3月, 2025年
2025-03-31
「流行」というものほど怖いものはない。世の中には「○○ブーム到来」という形で、一つの商売が急に脚光を浴びて、人気沸騰する時期というものがある。そうすると、それまで興味を持っていなかった人たちまで、急にそれを求めだし、あっという間にブームが起こってマスコミから注目されることになる。そうすると「時代に乗り遅れまい」とする人たちが、そこにどんどん向かっていく。世の中全体が“それを求めている”かのような錯覚を多くの人たちが感じる。ところが、そのくらいの時が頂点で、潮目が変わると、あれほどブームとなっていたはずのものなのに、急速に人気に陰りが見えてくる。そうなるともう、だれも“それ”を追いかけようとはしない。こうして“人気商売”は次々と世の中から消えていく……ということで、一時期ブームだった「個室サウナ」が次々と閉店に追い込まれているらしい。もともと日本人は、それほど“サウナ好き”な民族ではない。温泉地などにあれば利用するが、わざわざ“その”ためだけに出掛ける…という人は少なかった。それが、コロナ禍前に「サウナブーム」がやって来て、次々と新たな形での個室サウナ店が誕生した。なにしろ商売としては、それほど土地面積がなくても、元手を掛けなくても、技術や知識がなくても「開業できる」というのが一つの“売り”になっていたようだ。そうなると、だれでも開業できるなら、起業を目指す人たちにとっては格好の事業ということになる。けれども、逆に多くの参入者が出てくる事業は、よほどでなければ“生き残れない”ということでもある。確かに一定数は「サウナ好き」な人達はいる。けれども、日本の場合、その数は知れていて、あちこちに乱立して成立するような商売ではない。それに、適度なサウナは身体に良いが、ひんぱんな使用とか、長時間の使用とかは、体質によっては病気の原因になる。こうして、今サウナ業界は瀕死の状態となっている。一つには、この商売の元となる“燃料の高騰”も追い打ちをかけているらしい。こうして一時期ブームだった“個室サウナ”はもはやブームの波が去り、大手さえもが窮地に追い込まれている。流行に便乗した商売で成功するためには、その“初期の段階”で参加し、そのピークを過ぎた段階で“撤退する”勇気を持たなければならない。それが出来た人だけが、ブーム商売で成功できるのだ。そしてその期間は通常“2年半くらい”が限界で、流行りのピークで開始した者は、どうあがいても惨敗するように出来ているのだ。
2025-03-30
ミャンマーにマグニチュード7.7の地震が起こった。この数字から判断すると「阪神大震災」と同程度の地震であるらしい。だから、まだまだ死傷者数は増える。軍政下にあるので、各国の救援活動とかもスムーズには行かない部分があるらしい。詐欺グループのアジトなどは、どうだったのだろう。どさくさに紛れて逃げ出そうと思えば可能だったのではないのか。自然災害に人間は勝てない。どう頑張ったって勝てない。ただ救助活動に関しては、今後ロボット活用が進んでいけば、かなり活躍出来て“暗闇から救い出す天使”が出てくるような気がする。たまたまイタリアでのロボット研究最前線を動画で観たが、丁度、鉄腕アトムのような雰囲気のロケット発射で空を飛ぶロボットが、災害地まで行って、人間には困難な救助作業をするためのAI学習をさせているところらしい。災害救助用のロボットの開発は各国で進んでいて、日本はどうなのか知らないが、わたしが思うに、もっとも急を要する“開発分野”のような気がする。何十年もあとになって実用化というのでは間に合わない。とりあえず、今の段階でも使えそうな部分に投入すべきだ。各国が協力し合えば、早く、安く、優れたロボットが誕生する可能性はある。医療用介護の分野と、災害用救出の分野とは、或る種の共通性もあるので、それらに対して次々実用実験を試みれば、早く、確実で、有益なものが作れそうな気がする。