2月, 2025年
2025-02-28
2月21日にアメリカの大手暗号資産取引所「バイビット」は日本円にして2200億円もの資産を盗難に遭った。これで何度目だろう。暗号資産が、盗難に遭うのは……。今回の場合には金額が大きい。こういう“大きな金額”を狙うのは、何らかの“大きな組織”と相場が決まっている。サイバー攻撃からの窃盗で、われわれには見えにくい事件だが、すぐFBIが捜査に乗り出した。その結果、2月26日になって、この暗号資産取引所を狙ったのは、北朝鮮のハッカー集団「トレーダートレーター」が関与していたことを突き止めた。つまり容疑者は見つかった。けれども、どこにいるのかはわからないのだ。いや、どこにいるかは判っても、捕まえられるわけではない。なにしろ北朝鮮の場合、国家ぐるみで“暗号資産の窃盗”で、すぐ他の暗号資産に変換し、さらにそれを現金化してしまう。そうやってネット上から消えてしまうと、もはや足取りを追えない、とでもいうか……つまりは、判っていながら、容疑者を実質的に逮捕出来ないもどかしさが付きまとう。これまでにも、似たような盗難事件で北朝鮮関与は何度も指摘されている。日本の暗号資産交換所も、かつては大打撃を食らった。しかも、それらの事件は、いずれも窃盗金額が巨大だ。当然、北朝鮮といえば独裁国家であり、金正恩氏の指示なくして行われるような自由性はない。したがって、今回の事件も、金正恩氏の指示による“窃盗行為”と思われる。何回も“同じような事件”が起こるのはセキュリティーに問題があるよう思うが、実際にはそのつど強化されてきたはずで、いかにハッカー集団の能力が高いかを物語っている。その能力を“新たな分野の研究開発”に利用すれば、大きな事業を成し遂げるはずで、いつまでも“窃盗集団”として名をはせるのでは意味がない。ミサイル攻撃でも北朝鮮は次々と“新たな実験”を繰り返し、完全武装王国として強大になりつつある。これまでは経済的に苦しい状態で“軍事力だけが強化されて来た印象”だが、もはや何千億という金脈も得て“怖いものなし”に変身しつつある。われわれは、どうしても「中国」に意識を向けがちだが、もしかすると「北朝鮮」の方が国家としては“怖い国”に変貌し始めているのかもしれない。
2025-02-27
昔から、諺には“真実が含まれている”と思っている。ただ諺の中には、矛盾する内容のものがあったりする。その典型ともいえるのが「血は水よりも濃い」という諺と「産みの親より育ての親」という諺だ。その両方ともが“真実”と感じられる出来事を改めて知った。タレントのムロツヨシ氏と伊集院光氏は、共にその幼少期を“複雑な家庭”で過ごしたようだ。そういう人々は意外なほど多い。自分が“本来の親元”で育っていないと、当然のことながら“産みの親”に対しての愛情や親近感は乏しい。時には“憎しみの気持ち”を抱いていたりもする。伊集院光氏は30年ぶりに母親と対面したエピソードをラジオで語った。ムロツヨシ氏は4歳から逢っていなかった実母と40数年ぶりに逢った話をTVで語った。どちらも共通していたのは、逢ってしまうと、別に危惧するような感情は何もなく、特別な気持ちも生まれず、淡々とした時間だった……ということのようだ。そこが「血は水よりも濃い」の不思議なところだ。人間は、仮に“産まれて”すぐ別の親元に引き取られたとしても、だからといって「血」が失われるわけではない。だから、その「血」は憶えていて、完全なる“未知の人”にはならないのだ。かといって、本来の実母に逢ったからといって、実際に育ててくれた親に対しての“想い”が失われるわけでもない。むしろ、実母と逢うことで、よりいっそう育ての親に“感謝の気持ち”が強まることだってある。それでもムロツヨシ氏は実母に「産んでくれてありがとうございます」と伝えたという。その一方で、連絡先は交換しなかったという。正しい選択かもしれない。そして、それらのことをしばらく経ってから、養母に伝えたという。その時「あら良かったじゃない」とだけ母親は言い、少しも動じることはなかったという。そうなのだ。「血は水よりも濃い」のだが、同時に「産みの親より育ての親」でその40数年は少しも揺らぐことはない。そういうものなのだ。“長い歳月”は“長い共同生活”は、いつの間にか“強い絆”を生む。粘り気のある“強い絆”は、長い歳月の中で気付かないうちに創り出されていく。
