12月, 2024年
2024-12-31
2024-12-31
世界を引っ張っている国と言えば、間違いなくそれはアメリカ。したがって、何でもそうなのだが、まず、アメリカで起こって、それから欧州とかアジア各国とかに物事は伝播していく。その象徴のようなものがインフレだ。ここ何年か前から、アメリカは異様なほどインフレが進行し、モノの値段が上がり続けている。あらゆるモノの価格が上昇しているのだが、日本人などから視ると何よりも“飲食代”がとてつもなく高い。単なる「円安だから…」などと言う問題ではなく、根本的に物価上昇していくのを賃金が「追いかけている」状況でしかない。その結果、どうなるかと言えば、普通に生活していくことが難しい人たちが出てくる。モノの価格でいちばんのモノと言えば“住宅価格”だ。したがって賃貸価格が上昇し、それを支払えない人たちが出てきて、街にはホームレスがあふれ出す。昨年に比べて、ホームレスの増加率は18%で、特に18歳未満のホームレスが急増していて、33%増で15万人にも上っている。また黒人のホームレスが増えているのも特徴で、ホームレス全体の32%にもなるらしい。もちろん、物価高だけが家を失う原因ではない。ハリケーンなどの自然災害、コロナ禍の支援の打ち切り、移民の増加によって職域が奪われていくことなど、さまざまな問題が要因としてはあげられている。ただ一番はインフレで“中低所得者向けの住宅”が不足してきていることだ。都市部においては、街の歩道にテントを張って野宿する者たちの風景が“当たり前”となりつつある。アメリカは「豊かな国」「アメリカンドリームの国」として日本からも大勢の人たちが移住しているが、実際には成功する者には「天国」だが、仕事で成功できなければ「地獄」の国となるのだ。そして、おそらく、この傾向は来年、ますます強くなる。トランプ氏の政治姿勢は根本的に能力主義的な面が強いので、そこから“弾かれた人たち”に対しての福祉的な部分は、決して好待遇ではない。したがって、インフレは強まることはあっても弱まることはない。しかも、この傾向は世界各国に伝播する。現在、既に欧州はどこも、インフレにあえいでいる。ドイツもフランスもイギリスもイタリアもスペインも、要するに欧州を代表するような国々はどこも、共通してインフレに苦しんでいる。いちばん問題なのは、アメリカの場合には賃金も上昇しているから“救い”があるのだが、欧州の場合には“賃金は上昇していない”という点にある。或る意味で、欧州と日本とは“そういう点で共通”なのだ。日本にもインフレの波が少しずつ押し寄せ始めているが、まだアメリカや欧州ほどではない。ただ間違いなく“そちらの方”に近づきつつある。つまり、日本でも数年後にはホームレスが急増していく可能性はあるのだ。
2024-12-30
どうも航空機の事故というのは“連鎖反応”が起きやすい。先にアゼルバイジャン航空機が墜落し、38人が死亡した。その原因は、ロシア軍のミサイル防衛システム誤射の可能性が強そうだ。そして昨日、韓国の航空機が鳥類の飛び込みで制御不能となり務安空港内で胴体着陸に失敗し、乗客は全員死亡した。空港管制から“鳥類に関する警報”が出て2分後の事故だった。乗務員2人だけ救助されたが、一人は事故の影響で記憶を失ってしまっているらしい。現代は、或る意味で残酷だ。アゼルバイジャンの航空機の場合でも、墜落する前の状態を動画として記録している乗客が居た。務安航空の場合でも、胴体着陸の寸前に機内からのメールを受け取った家族がいる。確かに、それらは現代だから可能となった科学技術のたまものだ。けれども、だからといって命が蘇るわけでもない。この二つの事故には、不明な部分も多く、仮に事故自体は防げなかったとしても、もう少し“死傷者”を減らすことは可能だったのではないか……という関係者たちもいる。航空機事故は車の事故に比べれば、その発生比率は少ないが、ただ多数載っているだけに死傷者が多くなる。しかも、パイロットでもない限り、予期せぬ事態や故障が起こったとき、自分自身ではどうすることもできない。いわば載っている人達全員が一瞬にして“運命共同体”となる。そこでは個々の社会的な地位・名誉や財力などは何の助けにもならない。奇跡的に“救われる人”が稀にいるが、ふだん健康だった人だから救われるわけでもない。