各国がそれに対して、早急に協定を結んで、科学者や各技術を投入し、同時に資金も分かち合って投入すれば、そんなに何年も掛からずとも実用性ある救助・救出ロボットは実用化できそうな気がする。多数のロボットを投入できれば、大きな自然災害で、大規模な救出隊を組まないと難しい場所や地域でも、大地震のように後から余震が襲ってきそうな場面でも、すぐ現地入りできる。医療用のロボットも、介護用のロボットも、こちらは実質的に人型ロボットでなくても我慢できるので、とにかく世界各国が「自国ファースト」などと言っていないで、助け合って共同開発を進めていくのが良いと思う。戦争用の兵器開発より、災害用のロボット開発の方が急を要することで、各国にとって有益でもある。人間はどのみち大自然には勝てない。大自然と調和しながら、大自然の怒りを鎮めながら、おごれることなく生きていくしかないのだ。
2025-03-29
アメリカの経済指標である「ダウ」や「ナスダック」がなかなか下げ止まらない。このぶんで行くと4月の半ばくらいまで下げ続ける可能性が出てきた。トランプ関税が発動されて以降、もっとも強く反応しているのは外国よりも自国の方で、アメリカ経済の“先行き”を心配した世界の投資家たちが「ダウ」や「ナスダック」の株式市場から、投資資金を撤収させている。考えてみれば、アメリカ経済を支えてきたのは、アメリカ国民なのではなく、世界の投資家たちなのだった。世界の投資家が、アメリカ経済の先行きに対して“明るい見通し”を持ち、そこに自らの資金を投資して“より潤わせて来た”現実がある。ところが“トランプ関税”の発動によって、自国経済の方が危ういとなったら、自らの投資資金を“撤収させる”のは、当然というか自然の選択なのだった。したがって、或る程度、各国の金持ちたちの“投資資金の撤収作業”が一段落するまで「ダウ」や「ナスダック」は下げ止まらない。その余波を一番受けやすいのは、わが日本の株式市場だ。つまりは日本経済だ。「日本」という国は、資源の乏しい国なので、どうしても各国から資源を調達しなければならない。アメリカ経済の余波は中国にも、欧州にも、アメリカ周辺国にも及び、それらの国の資源や生産物が高騰していく。そうすると、当然、わが国にも影響が及ぶ……ということで、島国である日本は、それらの影響力が他国よりも大きい。せっかく日本は徐々に経済的に“明るい見通し”がたちそうな状況だったのに、アメリカ株の急落は「日経平均」をも巻き添えにする。そうすると、その半年から一年くらい以降になって“実態経済”にも影響が出てくる。奇妙なことには、すぐ実態経済に反映されるのではなく、少し経ってから反映されるように出来ている。だから、いまアメリカの指標が急落しているのは、今後1~2年先の“景気低迷”を予兆しているのだ。日本の場合、アメリカと違って“今の今だって”多少「明るい見通し」は出てきているものの実際には多くの人が、いきなりの“物価高騰”に面食らっている。これまでがデフレで安かっただけに、インフレへの対応に戸惑っているのが実態なのだ。それに加えて、今回のような1~2年後の“予兆”は、明らかに赤信号の点滅ではないか。どうする植田日銀総裁。どうする石破政権。
2025-03-28
さまざまな意味で独特な人生を歩んできたデヴィ夫人が、2月半ばレストランにおいて女性従業員に対しシャンパングラスを投げつけ、警察から事情聴取を受けていたらしい。通常、人は年齢が行くと人間が丸くなって、穏やかな日々を送るものだが、どうもこの人には当てはまらないらしく、今年は「政界に一石を投じる」として、政治団体「12(わんにゃん)平和党」を設立、その党首となった。夏の参院選には自らが「比例代表」として出馬すると宣言している。ご自身が多数のペットを飼っていて、人一倍“動物愛護”の意識が強いようだ。それ自体は良いが、何も政党を立ち上げ、党首として立候補までしなくてもと、わたしなどは思うが、意気軒高な彼女には通じないようだ。