2025-02-26
エジプト考古学者として知られるザヒ・ハワス博士が地元の政治家から「古代の彫像を壊した」ということで批判を浴びている。近年、エジプトではあちこちで“新たな遺跡”が発見・発掘されている。つい最近もトトメス二世の墓が発見されたばかりだ。そこで負けじとサッカラで発掘を行っているのが、大御所のザヒ・ハワス博士だ。そうして見事に遺跡の中から“古代の彫像”を発見したまでは良かったのだが、そのあと、すぐ掘り出そうと焦ったのか、電動工具で彫像の下半身を傷つけてしまった。その結果、彫像は完全に発掘される前の段階で、博士のドリルによって、その下半身の部分が崩れ落ちてしまった。しかも、ザヒ博士は“その過程”を自らの動画で公開してしまったのだ。もしかすると、自分だって、こうして“新たな彫像”を見つけ出している……と見せつけたかったのかもしれない。ところが、当然のことながら、考古学ファンからも、地元の議員からも、単独で電動工具だけで彫像を掘り出そうとした博士の“暴挙”は快く思われなかった。発見映像は「損壊映像」として拡散したのだ。実際、通常の発掘作業では、或る程度までは電動工具を使ったとしても、そのあと“形が見え出した後”は、慎重に手作業で周囲の砂岩や土壁を取り除いていくのが普通だ。それを一気に電動工具で切り崩そうとしたのだから、だれが見ても“損壊行為”に視える。しかも、それが素人ではなく、名のある考古学者が行ったということが理解に苦しむ。地元政治家たちが、こぞって博士を批難したのは当然だった。少なくとも博士の行為は、あまりにも遺跡に対するデリカシーに欠けている。彼自身は「すぐ修復して、元通りになったから問題ない」と発言したそうだが、この発言もデリカシーがない。遺跡が意味を持つのは、その当時の人たちが、どういう意図をもってそれを作ったのか……にもある。古代エジプトの場合、死者に対して“来世における生命の証し”として、さまざまな彫像を捧げている。そういう意識に立つなら、簡単にというか、強引にドリルを使って“掘り起こすこと”自体が、その尊厳を踏みにじる行為に当たる。そんなことはエジプト学の権威であるザヒ博士は当然知っている。たぶん、それよりも「我が発見」を動画として公開したかったのだ。もともと“権威主義的な要素”を持っている人物だったが、自らの弱点を、こういう形で世界に知らしめてしまった。
2025-02-25
女性のヘアスタイルというのは、そうそう変わるものではない。男性よりも“髪を洗う”とか“髪をセットする”とかに時間のかかる場合が多く、一つの形で長く過ごすと、それから“大きく転換する”ためには、それなりの決断と何らかの理由を持っている場合が多い。女優の浅野温子氏といえば、90年代のトレンド女優として一世を風靡したことで知られる。その浅野温子氏が映画やドラマではなくTVのバラエティー番組で“ユニークな髪型”を披露し、話題となっている。メロン色とでもいうかオレンジ色っぽい髪色にして、左右から後部にかけては刈り上げ、上部のみ“ちょんまげ風”に結んだ独特のヘアスタイルを披露したのだ。雰囲気的には今になって始めた……というよりも、最近は「いつも、こんな感じ」という雰囲気で気にするふうもない。年齢的には63歳なので、通常は“地味な髪型に変わっていく”のが普通だ。それが、人気絶頂の頃は“自然派”とでもいうか、女性が自然に伸ばした時の“長い髪”でストレートに背中まで伸ばしていた。今回の方が意図的に“変えた”印象が強い。もちろん現在は、髪の色にしろ、髪型にしろ、さまざまなものが出現してきていて、別に“何かを意識した”わけではないのかもしれないが、久しぶりにTV画面で登場するのだから、通常は“昔のイメージ”を残そうとする。