そういう時に“力を発揮する”のは、言ってみれば「運」しかないのだ。いや航空機事故だけが「運」に左右されているわけではない。われわれの普段の生活だって、よくよく考えれば“運に左右されている”と思うような事柄が無数にある。わたしは過去に、列車事故で一人だけ生き残り、その後に“運命の不思議”を感じて、その後の人生を「運命数の研究」に捧げた人物を知っている。確か「金子彰生」という名前の人物だったと記憶しているが、この名前は読みようによっては「黄(金)のような(子)として(生)きていた秘密を(彰)かにする」とも、読めないことはない。産まれた時に名付けられた姓名が、その後の人生を暗示していることもあるのだ。
2024-12-29
大昔「ロミオとジュリエット」という映画があった。その主役を務めたのが女優オリビア・ハッセー氏だ。恋物語の代表作ともいえる「ロミオとジュリエット」は、さまざまな形で有名だが、そのジュリエット役としてはオリビア以外の女優の名は聴いたことがない。もしかすると、彼女の演技があまりに嵌まり過ぎていて、その後に演じた女優たちの名が伝わっていないだけかもしれない。こうしてオリビアは“世界的な女優”となったが、22歳という若さで“最初の結婚”をする。相手はディーン・ポール・マーティンという歌手だった。最初の結婚は5年間で終わった。その間にアレックスという名の子を得る。それから2年後、日本人歌手であった布施明氏と結婚する。そしてマックスという名の子を得る。今度の結婚は9年間続いた。そして再び、新たな歌手のディビッド・グレン・アイズレーと三度目の結婚をする。そして、インディアという名の子を得る。この結婚生活は生涯続いた。こうして、世界的に有名な“恋物語”である「ロミオとジュリエット」で脚光を浴びた女優は、その生涯に有名な歌手たちと恋をして三度結婚し、それぞれの夫の子を産み、そして育てた。彼女は12月27日に亡くなったが、アレックス、マックス、インディアの子供たち、そして最後の夫からも愛されて天国へと旅立った。往々にして欧米女優で、若くして世界的に知られた女優は、その後半生を幸せに送ることが難しい。オリビア・ハッセー氏の場合も、三度の結婚は一見“不幸な私生活”に感じられないこともないが、考えてみると、三人とも“素晴らしい歌手たち”で、そのそれぞれの遺伝子を立派に育て上げ、その子供達三人から“見守られるかたち”で天国へと旅立った。しかも、その結婚生活は徐々に長くなっていっている。或る意味では、これほど“愛に満ち溢れた生涯”もないのではないか。日本人歌手であった布施明氏との結婚生活が、なぜ破綻したのか知らないが、その布施氏は今もステージで情熱的に“愛”を歌い続けている。彼の響きわたる“愛の歌声”は亡くなったオリビアにも海を越え、届いているに違いない。
2024-12-28
南米アルゼンチンとブラジルとパラグアイの三つの国の国境付近に位置しているのが世界遺産「イグアスの滝」だ。とにかく“世界一の巨大な滝”で観光客が絶えないところだが、今年の水量は異常に多く、通常の5倍だそうで、本来なら鋼鉄製の“遊歩道”を通って近くまで行けるのだが、現在は禁止となっている。記録的な増水によって、遊歩道そのものが押し流されてしまいそうな勢いで、それを喰い留めるための急ピッチな補強作業が現在も続けられている。この遊歩道は鋼鉄製だが、網目状になっていて、それほど強靭というほどでもない。水量が増えると、すぐ水没してしまう。そのため敢えて橋の床面は“網目状”となっていて、水を逃げやすくしてある。おそらく、水量が増しても補強工事だけで何とかなっているのは、そのせいであろうと思われる。どうやって、こんな場所に遊歩道を作ったのか知らないが、その建設者たちの偉業を称えたくなる。観光客の多くは落差80mとも言われる滝壺「悪魔の喉笛」を視たいと思うのだが、水嵩が増してしまうと、もう霧が深く立ち込めて“茫漠とした景色”としか捉えられない。そんなに水嵩が深くない時でも、この遊歩道を歩く時やボートで滝壺に近づく時にはビニールがっぱが手渡される。それを身に着けないとずぶぬれになるのだ。近年は水嵩が増すことが多くなっていて、もしかすると、そのうち「完全立ち入り禁止区域」に変ってしまうかもしれない。なにしろ、アマゾン川では川底が見えるほどの干ばつに襲われているし、北極の氷は溶け出して来ているし、地球環境は明らかに大きく変貌しつつある。映像で視ると確かに迫力があり、素晴らしいと思うが、高所恐怖症のわたしは、とても実際に現地で遊歩道を渡って、間近から「イグアスの滝」を観てみる勇気はない。海外の観光地にはしばしば“危険地帯”とも言うべき場所があって、そこが人気を得ていたりする。わたしなどギザのピラミッドの中に入るのさえ、決死の覚悟が必要だった。いや、ギザのピラミッドよりもダハシュールの赤いピラミッドの方が斜面が急で怖かった。ふだんは観光客が入らない場所だから大ピラミッドのように“手すり”などないのだ。まだホラー系の怖い観光地の方が耐えられそうな……。
