12月, 2024年
2024-12-26
一部の「ドミノ・ピザ」店で、クリスマス用の宅配ピザが極端に「届くのが遅れた」とか「結局、届かず仕舞いだった」という問題が発生していたという。市内のある店舗では、前日に予約を入れておいたのに、その予約の設定時間から四時間遅れになったとか、結局、届かず仕舞いで電話も通じなかったとか…いう事態となっていたらしい。どうして、そういうことになったのか。ピザという商品の都合上「作り置き」が出来ない。したがって、その時間少し前に“焼く”ことになるわけで、宅配だけでなく、店頭販売も行っている店の場合、どうしても人手が足りず、店頭販売の方が優先になる。したがって、宅配の予約が次々入っても、それを“商品化する”ことが出来ず、結局、店の前には大勢の“お持ち帰りの客たち”と、宅配ピザを配送する出前配達員と、その二つの集団が“並んで待っている状態”となってしまったらしい。人間の心理とはおかしなもので“長い行列”が出来ている店ほど、その後に続く客が生じてくる。クリスマスイブというのは、当日のみで、持越しが出来ない。そこで夕方くらいまでは、それほどの混みようではなかったのに、6時を過ぎるころからは“一気に大集団”となってしまったらしい。こういう“生もの商品”は、だれもが、同じ日に、同じものを頼まなくても良さそうなものなのに、群集心理は一カ所に集中してしまいやすい。特に“SNSの時代”となって、だれもが情報を共有できるようになったことが、一か所集中を起こりやすくしている。今後、年末年始になって、何かの注目される情報が拡散し、一つの神社の参拝客が集中するとか、一つのライブ会場にファンが殺到するとか、何かしらの事件とか問題が生じなければ良いが……と私などは思ってしまう。SNSの時代は、どうしても人の興味や関心が“一つのモノ”に集まりやすい。特に“生もの”の場合には、それを上手く“捌いていく”のは容易ではない。警備員などが事前に配置されるところは良いが、そうでない場合には「人は人、自分は自分」というような行動をとるよう心掛けないと、予知できる事件や思わぬ出来事に“巻き込まれてしまう”可能性があるということを自覚しておく必要がありそうだ。
2024-12-25
世界的な調査会社の集計によると、来年は今年よりも「自分にとってより良い年になる」と回答した日本人は、調査した33か国中でもっとも低く、38%で8年連続“最低”だったそうだ。3割台になるのは3年連続で、しかも2番目に低いフランスとの差も大きい。つまりは日本人というのは“自分の将来”に対してきわめて悲観的な捉え方をする国民であることが解かる。今回の“世界平均”は71%なのだ。インドネシアとか、コロンビアとか、中国とかは、いずれも楽観的で90%台である。中国などは“不動産不況”で経済的にも怪しい状況にあるが、それでも自分の将来に関しては楽観的に捉える。そういう点からすると、日本人はあまりにも“暗い面ばかり見過ぎる”国民性を持っているのかもしれない。自分に対してばかりではなく、世界に対しての観方でも、その点は共通していて、来年の“世界経済”という面に関しても、日本人は28%しか「今年よりも良くなる」とは捉えていない。言ってみれば、どういうことに対しても、幻想を抱かず、厳しい観方や捉え方をしやすいのかもしれない。ただ潜在意識の活用法という観点から言うと、悲観的な捉え方よりも、楽観的な捉え方をする方が、潜在意識の持つエネルギーは“幸運な出来事”を生み出しやすい。そういう点から言えば、日本人はもう少し“楽観的に物事を捉える癖”をつけた方が良い。たぶん、そうなっていないのは日本のマスコミにも多少、責任があるような気が私にはする。日本のマスコミは総じて将来に関しては“悲観的なニュース”を多く報道しがちな気がするからだ。もう少し将来に対して“明るいニュース”や“嬉しくなるニュース”を優先的に報道すべきなのだ。日本ではニュースではなくて、バラエティー番組という形で“明るいこと”を扱いがちである。