10月, 2024年
2024-10-31
今から28年前にも“似たような災害”があった。その時には87人が死亡した。今回は現在までの報告だけで72人の死亡だが、実際にはもっと増えていくに違いない。スペイン東部バレンシア自治州で29日から起こっている豪雨被害だ。8時間の間に1年間分の雨が降ったという。いや、雨というより“ゴルフボール大の雹”や“鉄砲水”といった方が良い。現在も15万世帯が停電で、今日31日迄さらに雨は降り続く予想なのだ。こういうニュース映像を見るたび、わたしは自分の幼い頃の記憶が呼び覚まされる。豪雨の中を父親の実兄の家に歩いて向かった日の映像だ。そこは立派な住居で、少しくらいの豪雨が来ても、びくともしない家だった。わたしは、そこに逃れついた時「これで眠れる」と思った。自分の家では、怖くて眠れないのだ。風の音、雨の音が、いまにも“我が家”を捥ぎ取っていきそうなくらいに叩きつけて来る。それに、雨の水かさが多くなると、畳を上げなければならなくなる。床上浸水が怖いからだ。床上浸水してしまうと、当然のことながら畳がぶよぶよになって使えなくなる。だから、床上浸水しそうなときには、まず何よりも畳を上げなければならない。床下の玄関先に徐々に水嵩が増して来る時の恐怖は、それを経験したものでなければ解からない。ちょうど、鮫が牙をむいて静かに襲ってくるような奇妙な恐怖感なのだ。だから、そういう“我が家”から、土台が高くて床下浸水の心配もない伯父さんの住居に辿り着いた時、そこが“天国”のように思えた。父親や母親はなぜか伯父さんの奥さんのことを“悪く”言っていたが、当時5歳か6歳かだった私には、文字通り“天使のよう”に優しかった。「よく来たわねえ。お菓子、たくさん食べて良いわよ」その顔は、けっして「やさしそう」という感じでもなかったのだが、その時のわたしには“天使”に視えていたので、何の迷いもなく深い眠りにつくことが出来た。きっと、今回のスペインだって、何人もの子供たちが“天使”を感じさせる女性たちから抱きしめられたに違いない。子供達は、ふだんの女性たちが“どうなのか”など知らないし、関係がない。とにかく、地獄ののような所から救い上げて抱きしめてもらえたなら、それが「天使」なのだ。
2024-10-30
選挙前に、マスコミは耳にタコができるくらい「裏金」「裏金」と騒ぎ、その結果が功を奏したかのように与党は大敗した。ところが、今になって“怪しい雲行き”が生じてきている。結果全体で視れば「野党の大勝利」なのだが、どうも、その野党の“結びつき”が乏しいのだ。野党の数が多くなったのだから、野党から「首相」が登場しても不思議ではないのだが、そういう動きにはなっていない。その結果、どうなるのかといえば首相指名で「石破茂」が勝利し、立憲民主党の「野田佳彦」は首相にはなれない。つまり、野党連合というのは成立しないで終わる。終わるとどうなるのかといえば、自民党政権が続く。石破茂氏がそのまま“首相の座”を維持し続けられるかは微妙だが、少なくとも、政権そのものは変わらないし、当面の首相も変わらない。つまりは、特別、大きな“何か”が起こるかと思いきや、表面上では“何事もなかった”かのような日々が戻るだけだ。まあ、少なくとも、これだけ叩かれれば自民党だけでなく、政治家そのものが“裏金的な政治”は出来なくなった。その点では、今回の選挙の意義は大きい。昔は、政治家を長くやれば“大金持ち”になれたものだが、もう、そういう時代ではなくなった。だから、今回、もっとも良かったのは、これから政治家をめざそうという若い人たちが“金持ちにはなれない職業”だと悟ったことだ。もし、金持ちになりたいなら、アスリートとか、アーティストとか、芸人とか、起業家とかで、トップを目指す以外にない。但し、どの分野も、上手くいけば“大金持ち”だが、低迷し続けると“借金まみれ”になる可能性もある。つまり“平穏な普通の暮らし”を望むのなら、そういう道を歩まないことだ。或る意味で、政治家も、アスリートも、アーティストも、芸人も、起業家も、共通していて“ギャンブラー的な生き方”だということになる。よく「能力があれば成功できるはず」と勘違いしている人がいるが、実際にはそうではない。どんなに優れた能力があっても、上記の分野の場合には、その能力に見合った成果がすぐ現れるとは限らない。むしろ、すぐには「現れない」ケースの方が圧倒的に多い。ただ稀には、そんなに能力がなくても“成功を掴む人”がいる。なぜなら、これらの分野は“「運」に左右される部分”が大きいからだ。だから、自分は「なんとなく運がいい」と思える人は、ぜひ、これらのどの分野かにチャレンジすべきだ。ただし、40代半ばくらいまでで、それ以上の年齢の方は“無謀な挑戦”はお勧めできない。「平穏な暮らし」がいちばんだからだ。
