4月, 2025年

「昭和レトロな喫茶店」が20代から支持集める⁉

2025-04-30
4月29日は「昭和の日」そして今年は「昭和100年」に当たる年らしい。ということで、秘かに注目を集めているのが“昭和レトロな店”ということであるらしい。その代表的なものとしては「レコード店」があり、これに関しては世界的にも秘かなブームを呼んでいて、特に日本の場合には“80年代の和製ポップス”が“Z世代”などレコードというものを知らずに育っている世代に受けが良い。彼らの中にはレコードを「なんかオシャレだし…」と表現する者もいる。もう一つ、彼らに人気を集めつつあるのが「レトロ喫茶店」だ。こちらは“あえてレトロを意識した雰囲気”にして、最近になって開店させた若い店主の店が注目を集めている。ただ単に“古いだけの店”とは違う場合が多い。内装も“レトロな雰囲気にしてある”ことが条件で、置いているゲーム機も昭和の“レトロなゲーム”が好まれるらしい。若者たちは、レトロな喫茶店に対して「なつかしい」とか「おちつく」とか「温かみがある」とか言う。そうなのだ。現代は確かにあらゆるものが機能的にはなっているのだが、スタイリッシュではあるのだが、どこかよそよそしい。「昭和」という時代が持っていた“人間臭さ”のようなものが“置き去り”にされている。だからスタイリッシュで機能的なのだが、どこか味気なく、温かみに欠けている。「昭和」のモノは何であれ多少面倒で手間暇が掛ったりするのだが、それだけ情愛豊かな香りのようなものが漂っている。今の若者は“それ”に飢えているのだ。人と人とが繋がる“むかしの喫茶店”のようなものが無い。そう喫茶店には“ココロを座らせる”場所があった。いまのカフェも、そういう工夫はいろいろしているのだが、どこかマニュアルっぽい感じが抜けない。だから、本当に意味での「あたたかみ」や「なつかしさ」は得られない。こうして徐々に“レトロな喫茶店”が増えていって、昔のように“何となくの時間を過ごす”人たちが増えていけば、もっと日本は“心豊かな国”に戻れるだろうか。もう少しだけ、心にも、財布にも“余裕のある状態”がやって来ないと、ほんとうの意味での「昔」には戻れないかもしれないが、それでも、少なくとも“偶然の出逢い”がレトロな喫茶店から生まれて愛を紡ぐ人たちが増えて来るには違いない。

「コンプライアンス」から「倫理」を外すべき⁉

2025-04-29
最近、やたら眼につくのが「コンプライアンス」という文字だ。一応「法令や規範や倫理を守る」という意味であるらしい。本来は企業に課せられた約束事のようだが、実質的には個人に対しても使われることが多い。いつから、そういうふうなことが厳しく言われるようになっただろう。十年前くらいからだろうか。マスコミも自然と“自主規制”のような形で、それを重視するようになった。その結果として、政治家とか、芸能人とか、アスリートとか、昔なら“見過ごされて来た”ようなことで社会的制裁を与えられるケースが多くなった。時代が変わった……と言ってしまえば確かにそうなのだが、わたしは昔から“人間の営み”というのは、そんなに変わるものではない、と思っている。したがって“法律的に定められた事柄”は従わなければならないが、そうではない事柄……つまり“倫理観”などは、あまり規制しすぎることに疑問を感じてしまう。週刊誌が女優の永野芽郁氏に関する“二股疑惑”などを報じたが、その余波がなかなか収まらない。奇妙なのは週刊誌やネット記事では報道されているが、TV番組ではほとんど扱われていないことだ。もし大きく報道されると彼女と契約しているCM11社、ドラマ放映、映画上映などに影響が出てくる。大手芸能事務所に属している彼女は、何とか“疑惑”を否定し、謝罪して、今回の報道を切り抜けようとしている。近年、この種の報道が多くのタレントや俳優や芸人などをTVから締め出してきた。事故や事件、金銭問題などは法律との兼ね合いがあり、社会的制裁は当然受けなければならない。ただ恋愛とか結婚とか不倫とか性問題とかは“倫理観”に属することである。そして、その倫理観というのも、時代や地域によって、大きく変化する。たとえば同性愛などは、未だに“犯罪”として罰せられる国や地域がある一方で、むしろ“受け入れ義務”のような雰囲気で社会が認める風潮の国々が多くなった。不倫行為に関しても、国や宗教によっては“4人までの重婚”を認めているような国や地域もある。したがって、こういった倫理観に由来する事柄に関しても「コンプライアンス」に含めること自体が、どうなのか……という疑問を私は持っている。仕事ではなくプライベートの倫理観に基づく行為に関しては「コンプライアンス」から外してしまった方が、日本の現状に関しては不平等が起こらなくてスッキリするような気が、わたしにはしてならない。