それは、それで良いのだが、多少、無理のある“笑い”を取り込もうとする。だれもが自然に楽しくなるようなバラエティーなら良いのだが、強引に“笑いに持っていく”ような番組が多い。そしてニュース報道になると一変して“悲観的な報道”が多くなる。バッシング的な“繰り返し報道”も多い。これでもか、これでもか、と同じような“暗いニュース”ばかり流されると、どうしても“自分の将来”に対しても“楽観的な未来”は抱けなくなる。別に、ムリに“明るいニュース”を探さなくても良いが、日本独自の“ほっこりニュース”や“ほんわかな話題”を取り上げていく機会を多くすれば、自然と“将来への明るい眼差し”が育っていくような気がする。
2024-12-24
近年の韓国には“自己主張の強い人たち”が多い。いつの頃からか“協調性”というものを失い始めているような“危うさ”を感じる。昔、欧米系のニュースを観ていて「なんでも、すぐデモをする人たちだな」と思ったことがある。それが最近は、欧米人より韓国人の方に感じることが多くなった。もちろん、民主主義の国として、それは悪いことではないが、あまりに頻繁に見掛けると、或いは、そのデモが“常軌を逸してしまう”と問題が発生しやすくなるし、もう少し何とかならないものだろうか…と思ってしまう。もちろん、わが「日本」だって、ときどきデモをしている人たちは見掛ける。けれども、日本の「デモ」は、なんとなく“お行儀が良く”安心して観ていられる。或る意味で、それほど切羽詰まっていないからなのか、それとも元々“協調性”というものを身に着けている国民性だからなのか。とにかく韓国のデモは何となく怖い。先日、韓国では大統領に対する弾劾訴追案なるものが議決されたが、その当日、SNSを通じて、それを強く支持する発言をしていたのが歌手・イ・スンファン氏だった。彼には以前から、その種の発言や行動が多いらしい。その彼が25日に亀尾市で予定していた「35周年記念コンサート」が23日になって急きょ中止となった。亀尾市の市長が、13の市民団体から「コンサートを口実にした政治的扇動を放っておくことはできない」という意見を尊重し、市の管轄であるコンサート会場の使用を禁止にしたためだ。市民団体は、先に主催者側に対して「政治的言動をしない」という誓約書に署名することを求めたのだが、イ氏側がこれを拒否「捺印する意志がない」と回答してきたためだ。このままコンサートを行えば、混乱が起きることは必至で、それを懸念して、金市長が緊急記者会見を開いて、市民の安全と生命を守るため、中止を決定・通告したと語った。これを受けて、イ氏側は「法律に基づき提訴する」予定であるという。したがって、まだ終わりとは言えないが、とにかく、近年の韓国では“この種の騒動”が多い。ただアメリカなどでも有名人の「政治発言」はしばしば行われていて、今後は「日本」だって、その可能性は十分にあるのだから、この種の問題に対しては、早い段階で“それなりの規定を設ける”とか、法律を定めるとかしておかないと、今後ますます“こういった問題”が社会的な事件に発展していくような気がする。ただ芸術家は、出来れば“作品の中”で訴えかけて欲しい。
2024-12-23
最初にお断りしておくが、プレゼントとかお年玉とか言っても、もちろん直接、差し上げるのではない。さらに「絶対に急騰する」という保証もしない。当然のことながら、投資は最終的には“自己責任の世界”だからだ。この年末~年始にかけて“急騰する日本株”として、わたしがお奨めするのは「暗号資産(仮想通貨)関連株」だ。現在は海外では「暗号通貨」という呼び方が一般化しているようなので、今後はそういうような言い方で統一したい。暗号通貨の中で、もっとも知られているのは「ビットコイン」だが、その他「イーサムリアム」とか「リップル」とかが比較的知られている。もちろん、その暗号通貨そのものを購入する方法もあるのだが、わたしが奨めるのは「日本株」の中にある“その関連銘柄”の方だ。