女性は暮らしの一部として“髪の手入れ”や“外出向けヘアスタイル”を決めている場合が多い。もちろん、出掛ける場所とか、逢う相手によって、或いは仕事によってもヘアスタイルを変えてゆく場合がある。今回の場合、歩くシーンが多いので「髪を束ねたかった」というのはあるかもしれない。ただ、この髪型は自然ではなく、あくまでも何かを意識して“創った”印象が強い。もしかすると、今の時代でも「十分に通用する髪型」を意識したのかもしれないし、逆に「面倒だから束ねただけ」とも受け取れる。どのような意図を持っていたにせよ、少なくとも“昔のイメージ”を持たれるのは嫌った印象が強い。「生れ変った浅野温子を観て‼」というメッセージが込められているのか。一つだけ、プライベートにおいて刺激性の強い生活を求めている場合にも、こういう髪型を好んで行うケースがある。彼女の中で何かが大きく変貌し始めているのは間違いない。
2025-02-24
ウクライナのゼレンスキー大統領が23日に記者会見を開き「平和が実現するのであれば大統領を辞任する用意がある」と述べたらしい。今日でロシアのウクライナ侵攻が始まって丸3年になる。正直、どちらも“攻めあぐんでいる”という印象で、このままでは長引くばかりだ。両軍とも死傷者は数十万人とされ、長引けば長引くほど死傷者の数が増える。どちらにとっても「早く終わらせたい」意識は当然持っている。ただ、こういう場合“国家のプライド”“大統領のプライド”が邪魔して、自ら“終わる形”を見つけ出すことが難しい。或る意味では、そういうタイミングの中で「米露の協議」が実現した。もちろんウクライナ抜きでの協議では“和平の協議”になっていないが、とりあえず“その前段階”としては意義がある。とにかく無駄に“死傷者を増やしていく”ことだけは避けた方が好い。ゼレンスキー大統領が「平和が実現するのであれば…」と条件を付けたうえで、自らの辞任を表明したのは、大きな進歩だと私は思う。どういう切り口からだって良いのだ。戦争はなるべく早く終結させた方が良い。いまの時代は、昔と違って“戦争によって領土を拡大していく”時代ではない。国境付近の“小競り合い”は仕方がないとしても、本土というか、完全なる境界線は“踏み越えないこと”が世界の平和を維持していく上では必要なことのようなきがする。そういう意味では、もう“和平の実務交渉に入って行くべき”時期に来ていると思う。大昔、アメリカとソ連(ロシアの前)が対立していた時「007」というスパイ映画が誕生して世界的に大ヒットをした。世界が“二大強国の均衡で保たれる”というふうな意識が、あの時代にはあった。それが今はアメリカと中国に変ったかのように見えたが、どうも最近は、そうとも言えないようで、実際のところ“アメリカ一強”の構図としては“あまり面白くない”構図に変わってきている。どこか、いままでとは違った国が力をつけて「新しい時代が始まった」と誰もが感じられる時代が、来てくれた方が、まだ何となく“世界が平和になりそうな”そんな気がする混沌とした“まとまりのない時代”になった。
2025-02-23
敏感な人なら、だれでも感じているだろう事象がある。近年、気象予報に“偏り”が出てきているように感じるのだ。つまり、昔の気象予報と同じではない、ということだ。別に気象予報士でなくても、毎日、われわれは「日本列島」の天気予報図を目にする。そうすると、いつも同じ地域に集中するかのような「大雪」とか「大雨」とか「強風」とかのマークがついている。「日本列島」は昭和の時代から変わっていないのに、なんとなく令和になって“気象予報のマーク”とか“気象図”とかに偏りが生まれているような……そういう印象を受けるのだ。別に「雪」や「雨」のマークだけではない。気温に関しても、一部の地域だけにいつも「猛暑日」「酷暑日」が訪れ、或いは「真冬日」「極寒日」がやって来る。