2024-10-29
近年、各地で書店が続々と姿を消している。都会はそうでもないのだが、地方都市などはじわじわというペースで“その地域から撤退”という形に追い込まれて来ている。つまり「本屋さんのない街」が増えてきているのだ。そこで、街に“本屋さんを残していく”ために、国や自治体が「書店を支援すべきだ」という意見がある。最近の或る調査では「支援することに賛成」する人が79%もいたという。いくら「ネット書店がある」とはいっても、実際の本屋さんで「その中身を確認してから買いたい」というのは一般的な心理だ。特に、実用書などの場合、実際に中を見てみないと、自分が購入して役立つかどうか、なかなか判断がつかない、というのが一般的な考え方だろう。最近は“書名だけで中身が判る”よう工夫されている本も多いが、その分野によっては、やはり実際に「観てみないと…」高価な金額は投じられないと思うような場合も多い。小説などは、その前の段階で“雑誌連載”されている場合もあるし、その作家の作品をいくつか読んでいれば、大体「買って良かった」と思えるかどうか、事前に判断出来たりするので、ネットで購入にも抵抗は少なかったりするが、一般小説ではないもの、書き下ろしの作品、写真や図解の多い本、特殊な分野の本などは、やはり“中身の確認”をしたいと思うのは、当然の購入者心理といえる。先の調査ではその他「書店と図書館が合同でイベントを行う」こととか「図書館が地元書店から書籍購入する方法」などの提案にも、多くの賛成が集まっていた。ただ図書館と書店とが、あまり深く結びついてしまうと、それはそれで問題が出てくるよう、わたしには感じられる。なぜなら“小さな本屋さん”は特に「一般的に“売れ行きの良い本”を置きたがる」という習性がある。或る意味では当然のことだが、そうすると図書館のような“市民の人たちに悦ばれる本”とか“役立ちそうな本”とか“子供にとって有益な本”とか“癒しを与えてくれる本”とか……つまり「売れる本」とは“微妙に異なる本”が、図書館にも置かれなくなっていく可能性があるからだ。そういう点から考えると、やはり、国や自治体が書店に対して“支援していく”カタチの方が好ましいように思う。ただ書店の側も、やはり“全国的に売れる本”だけたくさん目立つように並べる方式を改めて行かないと、いつまで経っても“その地域”にとって有益な“本屋さん”にはなり得ない。ほんとうは日本における“書籍の流通形式”自体に問題があると私は思っているが、とにかく“さまざまな可能性”を検討していくことで、子供達のためにも、お年寄りのためにも、街の本屋さんを残していく取り組みは行うべきだろう。
2024-10-28
選挙の結果は、予想以上の与党の惨敗、野党の大勝という結末となった。野党が全体的に得票数を伸ばしたが、実際に集計結果をよく見て観ると、同じ野党でも比率的に“もっとも票を伸ばした党”は「立憲民主党」ではなく「国民民主党」の方であった。なにしろ、これまで“7議席”しかなかったのが“28議席”に増えたのだ。文字通り「大躍進」と言っていい。そこで、考えるべきは、これだけ得票率を伸ばした政党は、いったい国民に対して「何を訴えていたのか⁉」という点だ。実は、この政党はそんなに“独自色”を出しているわけではない。彼らが、今回、スローガンとして掲げていたのは「手取りを増やす」という言葉だ。それだけなのだ。具体的には「1給料・年金が上がる経済の実現」「2自分の国は自分で守る」この二つのことだけが、彼らの具体的な主張なのだ。解りやすいというか、確かに……とでもいうか、それ以外は特別“際立った主張はなく”そのことが逆にプラスに働いたようで、結果的には“4倍の議席数”を獲得することとなった。