2024-12-27
いつからだろう。「推し活」という言葉が“普通に使われる”ようになったのは……。SNSの時代になって、本来なら誰もが“自分の気持ち”を発信できるようになったはずなのに、ほんとうに発信できているのは“心の底”の部分ではなく、表面上の“サラッとした部分”そして誰からも“干渉を受けない部分”だけのような気がする。その代表的なものの一つに「推し活」というものがある。これであれば“似た人たち”に吸い取られていく発信となるので、どこからも、だれからも、干渉や妨害を受けず、多くの“似た人たち”だけに吸い取られて、ささやかな反応が得られるかたちで済む。こうして、人は“目立たぬ形”で「推し活」を行うようになる。或る調査によると、30代以下では3割の人が「推し活」を行い、50代~60代でも2割の人たちが「推し活」を行っているのだという。昔は、同じような行為を「追っかけ」と呼んだ。だから昔から存在していたもので、特別“目新しいモノ”ではない。ただ、昔は個人的に行っている場合が多かったし、連帯で活動するようなことも少なかったし、なによりもSNSによる発信のような“表立っての活動”が少なかった。もちろん、現代でも、ひっそりとした形で“個人的活動”として「推し活」を行っている人もいるには居るが、多くの場合には「ファンクラブ」とか「イベント参加」とか「オンラインサロン参加」のような形で、或る種の“サークル的な一体感”を得る活動となっているケースが多い。ただ多くの「推し活」民たちは、その活動に関して“経済的な負担”を感じているらしい。10代女性の推し活民の中には、自分の“お金”の半分以上をそれにつぎ込み、その結果として、飲食費など切り詰めなければならなくなっているという。20代から40代くらいまでは“自分の収入”でそれらを賄っている人達が多いのだが、これが50代から60代の主婦層になって来ると、夫の年金まで“そこ”に投入するようになる。また30代の男性では「推し活」のための“借金をする”人たちも増えてきているという。もう、こうなって来ると、ただ単に「だれにも迷惑を掛けない推し活」とか「だれからも干渉や妨害を受けない推し活」とばかりも言えなくなってくる。特にアイドル系の「推し活」には“グッズ購入費”“イベント参加費”“CD/DVDの購入費”“ライブの交通費”“サロンの投げ銭”など、その全部に身銭を切れば相当額の出費となる。もちろん、経済的に恵まれている人が趣味として行う分には何の問題もない。そうではない“ギリギリのライン”で活動している人たちが意外なほど多いのだ。来年になって、これらが本格的に「社会問題」として取り上げられなければ良いのだが……。
2024-12-26
一部の「ドミノ・ピザ」店で、クリスマス用の宅配ピザが極端に「届くのが遅れた」とか「結局、届かず仕舞いだった」という問題が発生していたという。市内のある店舗では、前日に予約を入れておいたのに、その予約の設定時間から四時間遅れになったとか、結局、届かず仕舞いで電話も通じなかったとか…いう事態となっていたらしい。どうして、そういうことになったのか。ピザという商品の都合上「作り置き」が出来ない。したがって、その時間少し前に“焼く”ことになるわけで、宅配だけでなく、店頭販売も行っている店の場合、どうしても人手が足りず、店頭販売の方が優先になる。したがって、宅配の予約が次々入っても、それを“商品化する”ことが出来ず、結局、店の前には大勢の“お持ち帰りの客たち”と、宅配ピザを配送する出前配達員と、その二つの集団が“並んで待っている状態”となってしまったらしい。人間の心理とはおかしなもので“長い行列”が出来ている店ほど、その後に続く客が生じてくる。