ただ、そうは言っても彼女ももう85歳である。党首となるのは良いが、立候補くらいは“他の人”を立てれば良さそうな気もするのだが……。シャンパングラスの件は、従業員が警察に相談したくらいだから、たぶん、ほんとうなのだろう。この人は元々プライドが極端に高く、勝気で気が短いところを持っている。かつてインドネシアの大統領第三夫人となった時、日本中から注目を集めた。“第三夫人”ではあったが、NHKまでもがインタビュー特番を放送した。当時、彼女の自伝的要素を持った著書が出たが、自ら描いた“挿絵”が使われていて、わたしはその絵画の才能に驚いたものだ。やがて彼女はタレントとして日本のTV番組あれこれに出場するようになった。現代ならアウトかと思われるようなパワハラギリギリの発言も多い。タレントとして視れば、なんでもハッキリとモノが言える数少ない貴重な女性タレントだと思う。その行動力とか好奇心とかも、多くの高齢者の“お手本”と言えるような部分もある。ただ、問題発言、問題行動も多く、あらゆる方位に目を向けなければならない政治家にはもっとも向いていない。人気はあるので、当選するかも知れないが、マスコミや庶民を敵に回しそうな予感しかしない。元々わがままなところや、金銭面の危うさもあるので、せいぜい党首として自己主張をするのに留めておくのが良いような……。
2025-03-27
宮崎市の山火事は収まったようだが、岡山市と今治市の山火事はなかなか収まりそうにない。今日・明日と天候は雨の予想で、それが「恵みの雨」となれば良いのだが…。いま「恵みの雨」と言ったが、われわれ現代人はどうしても「雨」と「恵み」が結びつきにくい。けれども古代人にとっては、山火事や日照りによる不作など、文字通り「雨」は「恵み」と深く結びついていた。だから「恵みの雨」という表現が今日まで残ったのだ。古代人の遺してくれた“知恵や知識”には必ず深い教訓が含まれている。もはや科学文明の発達した「現代人には必要ない」と捉えがちだが、それは“浅はかな考え”である場合が多い。わたしは以前から「山火事」に関しては警告を発して来ていた。アメリカやオーストラリアの出来事が報道されがちだったが、いずれ日本にも“同じようなこと”が起こらないとは言えない…と思っていた。今年の場合、日本だけでなく韓国でも同じように山火事がニュースとなっている。このところ自然災害はじわじわと“その脅威”を拡大してきている。山火事の次に来るものは何かと言えば、五行思想の理論では、相生理論では「土」が続く形であり、相剋理論では「金」が続く形となっている。したがって相生理論が当てはまるなら次に「土」の災害が起こり、相剋理論が当てはまるなら次に「金」の災害がやって来る。土の災害とは、例えば「土砂崩れ」とか「道路上の陥没」とか……もう既に予兆として起こっていた可能性もある。金の災害とは、例えば「鉄鋼問題」とか「採掘場の事故」とか「鉄道事故」とか「金塊盗難」とか……。何らかの大きな「金融事件」の可能性もある。とにかく「土」と「金」が要注意なのだ。こういうふうに古代人はわれわれ子孫に対して、或る種の法則や知恵を遺してくれているのだが、なかなかそれに気付かない。それにしても山火事の映像を観ると、何カ所にも飛び火をしていて、通常の消火活動だけでは難しいのが判る。古代人と同様に最終的には“神頼み(天候頼み)”しかないことに気が付く。自然災害の多くは“先端科学”というものがあまり役立っていない。宇宙規模のことを研究する人々がいるのは好いが、もっと身近な自然災害の対策や防止法に関して、自然科学者は力を注いでいくべきではないだろうか。
2025-03-26