「地震」にしても「豪雨」にしても「竜巻」にしても「台風」にしても「雷」にしても、同じような地域に集中して何度も繰り返しやって来る。もちろん、昔から、そういう部分はあった。日本列島には地域差があった。けれども、こんなに極端ではなかった。昭和の時代は「日本列島」と一括り出来そうな“似たような気候風土”を持っていた。けれども令和の時代になって、明らかに「日本列島」は気候的に分断され始めている。つまり「暮らしに適した気候風土」を持っている地域と、もはや「暮らしに適していない気候風土」を持っている地域とに、微妙に分かれ始めているような気がするのだ。そして、その分断は、今後ますます明確になっていくような気がする。アメリカやオーストラリアなどでも、毎年似たような地域で、山火事が起こるようになっている。アメリカの場合は強烈なハリケーンによっても、近年、徐々にその対象地域が明らかになりつつある。地球気象変動が確実に起こっていて、それは“暮らしやすい地域”と“暮らしにくい地域”を明確に二分し始めている。最新科学のアメリカでも気候変動には勝てない。大自然の威力は人類の科学をはるかに上回っている。結局、昔の「風水思想」がいみじくも教えていたように、われわれは地球大自然と“調和して生きる”以外にないのだ。環境的には風水が教えるように「風」と「水」を“調和しやすい”地域で、地球に逆らわずに“暮らす形”を見つけていくのが、もっとも“自然を味方にする生き方”と言えるのだ。
2025-02-22
わたしは「高いところ」が苦手だ。わたしだけでなく「高所恐怖症」の人は多い。そういう人たちにとっては「拷問でしかない」と思ってしまうのが“空中レストラン”だ。大体、床のないところに“座る”といっても、実際には“座る”感覚は得られないと思う。TVなどで観ているだけでも足がすくんでしまうのに、そこで食事をするなど出来ない。食べ物がノドを通らないと思う。にこやかに笑顔で食べている人たちの神経が信じられない。その“空中レストラン”だが、とうとう日本初上陸だ。今年3月13日から6月迄、東京・豊洲に期間限定オープンをするらしい。これまで世界各地65都市でのべ1万回以上の実績を積んだスタッフが主催するので、安全面とか食事内容には問題はないと言う。ただ、おそらく許可の問題で日本の場合“空中での調理”は許されていないらしく、豊洲での場合は“お弁当型”の食事になってしまう。“空中レストラン好き(⁉)”の人たちにとっては、その部分がちょっと不満かもしれない。いまのところ、日本での開催は豊洲だけに限られているが、状況によっては、各地へと展開していきたい計画は持っているらしい。さて日本人には、どのくらい需要がありそうだろうか。最大22名が同時に食事できるレストランらしいが、シートベルトを着けたままの食事など、ゆっくり楽しめるはずがない。もし、わたしなら最初にお酒を注文して意図的に酔って“恐怖心を失くさせ”挑めば一応“咽喉に流し込む”ような感じでなら食事できるかもしれない。日本人で“そういう食事”を好む人は滅多にいないと思うが、好奇心から「行ってみたいカップル」は意外と多いかもしれない。それに、日本の場合、黙っていてもさまざまなマスコミ媒体が宣伝してくれる。海外はどうか知らないが、少なくとも日本の情報拡散能力は強力だ。つまり、そういうレストランの出現情報は、あっという間に日本各地に拡散される。その点では、日本という国は“不公平”が少なく信頼に足る。考えてみると、レストランの利用者は日本人に限らない。海外からの訪日客だって良いわけで、そうすると観光拠点としてのスポットとしても人気を集め、その結果として「あそこで食事して目立ってみたい」という中国人や欧米人は多そうな気がする。そういえば何日か前、北海道の街では「氷で出来た部屋」に宿泊するツアーというのをやっていた。わたしは「氷のベッドで寝る」のも嫌だが「地上40mでの食事」は、それ以上に拒絶反応がある。
2025-02-21