クリスマスイブというのは、当日のみで、持越しが出来ない。そこで夕方くらいまでは、それほどの混みようではなかったのに、6時を過ぎるころからは“一気に大集団”となってしまったらしい。こういう“生もの商品”は、だれもが、同じ日に、同じものを頼まなくても良さそうなものなのに、群集心理は一カ所に集中してしまいやすい。特に“SNSの時代”となって、だれもが情報を共有できるようになったことが、一か所集中を起こりやすくしている。今後、年末年始になって、何かの注目される情報が拡散し、一つの神社の参拝客が集中するとか、一つのライブ会場にファンが殺到するとか、何かしらの事件とか問題が生じなければ良いが……と私などは思ってしまう。SNSの時代は、どうしても人の興味や関心が“一つのモノ”に集まりやすい。特に“生もの”の場合には、それを上手く“捌いていく”のは容易ではない。警備員などが事前に配置されるところは良いが、そうでない場合には「人は人、自分は自分」というような行動をとるよう心掛けないと、予知できる事件や思わぬ出来事に“巻き込まれてしまう”可能性があるということを自覚しておく必要がありそうだ。
2024-12-25
世界的な調査会社の集計によると、来年は今年よりも「自分にとってより良い年になる」と回答した日本人は、調査した33か国中でもっとも低く、38%で8年連続“最低”だったそうだ。3割台になるのは3年連続で、しかも2番目に低いフランスとの差も大きい。つまりは日本人というのは“自分の将来”に対してきわめて悲観的な捉え方をする国民であることが解かる。今回の“世界平均”は71%なのだ。インドネシアとか、コロンビアとか、中国とかは、いずれも楽観的で90%台である。中国などは“不動産不況”で経済的にも怪しい状況にあるが、それでも自分の将来に関しては楽観的に捉える。そういう点からすると、日本人はあまりにも“暗い面ばかり見過ぎる”国民性を持っているのかもしれない。自分に対してばかりではなく、世界に対しての観方でも、その点は共通していて、来年の“世界経済”という面に関しても、日本人は28%しか「今年よりも良くなる」とは捉えていない。言ってみれば、どういうことに対しても、幻想を抱かず、厳しい観方や捉え方をしやすいのかもしれない。ただ潜在意識の活用法という観点から言うと、悲観的な捉え方よりも、楽観的な捉え方をする方が、潜在意識の持つエネルギーは“幸運な出来事”を生み出しやすい。そういう点から言えば、日本人はもう少し“楽観的に物事を捉える癖”をつけた方が良い。たぶん、そうなっていないのは日本のマスコミにも多少、責任があるような気が私にはする。日本のマスコミは総じて将来に関しては“悲観的なニュース”を多く報道しがちな気がするからだ。もう少し将来に対して“明るいニュース”や“嬉しくなるニュース”を優先的に報道すべきなのだ。日本ではニュースではなくて、バラエティー番組という形で“明るいこと”を扱いがちである。それは、それで良いのだが、多少、無理のある“笑い”を取り込もうとする。だれもが自然に楽しくなるようなバラエティーなら良いのだが、強引に“笑いに持っていく”ような番組が多い。そしてニュース報道になると一変して“悲観的な報道”が多くなる。バッシング的な“繰り返し報道”も多い。これでもか、これでもか、と同じような“暗いニュース”ばかり流されると、どうしても“自分の将来”に対しても“楽観的な未来”は抱けなくなる。別に、ムリに“明るいニュース”を探さなくても良いが、日本独自の“ほっこりニュース”や“ほんわかな話題”を取り上げていく機会を多くすれば、自然と“将来への明るい眼差し”が育っていくような気がする。
2024-12-24