その方が短期間には急騰しやすいし、税金面からも優遇されている。しかも、後になって何かの手違いで流出するとかの心配もない。現在、日本の市場には“関連銘柄”と呼ばれるものが十数種類もある。いや、細かく言えばもっとあるが、本当に“急騰する可能性”を秘めているのは、そんなに多くない。その代表的な銘柄としては「メタプラネット」「セレス」「マネックス」「リミックス」「SBI」「トレーダーズ」「クロスキャット」「GMO」「メルカリ」などである。これらの中で、もっとも値動きが暗号通貨に連動しているのは「メタプラネット」だ。ハッキリ言って、この企業は“長期的に保有すべき銘柄”とは言えない。その事業内容は怪しいからだ。けれども、短期売買には、もっとも向いている。上がり下がりが異様に激しいのだ。だから、その“上がり下がりの特徴”を見極めれば、比較的初心者でも“大勝”をすることが出来る。これに対して、今後が期待できるのは米のナスダックに上場した傘下企業を持つ「マネックス」と、同じように傘下企業を上場させようとしている「セレス」は、共にトランプ大統領就任前後までは、急騰していく可能性が強い。もっとも、暗号通貨関連企業は、ここ何日かは急落気味である。なにしろ、上がり下がりが激しいのが、これらの特徴なのだ。そして、下がった今こそ“買いのチャンス”と言える。短期間に“お金を増やしたい人”向けだが、今日から上がるとは断言できない。今週中に急騰しだすことだけは断言できるのだが……。
2024-12-22
奇妙なことに、年末が近づいてくると、人は「過去」を振り返る。それも去年とか一昨年の“身近な過去”ではなくて、ずっと遠い「子供時代の過去」についてだ。年末以外には“忘れている”のに、どういうものか、年末になると決まって“子供時代”が蘇ってくる。ほんとうなら、子供時代よりも“来年のこと”でも考えれば良さそうな時期なのに、なぜか“それ”はそんなに重要ではない。頭の中を勝手に駆け巡るのは、懐かしい“子供時代の場面”に限られるのだ。そうは言っても、わたしの場合、そんなに“良い想い出”というのは少ない。たいていは「サンタクロースがやって来なかった」とか「お年玉がほんの少ししかもらえなかった」とか「両親ともお家の中に居なかった」とか、まあ、われながら“可哀想な場面”ばかりだ。それでも……というか、それなのに……あの頃のことばかりが、やけに懐かしい。そう“可哀想な少年時代”なのだが、その少年時代が、今となっては妙に懐かしい。そして何にも増して“宝物のような愛おしい”少年時代なのだ。不思議なもので、あの頃は「こんな家は嫌だ」とか「こんな両親は嫌だ」とか「こんなひもじいのは嫌だ」とか、いつも思っていたのだが、今になってみると、ああいう感じだったから良かった……というか、人一倍なつかしく、想い出として大切なのだろう。今になれば言えることだが、あの両親で良かったし、あのお家で良かったし、あの貧しさで良かったのだ。人間の記憶というのは不思議なもので、過去に遡れば遡るほど、ぼんやりとしてくる。そうしてセピア色に変った写真のように妙に懐かしくなる。懐かしさだけが、どんどん深まって、愛おしくなって、子供時代の“はなたれ小僧”の私自身を抱きしめてやりたくなる。何にも言わずに抱きしめてやりたくなる。どうして、そういうふうな気持ちを抱くのか、どうして“あの頃の自分”を愛おしく感じるのか、正直、解からない。ただ解かっているのは、どんなに頑張っても、もう“あの頃”には戻れない。多分、他の兄弟たちは「戻りたくもない」というかもしれない。だが、わたしは戻って“幼い自分”を、何も考えていなかった“子供の中の子供だった”自分を、妙に抱きしめたくなるのだ。
2024-12-21
