3月, 2025年

「トランプカジノ」で世界が振り回されている⁉

2025-03-07
昨年の11月には「トランプ政権が誕生する」ということで、少なくとも経済面においては「プラス効果が大きいのではないか」という予測が多かった。ところが、実際にトランプ政権が誕生してみると、何かが違う。さまざまな点で“怪しい部分”が多くなっている。いちばんの問題は“関税ごっこ”だ。予測していなかった“関税ごっこ”が発生したことで、怪しさは日増しに強まっている。わが日本に対しても「円安なら日本にも関税をかける」と理解に苦しむアドバルーンを上げた。その影響は大きく、ドル円相場は大きく動き、24時間で「1ドル=150円」だった為替は「1ドル=147円」に変った。もちろん、そうなれば株価にも大きく影響し、日経平均先物は大きく下落している。いや、日本だけに影響しているのではなく、本国アメリカにおいても、メキシコ、カナダ、中国から“報復関税”が発動され、金融市場が大混乱している。元々「関税」の仕組みは複雑なので、簡単に“何パーセント”と決められるような単純なものではない。もちろん、トランプ大統領の言う如く“不公平な部分”もあるにはある。ただ、一挙にそれを覆そうとすると、さまざまな部分でその弊害が生じてくる。いちばんの問題は“輸入物価の上昇”が起こるということだ。確かに関税によって、国家は収入増となるかもしれないが、個人にとっての恩恵はない。したがって、それでなくてもインフレで物価上昇に歯止めがかかっていない状況で、これ以上のインフレは景気悪化を招き、国家としてのアメリカにも“深刻な問題”をもたらす可能性が強い。それに国家間においてもぎくしゃくした関係が生じがちだ。トランプ政権は「国家」と「企業」を“同等なもの”のように扱っているところがあって、企業の場合には“そのやり方”で問題ないのだが、国家の場合には“採算だけ”では済まないさまざまな領域が含まれている。元々トランプ氏は商人であるので、それを国家間でも「通用する」と確信しているようだが、それだけでは通用しない部分も“国家間の商取引”には存在しているということを、改めて知ることになっていくだろう。なによりも「国家」には国家としての“生命体”があり、それが「国」そのものを動かしているという背景がある。「アメリカ」は、アメリカ単体では“生きていけない”という生命体としての事実に、やがて気付くことになっていくだろう。

裏表にある「愛・憎」がエスカレートするとき⁉

2025-03-06
昔から「悪女の深情け」という言葉があるが、総じて“強すぎる愛情と嫉妬”は事件を引き起こしやすい。3年前の2月7日。長崎県で一人の40代男性が低体温症で亡くなった。6日~7日にかけ建物2階ベランダに“全裸での監禁状態”で放置し、朝になって意識がなくなっていることに気付いた同居中の女が119番通報。救急隊員が到着した時点で、全裸の男性は既に死亡していたらしい。ただ内縁関係だった50代の女は「わたしは何もしていません」と完全否認。そこで証拠固めに時間が掛り、昨日になっての逮捕劇となったようだ。実は事件の2週間ほど前、同じカップルで傷害の事件があった。男性が鼻を切られて全治2週間の怪我を負っている。なぜ、この時点で“同居・内縁関係”を解消しなかったのか、今となっては悔やまれるところだ。このカップルは女性の方が、かなり年上である。おそらく性格的にも、女性の方が主導的で勝気だったに違いない。こういう男女は、いったん愛憎問題が起こるとエスカレートしやすい。警察は容疑がハッキリとしている“傷害事件”の方と“抱き合わせの形”で「監禁致死容疑」で逮捕に至った。40代の男性は全裸で戸外(ベランダ)に監禁されたと思われるので、逃げ出しようがなかった。鼻を切られても同居し続けていたくらいだから、大人しく従属型の男性だったに違いない。こういう場合、女性の愛憎はエスカレートしやすく、特に“内縁関係”は事件的な状況にまで発展しやすい。壊れかかった男女関係は“愛・憎”が入り混じっているので、客観的に視れば「終わっている」状況でも、第三者が思うほど別れは簡単でなく、時限爆弾を抱えたような状態で関係自体は継続されていく場合が多い。通常、愛情の乏しい人の方が“残酷な仕打ち”が出来そうに思うが、元々愛情の乏しい人は、アッサリ別れたがるもので、愛情の深い人ほど、簡単には別れたがらない。愛情と憎悪が深く入り混じって“濃厚な愛憎劇”が繰り広げられる。だから往々にして男女間の事件は、愛情の深かった人たちの間で、些細な出来事をきっかけに徐々に形づくられていくものなのだ。

