になってしまった。間違いやミスがあった時「まあ、そういうこともあるよね、これからは気を付けようね」というふうに“優しく許す”ということが出来ない国民になってしまった。よく、不倫をした時に、その家族のことを想って“叩いている”というふうな意識をむき出しにする人が居るが、そうだろうか。そうやって何度も蒸し返され、繰り返し「可哀そう」と見せかけの同情をされる方が、はるかに“傷つく”ということだってあるのだ。放って置いてくれた方が傷は癒えやすい。ところで、この人は何十年も週刊誌で“不倫背徳報道”をされてきたわりには、日本人的な“ふつうの中年女性”から、そう遠いところに行っていない。奇妙なことには“妖艶さ”は身に付いていないのだ。通常、こういう人たちは“妖艶さ”が身に付いていくものなのだが、それがない。不思議なほど、ふつうのままなのだ。それは多分、この人が特別“男を操る”的な気持ちがまったくなくて、ごく自然に自分の気持ちのまま過ごしているからに違いない。きっと不道徳教室に通ってはいても、彼女はいまも“ふつうのお母さん”の気持ちそのままで居るに違いないからだ。
2024-09-19
ネットフリックスは18日から世界190か国以上にスタジオジブリが1988年に公開したアニメ作品「火垂るの墓」を配信し始めた。もちろん多くの方が知っているように、戦争の悲惨さを物語を通して訴えるアニメ作品だ。この作品は、作家の野坂昭如氏の小説が原作になっていて、彼の小説の中では、映画化されたせいもあって、もっとも幅広い世代に知られている不朽の名作となった。野坂昭如氏という作家は、大変に個性的な作家で、どの作品も一種独特の書き方をしていた。原稿用紙のマス目を徹底的に“埋め尽くしていく”ような書き方だった。しかも、現代では使われることのないような漢字や表現を多用するので、おそらく編集者泣かせだったに違いない。だが、その内容は独特の生命力を持ち、ギュウギュウ詰めで書くので、短編でも長編のような読後感がある。もっとも読むのが面倒になる書き方なので、わたしは何篇か読んだが、疲れるので止めてしまった。この「火垂るの墓」は多分に自伝的要素を持ったものに違いないので、ムリに作られていない透明感がある。ただ彼は東京都知事に立候補したころから、おかしくなった。芸術家は下手に政治家など目指さない方が良い。実質的に“世の中に残っている作品数”の少ない作家だが、この作品だけはアニメ映画化されたことで、今日まで生きながらえることが出来、むしろ、どの作品よりも“世界に知れ渡る作品”となった。作家の作品というのは解からないもので、どんなに現役の時に人気を博していても、没後は顧みられることのない作家もいれば、逆に、その生前はそんなに知られていなかったのに、何らかの理由から、その死後になって見直され、改めて“高い評価”を得られる作家もいる。わたしは戦後の日本を描いた小説の中では黒岩重吾氏の「さらば星座」という作品の最初の巻が好きだ。実際の体験者からの聞き取りを基にした作品で“戦後日本の混乱期”を活き活きと活写している。映画化してほしいとさえ思ったが、おそらく時代の中に埋もれていくだろう。歌などを通じて“平和を呼び掛ける人”も多いが、もっとも効果的なのは、子供時代に視ることが出来る“アニメ映画の世界”だと、わたしは思う。世界190か国以上の子供たちが、こういう作品を見て育つことが“デモ行進”をするよりもはるかに効果的なのだ。
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