北九州市内のマクドナルド店舗内で12月14日、平原政徳容疑者(無職43歳)が無面識の二人の男女中学生を刃物で殺傷した。防犯カメラ映像などの追跡から平早容疑者が浮上し、19日になって自宅内で逮捕され、本人も殺傷を認めている。ただ肝心の動機について、それまで無面識であった中学生を襲った理由については供述していない。マクドナルド店の敷地内に車でやってきた容疑者は、しばらくの間、そのまま車内に居たと言われる。ここが動機や理由を知るうえで重要な部分なのだ。もしも、完全なる“無差別殺人”を狙うのが目的だったならば、到着したなら、すぐに降りてくれば良いのだ。そうしなかったのは、おそらく無面識ではあっても“特定の人物”が来ることを待っていたからなのに違いない。ここで言う“特定の人物”とは「中学生」だ。彼は“誰でも良かった”のではなく、自分の子供と“同じ学校に通う”中学生を狙っていたのだ。その彼の目的の人物がやって来て、店内に入ったことを見届けて、彼は動き出す。したがって、店内に入っても迷いがなかった。「だれにしようか」と物色したのではなく、最初から「あの中学生たち」と思って入ったのだから、迷うはずがない。彼らは、当然のことながら、店内で待っている人たちの最後尾に居た。店内に入ったなら、すぐ刺すことが可能なのは、最後尾の人たちではなかった。それなのに、わざわざ最後尾まで行って二人を刺している。もちろん“同じ学校に通う中学生”であれば良いので、迷うことはなかった。だから、最初から決めていたから、犯行時間が数十秒と短時間なのだ。そして犯行が終われば、役割を終えたのだから、すぐに車に戻って走り出す。殺傷となっているが、実際には両方とも“殺す”目的だった。その方が、効果があるからだ。なにに対して“効果がある”のかと言えば、自分の同じ学校に通っていた子供に対してだ。つまり「父親は怖いんだぞ」と教えたかったのだ。「次はお前だ」と、震えあがらせたかったのだ。ほんとうは捕まるつもりなどなかった。犯人がだれなのか、自分の子以外は「わからない」というのがいちばんいい。自分の子だけが「お父さんではないか…」と思い、震えながら過ごす形が、彼の目的だったに違いない。防犯カメラが、彼の「浅ましい目的」を見事に打ち砕いたのだ。
2024-12-20
ときどき「良い悪い」とか「正しい正しくない」とか……そういうこととは別の「人間として…」考えてしまうような問題が発生する。多くの人が関心を寄せ、同時に心を曇らせるニュースが入った。旧ジャニーズ事務所に所属していて、故ジャニー喜多川氏からラスベガスのホテルにおいて「性被害を受けた」として、当時の所属タレントであった田中純弥氏(43歳)と飯田恭平氏(37歳)がアメリカのネバダ州の裁判所に対し19日「性被害」として計3億ドル(日本円で約460億円)の提訴に踏み切った。アメリカの場合、自国民であろうとなかろうと、その地域内で行われた犯罪に関しては、提訴されれば事件として扱う。田中氏の方は1997年から98年にかけて、飯田氏の方は2002年から06年にかけて同州内のラスベガスホテル内において、ジャニー喜多川氏から「性被害を受けた」と訴えている。旧ジャニーズ事務所は被害者たちに対して“和解案”と“慰謝料”を提案して、これまでほとんどの被害者たちと「和解合意してきた」と公表していた。ところが、今回の二人は、その点に関しては合意できなかったのか、元々申請していなかったのか解からないが、今頃になってアメリカの裁判所に提訴した。ただ当然のことながら、もはや加害者とされるジャニー喜多川氏は居ない。被害時期としても20年以上前のことになる。もっとも証明さえできれば、遠い過去だから「被害がなかった」ことにならないし、アメリカの司法として“アメリカ流の判決”が下される可能性は大きい。ただ、さまざまな意味で被害者たちの提訴には疑問が残る。日本人として、もっとも違和感が大きいのは提訴の金額だ。もちろん、アメリカのすべては日本より“高い”のは解かっている。それでも、もし、それがそのまま通れば、その賠償を行うのは本人ではなく、遺された関係者だ。しかも、今回の場合は、別に会社が“グルになって行った犯罪”ではない。或る意味で、その血族とか会社幹部は日本国内において謝罪や慰謝料の問題だけでなく、十分なバッシング報道なども受けた。しかも、その当時アイドルとして一緒に働いていたメンバーたちの中には、現在もタレント活動をしている者も多数いる。言ってみれば、当時の先輩とか仲間とか後輩に対しても、刃を向けるかのような提訴とも言える。これまで“同じ被害”を受けながら“和解・合意”に至った人たちが何百人も居た事実はどうなったのだろう。それら、すべてを考えると、正しいとか正しくないとかは別にして、人間として、今回の訴えが妥当と言えるのか、わたしには割り切れない疑問が残る。