近年の韓国には“自己主張の強い人たち”が多い。いつの頃からか“協調性”というものを失い始めているような“危うさ”を感じる。昔、欧米系のニュースを観ていて「なんでも、すぐデモをする人たちだな」と思ったことがある。それが最近は、欧米人より韓国人の方に感じることが多くなった。もちろん、民主主義の国として、それは悪いことではないが、あまりに頻繁に見掛けると、或いは、そのデモが“常軌を逸してしまう”と問題が発生しやすくなるし、もう少し何とかならないものだろうか…と思ってしまう。もちろん、わが「日本」だって、ときどきデモをしている人たちは見掛ける。けれども、日本の「デモ」は、なんとなく“お行儀が良く”安心して観ていられる。或る意味で、それほど切羽詰まっていないからなのか、それとも元々“協調性”というものを身に着けている国民性だからなのか。とにかく韓国のデモは何となく怖い。先日、韓国では大統領に対する弾劾訴追案なるものが議決されたが、その当日、SNSを通じて、それを強く支持する発言をしていたのが歌手・イ・スンファン氏だった。彼には以前から、その種の発言や行動が多いらしい。その彼が25日に亀尾市で予定していた「35周年記念コンサート」が23日になって急きょ中止となった。亀尾市の市長が、13の市民団体から「コンサートを口実にした政治的扇動を放っておくことはできない」という意見を尊重し、市の管轄であるコンサート会場の使用を禁止にしたためだ。市民団体は、先に主催者側に対して「政治的言動をしない」という誓約書に署名することを求めたのだが、イ氏側がこれを拒否「捺印する意志がない」と回答してきたためだ。このままコンサートを行えば、混乱が起きることは必至で、それを懸念して、金市長が緊急記者会見を開いて、市民の安全と生命を守るため、中止を決定・通告したと語った。これを受けて、イ氏側は「法律に基づき提訴する」予定であるという。したがって、まだ終わりとは言えないが、とにかく、近年の韓国では“この種の騒動”が多い。ただアメリカなどでも有名人の「政治発言」はしばしば行われていて、今後は「日本」だって、その可能性は十分にあるのだから、この種の問題に対しては、早い段階で“それなりの規定を設ける”とか、法律を定めるとかしておかないと、今後ますます“こういった問題”が社会的な事件に発展していくような気がする。ただ芸術家は、出来れば“作品の中”で訴えかけて欲しい。
2024-12-23
最初にお断りしておくが、プレゼントとかお年玉とか言っても、もちろん直接、差し上げるのではない。さらに「絶対に急騰する」という保証もしない。当然のことながら、投資は最終的には“自己責任の世界”だからだ。この年末~年始にかけて“急騰する日本株”として、わたしがお奨めするのは「暗号資産(仮想通貨)関連株」だ。現在は海外では「暗号通貨」という呼び方が一般化しているようなので、今後はそういうような言い方で統一したい。暗号通貨の中で、もっとも知られているのは「ビットコイン」だが、その他「イーサムリアム」とか「リップル」とかが比較的知られている。もちろん、その暗号通貨そのものを購入する方法もあるのだが、わたしが奨めるのは「日本株」の中にある“その関連銘柄”の方だ。その方が短期間には急騰しやすいし、税金面からも優遇されている。しかも、後になって何かの手違いで流出するとかの心配もない。現在、日本の市場には“関連銘柄”と呼ばれるものが十数種類もある。いや、細かく言えばもっとあるが、本当に“急騰する可能性”を秘めているのは、そんなに多くない。その代表的な銘柄としては「メタプラネット」「セレス」「マネックス」「リミックス」「SBI」「トレーダーズ」「クロスキャット」「GMO」「メルカリ」などである。これらの中で、もっとも値動きが暗号通貨に連動しているのは「メタプラネット」だ。ハッキリ言って、この企業は“長期的に保有すべき銘柄”とは言えない。その事業内容は怪しいからだ。けれども、短期売買には、もっとも向いている。上がり下がりが異様に激しいのだ。だから、その“上がり下がりの特徴”を見極めれば、比較的初心者でも“大勝”をすることが出来る。これに対して、今後が期待できるのは米のナスダックに上場した傘下企業を持つ「マネックス」と、同じように傘下企業を上場させようとしている「セレス」は、共にトランプ大統領就任前後までは、急騰していく可能性が強い。もっとも、暗号通貨関連企業は、ここ何日かは急落気味である。なにしろ、上がり下がりが激しいのが、これらの特徴なのだ。そして、下がった今こそ“買いのチャンス”と言える。短期間に“お金を増やしたい人”向けだが、今日から上がるとは断言できない。今週中に急騰しだすことだけは断言できるのだが……。
2024-12-22
