2月, 2025年

日本の「ドラッグストア」“万引き犯”に狙われる

2025-02-04
日本の「医薬品」や「化粧品」が“安くて上質”であることは、世界的に広く知られている。しかも“小ぶりなもの”が多い。ここが重要なのだ。だから狙われやすい。つまり外国から“万引き目的”でやって来る複数人グループから狙われている……というのだ。1月末に日本の警視庁は「防犯対策を強化するよう」異例の通達を各ドラッグストアに対して行った。ドラッグストアが「狙われやすい」というのは何となく解かる。商品陳列の仕方が“壁面全体”で、どこから何を取り出したとしても、そんなに目立たない。通路も狭く、長身の人物が手前に立つと、奥の方が観えない。その結果、集団でやってくれば、長身の人物2人が通路をふさぐ形となって会話を交わし、その奥の方で万引きを続けていても誰にもわからない。日本人の客の多くは、その奥まで立ち入ろうとはしない。したがって、何の苦労もなく万引きが可能なのだ。店内に防犯用の鏡などがもっとあるとか、通路が広いとか、壁一面の商品陳列をしないとか、対策的にはいくつかありそうだが、基本的に日本人客は外人たちが通路を塞いでしまうと、その奥には入って行こうとしない場合が多い。そこで働く店員の人たちにしても、外国人が2~3人固まって通路を塞いでいても、それを注意するようなことはほとんどしない。大体、外国語でまくしたてられると、日本人の従業員はどう対応して良いか解からず退散してしまう。ほとんどの場合、多くの旅行客が来ている時間帯に複数人での万引きは行われる。外国人だらけの店は“狙いやすい”のだと思う。小さな化粧品や医薬品はもっとも狙い目の品のようだ。小さくて高価だからだ。当たり前の話だが、万引きは“小さく持ち運びやすい商品”が一番なのだ。海外で“売りさばきやすい商品”であることも重要で、そういう点でも医薬品や化粧品は捌きやすい。一件当たりの万引き金額が平均で8万8千円余りであるという。日本人による万引き金額が平均1万円ちょっとなのと比べても被害額が大きい。数少ない店員が客に対応しているので、どうしても外国人客の多い店だと、その対応だけで精一杯で、店内の見回りなど事実上できないというのが本音かもしれない。海外の店に行って感じるのは、余分な店員数の多いことで、日本とは比べ物にならないが、但し、その余分な店員達がいるお陰で「万引きが出来ない」とすれば、あながち無駄とは言えないのかもしれない。

「雪が降る……あなたは来ない」が現実となる⁉

2025-02-03
わたしは大昔、アダモの「雪が降る」という歌が好きだったが、確かその歌詞には続いて「……あなたは来ない」というのが続く。その「あなたは来ない」というのは、現実的には大雪で「来れない」可能性もある。ということで、どうやら4日~9日にかけ「大雪予報」が日本海側の地域に出ているようだ。予想マップを観ると、かなりの広範囲で“大雪地帯”が示されている。わたしが暮らすのは札幌だが、どういうものか大雪というのは、北海道よりも本州の方に起こりやすい。今回の場合も北陸というのがいちばんの可能性で、その山沿いの地域では「大雪によって孤立してしまう地域」など出てくる可能性がある。気温だけで言えば、基本的には北海道の方がはるかに低いのでが、気温が低くても道路さえ確保されれば、荷物の輸送や人の出入りには問題ないが、大雪によって道路状況が悪く交通が遮断されてしまうと、物資の輸送や通勤・通学に支障が生じる。それに、大雪になると屋根からの“雪下ろし作業”が必要になる。北海道の場合、寒冷地域として住宅には最初から対策が施されているが、本州の場合には寒冷地域として必要な住宅構造になっていない場合も多い。それだけに、急激な寒さや大雪の到来に“対応するための手立て”が乏しいような気がする。辺り一面が積雪に覆われて真っ白……というのはイメージとしては大変美しいのだが、生活者の目線に立つと、生活物資が滞り、出掛けることさえ容易ではなく“苦労の多い雪国の暮らし”ということになる。そういえば東北地方の人たちだったか、昔は真冬用の“保存食”をたくさん住居内に蓄えている話が多かった。今はもう“そういうこと”はしないのかもしれないが、そういう“暮らしの知恵”のようなものは、それぞれの環境が生み出すものだ。総じて、雪に覆われる地域の人々は忍耐強い。大自然がそういうふうに育ててくれる。沖縄など、南国に育つと、開放的な性質となって、初対面でも心を開きやすいが、その代わり“忍耐強さ”にはやや欠ける傾向も見受けられる。自分が“どういう地域で育ったか”は、その後の人生に対して隠れた影響を与え続ける。

