10月, 2024年

「心を強くする」ため「筋力アップ」は正しい⁉

2024-10-07
近年、静かなブームとなっているのが「ボディビル」だ。昨日、ボディビル界のレジェンドである49歳の木澤大祐氏が初優勝した。20年間、常にファイナリスト入りしながら優勝は出来ずにいた。それが競技人生最後の今年49歳で初優勝できたということで感激のコメントが会場に流れた。人間には、当然のことながら運の“良い人”と“悪い人”とが居る。運の良い人は、そんなに努力しなくてもトップになれるし、運の良くない人はどんなに努力してもトップにはなれない。ただトップにはなれないが“そのすぐ傍”までならなれる。だから、運の良くない人は最初からトップをめざさず、3位くらいを目指して努力する…という方法もある。そうすると気が楽になって、かえって好結果が生まれることもある。今年、木澤氏がどうして優勝できたのか知らないが、もしかしたら、もう「今年で最後」という気持ちが、これまでの“気負い”をなくしてくれたのかもしれない。つまり、今年に関しては「3位くらいまでには入れれば…」という気持ちで居たのではないか。なにしろ20年間トップにはなれなかったのだ。その結果、かえって“気負い”が抜けて“輝いて見えた”可能性もある。あまりに気負いが強いと、輝きが薄れる。ところで、近年、ボディビルやフィットネスが大流行である。昔はどちらかと言えば“特殊な人たち”と見られていた「キン肉マン」たちが、現代では“あらゆるところ”に潜んでいる。有名人たちの中に“筋肉自慢”する人たちが多くなったことも影響しているのだろう。もう一つ、見逃せないのが、肉体を鍛えて、それがそのまま“心を鍛える”ことにつながる……という錯覚を与えている面があるような気がする。確かに、筋肉もりもりになると“心まで強くなった”ような幻想を与える。けれども、ハッキリ言って“身体=精神”ではない。昔から“精神的に強靭な人”というのは歴史上たくさんいるが、その多くは“ひ弱そうな肉体”の持ち主であって筋肉隆々ではない。ただ、精神的に極端にひ弱な人にとっては、筋トレ自体が“忍耐強さ”や“毎日の訓練”に繋がり、すぐ物事に諦めたり、気が変わったりする“幼さ”からは脱出させてくれる。間違いなく、簡単には“負けない精神”を培ってくれるのは確かなのだ。そのせいか、最近は女性でも“ものすごい肉体美”“驚くような筋肉美”を披露している女性たちもいる。ただ、あまりの筋肉美は“女性美”とは異なる。女性としての“曲線美”とは明らかに異なるのだ。徐々に“筋肉女性”が増えていくのは、なんとなく“日本の未来”を垣間見るようで、ちょっと怖い。

「占い分野」での「光る画の技法」を見つけたい

2024-10-06
どういう分野でも、常に“高み”を目指している人は居る。もう“知り尽くされている”ように視える事柄でも、それに満足しない人たちによって“新たな技術”とか“製法”とか“発見”とかがなされていく。満足してしまったら、そこで、もう終わりなのだ。画家の桑宮亮氏が絵の具による“光る技法”を考案し、通常の絵画なのに“光を伴う画面”を描き出している。SNSで多くの人たちから「なぜ?」という疑問を浴び、この秘密を公開している。それによると、色を薄く何度も塗り重ねることによって“光る部分”が生じて来るのだという。或る種マジックのようだが、新たな技法であるに違いない。写真ではないから、普通に考えると“光る輝き”を表すことは難しい。多分、この画家はさまざまな技法の実験を行っているうちに、この手法を身に付けたのだろう。履歴を見ても、東京芸術大学を出ているので、漫画家などの“光り輝くように視える”技法とは明らかに別物なのだ。絵画の世界など、もうあらゆる技法は“出尽くしている”かのようにも思えるのだが、それでも“未知の領域”は存在する。そういうことが“あらゆる分野”で言えるように私には思える。だから、私が所属する「占い」の分野でも、既に“完成されたもの”のような錯覚を持っている占い師というのは、何の進歩もない。「占い」など、わたしに言わせれば、まだまだ発掘された部分が30%にも満たないのではないか……と思われる。未開拓の部分が70%を占めている。それなのに、多くのプロ占い師たちは、まるで個々の占いが既に“完成品”であるかのような取り扱い方をしている。だから一歩も進まない。こんなに“進まない世界”も珍しいが、それでも通用するのは、一部の権威者と呼ばれている人たち自身が“完成品”として、新たなる研究や試みを最初から放棄しているからだ。だから、マスコミなどで「占い」は“エンターテイメント”としては扱われても、学術とか、ほんとうの意味での文化としては扱ってもらえない。マスコミにとっても「占い」はあくまで“ショータイム”の一部として扱うことはあっても、学術としてとか、文化としてとかは“扱いたくない”分野なので、そういうことを言う“わたし”などは邪魔な存在でしかない。また、占い世界を牛耳っている“有名人”にしても、マスコミで宣伝してもらえるならエンターテイメントで充分なのだ。だから、よけいなことをいうわたしのような人物は“困った存在”でしかない。だが、どういうふうに思われても良いが、わたしは「占いの世界」の中で“新たなる技法”や“新しい発見”を、いつか現れる後進の天才のため遺していきたい。