ときどき「わからない人」というのが奇妙な事件には出てくる。いま長編ドキュメンタリー映画の部門で「アカデミー賞」にノミネートされている作品の監督でジャーナリストの伊藤詩織氏がそうだ。この人は、自分が意識もうろうとした中で元TBS記者から「性的暴行を受けた被害者」として裁判に登場し、最終的に勝訴したことで有名となった人物だ。奇妙なことには、この人は自らの仕事上の活躍で知られたのではなく、プライベートの部分、それも酒に酔って意識のない状態で“著名なマスコミ人”から性的暴行を受けた……という微妙な事件で訴訟を起こし、何年も争った末に勝利を勝ち得たということで、一躍「時の人」となった人物なのだ。一緒に食事をして、お酒まで飲んで、ホテルに同行しての“性的暴行”なので、果たして“意識のない状態”と言えるのかどうか、難しい判定の事件だった。この事件を8年間にわたって担当した弁護士である西廣陽子氏が、昨日、会見を開き、本来であれば裁判審議の中でのみ許される“ホテル映像”や“弁護士との会話”などが、ドキュメンタリー映画の中で「無断使用されていた」として涙ながらに抗議した。通常、弁護士なのだから、この事件の被害者である伊藤詩織氏とは“戦友”のようなもので守ってあげる立場だが、何度も「他には使用しない」という許可の下で裁判上で公開したホテル映像や弁護士との会話録音が、映画という新たな形で「許可なく使用された」ということで、或る意味で怒るのは当然だった。しかも、それがアカデミー賞にノミネートという“不可思議な状態”となっている。本来なら、秘匿すべきものが“全世界に向けて”公開されようとしている。どんなに映画監督として評価を得られるとしても、一緒に戦ってきたはずの8年間を“踏みにじられた想い”を持っている弁護士からすれば「許せない行為であり裏切りだ」ということになる。それにしても、驚くべきは伊藤詩織氏の精神構造である。彼女が、もし、ほんとうに酒に酔わされ、意識を失って、性的暴行を受けたのなら、そうして、そのことで8年間も裁判を行い、最終的に勝利して332万円の賠償金を得ているなら、どうして、今頃になって、過去の裁判に関する映像をドキュメンタリー映画として再編集して、自らを監督としてアカデミー賞作品として応募したりするのか。本来なら、仮に「映画化したい」監督やプロデューサーがいたとしても、自らの“傷ついた過去”を曝け出すことになる映画化を、もっとも嫌う立場の人間のはずだ。百歩譲って「弱き者」から「強き者」へと“妖しい変身”を遂げたのだとしても、それを“新たな報道”で活かすのではなく、なぜ、自らの“汚れた過去”を全世界に広め公開しようとするのか。もしかして、最初から………。
2025-02-20
最近の中国は、いろいろな意味で変わってきた。「日本」に対しての“捉え方”も、ひと昔前とは大きく異なる。何となく海外に関する報道を観ていたら、興味深い記事が眼に入ってきた。アメリカにも、ヨーロッパにも居住経験のある中国人女性が、昨年から日本に居住し、この国の魅力を「中国」に向けて発信している。その女性いわく、日本は中国と、いろいろな部分で昔から“深く関わってきた国”だが、それでいて中国とは微妙に異なる独自の文化が育っていて、その「似ているのに異なる」という部分が、アメリカにも居住し、ヨーロッパにも居住し、それぞれの良さ悪さ、中国との違いを観てきた彼女を魅了したようで「日本」の良さを絶賛している。彼女は、日本がどこよりも清潔で静かであり、騒がしさを感じることがない……と記しているが、それらは逆に、われわれ日本人が中国に行って最初に感じる“騒々しい街中”と対照的で面白い。確かに「日本」は、世界的に視ても“清潔で静かな国”であることは間違いがない。また中国女性にとっては、日本語表記が何となく“理解できる部分”も多く、それも「心落ち着く」理由になっているかもしれない。さらに彼女は“容貌的な部分”を上げている。当然のことだが、中国人の彼女は、日本人女性の中に居ても、特別な違和感がなく、それもストレスを感じない理由の一つになっているようだ。