もちろん、これまで地道に活動を続けてきた党首・玉木雄一郎氏の努力の成果ともいえる。或る意味では“この人”でもっている「党」なので、この人の“今後の動向”がそのまま“今後の日本”に影響を与える可能性が出てきたともいえる。ただ今回のスローガンは「手取りを増やす」で、要するに給料も年金も“実質手取りが少ない”ということを訴えている。ナルホドその通りであるから、わかりやすいと言えば、これほどわかりやすいスローガンもない。しかも、給料だけでなく、年金も加えている辺りに、この人の“そつのなさ”が窺われる。ただ改めて「政党のスローガン」として捉えなおすと、なんとなく、ちょっと恥ずかしい。いろいろと引かれてしまう“その部分”を増やして、もっと良い生活を……という、苦労の滲み出たスローガンなのだ。何が言いたいのかというと、要するに、最終的には「少しでもたくさんお金を貰おうよ」ということを言っているわけで、それを多くの国民が「そうだ、そうだ‼」と投票したわけで、やっぱり「日本」の抱える最大の問題は“経済的な豊かさ”から遠のいてしまった…という“その部分”にあるのだということを、改めて感じさせられた今回の選挙だった。
2024-10-27
ここ15年の内で、最高の離職率なのだそうだ。21年度に“新卒”として入社した人たちの離職率が34.9%になった。つまり、学校を出て社会人として“会社員”としてのスタートを切っても、結局、3年経てば三分の一以上の人たちは最初の企業からは居なくなっている…という計算になる。この数字をどう見るかは、なかなかに難しい。現代は「昭和」の時代とは違って、ひとつの企業に“骨を埋める”というような生き方は、必ずしも称賛されない。企業側も、どんどん新陳代謝をしていかないと、いつまでも“エスカレーター式”の人材だけでは、現代に残っていけない。もし、辞めた理由が、他の企業から「スカウトを受けた」というようなものであったら、欧米などでは“優秀な人材”であることの証明となる。もっとも、日本は欧米と違って“横取りする”という発想がない。3年以内の離職の場合、自らが「辞める」意識を持った人たちばかりでなく、辞めさせられた…というか、辞めざるを得なかった…ような人達もかなりの比率でいるのかもしれない。ただ、人生とは、わからないもので、どういう理由で辞めたにせよ、それが生涯を通じてみた場合、むしろ“将来の幸福に結びついている”ケースも多い。だから3年以内の離職だけで、その後の人生を推しはかることなど出来るものではない。ただ、問題は、最初の企業だけではなく、次々と“辞めて行く”企業放浪型の人物もいることだ。2~3カ所程度は仕方がないが、7回とか、8回とか、数年とか、数か月とか、短い単位で“転職を繰り返す”癖があるのは、本人の方に問題ある場合が多い。これは恋愛とか結婚とかでも同じだが、3~4回程度は別に何ら問題ないが、7回も8回もという段になって来ると、やはり、本人の方に問題があると見なければならない。それから、もう一つ、稀に、一度とか、二度とか、その程度の離職で「もう自分は、どこにも働くことはできない」と決めつけてしまう人の居ることである。早い段階で、過剰に自分を卑下してしまうと、もう、そこから「働く」ということ「勤める」ということ自体に対して、或る種の恐怖を感じたり、萎縮を感じたりしてしまって、やがては人前に出ること自体が苦痛となって“ひきこもり人生”を歩み始める人のいることである。こういう人の中には、時にその“ひきこもり状態”のなかで才能を発揮し、起業するとか、発明・発見するとか、幸運な人生に切り替わっていく人もいるが、その多くは“自らの殻”に入ってしまって、脱皮するまでに時間が掛る。時としては永遠に脱皮できず、親の保護の中で暮らし続ける場合もある。ほとんどの人たちは“世の中を憎む”心情に至っているか、或いは逆に“自虐的に自己否定”するタイプか、だいたいどちらかとなってしまう。世の中というのは、意外とそういう人たちの「受け皿」的なものもちゃんと用意しているもので、働く意欲や体力が失われていない限り、タイミングさえ計れば、必ず脱出できるようになっている。
2024-10-26