八方美人の「ドル円」が、双方に愛想振りまく⁉

2024-10-05
今年ほど「日本の“円”」が右往左往している年はない。大体がいつもは“一方方向”へと、ちょっとずつ引っ張られていくことが多いのだ。それが今年は“あっち”へ行ったり“こっち”へ行ったり、まるで初めて大都会にやって来た中学生のような初々しさなのだ。もちろん「円安」方向に向かったり「円高」方向に向かったり、一日でコロコロ変わるさまは可愛らしいともいえるが、それに振り回される職業の人たちにとってはたまったものではない。輸出業でも、輸入業でも、観光業でも、製造業でも、販売業でも、サービス業でも……多分、そのいちばんは為替担当の金融関係者とかFX投資家とかかも知れない。しかも、そういう専門家たちでも、今の為替の“正しい方向性”を読み切れてはいないのだ。だから占い師である私が、代わりに予測してあげている。まあ、わたしの場合は占っているのではなくて、なんとなくの勘で言っているだけに過ぎないが……。それでも、一貫しているので、為替は何よりも金利動向に左右されるのだが、わたしは6月から「日本の場合は7月に利上げで、アメリカの場合は9月と12月に利下げだ」と言っている。一度もブレたことがない。そして、少なくとも、これまでは、そういう感じで来ているではないか。だから石破政権が誕生したとしても、だからといって今年中に次々利上げとはならないのだ。それをやっちゃうと、一気に株価が下がって政権が持たなくなる。アメリカの方は予想通りに9月に利下げし、あとは12月だ。まあ、わたしの“占い”ではない“勘”が当たってくれれば、ドル円はもう少しだけ“円安方向”に傾き、日経平均は12月の史上最高値を目指す。そういう感じに進んでくれれば、それはそのまま“日本経済の先行き”となるので、来年や再来年はじわじわ景気が良くなって「♬日本良いとこ一度はおいで…」という歌があったかどうか知らないが、訪日客で溢れる「日本」そして「半導体バブル(私は言い続けるのだ‼)」で沸く「日本」になっていく(と好いなあ…)。そういう感じになってくれれば、だれが総理でもどうでも良くて、何の政策でもどうでも良くて、なんとなく活気が戻って華やかに変わっていく「日本」になれれば、それで良いのだ。双方に御愛想を振りまいておく……。