「晩節を汚す」という言葉がある……人生の終わりころになって、それまで得てきた名誉とか地位とかを一気に失ってしまうような出来事が表面化する諺だが、わたしは自分自身の中に、どこかで“そういう人生”に対しての奇妙な“憧れ”がある。多くの人は、晩年を「汚したくない」と思うのかもしれないが、わたしは密かに「そういうふうになれたらいい」と思ってしまう。もっとも、わたしの場合、これまでの人生自体が、そんなに特別な名誉にも地位にも縁がなかったから「最初から汚れている」と言えないこともない。かつて日本のプロ野球で、通算350勝という歴代2位の記録を持っている人物が、昨日、兵庫のスーパーで缶酎ハイを2缶、洋服に隠し入れたところを店員に発見され、窃盗の容疑で逮捕された。通算350勝という記録の割に「米田哲也」という名前は、それほど一般には浸透していない。つまり、偉大な記録の割には地味なまま87歳まで経過した人物だが、当然、名球会からの収入が今も与えられているはずで、金銭的に困るとは、通常は考えられない。なにがあったのか。万引きしたことは本人も認めているので、間違いはない。ネット上では「認知症だったのではないか」とも書かれているが、状況から見て、わたしは違うような気がする。考えられるのは二つの理由で、その一つは純粋に“経済的な理由”であり、もう一つは“刺激的スリル”を求めてのものである。収入そのものはあっても、さまざまな理由から実質的には「苦しい」生活を送っている人は少なくない。彼は元々現役当時から“酒豪”として知られていたらしい。酒豪の人には、ときどき“それゆえの失敗”をする人もいる。若い時には目立たなかった欠点が、晩年になって目立ってくる…ことはよくある。もう一つの方の“刺激的スリル”を求めてしまうのは、過去に力を発揮していて、それが現在は失われてしまったとき、しばしば見受けられる現象で、彼の場合、もしかすると“そっち”の可能性もある。どちらにしても、わたし個人は、かつての栄光を背負った人物が、ボロボロになっていくのは人間らしくて、どこか“哀愁の漂うドラマ”のような部分があって、気に入っている。最初から最後まで“輝かしいだけの人間”に、わたしは興味がない。確かに“輝かしさ”は、あった方がいい。けれども同時に“愛おしいまでの哀しさ”もあった方がいい。その方が、人間らしくて、わたしは好きなのだ。
2025-03-25
実は昨日、珍しい天文現象が起こった。「土星の環が消える」という現象だ。今年の11月24日にも、もう一度起きる。その時の方が判然とした天文現象として生じる。望遠鏡で観察できる“この現象”に関しては、奇妙な事実がある。まだ望遠鏡がなかった古代の人々が、それに気付いていた可能性が強いのだ。実は地球から観て「環が消えたように視える」現象は15年に一度の割で起こる。したがって、それを観察するのはなかなかに難しい。肉眼では通常「確認できない」と言われている。それなのに、占星学の基礎をつくったバビロニアの天文学者たちは、肉眼観察だけで夜空に起こるさまざまな現象を熟知していた。その一つが「土星の環が消える」という現象だ。とてつもなく視力が良かったからだろうか。15年に一度の現象を発見した彼らは、この現象に関して、けれども“奇妙な解釈”をした。たまに“環が視えなくなる”のは、土星が「環を隠している」からだというのだ。なんという泥臭い解釈だろう。その結果、土星はバビロニアの占星家たちに「盗人の星」と呼ばれるようになってしまったのだ。そして、ここからが驚くべきことだが、その解釈が定着して以降現在まで、なんと3000年もの間、われわれは土星を“盗人”として扱い、そういう癖を持つ惑星として、この惑星が個人のホロスコープで関わってくると「それまで得ていたものが失われやすい」という驚くべき解釈を継承し続けていたのだ。実際にはどうなのかと言えば、わたしの研究では“良い部分”と“悪い部分”とがある。確かに、それまで得られてきたモノが失われやすい……という現象がないではない。その一方で、それまでの仕事上での功績が報われやすい……という現象もしばしば目撃する。したがって不可思議な惑星なのだ。もう一つ奇妙な現象がある。手相には「土星丘」と呼ばれる部位があるのだが、ここを切り取るかのように“半円に近い弧線”を描く線を、古来から「土星環」と呼ぶ。だれが呼び出したのか、そう呼ぶのだ。そして、それが刻まれている人には“孤高の人”“他人のモノ(妻や夫)を盗む人”が多いと言われている。果たしてほんとうなのだろうか。だれか証明して⁉