奇妙なことがあるものだ。アメリカではここ数日“半導体関連株”の勢いが戻っている。とうとう半導体大手エヌビディアの時価総額はアップルを抜きトップに躍り出ている。10月に入って18%も株価が上昇しているからだ。一時期、低迷していたのがウソのようだ。奇妙なことに、日本の半導体関連株は、このエヌビディアの株価低迷に歩調を合わせていた。少なくとも10月まではそうだった。ところが、ここにきて異変が起こっている。10月に入って以降、いや“石破政権”に変わって以降、日本の半導体株はエヌビディアに歩調を合わせなくなった。要するに、アメリカは勢いが戻ったのに、いや、アメリカだけでなく、欧州とか、アジア各国とかもそうなのだが、エヌビディアに歩調を合わせて低迷していた半導体株が、勢いを取り戻して来ているのに、日本の半導体株だけが何故か出遅れている。前にも言ったが、基本的に「日経平均」はアメリカのナスダックと連動している。いや、これまでは連動してきた。アメリカの「ダウ」の方ではない。それは今年の“最高値”や“最安値”の時期を調べれば、すぐ判ることで「日経平均」の最高値も最安値も「ダウ」ではなく「ナスダック」と同一時期に記録している。ところが、ここにきて「日経平均」は「ナスダック」と歩調を合わせなくなった。「石破政権」に変わってから、こと株価に関しては“低迷しっぱなし”の状態なのだ。では、日本の半導体関連の企業はどうなのかといえば、これが間違いなく活力を回復しつつある。今年前半まではもたついていた半導体需要も、AI関連の半導体を中心として明らかに復活しつつある。本来、株価というのは“今現在”の反映ではなく、この“半年から一年半くらい”先を見越しての数値として反映されるものだ。そうでなければ、株価チャート自体が意味のない図形となる。そして、それら企業体の全体像が反映されるのが「日経平均」とか「トピックス」なのだ。日本各地にも、半導体関連の企業が続々と進出してきている。つまり、これから「日本」全体が“半導体”の活力によって、再び“高度成長”に舵を切ろうとしている“その時”であるのに、軒並み半導体株は低迷している。特に「石破内閣」が誕生して、まだ何もしていないのに、半導体関連株は見事なほど低迷し続けている。未来を表す半導体株が低迷していては「日本の未来」が低迷してしまうではないか。どうして海外勢は「日本」を買ってくれないのか。助けて、エヌビディア‼
2024-10-25
昔は、政治家として成功するための三要素として「ジバン」「カンバン」「カバン」が必要だと言われた。ジバンとは「地盤」のことで“地元の人脈”を意味する。カンバンとは「看板」のことで“地位・名誉の肩書”を意味する。カバンとは「鞄」のことで“詰め込まれた現金”を意味する。これらがなければ、政治家として成功できないと言われてきた。確かに、過去に政治家として成功した人たちを観ると、これらを得ている人たちが多い。もっとも、最近は「カバン」の方は問題となったりすることも多いのだが…。さて今回の衆院選挙では事前調査で、相当に勢力図が変わりそうなことを指摘されている。つまり、自民党が大幅減となり、その代わりに立憲民主党が大幅増となり、公明党は減り、国民民主党は増え、維新の会は減り、共産党は現状維持で、れいわが増え、社民党は微妙で、日本保守党は確保し、参政党も確保しそうなのだそうだ。何となく、いろいろな党が“増えて来た”印象だ。つまりは、どの党にするか、みんなが迷っている表れのような気がする。それと同時に、わたしが気になるのは「党首の顔ぶれ」だ。つまり、これまでとは「顔」を変えてきた党が多い。自民党も“総裁”がかわり「石破茂」となった。この人は昔“野党寄り”だった人物だ。立憲民主党も党首が変わり「野田佳彦」となった。この人は昔“与党に居た”人物だ。つまり、野党寄りだった人物が党首となって議席を減らし、与党に居た人物が党首となって議席を増やす。維新の会は、昔の“橋下氏と松井氏”が「顔」だったときに勢力を拡大したが、いま“馬場氏と吉村氏”に変わって、その勢力が衰退しそうだ。国民民主党と“れいわ”とは、その「顔」を変えていない。玉木雄一郎氏も、山本太郎氏も、いつの間にか世間に浸透してきたと視えて、その勢力を拡大しそうなのだ。まだ世間にそれほど浸透しているとは言えないが、それでも徐々に浸透しつつあるのが日本保守党と参政党で、この二つの党も、今回は議席を確保しそうだ。保守党は作家の百田尚樹氏と河村たかし氏が共同代表だが、どうも、この二人、個性が強烈なので、いずれは衝突するだろう。参政党は神谷宗幣氏という人が率いているのだが、どうも“都市伝説”的な思想を掲げているようで、どう変容していくのかが判らない。それから社民党だが、福島みずほ氏が独り頑張っているのだが、この人の眉間中央上部には“斜めの深い縦ジワ”が刻まれていて、それが徐々に深くなっている。観相家のわたしには、それが何よりも気になるのだ。