2か月の間に「職員30人一斉退職」の高齢者施設

2024-10-04
通常の事業と違って“高齢者施設”とか“介護施設”とか“児童保育”など公共性の強い事業の場合、或る程度、その地域における行政機関が“一定の基準”を設けて監督・指導する義務があるよう私には感じられる。そうでなければ、安心して自分の家族の命を“そこ”に預けることはできない。基準というものを持たずに、完全なる民間事業として放置すると、どうしても“怪しい企業”や“怪しい経営者”が紛れ込んでくる。都内で昨年10月にオープンしたばかりの高齢者施設が問題になっている。まだ開設して一年経ったばかりだが、この2ケ月の間に“給料不払い”で職員30人がいっせいに退職。残った職員だけで90人以上いる高齢者たちの面倒をみなければならない異常事態が続いている……というのだ。しかも、突然9月26日に運営会社の方から「施設閉鎖」の貼り紙がなされたらしい。現在、東京都の方も問題視して運営会社との間で話し合いが始まっているらしいのだが、とりあえずの処置を講じないと、そこで現在も働いている職員や、そこに入居している90人の高齢者たちとその家族にとっても安住の場とはなり得ない。いまは公共性の強い職種であっても、商売として旨味があると思えば、参入してくる事業者が居る。本来、この種の事業は、或る程度のボランティア精神を持っている事業者でなければ、参入が難しいものだ。そこで働く人たちにとっても、決して“労働力に見合う収入”とはならない。大体がそういうことを解ったうえで入って来る職員が多いはずで、そういう人たちがいっせいに辞めていくのは余程のことなのだ。現在、都内における高齢者施設の平均では入所者一人約20万円を支払ってもらわないと、実質経営が難しいという。それなのに、この施設の場合にはひと月約11万円の“格安料金”を謳って入所者を募集したという。経営が傾くのは当然なのだった。現在、社長は“雲隠れ状態”で既に「弁護士に入ってもらっている」という感じで経営継続の意志はないと思われる。公共性の強い事業は、未知の経営者が机上の計算だけでスタートできるようなものではない。行政が監督や指導をしていかないと、今後もこの種の問題が発生していくに違いなく、地域によっては“理想的経営”を実現したところもあるかもしれず、どのような形が取られれば経営者にとっても、職員にとっても、入所者にとっても、その家族にとっても、その地域にとっても、好ましい形を作って行けるのか、考えるべき時代に入ってきているような気がする。

その人の“何”が幸運を授けるか「神のみぞ知る」

2024-10-03
人間というのは、本人が「自分のことを一番よく知っている」と思いがちなものだが、こと“自分の魅力”というものに関しては、明らかに“他人からの眼”からの方が的を得ていることが多いものだ。というよりも、自分の“魅力”というのは、実際には自分自身で見つけ出すのは難しいように思う。女優で歌手でもある薬師丸ひろ子氏が現在、精力的に“歌手”として全国ツアーを行っているようだ。この人は少女時代に役者としてデビューし、そのついでと言っては申し訳ないが、映画の主題歌も歌った。それが意外なほどの反響を呼び、歌手としての素質が花開いた。本人がどう思っているか知らないが、少なくとも世間的な評価としては、間違いなく最初に「女優」が来て、その後に「歌手」がくる形で誰もが記憶しているはずだ。ところが、歌手としてのTVなど出のステージは決して多くないのに、その歌声は印象的で、だれもが癒される。心地良い声とでもいうか、いつの間にか人の心に忍び込んで来る“不思議な歌声”の持ち主だ。そのせいか、いつの頃からか、この人は“歌手”としてのステージも大切にするように変わった。多分、そんなに宣伝しなくても、客席が埋まるからだろう。私生活では、いつの間にかカメラマンA氏と事実婚をしているらしく、このほど昔の住居を取り壊して、新たな“終の棲家”を建設中らしい。多分、今では“女優”としての収入よりも“歌手”としての収入の方が上回っているに違いない。このようなケースは稀ではない。自分の本来の仕事ではない部分で脚光を浴びていく人たちだ。彼女とは逆に、最初は歌手としてステージに立ったが、いつの間にか“女優”としての仕事の方が本格的になってしまう人たちだ。小泉今日子氏や南野陽子氏や夏木マリ氏などがその典型だろう。その人の中に“眠っている素質”は、実際のところ本人よりは“見抜く眼”を持っている人の方が、素早く察知する。もちろん、これは歌手とか女優とかの話だけでなく、一般社会においても、さまざまな職種や分野においても言えることである。自分のことは自分がいちばん良く解かっていると思うのは、こと“自分の魅力”という点においては正しくはない。ただ、その“魅力”を引き出すことが出来るかどうかは、最終的には、神がそのチャンスを与えるかどうか……に掛かっている。