2025-03-24
昔から中国人は“ゲンを担ぐ”人が多い。日本にも“迷信”“俗信”に属するものはいろいろとある。とにかく根拠などハッキリとしなくても、多くの人たちが信じて行っていることには“心理的な効果”くらいは期待できそうである。そういうこともあってか、現在、中国ではネット上で“注目されている商品”がある。「銀行敷地内の土」だ。これが日本円にして18000円(中国では888元)で“売れる”のだ。パチンコの「大当たり」が出そうな数字だが、あくまでも“銀行の土”ということに意味があるようだ。つまり、それを保有することで自宅内に“銀行的な要素”が生まれて、ごく自然に「金運が集まって来る」という“迷信・俗信”が浸透し、ネット販売で大ブームになっているらしい。ここで重要なのは“中国の五大銀行の敷地内から採取された土”ということで、銀行ならどこでもいい…というものではないらしい。どこの国でも、その種の迷信・俗信というものはあって、わが日本にだって「西に黄色」という俗信が未だに独り歩きをしているではないか。ただ中国の“銀行の土”は18000円もする。すこし、ぼったくり過ぎではないか。元々各銀行敷地内からの土をどうやって採取したのか。中には“動画付き”で“本物アピール”をしている業者もいるらしいが、銀行に正式な許可を取っているとはとても思えない。つまりは、無料で勝手に持ってきたものを小分けしてネット販売しているようで、まぎれもなく犯罪である。だが、元々“そういうこと”に対しては寛容なのが中国人だ。それよりも「実際に効果があるのか」ということの方が重要らしい。現代は現金の比率がどんどん減っていって、貨幣そのものを収蔵する銀行よりも、ネット上にたくさんの“デジタル預金”を所有しているところの方が“金運の効能”がありそうな気がするが、そういう“風水グッズ”のようなものはまだあまり見掛けない。考えてみると、ビットコインなどデジタル画像はあっても、実物は手に出来ないわけで、そういうものを所蔵している“交換取引所”のような企業は、まだ小さなビルの一室だったりするケースが多いような気がするが、そういうところに置いてあった観葉植物とか譲ってもらえば、もしかして金運がやって来るとか……どうも中国は“新しいモノ”と“古いモノ”が混在していて、どっちが本物なのか、きわめて微妙……。
2025-03-23
当たり前の話だが、われわれは宇宙人ではなく地球人だ。したがって、ふるさとである地球環境で暮らしやすいように出来ている。もし、われわれが宇宙空間に留まって暮らさなければならなくなると、どうなるのか。予期せぬ形で、そのモデルケースともいうべき宇宙空間で9か月間過ごすことになったのがアメリカの宇宙飛行士バッチ・ウイルモア氏とサニ・ウィリアムス氏だ。彼らは試験飛行で宇宙ステーション(ISS)へと向かったのだが、宇宙カプセル「スターライナー」の調子が悪く、結局、帰還用としてそれを使うことが出来ず、しばらくISSに留まったままとなった。もちろん宇宙ステーションは、万一のことにも備えて、長期滞在も可能な状態にはなっているのだが、そうは言っても無重力の極限状況で経験したことのないストレスや不安を抱えながらの暮らしとなる。その彼らが無事287日ぶりに地球へと帰還することが出来て、現在は健康診断などを受けている。ところが、健康状態自体には特別な以上は見受けられないのだが、一つだけ著しく変化したのは、その外貌だった。つまり、9か月間、地球を離れていただけなのだが、まるで何年もの間が経過しているかのように“年老いた印象”だというのだ。