2024-10-24
今日はプロ野球の「ドラフト会議」の日だ。この日を境として、それまでの“アマチュア球児”たちが「プロ野球選手」へと変貌していく。言ってみれば「運命の日」だ。今年は実力派の選手が多いようで、投手では金丸夢斗選手、野手では宗山塁選手、西川史焦選手などが目玉として注目を浴びている。近年、日本のアスリートたちは世界で活躍する選手が多くなった。その代表的存在がプロ野球選手と、サッカー選手だ。他にもプロレスやボクシングなど格闘技選手の中にも世界的に活躍する選手は多い。特に欧米ではプロ選手に対して“破格の報酬”を支払うことが通例で、いまや芸能人たちよりも、プロスポーツ界でトップを極めた方が大金持ちになれる。但し、運命的に“大金が身に付く”生れになっていないと、確かに一時的には“途方もない報酬”を手にするが、それをずっと維持し続けられるかは、保証の限りではない。奇妙なもので、どんなに大金を得ても、先天的に“金運の良くない人”というのは、必ず、あっという間に失っていくものだ。逆に、先天的に“金運に恵まれる”生れの人というのは、たとえ一時的には窮地に陥っても、必ず、その何年か後には“それなりの収入”とか“それなりの財産”とかを手にしていたりする。大体、先天的に“大金持ち”になる生れの人は、20代前半くらいまでに“既になっている”のが特徴で、そういう人はどんなに“上を目指しても良い”が、そうではない場合には“途方もない大金持ち”は目指さない方が良い。とにかく、今日「第2の大谷選手」のように予想外の形で指名を受けて、やがては“アメリカンドリーム”を掴んで「世界的な選手」となって人気・実力とも兼ね備えた選手となる人物が出てくるかもしれない。かつての大谷選手も、この「ドラフト会議」からスタートしたのだ。彼は最初、日ハムに入ることを嫌がったのだが、当時の栗山監督が“彼の側に立って、やさしく諭して”入団を決断させた。おそらく、栗山監督がいなければ、現在の大谷選手はいないのだ。人間の運命は、どこで、だれと関わるかに掛かっている。「運命」とは最終的には“くじ引き”のようなものなのだ。或る種の“生きていく本能”と、研ぎ澄まされた勘とが、人生を優位に切り開いていく……。
2024-10-23
今回の選挙で、俗にいう“裏金問題”が影響して「自民党」からではなく「無所属」として立候補することになった東京17区の平沢勝栄元復興大臣。その平沢氏は、昔から“庶民派”ということで広く知られていた。実際、もう十年以上も前の記憶だが、その私生活も極めて庶民的な暮らし方で、著名人としてのセレブ的な暮らしとは程遠いことがTVを通じて紹介されていた。その平沢氏だが、今回は本人も納得できない状態の中「非公認」という形で勢力的に選挙活動を展開しているらしい。ところが、その活動状態をSNSで随時発信しているのだが、忙しいので「コンビニ弁当を買って車の中で食べた」ということを発信したら、それが“庶民生活に反する”ということで炎上しているというのだ。別に、高級レストランでランチを愉しんだ……と発信したのではなく、ただ単に「コンビニで弁当を買って、それを車内で食べた」という他愛もない内容である。ところが、それが「庶民派などとは言えない」というのだ。つまり、コンビニで弁当を買うのは「贅沢だ」「ほんとうの庶民はコンビニでなど買わない」というのだ。もう、こうなると「贅沢」とか「庶民」とかいう問題ではなく「心の貧しさ」の問題になる。忙しいから、とりあえずコンビニで弁当を買って、それを車内で食べて、次の遊説に向かう……という“その行為”さえもが「許されない」とか言うなら、そういうことをネットに書くあなたたちは「どれだけ質素な暮らしをしているのか」ということになる。