「お笑いの翻訳」より「お笑いAI」誕生を待つ‼

2025-02-02
吉本興業が「日本のお笑い」を、海外の人たちにもっと浸透させようということで、AIの翻訳システムを使って「お笑い翻訳」に本格的に乗り出そうということらしい。今は英語を中心としているらしいが、将来的には中国語や韓国語にも対応するようなシステムを構築していきたいようだ。ただ「お笑い」そのものは、どの国にも存在しているもので、日本の「お笑い」だけが“際立っている”わけでもない。それに、それぞれの国や風土によって“笑いのツボ”は微妙に違う。アメリカ人の冗談が、われわれ日本人には“面白くない”のと同じだ。それよりも、わたしはAIロボットに「お笑い」そのものを学習させて、どんなことに対しても、どんな話に対しても、面白くて「思わず笑ってしまう」ような反応を返せる「お笑いAIロボット」を誕生させた方が、世の中に役立つような気がする。日本人がなぜ「お笑い」を好むかと言えば、そして現代がなぜ「お笑い」の地位を“引き上げた”かと言えば、日本の世相が「つまらないから…」に、尽きる。われわれの毎日が、楽しく面白いものであれば、日常の“笑い”で人々は満足し、あえて「お笑い」に“足を運ぶ”とか“スイッチを入れる”とかしないはずなのだ。日常の中に“憂鬱さ”や“ストレス”が内在している時、われわれは「お笑い」によって気分を入れ替え、楽しい気分の中で過ごそうとする。もちろん、現代では「お笑い」と「アイドル」が共生しているような部分もある。若い人たちの中には、アイドルを応援するような感覚で「お笑い」の“追っかけ”をするような人達もいるが、それは本来の“笑うこと”は二の次なので、本能的欲求ではない。やはり「お笑い」の本来の姿は、現実の事件や事故やトラブルや問題を“忘れさせてくれる楽しさ”“異空間としての笑う楽しみ”にあるので、そうだとすれば、その“最上級品の数々”をAIに学習させることで、むしろ、これまでの“どんなお笑いタレント”より優秀な「お笑い怪獣」が誕生するに違いない。だから、そういう「お笑いAIロボット」が居れば、人々のココロは癒され、楽しい気分に転換されて、日々が送れるようになるのではないだろうか。もしかすると、医療的な治療よりも「お笑いAI」と暮らす方が、元気や健康を取り戻せる可能性が出てくるのではないか。だれに頼んで良いかわからないけど、なるべく早めに誕生させて欲しい。

2025年2月の運勢

2025-02-01

「晩年運」というのは、いつから始まるのか⁉

2025-02-01
今年は「節分」が2月2日で、いつもより早い。どうしてなのかと言えば、われわれが用いている「太陽暦」上の都合からだ。そのせいか中華圏における「春節」の時期と重なった。こちらの方は「太陰暦」上の1月1日の関係からだ。元々中国の太陰暦は、なるべく太陽暦である“24節気”と極力“重なり合うよう”工夫されて作られている。だから「(節)分」や「立(春)」に合うよう「春節(1月1日)」が“やって来る”のだ。こういう“区切りもの”というのは、そのほとんどが大昔から決まっている。つまり、大昔に設定された。大昔だが、いい加減ではない。それなりの理由や納得の元に定められている。ただ多くの場合、その由来や根本を知らないまま使用している場合が多い。わたしが最近、不思議なのは「晩年運」という言葉だ。よく「占い」では用いる言葉なのだが、改めて考えると、いったい、いつからが「晩年」なのか、よくわからない。一般的に言えば、社会に出るまでが「初年運」社会的に働いている期間が「中年運」社会の第一線から退いて以降が「晩年運」と言えるのかもしれない。もっと、現実的な言い方をすれば、親に食べさせてもらっている間は「初年運」自ら稼ぎ出してからは「中年運」年金を受給しだしてからは「晩年運」ともいえる。もっとも「晩年」というのは、その死後に判るもので、その人の“死亡前十年くらいの間”を言うのだという説もある。確かに、年齢的に定めてしまうと、百歳を超える長寿の方たちの“晩年”がいつなのか、よく解からなくなってしまう。一つの目安としては、干支暦の“60干支”が一巡する「還暦」つまり、満60歳以降は昔であれば「余生」であった。けれども、今は60歳など現役バリバリという場合が多い。したがって、そういう点から言えば、本人の中で「もう現役から退職しよう」と思った“その時”からが「晩年」なのかもしれない。人は心身とも健康な状態であれば、一応、働き続けることはできる。だから或る意味では、それぞれにとっての「晩年」というのは時期が異なるもので、いつから、いつまでと“決めつけられる”ようなものではないのかもしれない。わたしは「晩秋」という季節が、いちばん「晩年」に相応しいような気がするので、雰囲気的に“そういうような感じ”になったら、自分の中で「晩年だなあ」と思うことにしよう。 Newer Entries »