特に女性のウィリアムス氏は出発前はブラウン系の美しい長い髪で、健康そのものの風貌だったのに、帰還した今は完全に白髪となって、げっそり痩せ衰え、皴も深くなってしまった。人間生理学の専門家によれば、極度のストレスと緊張状態が続いたことによって、本来の身体の機能が果たせなくなっていった結果だと診断している。人間の身体は「極限状態を処理するようには出来ていない」と論評している。確かに、経験的にも、ストレスの多い環境状態に置かれると白髪は増えやすくなり、食べても痩せて来る。ただ、本来の状況に戻って数か月もすれば、元々の身体に戻っていく経験をする人は多い。われわれは、やっぱり地球人で地球環境に適応しやすいように出来ている。SFのような宇宙旅行を夢見ている人は多いが“地球外で生きる”のは決して簡単なことではないのだ。
2025-03-22
日本大学の研究グループが行った調査で、15歳から39歳の若者たち4000名に対する回答結果なのだが「子供は育てたくない」が52%だったという。この数値は、収入とも多少は関係しているらしいが、それを差し引いても約半数近くは「子供は育てたくない」という反応らしい。「日本」だからだろうか。そういう面も確かにあるだろう。いまの日本は欧米と変わらぬくらい、核家族化が進んでいる。したがって、もう「家族と一緒に暮らす」というのが、それほど定番ではない。さらに収入の問題があり、生まれてくる子供たちにとっての環境も、なにかと“不穏で心配な部分”が多いと感じられている。そういう中で、子供を産み、育てるというのは、或る意味で“勇気のいること”であるのかもしれない。ただ、一つだけ、わたしには思うことがある。いまの世の中は「余分な情報」が溢れすぎているのではないか。だから、その余分な情報に惑わされて、結婚にしても、出産や子育てにしても、躊躇してしまう傾向が強いのではないだろうか。そんな気がする。なぜなら、わたしなど、ほぼ“無一文”に近い状態の中で、最初の結婚をしたし、さらには子供をつくった。結婚をしたなら、子供を作り、子供を育てることは“当然のこと”だと思っていた。ハッキリ言えば、何も考えていなかった。結婚にしても、出産にしても、経済的なことなどまったくと言ってよいほど考えていなかった。好きだから一緒になって、一緒に暮らしたら入籍をして、入籍したら子供も出来る……その一連のコースに何の違和感も感じていなかった。どうして考えなかったのだろう。一つには、そんなにあれこれ思うほど周りに“それ”に関しての情報や知識がなかったのだ。だから結婚に“どのくらいのお金が掛かるか”とか、出産や育児に“どのくらいのお金が掛かるか”とか、正直、考えもしなかった。それよりも、わたしは結婚して2年近く子供が出来なかったので「どうしてできないんだろう」と、そっちの方を考えたりした。出産に対する知識も、子育てに関しての知識も、ゼロだった。だから、いろいろな面で慌てたが、それはそれで楽しかった。いまの若い人たちは情報が溢れすぎていて、嫌でも“そこ”から出発する。逃れようがない。だから、結婚もしにくくなっているし、出産もしにくくなっている。何も考えず、本能のまま一緒に暮らし出し、自然に子供が産れていく……そういう世の中の方がほんとうは倖せなのではないだろうか。
2025-03-21
「幸福」という抽象的な言葉で「国」や「人」を当てはめていくのは、なかなかに難しい。基準とするものが、人によって相当に異なるからだ。それでも、毎年、国連などの関係機関が「世界幸福度ランキング」を国別で公表している。もちろん、そこでは“国連による指標”とされるものが適用されている。その結果、今年も1位にはなんと8年連続でフィンランドが択ばれた。続くのはデンマークやアイスランドで、いずれも“子育て”とか“教育”とかに力を入れている北欧の国々だ。正直、日本にはあまり日々のニュースが入って来ない国々で、どういう暮らしをしているのか、本当のところ、よく判らない。