仮に、その方達が「食費」は切り詰めていたのだとしても、必ずと言って良いほど、別の部分で“切り詰められる部分”に金を使っているのが、ほとんどの人たちだ。もちろん、中には“すべてにギリギリの暮らし”を実践している方もいるだろう。けれども、間違って欲しくないのは、そういう“暮らし方”をするのが「正しい生き方」などと言うのは、とんでもない思い違いである。われわれは“豊かな暮らし”をする権利を持っている。だから、それを与えてくれる政治家を択ばなければならない。決して「一緒に貧しくなりましょう」という政治家を択んではならないのだ。なぜなら「豊かではない暮し」を続けていると、人間というのは「心まで貧しくなる」習性を持っているからだ。心が貧しくなると、批判能力は盛んになるが、文化的で満ち足りた生活からは、どんどん遠のいていく。そして人を愛する心を、人を許す心を、どんどん失っていってしまうのだ。最近の日本人の中には、この「心の貧しい人たち」が徐々に増えていっているような気がする。
2024-10-22
米動画配信大手であるネットフリックスが先頃2024年7月~9月の決算内容を発表し、売上高、最終利益、有料会員数ともに“過去最高”になったと報告した。それだけ「ネットフリックス」の名前が浸透し、世界各国での視聴者が徐々に増えてきているということだろう。近年はSNSやYouTube動画の影響で、どのようなジャンルであれ、ヒットするものは“その国”だけにとどまらず、世界的に人気を得たり、関心を持たれたりする。或る意味では、それを如実に証明しているのが、このネットフリックスの市場規模拡大なのだ。だが、果たしてそれは“良いこと”なのだろうか。地球が、世界が、ひとつにまとまっていく……と考えれば、良いことのようにも思うが、果たしてほんとうにそうなのだろうか。たとえば、現在では“日本の漫画・アニメ”を観て幼少期を過ごした人たちが世界に何千万人も居る。いまや、日本の漫画やアニメは“日本人”だけのものではない。何が言いたいのかというと、日本人ではなくても、日本には居なくても、幼少期に“日本の漫画・アニメ”を観て育っていけば、当然のことながら、そのものの考え方とか、感じ方とか、反応の仕方とかは“日本風な部分”が与えられていく。別に意識していなくても、幼少期に刷り込まれた記憶は、その人の人格形成に強い影響を及ぼす。われわれだって、ディズニーの漫画・アニメの影響が少しは入っている。子供の頃の影響というのは、潜在意識と一体化しやすい。つまり、わたしがちょっとだけ心配するのは、ネットフリックスに影響されて育っていく“子供たち”が今後は増えていくに違いないということ。それは、一言で言えば“アメリカ人的な感性と発想”をもたらすということ。そして、その“アメリカ人的な感性や発想”というのは、今後の地球にとって、或いは世界にとって、好ましい在り方なのだろうか。欧米人も、アジア人も、中東人も、アフリカ人も、みんなが“同じような考え方”“同じような生き方”に向かうということが、果たしてほんとうに地球の今後にとって、望ましい姿なのだろうか。別に、アメリカ人が“悪い”とか“危険”だとかいうつもりはないし、少なくとも経済的には“アメリカ的発想”は“豊かな世界”に向かうのだと思うが、果たして、それが“未来の幸福”とイコールで繋がっているのかには、多少、疑問符が付くのだ。
2024-10-21
10月15日に戸建て住宅に押し入って、そこの住人に暴行を加えて死亡させ、現金20万を奪って逃走した容疑者の一人が、その途中で“犯罪に加担する”バイトだと気付いたが、相手に自分の“個人情報”を渡していたので断れなかった……と供述しているらしい。この種の供述は「闇バイト」に応募して犯罪を犯した若者たちに共通している。つまり、自分自身の情報だけでなく、家族の情報も握られてしまったことにより、指示薬の言うことを訊かざるを得ない心境に至っている。現代の若い人たちの多くは“家族想い”というか“親想い”というか、とにかく“親に迷惑が掛かること”を極端に嫌う。その結果として、自分が犯罪者になってしまったり、自殺に追い込まれてしまったりする。「自分の親」というものについて“勘違い”をしている若者が多いよう感じられる。