20代での「卵子凍結」が“当たり前”になる時代

2025-03-05
最近は、いろいろな部分で“時代の変化”を感じるが、その典型的な形の一つとして「卵子凍結」という行為がある。元HKT48でグラドルの兒玉遥氏がABEMAの密着取材という形で「卵子凍結」を行い、その実質的な手術が希望した女性医師ではなく、男性医師が担当したということで、病院側に対しSNSを通じて抗議を行った。ここには、いろいろな問題が潜んでいる。まず第一に「卵子凍結」というプライベートな問題を密着取材という形で、有名女性が公共の電波に乗せる形で行ったということ。しかも、その女性はまだ20代であるということ。通常30代半ば以降となれば、妊娠率が急低下することで「卵子を保存しておきたい」というのとは異なり、まだまだ十分に妊娠可能な段階の年齢でも、既に「卵子凍結」を試みる女性たちが出て来たということ。そのこと自体が、大きな時代の変化を私に感じさせる。児を産む、産まない、ということは今や“結婚”とは無関係に自由意志の中で選択することが出来る。とりあえず“自分の遺伝子を持つ子供”が欲しい場合には、早くから「卵子凍結」しておくことが優位な時代となったのだ。そこには、明らかに昔風な表現を使えば「お嫁に貰って…」とか「子宝を得て…」とかの発想はなく、やがて「結婚の気持ちが起これば…」とか「子供が欲しい気持ちになれば…」とかの自分の意志優先で“物事を決していく”令和の時代を生きるのに相応しい女性の考え方がある。しかも、彼女の場合は、それを公共の電波に乗せることを承諾している。さらに患者である自分の方が、その“手術医師”を選択しようとしている。実際には選択できなかったことで、病院側に対してSNSを使って強く抗議している。一つの生命を扱う行為で、病院側に主導権を持たせず、自分が選択する側でありたい、という主張なのだ。もしかすると彼女にとって「卵子凍結」は“医療行為”ではなく、銀行の貸金庫のような“単なる管理業務”という捉え方なのだろうか。近年、日本でも若い著名人の中に“結婚”とは無関係に「卵子凍結」を行う女性たちが増えてきている感じがする。昔は男性側が、圧倒的優位に“子供の有無”を選択する側だった。これからは女性側が、圧倒的優位に“子供の有無を選択する”時代に変わったのだ。