また日本に来たことで何人もの“友達”が出来たようで、人柄的にも“信頼できる人が多い”ことも、彼女が“この国が好きになった”大きな理由なのかもしれない。飲食物においても、彼女は“日本食”が欧米の食事よりも「自分たちには合う」と感じたようで、日本料理を中国料理の「一つに加えても良い」と奇妙な評価をしている。また、将来的にはこの国に「住居を持ちたい」とも望んでいるようで、実際、近年は中国人で日本の住宅(マンション)を取得しようとする人たちは多い。「日本」を“好ましく”感じてくれるのはとても良いことだが、ただ暮らしていく場合には“日本のルール”を守ってくれることが絶対条件で、それさえ受け入れる外国人なら、どこの国の人であれ“清潔で静かに暮らしていく”ことが可能なのが「日本」なのだ。
2025-02-19
昔から「火を点けたがるオトコ」というものはいるもので、自ら人知れず“火を点けておきながら”逃げてしまったら、それはやっぱり“良くない”わけで「御用」となるのは当然の話なのかもしれない。これは、もちろん“火事の話”だ。どこをどう読んだって火事の話……より正確には“放火の話”だ。今から2年半ほど前に、熊本県玉名市内の倉庫を半焼する火事があった。正確に言うと、2022年9月4日午後0時40分ごろの話だ。つまり真昼の時間帯なのだ。放火にしては、実に大胆である。放火犯というのは通常、真夜中に行う。真夜中と言わないまでも、薄暗くなって以降が普通だ。なぜなら昼間は見つかりやすい。放火犯と言えども、見つかるのは嫌なのだ。だが、真昼だったにもかかわらず、意外にも捜査は難航した。一つには、犯行の手際が良かったからだ。通常、放火犯というのは“うろうろした後”に行う。ところが、この放火犯は違った。あまり“迷いがない”ように見えた。もっとも「見えた」とは言っても、ちゃんと顔が見えたわけではない。防犯カメラには、その時間帯、その場所を通り過ぎていた車両が観えたに過ぎない。容疑者の人物像が観えたわけではなかった。だから、捜査は難航したのだ。その車両を特定するのに時間が掛ったのだ。ただ玉名市というのは、そんなに大きな市ではない。だから時間はかかるが、一人一人当って行けば、その車両の持ち主を特定することはできる。その結果、捜査線上に浮かんだのは“意外な人物”だった。玉名市にある消防団員のメンバーだったからだ。しかも、その日、その男は火災現場に出動して、消火作業に当たっていたのだ。自分で火を点け、自分で消していたのだ。ほんとうに奇妙なのだが、その23歳の消防団員は、自分が「火を点けた」ことを認めている。火を点けて、燃やして、黙って去っていくとは、なんと「ワルイ男」だろうか。う~ん、解かったような解からない話だ。だが、考えてみると、牧場主が“牛肉を食べる”行為と、そんなに違わないのかもしれない。彼は多分「火を消す行為」も好きだったのだが、その一方で「火を点ける行為」も好きだったに違いない。医師で“毒殺魔”だった男が、注目を浴びたことがあったが、その男の方に近いのかもしれない。よく放火犯は、その火事を観る「群衆の中に居る」という説がある。めらめらと燃えていく炎に快感を覚えるらしい。だから繰り返しやすいともいう。彼の犯罪は、この一件だけだったのだろうか。
2025-02-18
何となく気付く……ということが、ものごとにはある。この「少しだけ遅れて歩く」という現象も、だれもが何となく、じわじわと気付き始めている現象だ。「日本」国内に起こっている不可思議な事実……インフレの実態。つまり、モノの価格が全体的に上がっていっている…という現象。それに合わせるかのように、少しだけ企業からの賃金報酬も上がり始めている…という現象。つまりは、物価高と、それに追いつけないながらもじわじわ上がっていく賃金の構図だ。そして、この構図は、実は数年前からアメリカや欧州には……あった。われわれはそれを「よそんちの出来事」として聴きながら、どこか傍観していた。