ただ、政治を牛耳っているのが“若い人たち”であることは何となく知っている。つまり、若い人たちが政権の中枢に多ければ、自然と“出産”“育児”“教育”という分野に国家予算を投じやすくなる。それが「国連」という機関から視れば「幸福を与えやすい国」として映るらしい。もちろん、このランキングでは「日本」の評価は低い。なんと55位という低さだ。もっとも、観方を変えると、111カ国が比べられているので、そういう意味からいえば「中間くらいの国」ということになる。まあ、世界的に視ると、ちょうど中間くらいに位置している国なんだ……と理解しておけばいい。ちなみにアメリカは24位でやや高く、中国や韓国は日本よりもランキングが低い。これら全部を合わせて考えると、日本という国は“若い人たち”にとっては必ずしも「幸福を与えてくれる国」からは遠ざかっているが、この国に暮らしているから幸福になれないのかと言えば、そういうものでもない。実際、個々の人たちの幸福度は、国や地域の幸福度がそのまま反映されるわけではない。個人としての幸福度は、どの国に生れていようと、暮らしていようと、実際にはあまり関係がない。奇妙なもので、どういうところに暮らそうが、倖せになっていく人はなっていくし、不遇をかこつ人は不遇なまま暮らしていくケースは多い。大切なのは、どういう環境であっても「幸せになる術」を心得ている人だ。“小さなこと”にも楽しみを見つけられる人、“ささやかなこと”にも悦びを感じられる人は、基本的に幸福になりやすい。逆に“小さなこと”でもすぐ怒ったり、すぐ悩んだり、すぐ嫌がったりしてしまう人は、幸福は得られにくい。環境に順応しやすい人の方が“倖せ”は掴みやすいものなのだ。
2025-03-20
すったもんだの状態からはなかなか抜けられそうにない。兵庫県の斎藤知事だ。「百条委」から「第三者委」の手に移った調査結果は、結局「パワハラ行為」の事実認定を確実なものにした。こんなに何度も何度も問題がぶり返されるのは、やはり斎藤知事の「不徳の致すところ」というべきなのだろうか。とにかく調査の結果がどう出ようと、亡くなった方達は戻って来ないので、今後の県政運営に少しでもプラスになってくれることを願うしかない。わたしは前から思っているのだが、斎藤知事の場合、問題が日本国中に知れ渡ったことで、少なくとも今後は何にしろ“不正なこと”は出来ない。そういう状況が作られた。したがって、少なくとも、彼自身も、そして、彼への反対勢力も、ともに“不正なこと”は出来ない状況の中で、行政を行うことになって、或る意味では、日本一“透明な行政”が行われるだろうと、わたしは思う。いや、彼だけでなく、今回の一連の事件や報道は、日本における“権力者”と呼ばれる人たちの意識に少なからずの変化を与えた。どういう世界であっても権力者が思いのまま“不正を握り潰せる”時代ではなくなった……と世間に知らしめた意義は大きい。ただ同時にSNSの持つ力が、時として“歪んでしまう可能性”についても、改めて考えさせる機会を各方面に与えた。現代はSNSの持つ力が極めて大きいが、一方でその“操り方しだい”では、極めて危険な凶器にもなるということに多くの人は気付き始めている。したがって、今後、政治の世界では特に、これらをどう扱っていくべきか、真剣に議論しなければならない時代に入ったような気がする。SNS全盛の中で生まれ育っていく若者たちは、そのSNSに“大きな落とし穴”があることを気付かなければならない。ほんとうは教育の場で教えなければならない。そうでなければ「闇バイト」や「各種の詐欺」に引き込まれてしまう“罠”がいくつも誕生しつつある。目まぐるしい社会の変化は、同時に目まぐるしい“犯罪形態の変化”を引き起こし、いったいどれを信用して良いのか、だれを信用して良いのか、判らなくさせつつあるのだ。
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