何かを勘違いしているゼレンスキー大統領の発言

2025-03-04
停戦協議のための“下準備”として行われたトランプ大統領とゼレンスキー大統領との会談だったが、その話し合いは途中から雲行きがおかしくなり、最後は“交渉決裂”で終わった。その後、ゼレンスキー氏は欧州に戻って、欧州の首脳たちと会談、改めてアメリカに対して“継続的な支援”を求めるとともに「建設的な対話であれば行う用意がある」という“やや高飛車な発言”で再度の交渉を求めている。欧州の首脳たちは、全般的には“ウクライナ寄り”とでもいうか、ゼレンスキー氏に対して好意的である。だが、ゼレンスキー氏の態度や発言は、トランプ氏の言うように、ほんとうに戦争を終結させようとする国のトップとは思えないようなところがある。今回のアメリカ大統領との会談・交渉も、ウクライナ側からの提案だったと言われる。そうであるなら、まずは「アメリカ国家」に対して“感謝の言葉”がなければならない。なぜなら、アメリカはもっとも多くの支援金を「ウクライナ国家」に対して注いできたからだ。日本国も含めた西側諸国のどの国よりも、多くの支援金を“ウクライナ側”を与えた。その金額は“全支援金”の半額に近い。日本の十倍以上だ。更に武器供与も群を抜いている。つまり、これまでロシアと互角に戦えたのは、アメリカの支援があったればこそなのだ。それなのに、ゼレンスキー氏は国家としてのアメリカや、アメリカ国民に対して、その税金が当てられてきたというのに、一言も感謝の言葉を述べていない。「支援するのは当たり前だ」と言わんばかりの態度や言葉が目立った。国家としての“ロシアの侵攻”の正邪の前に、まず感謝すべきことなのだ。もう一つ、問題に感じたのはアメリカとの会談・交渉の席でありながら、ロシアのプーチン氏の姿勢を強く非難し、それに同調を求めたことだ。これからロシア側との“停戦協議”に仲介役として“その間を取り持とうとする”トランプ氏に対して、プーチン氏の個人攻撃を行った。百歩譲って、プーチン氏に問題があるというなら“停戦協議の場”で行えばいい。相手国のいない場で、仲介役の国に対し、相手を批難し“自分に同調すべき”というのは、どう考えてもおかしい。少なくとも、ホワイトハウスで行うべきは“アメリカーウクライナ間”の交渉であるべきなのだ。しかも、それで怒ったトランプ氏を理解していないのか「建設的な対話であれば行う用意がある」と、改めて発言している。つまり、自分に同調するなら対話する……という姿勢を崩していない。これでは「戦争を続けたがっている」と思われても当然ではないだろうか。

「別居婚」が「当たり前になる」時代が来る⁉

2025-03-03
昨年8月に結婚した「錦鯉」長谷川雅紀氏が、TVで新婚生活について話す場面があったらしい。昨年結婚はしたのだが、未だに別居生活を続けていて、稀にしか“逢うこと”はないらしい。近年、いろいろな理由から増えてきているのが“別居婚”或いは“週末婚”といわれるもので、考えようによっては、リモートで仕事を続けている人たちと同様、遠方に居ても、常に連絡さえ取り合っていれば、実質的な“すれ違い夫婦”と何ら変わらない、と視ることもできる。同じ家の中に居ての“時間的なすれ違い”と、触れ合うことの出来ない“距離的すれ違い”では、微妙に違っているのかもしれないが、運命学的な観点から言えば、ほとんど変わらない形式として処理される。つまり、遠距離恋愛、すれ違い同棲、週末婚、完全別居婚……いずれも、例えば手相などでは“同一の徴”として示される。したがって、その“どの形態”を採ったとしても運勢的に違いが出てくることはない。逆に、そういう相が出ている場合、それを拒否するかのように“通常の結婚形態”を採用すると、いろいろ問題が出てきてしまうケースが少なくない。なぜなら、そういうカップルの場合、仕事や病気や家族関係など、何らかの理由が存在している場合が多く、その理由を押しのけることで、ふたりの愛情そのものにも微妙に“ヒビ”が入って行くケースが少なくないからだ。特に現代は、SNSなどの発達で遠方に居ても相手のようすは即時に知ることが出来、遠くに居るから「何をしているのかわからない」という不安は少ない。したがって、一緒に暮らしていなくても、家族としての絆が崩れていってしまう危険性は少ない。ただ毎日の暮らしの中で、ほんとうの意味での一体感は得られにくいので、ちょっとした出来事や問題から、いつの間にか“心の距離間”が生まれてしまうこともないではない。そういう場合、いったん生まれた“しこり”はなかなか取り除くのが難しい。単身赴任などの場合でもそうだが、あまりに長期間、一人暮らしを続けていると、それが当たり前になって、いざ家族と暮らし出すとギクシャクし始めるケースも少なくない。つまり“別居婚”には、時に本来の形ではなく“別居婚でなければ上手くゆかないカップル”も時折いるのだ。