つまり「日本じゃありえないな」という感覚で傍観していたのだ。ところが、去年あたりから、にわかに“海の向こうの出来事”は、わが日本でも“起こり得る出来事”に変った。アメリカの“物価高”とか“住宅価格の上昇”とかは、そのまま「日本」にも徐々にではあるが押し寄せてきた。数年前まで「よそんちの出来事」だったはずのことが、いつの間にか「じぶんちの出来事」に変わりつつある。われわれはどうしても情報量の違いから、欧州の出来事に対しては疎いのだが、その欧州でも、アメリカから“半歩ほど”遅れて、同じような状態が始まっていた。だから、アメリカでの出来事は、そのまま欧州での出来事でもある……と思っておいた方が良い。そして、かなりの“遅ればせながら”なのだが、同じ現象が「日本」でも開始されつつある。つまり、われわれは“遅れていた”のだから、実は“物価高”にしろ“賃金高”にしろ、これからが本番で、まだまだ始まったばかりだったのだ……と受け止めておかなければならない。大昔の「日本」は、女性は男性の後に“少し遅れて歩く”のが美徳とされていた…時代があった。もちろん今の「日本」ではない。今は何事に対しても女性の方が“半歩先”を行く。とにかく、もはやデフレから完全脱却した「日本」は、少しだけ遅れて“欧米諸国”の後に続く。多分、中国は逆で、これから徐々にデフレへと向かっていく。緩やかに向かっていく。こうして、それが良いことか悪いことかは誰にもわからないが、いつの間にか「日本」は少しだけ遅れて、景気は良いが収入格差が拡大する「アメリカさん」に、ついていくのだ。
2025-02-17
人間は誰でも“過ち”を犯す。特に若い時には、あとから考えれば「どうして、あんなことを…」と思うような失態や暴挙などを引き起こしがちである。もちろん、年齢的に“若いから許される”ことには限りがあって、いくら若くても“社会的制裁”を受けなければならない出来事もある。韓国の女優キム・セロン氏が自宅で亡くなっていたことが昨日発見された。まだ24歳だが、子役時代から俳優業を行っていたので、経歴的には長い。自宅で発見されたことや、外傷が見当たらないことなど、事件性はないと思われるのだが、死因などは判然としていない。ただ気になるのは、22年5月に飲酒運転での事故を起こし、それによって社会的にも制裁を受け、それ以降、女優としての仕事が乏しくなっていたようである。自殺かどうかはわからないが、その事故以降、彼女の人生は“狂ってしまった”ようだ。韓国では、歌手でも、俳優でも、何かの問題や事件等から強烈なバッシング状況が生まれ、その後の“道”を絶たれてしまう事例が多い。その結果として、早くからその才能を認められていたのに、或いは人気が沸騰していたのに、将来への希望を失い、若くして“命を絶つ”などのケースも多い。日本でも“似たようなケース”があることはあるが、韓国ほど“そのバッシング”は強烈ではない。韓国人は、その国民性とでもいうか、支持する時には熱狂的だが、反旗を翻すと、そのバッシングもなかなかに強烈である。わたしが思うに、30代半ばくらいまでは、人間としての成熟度が乏しいので、多少の失態とか暴挙とかは“大目に見てあげる”度量が必要な気がする。若い時の、しかも一度だけの“失態や暴挙”で、その後の人生を失ってしまうのは、あまりにも可哀想だ。けれども、これが何回も繰り返すとか、30代半ばを過ぎても懲りないとか……そういう感じになって来ると話は別だ。何回も繰り返すのは反省が足りないし、それなりの年齢になっても問題や事件を起こすのは性格的な面が大きいからだ。つまり“若い才能”は極力育てていくべきだし、多少の問題があっても“復活できる余地”を残してあげるべきだ。若い時の一度だけの“過ち”によって、すべての門が閉ざされてしまうのはあまりに残酷だ。才能のある人には、世の中のためにも“最後のチャンス”を残しておいた方が良い。
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