2024-12-19
謎の飛行物体が、米ニュージャージー州を飛び交っている。11月中旬以降に頻繁に目撃されるようになった。確かに映像を見てみると、明らかな飛行物体で、その点は間違いがない。問題は“どういう種類の飛行物体”かということなのだが、どうも、アメリカ国内でも意見が分かれているようで「巨大ドローンだ」という説、「軍事偵察機ではないか」という説、「UFOだ」という説の大体三つに分かれている。なにしろ、頻繁に出没しているし、その動画もたくさん撮られている。したがって、トランプ次期大統領などは「米政府は何が起きているか知っているはずだ。国民に真実を知らせるか、撃ち落とすべきだ」と相変わらずの過激発言をしている。ただ、その政府の公式見解としては「安全保障上の脅威を与えるものではない」としていて、今のところ、特に、軍事的に“動き出す”気配はない。アメリカの場合、これまでにも、秘密裏に「さまざまな実験・研究を行っている」とされ、軍事基地周辺では、しばしば“未確認飛行物体”が目撃されたりしている。それが、アメリカ軍自体の“秘密兵器的な飛行物体”なのか、他国の“偵察衛星的な飛行物体”なのか、それとも文字通り“UFO的な飛行物体”なのか、判然としていない。今回の場合には、目撃者も多く、動画もたくさん撮られていて、11月下旬以降に同じ地域で頻繁に目撃されている。住民に不安を与えている以上、もし、解かっているのであれば公表してしまった方が良いように思うが、公表できない理由が存在するのかもしれない。これまでのUFO画像と違って、比較的律儀な動きをしているようにも見えるが、ただ文字通り“UFO型飛行物体”に視えるので、その点では住民たちが不安を感じるのもムリはない。はたして、一部で報道されていたように“大型のドローン”なのか、それともいよいよホンモノのUFOとの遭遇が実現するのか、世界AI戦争が近いのか、いずれにしても、このまま何となく沈静化してしまうにはは、ちょっと寂しい事件ではないか。
2024-12-18
世界的な自動車メーカー「ホンダ」と「日産」が経営統合のための協議を始めた…との報道が出ている。これに将来的には、日産とかかわりの深い「三菱自動車」が加わって“三社統合”となっていく可能性が強い。このところ「ホンダ」と「日産」とは“電気自動車”を共同で研究・開発することで相乗効果を期待されていた。それが、単なる共同研究や開発というだけでなく、経営そのものも統合してしまおうとしている。日本は最近、自動車分野で中国やアメリカから後れを取っていて、販売台数にも陰りがみられる。特にアメリカはトランプ政権に変ることで、ことのほか“日本車”に対しては風向きが悪い。不動産不況の中国も、近年は“日本車離れ”が起こりつつある。中国国産の電気自動車にも力を入れていて、むしろ日本に対しては安価な電気自動車で“輸出攻勢”をかけ始めている。つまり日本の車は、もはや「アメリカ」「中国」という“二大市場”を失い、東南アジアくらいしか“今後の市場”を見出せなくなってきているのだ。特に「日産」の場合、カリスマ経営者であったゴーン氏を失い、急速に海外市場の視界が不良となった。こうなってしまうと、経営そのものも統合してしまって“研究開発のコスト”を浮かせて挑む以外にはない。昔は、車産業は「日本の花」として世界に誇り得るものだったが、いまや“電気自動車”の分野でも“自動運転”の分野でも「日本」は、アメリカや中国から引き離されてしまった。