「心の傷」実際の傷として「脳内に存在」する⁉

2025-03-02
英国キール大学のリチャード・ステファン博士が率いるチームの研究によれば、われわれが普段の暮らしの中で、予期せぬ物にぶつかるなどして激しい痛みを味わったとき「クソ―‼」とか「チクショー‼」とか発する無意識の“汚い言葉”は痛みを和らげる効果があるのだとの研究成果を公表している。この研究を基として、同じような効果が精神的な面でも得られるものなのかどうか、実験を行った研究者がいる。それによると、社会的な“孤独感”とか“不安感”とかに対しても、大声で“相手を罵倒する”のは、大変に効果的だったという実験結果が得られたという。これは大声で罵倒することで、或る種の覚醒状態となり、交感神経系が活性化し、痛みの軽減に役立つからではないかという仮説が提出されている。この場合、脳内神経に働きかけているので、精神的なものの場合には“表面上の傷”はなくても、脳内においては“孤独感”や“不安感”に通ずる座所があって、その傷口を“癒す”からではないかと考えられる。つまり、われわれは普段“心の座所”などないように思っているが、実際には脳内神経において“心の座所”は存在していて、その部分は“実際に損傷を受けている”可能性がある。実際、われわれの“心の傷”というのは時間の経過とともに薄れていって“治ってしまう”場合も多いが、もしかするとそれは、ただ単に記憶が薄れていったというよりも、その脳内神経の損傷が徐々に小さくなるという“実質的な回復”から来るものなのかもしれない。そうだとすれば、その損傷を受けた“孤独感”や“不安感”を与えた“事柄”とか“人物”とかを、大声で罵倒する機会を与えてやることで、もっと早く、そのトラウマとか傷とかを“薄れさせる”ことが可能となっていくのではないだろうか。そういう意味では、本人にとっての“傷となっている出来事や人物”について、波に向かって、森に向かって、滝に向かって、大声で話させる、相手を罵倒させる、吐き出させる……という行為は、何にもまして“心の傷”を癒していく魔法の療法といえるのかもしれない。

2025年3月の運勢

2025-03-01

いろいろあって「結婚宣言」で、倖せになれるか

2025-03-01
元グラドルとして一世を風靡した小向美奈子氏(39歳)が「今年、結婚します」と宣言したらしい。15歳で芸能界デビューしている彼女は、タレント、グラドル、AV女優、ストリッパー、バンド活動、YouTuberと、さまざまな形で活動してきた。ところがその間に覚せい剤による逮捕歴が何度も生じて、その結果、公的な場所では働けなくなってしまっていた。今回の相手は、同じバンドで活動している相手らしく、何となく雰囲気的には似合っている印象を受ける。ただ、ほんとうに今は“覚せい剤と縁が切れた”のか、ほんとうのところは判らない。ただ表現は良くないが“主婦の人たちに多い太り方”をし始めているようなので、そういう点では“覚せい剤などによる痩せ方”をしていないだけ、安心なのかもしれない。年齢的にも、もう“落着いて良い”年齢にはなっている。この種の人には、もし、子供が出来ると、別人のように“母親的に変わる”ケースが多い。したがって、もし経済的に許されるのであれば、かえって子供が産れたなら“専業主婦”のような形で暮らした方が倖せは掴める。もし、すぐに子供は作らないとか、作る気持ちがない場合には、こういう人は“仕事を続けた”方が“本来の自分”を保つことが出来る。完全に家庭に入ってしまうと、どうしても刺激を求める性質が出てきて、再び覚せい剤に走らないとは言えないからだ。相手男性は同じバンドで活動する方のようなので、その点では、すれ違いが生じにくく関係継続ができそうな感じはする。こういう女性は、離れている時間が長い相手とはトラブルが生じやすい。人生は長い。若い時にいろいろあっても、30代半ばを過ぎて“落着き出す人”は意外なほど“幸せを掴んでいく”素質を持っている。逆に、30代半ばまで比較的平穏で来たのに、そのくらいから“大きく変貌する人”は“良い変貌”と“悪い変貌”に分かれる。良い変貌の人は、社会性が強まって、自らの素質や能力に気付くとか引き出されるとかして、その後に人生を駆け上がっていく人が多い。悪い変貌の人は、自ら“もう一つの世界”にのめり込み、どんどん破天荒で自堕落な方向へと落ちていく。歯止めが効きにくいタイプだ。女性の場合には、それまであまり恋愛をしたことがなかったような人に多い。いずれにしても、人生は長い。30代半ば以降から自分の意志で開く扉が、後半生の“幸・不幸”を定めていくのだ。 Newer Entries »