奇妙なことに、年末が近づいてくると、人は「過去」を振り返る。それも去年とか一昨年の“身近な過去”ではなくて、ずっと遠い「子供時代の過去」についてだ。年末以外には“忘れている”のに、どういうものか、年末になると決まって“子供時代”が蘇ってくる。ほんとうなら、子供時代よりも“来年のこと”でも考えれば良さそうな時期なのに、なぜか“それ”はそんなに重要ではない。頭の中を勝手に駆け巡るのは、懐かしい“子供時代の場面”に限られるのだ。そうは言っても、わたしの場合、そんなに“良い想い出”というのは少ない。たいていは「サンタクロースがやって来なかった」とか「お年玉がほんの少ししかもらえなかった」とか「両親ともお家の中に居なかった」とか、まあ、われながら“可哀想な場面”ばかりだ。それでも……というか、それなのに……あの頃のことばかりが、やけに懐かしい。そう“可哀想な少年時代”なのだが、その少年時代が、今となっては妙に懐かしい。そして何にも増して“宝物のような愛おしい”少年時代なのだ。不思議なもので、あの頃は「こんな家は嫌だ」とか「こんな両親は嫌だ」とか「こんなひもじいのは嫌だ」とか、いつも思っていたのだが、今になってみると、ああいう感じだったから良かった……というか、人一倍なつかしく、想い出として大切なのだろう。今になれば言えることだが、あの両親で良かったし、あのお家で良かったし、あの貧しさで良かったのだ。人間の記憶というのは不思議なもので、過去に遡れば遡るほど、ぼんやりとしてくる。そうしてセピア色に変った写真のように妙に懐かしくなる。懐かしさだけが、どんどん深まって、愛おしくなって、子供時代の“はなたれ小僧”の私自身を抱きしめてやりたくなる。何にも言わずに抱きしめてやりたくなる。どうして、そういうふうな気持ちを抱くのか、どうして“あの頃の自分”を愛おしく感じるのか、正直、解からない。ただ解かっているのは、どんなに頑張っても、もう“あの頃”には戻れない。多分、他の兄弟たちは「戻りたくもない」というかもしれない。だが、わたしは戻って“幼い自分”を、何も考えていなかった“子供の中の子供だった”自分を、妙に抱きしめたくなるのだ。
2024-12-21
北九州市内のマクドナルド店舗内で12月14日、平原政徳容疑者(無職43歳)が無面識の二人の男女中学生を刃物で殺傷した。防犯カメラ映像などの追跡から平早容疑者が浮上し、19日になって自宅内で逮捕され、本人も殺傷を認めている。ただ肝心の動機について、それまで無面識であった中学生を襲った理由については供述していない。マクドナルド店の敷地内に車でやってきた容疑者は、しばらくの間、そのまま車内に居たと言われる。ここが動機や理由を知るうえで重要な部分なのだ。もしも、完全なる“無差別殺人”を狙うのが目的だったならば、到着したなら、すぐに降りてくれば良いのだ。そうしなかったのは、おそらく無面識ではあっても“特定の人物”が来ることを待っていたからなのに違いない。ここで言う“特定の人物”とは「中学生」だ。彼は“誰でも良かった”のではなく、自分の子供と“同じ学校に通う”中学生を狙っていたのだ。その彼の目的の人物がやって来て、店内に入ったことを見届けて、彼は動き出す。したがって、店内に入っても迷いがなかった。「だれにしようか」と物色したのではなく、最初から「あの中学生たち」と思って入ったのだから、迷うはずがない。彼らは、当然のことながら、店内で待っている人たちの最後尾に居た。店内に入ったなら、すぐ刺すことが可能なのは、最後尾の人たちではなかった。それなのに、わざわざ最後尾まで行って二人を刺している。もちろん“同じ学校に通う中学生”であれば良いので、迷うことはなかった。だから、最初から決めていたから、犯行時間が数十秒と短時間なのだ。そして犯行が終われば、役割を終えたのだから、すぐに車に戻って走り出す。殺傷となっているが、実際には両方とも“殺す”目的だった。その方が、効果があるからだ。なにに対して“効果がある”のかと言えば、自分の同じ学校に通っていた子供に対してだ。つまり「父親は怖いんだぞ」と教えたかったのだ。「次はお前だ」と、震えあがらせたかったのだ。ほんとうは捕まるつもりなどなかった。犯人がだれなのか、自分の子以外は「わからない」というのがいちばんいい。自分の子だけが「お父さんではないか…」と思い、震えながら過ごす形が、彼の目的だったに違いない。防犯カメラが、彼の「浅ましい目的」を見事に打ち砕いたのだ。
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