日本は何につけ“安全性第一の国”で、スピードとか、AI化とか、ハイブリッド化とか、斬新なデザインとか、いまひとつ見劣りがする。今回は「ホンダ」と「日産」の“二社だけの統合話”で「三菱」はまだ加わらないようなのだが、最初から三菱も加えて“三社統合”でスタートしてしまった方が面倒がなくて良い。過去には「世界のホンダ」「世界の日産」として名をはせた企業同士だが、三社統合して“新たなメーカー”として生まれ変わった方が、多分、世界は受け入れてくれるし、より良い商品として安く提供できるようになるのではないだろうか。カリスマ経営者を失った日産は、もはや“彼を再び連れ戻し”でもしない限り、大きな成功は得られないほど“その中身までも失われて”しまったのだ。
2024-12-17
人間には大きく分けて“二種類の人間”がいる。自分の“過去に執着するタイプ”と、過去にどんな出来事があっても、それはもう過去のこととして“執着しないタイプ”だ。そうして、どちらかと言えば、過去に執着しないタイプの人の方が、倖せを享受しやすい。過去に執着し続けると、時間が止まって、そこから動けなくなる。「倖せ」というのは、その人の“価値観”に基づくもので、一律ではない。だから、その時々で“倖せを変えていく”ことが出来る人の方が、享受しやすいのだ。昔、市川海老蔵は日本中に名を知られ、人気絶頂だったし、なんでも“手に入れて”いた。けれども、彼には“いくつかの不幸”が襲い、人生における“翳り”を知った。その結果、彼はいつの間にか“小さな悦び”を大切にするように変わっていった。文字通り、その結果としての“幸せな形”で先日TV番組に出た。自分と息子と娘と“三人一緒”でトーク番組に出ていた。いつの間にか、息子と娘は“大きく成長”し、三人とも“平等な出演者”としての形を保つようになっていた。もはや「海老蔵→團十郎」が“主役の家族”ではなくなっていたのだった。いまや息子は「市川新之助」となり、娘は「市川ぼたん」となって、それぞれに人気を出し活躍し始めている。もはや自分だけが主役の一家ではなくなったことを、誰よりも團十郎自身が自覚しているのだ。そして、そのことに“倖せ”を感じているように、わたしには視えた。もっとも、そうだからと言って、昔のことや、亡くなられた小林麻央氏の話をムリに避けていたわけでもない。ごく自然体の形で、昔も受け入れながら、今を生きていた。この「昔も受け入れながら、今を生きていく」という形が、実は“大きな災難”とか“不幸な出来事”とか“不条理な過去”とかを乗り越えていく、いちばんの秘訣なのだ。人生は、どんな人でも、過去にさかのぼって“やり直す”ことは出来ない。そうである以上、起きてしまったこと、遭遇したことに関しては、もはやどうすることもできない。今の状態、遺された形の中で“どう生きるか”しかないのだ。そうであれば、その今をいかに“大切にしていくか”しかないのだ。当然「幸せの形」を昔と“同じような形”で求めたなら、ムリが生じる。今は、あくまでも“遺された形”の中で“幸せを紡いでいく”のがいちばんなのだ。さまざまな出来事が、人間としての市川團十郎を大きく成長させたように思える。
2024-12-16
資生堂、コーセー、花王、ポーラ……と言えば、日本を代表する化粧品メーカーだ。これら企業は、中国をはじめとするアジア各国への輸出量が多く、広く“そのブランド名”が知れ渡っている。先進国としての“日本の美”は、そのまま化粧品ブランドの担い手としてアジア各国に受け入れられてきた。ところが、ここにきて“日本ブランド”の地位が急速に危うくなっている。その代表は「中国」だ。これまで黙っていても売れていた日本のメーカーが売れなくなったのだ。特に、ここ2~3年、その減退ぶりが著しい。一つには中国の国内事情が影響している。つまり、不動産市況に端を発した経済不況が、本格化してきていて、若い中国女性たちは、高い日本の化粧品に手を出さなくなってきている。