「親」というのは、本能的に子供が倖せになることを望んでいる。自分の子供が“不幸になる”ことを望む親などいないのだ。そして、ここからが重要なのだが、地元警察というのは、基本的に地元住民が“安全で居られる”ことを望んでいる。地元住民が“恐怖におびえている”ことを望んだりしない。したがって、もしも最初は知らずに「闇バイト」に応募して、個人情報を握られ、ほんとうはやりたくないのに“強盗犯罪を犯す”ような状況に追い込まれている人がいたなら、その“強盗に狙われている家族”も救おうとし、その“強盗を指示されている人物”も保護しようとする。もちろん、実際に強盗を実行すれば逮捕するのは当たり前だが、その一つの目的は“危険から保護する”意味もある。闇の犯罪集団は、自分たちの組織を守るためであれば、バイト応募者の命を狙うことなどなんとも思わない。だから、そういう組織から“容疑者”や“実行者”たちを守ってあげることも、警察の仕事なのだ。この部分をもっとマスコミなどを通じてアピールした方が良い。そうでないと、普通のバイトと勘違いして応募し、結果的に“犯罪の実行者”となってしまう、時には“殺人者”にまでなってしまう若者たちが後を絶たないようになってしまう。もっと世間に「警察」は市民を守るだけでなく、知らずに「犯罪者」に仕立て上げられそうな若者たちをも“必ず守ってくれる”ところであることを浸透させてしまえば、実行犯はいなくなって、結果的に“闇組織”の壊滅にもつながっていくに違いないのだ。
2024-10-20
今日10月20日で上皇后美智子さまが90歳を迎えられる。最近、骨折をされたそうだが、現在は回復されリハビリ中であるらしい。年齢が行くと誰でも骨がもろくなる。言ってみれば“骨折しやすくなる”から注意しなければならない。不思議なもので、幼い頃は、走って転んで骨折するとか、何かにぶつかって骨折するとか、けっこう多いものだが、怪我をしてもたちどころに治ってしまう。それが年齢が行って怪我をした場合は、なかなか元に戻らない。この違いは一にも二にも“生命力の違い”にある。5~6歳くらいから11~12歳くらいまでが、つまり小学生くらいの時期が、もっとも“生命力の上昇時期”にある。だから、この時期の怪我は、よほどのことがない限り、回復するようになっている。感覚的に鋭敏な人なら誰でも、小学校の前を通ると或る種の“強い生命力”を感じる。時には“うるさく”感じるが、それは自分の生命力が“多少衰えてきている”ことの証明なのだ。上皇后美智子さまは、若い頃からさまざまな病気をされてきたが、その回復力は強く、皇太子妃や皇后としての役割も見事に果たし終えた。慈善活動にも積極的で、どういう場所にも天皇と一緒に足を運ばれた。この人の顔貌を写真で追っていくと、若い頃の顔写真と現在とでは“眉の部分”にいちばんの変化がみられる。つまり、若い頃には眼と眉との間は“ごくふつう”な感じで、特別に広いというほどではなかった。それが天皇家の一員となり、広大な邸宅を“自分の家屋敷”として暮らすうちに、徐々に“目と眉の間=田宅宮”が広がり始めた。昔から観相学上「田宅宮」の名称で知られるこの部分は、文字通り、自分が所有する“田畑”や“邸宅”の座所とされていて、ここが特に広い女性は昔は「玉の輿に載る相」として尊ばれたものだ。実際、平安時代の画像など視ると、宮中に入る女性たちは“眉を剃る”場合もあるが、先天的に“田宅部位”が広い女性が多かったよう感じられる。アパホテルの社長なども、その顔貌は“広い田宅宮”が特徴で、この人も慈善事業的なものに対して積極的である。したがって田宅宮の広さは、或る程度は先天的な部分もあるが、昔から観相学的に伝えられているように、陰徳を積み重ねることで“徐々に広くなっていって”それと歩調を合わせるように「田宅部分も広くなっていく」という現象があるよう感じられる。この部分が狭い人は、その幼少期“狭い住宅”で生まれ育ったことを意味しているが、そういう人であっても、慈善活動などを積極的に行っていれば、徐々に“田宅部位”は広がって、俗にいう「殿様顔」に近づいていく……。
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