英語で「殺したい‼」は瑠奈被告の「心霊現象」

2024-10-02
昨年の7月にススキノで猟奇的な「首狩り殺人」が行われた事件で、共犯容疑で逮捕された母親の公判の中で承認に立った父親が提出した田村瑠奈被告と父親との“録音された会話内容”が大変に興味深い。瑠奈被告は自分の父親に対して、英語で「お前を殺したい」と激しく罵倒しているのだ。さらに父親が“精神科の受診”を奨めたことに対して「とっとと消えろ、てめえらを殺してやる、ずっと、そう思って生きてきたんだよ、てめえの妹と私は…」などと父親を怒鳴りつけている。特に、わたしが注目したいのは、英語で「お前を殺したい」と言っていることだ。瑠奈被告(30歳)は、両親とも純粋な日本人だ。しかも、海外で暮らした経験もない。それなのに、父親との会話なのに英語で話している。これは何を意味するのか。わたしは彼女の中に“もう一人の人物”を感じずにはいられない。つまり、彼女は自分の中に棲む“もう一人の人物”にときどき肉体を占拠され“葛藤を繰り返していた”可能性がある。彼女の言葉の中に“意味不明の文言”がある。「てめえの妹と私は…」という部分だ。父親に妹はいないし、瑠奈本人にも妹はいない。したがって、この言葉は瑠奈自身から発せられたとすると、つじつまが合わないのだ。だが、もし、彼女ではなく“英語圏に生きたもう一人の人物”として捉えると、それなりの理解が出来る。つまり、その人物の中では瑠奈被告を“妹”として捉えていたと仮定すればだ。もしかすると、もう一人の人物は父親を“父親”ではなく“瑠奈の兄”として捉えていた可能性がある。実際、瑠奈被告が“多重人格的傾向”を示していたことは、父親も認めているし、本人も認めている。本人によると「シンシア」というのが、もっとも主要な“多重人格としての人物”だったらしい。したがって、もしかすると、このシンシアにとっては“共存する”瑠奈被告と一体化して、殺してやりたいほどの復讐心を抱いている相手がいた……ということなのかもしれない。そして、それは、もしかすると、自分の兄弟たちであった可能性もある。瑠奈本人にとって“内部的葛藤”を処理するためには、共存相手に沿う“復讐心”を抱く必要性があり、彼女自身にとっては“両親”を“そういうふうに捉える”しかなかったのかもしれない。けれども、実際には“両親”を殺人の対象とすることは出来ず、ディスコで知り合った“女装男性”が“その対象と化して”いった可能性が強いよう私には感じられる。彼女の中にある“多重人格性”というか“もうひとりの人物”を何とかしないと、彼女自身も、シンシアも、決して救われることはない。

2024年10月の運勢

2024-10-01

「水上竜巻」に「大型ハリケーン」で人類“ひ弱”

2024-10-01
いつも思うことだが、人間というか、人類というか、決して生命体としての「地球」に勝つことなど出来ない。人類はほんとうに“ひ弱”で、地球に“手も足も出ない存在”だということを再認識する必要がある。香港のビクトリア・ハーバーでは28日の昼間に珍しい「水上竜巻」が起こった。海面に“渦巻き現象”が表れ、それに伴なって“水柱”が立ち始める。要するに地上で起こる“竜巻現象”の水上版と思えば良い。ただ直立して“黒雲の中に吸い込まれていく姿”は、まるで“生きている龍”が立ち上っていくかのように視える。もしかすると、古代人はこの現象を観て「水龍」というものを想定したのかもしれない。この“竜巻現象”を、もっと大きく強烈にしたものがアメリカ南東部を襲っている“大型ハリケーン”だ。海上から地上へとやってきて、ものみな根こそぎ“なぎ倒して”いく。これに対処するには、地下に強力なシェルターを作る以外にない。地下のシェルターというと“核戦争の時”に必要なもののように日本人的には受け止めがちだが、実際にはアメリカ南東部の海岸付近では、毎年、大型ハリケーンがやってくる時期になると必要になる“防空壕”のような存在なのだ。実際、つい最近に襲ってきたハリケーン「へリーン」によって南東部の200万世帯以上が停電になり、102人もの命が失われた。アメリカは最先端科学の国として世界に誇れるものをさまざま所有しているはずだが、こと“自然災害”に関してはどういうものか“ひ弱”で何一つ抵抗できない。赤子の手を捻るようにハリケーンに操られている。ハリケーンだけでなく、豪雪にも弱いし、寒冷にも弱いし、酷暑にも弱い。最先端科学は何一つ“救いの手”を差し伸べてはくれない。尊い命をハリケーンなどの自然災害に、つまりは生命体としての「地球」に差し出している。わたしはいつも思うのだが、ネット通信がいくら早くなっても、映像がいくら鮮明になっても、そんなことで“人の命”は救われるものではない。コロナだって、あんなに騒いだが、結局のところほんとうの対策は“放って置くこと”に行き着いた。結局、自然災害などに関しては“お手上げ状態”なのが現代の科学なのだ。せめて、もう少しハリケーンや台風を“封じ込める秘策”を発見する科学者たちが出てきても良いのではないだろうか。 Newer Entries »