それは徐々に他のアジア圏にも伝播しそうな感じで、最近の統計によると、2021年には3700億円の輸出額があった日本の化粧品が、2023年には2800億円の輸出額に落ち込み、今年はまだ途中経過だが1800億円にまで急減している。資生堂の12月決算では、本来は220億円の黒字予想が60億円にまで落ち込んでいる。資生堂ばかりでなく、中国への輸出額ではコーセーが26%減、花王が20%減、ポーラが10%減とそれぞれ急低下して来ている。一つのメーカーだけでなく、どのメーカーも共通して下降気味なのだ。つまり、日本ブランドそのものに陰りが見える。これは中国に限ったことではないが、近年は化粧品とか美容関係に関しては、いわゆるインフルエンサーと呼ばれる人気YouTuberによる動画などの影響力が極めて強い。したがって、そういう人たちに支持されなければ、若い人たちからの支持を得ることが難しくなっている。むかしのように「名前だけで売れる時代」ではなくなったのだ。さらに、これも中国だけではないが、各国とも自国の有名ブランドが確立されつつある。さらに、いまの「日本」は“アジアの中の先進国”ですらも無くなりつつある。日本が、アジア諸国に対して“憧れの国”であった時代は過ぎ去ってしまったのだ。そうであれば、あとは巨大なマーケットとして“アフリカ諸国”に賭ける以外にない。ただアフリカ人は総じて“日本人の繊細さ”と“美的感覚”が同一ではない。どちらかと言えば欧米の“派手な美しさ”への憧れが強い。エステ業界でも最近、問題が生まれているが、来年はもっともっと“美に関連する業界”が窮地に陥っていきそうな気がする。
2024-12-15
人はときどき人生の途上で立ち止まる。「この道だけが自分の道なのか」と、立ち止まる。多くの人は、一時的に立ち止まるのだが……そのまま進んでいく。少数の人だけが、立ち止まった後「もう一つの道へ」と、恐る恐る歩み始めていく。数年前、コロナ禍が起こって、大きく“混乱した業種”の一つが「芸能界」だった。彼女の場合には、それまでにも考えるところがあって、迷いながら“芸能人としての歩み”を続けていたようだ。だから、或る意味では“コロナ禍”がなかったとしても、もしかしたら“分かれ道”に向かったのかもしれない。きのう久しぶりに「トークイベント」の場に、コロナ禍の2020年10月1日「芸能界引退」を宣言した元女優の岩佐真悠子氏が登壇した。彼女は、その後、完全に芸能界を去って現在は介護職員として週5日、老人ホームで働いている。そして、そういう日々を「大変に充実した日々を送っています」と報告している。この人は確か“美少女コンテスト”か何かで択ばれて芸能界に入った人で、その後も、第一線で活躍していた。引退する少し前から、多少、華やかな場への露出が減っていたようには思うが、仕事に行き詰った感じではなかった。それでも、本人の中では、迷い続けていた部分があったようだ。そして、コロナ禍がやってきたことで、じっくりと考える時間が生まれ、もっと直接的な形で「世の中に役立つ仕事がしたい」と考えるようになったようだ。そして、いまは、その直接“役立つ形”で介護職員として、生き生きと充実した暮らしをしている。だから、後悔も、迷いもないようだ。もちろん、女優と介護職員とでは、その収入格差は歴然としている。それでも、仕事としての充実感や達成感というのは、人それぞれに違っている。彼女の場合には、老人たちの感謝の言葉や、彼らの手助けをすることで“共に生きていく”という働き方に悦びを憶えている。それは女優として“映像の中で輝く”ことよりも、ずっと、ずっと、手応えのある働き方なのだ。よく収入だけで“仕事を変えていく人”がいるが、どんなに収入を得ても、どんなに名声を得ても、数年経てば“その跡形が無くなってしまう”仕事もある。人に“生きていく力を授ける仕事”は、何にも増して“一緒に命の悦び”を感じられる仕事かもしれないのだ。
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