「同一生年月日時」でも、運命が大きく変わる時

2025-04-28
世の中に「双子として産まれている人」は相当数いる。もちろん“三つ子”や“四つ子”の場合も、同様の分類に含む。そういう人たちの人生を観ると、大きく二つに分かれる。つまり、双子らしいとでもいうか、ずっと生涯を通して“似たような外貌”“似たような性質”“似たような人生”を歩んでいる人たち。その一方で、必ずしも比率として多くはないが、双子なのに途中から“まったく異なった性質”と“まったく異なった人生”に分かれていく人たち……がいる。その後者の方の人生を歩んでいるひとりが女優の江口のりこ氏(43歳)だ。彼女の場合、双子として産まれているが、その姉の方は現在アメリカにいる。そして芸能人でもなく、ごく普通の主婦として5歳と9歳の子供たちに翻弄されながら“忙しい生活”を送っているようだ。江口のりこ氏本人が、自分と双子の姉との“あまりの違い”に驚いている。そうして、自分の方は“100%自分のため”に時間を使うことが出来、アメリカ在住の姉の方は“100%子供達のため”に時間を使う暮らしの“違い”というものに、或る種の不思議さを感じている。実は、同じ双子であっても、その途中から、驚くほど“人生が違ってくる人達”はいる。そういう人たちの多くは、暮らす地域・場所・環境が“大きく変わってから”徐々に、その変化が始まっていくのが特徴だ。このような事例比較は“人間の運命を知る”うえで、極めて重要な事実なのだ。つまり、双子でなくても、われわれには誰でも“同一生年月日時の人たち”が居る。この場合、同一の地域での出生でなければ、厳密にいうと、同一時刻にはならない。もちろん、ここでいう「同一時刻」とは運命学的な同一の時刻で、ホロスコープの場合には“4分以上”出生時間が離れてしまうと微妙に変わってくる。まあ、通常は“12分以上”離れていなければ、厳密にとはいかないが、解釈的には“ほぼ同一のホロスコープ”となる。四柱命式の場合は、同一地域で“2時間以上”離れてしまわなければ、基本的な命式構成は変らない。つまり、大まかにいえば、双子であっても西洋式なら12分以上時間の違いがあれば、東洋式なら2時間以上時間の違いがあれば「運命は異なる」ということになる。だから、同じ双子でも“生まれ時刻”に差があれば、それは途中から変化が出てきても驚くようなことではない。問題は、たとえば“12分以内”に出生したのに、異なった人生を歩み出す場合だ。この場合、そのほとんどは途中から“暮らす地域”が大きく変化している。江口のりこ氏の場合、姉はアメリカという“遠方の地”で暮らしている。その時点から、人生が大きく異なって動いたのだ。もちろん、双子ではない“同一生年月日時生れ”でも、同じことが言える。もし、同じような人生は嫌だというなら、暮らす場所を“大きく移動する”以外にないのだ。

綾部ではなく又吉が、別人のように「外貌変化」

2025-04-27
通常、外国に行って暮らし始めることで、その外貌が変化していくことはよくある。芸人ピースの綾部祐二氏がアメリカにわたって暮らし始めて何年になるのだろう。久しぶりに先日、相方であった又吉直樹氏が行っているラジオ番組に“300回特別記念”ということで、ゲストとして登場した。その後、その番組に関わるパンサー向井氏や、サルゴリラ児玉氏と共に撮影した写真が公開された。その時の写真で、多くの人の眼を惹きつけたのは、久しぶりの綾部氏の外貌ではなく、又吉氏の外貌の方だった。元々この人は長髪型だが、その長髪に加えて髭も完全に“伸ばし放題”といった感じで、文字通り「仙人」のような外貌へと変化していたからだ。コメント欄にも「仙人化が進んでいる」など驚きの印象が並ぶ。久しぶりの綾部氏の方の外貌を評したコメントはない。つまり、海外に行ったのは綾部氏の方なのに、その彼の方には“大きな変化”は感じられず、むしろ、日本に残った又吉氏の外貌に“別人のような大きな変化”を感じた人が多かったようだ。どうして、こういうことになったのだろう。わたしはここに又吉氏の“苦悩”を視る。元々この人は「お笑い芸人」として脚光を浴びた人ではない。確かに芸人“ピース”として売り出したが、その多くの功績は相方の綾部氏の方にあった。だから「その隣の長髪の奴」というのが多くの人の認識だったはずだ。ところが彼は、そのうち『火花』という小説を書いて芥川賞を受賞してしまった。それによって事実上“お笑い芸人”としての役どころが難しくなった。加えて、相方の綾部氏は日本を飛び出してしまった。こうして、又吉氏は“中途半端な文学者”として生きるしかなくなったのだ。この番組にも出ているパンサー向井氏のような器用さがあれば脚本家や構成作家として才能を発揮できるのだが、この人にはそういう器用さはない。この人の作品を観ると『火花』以外では『劇場』や『人間』くらいしか小説作品がない。芥川賞受賞から、もう結構年数がたったので、通常の作家なら、それなりの作品を発表していなければならない。もちろんベストセラーが一作あれば、暮らしていくぶんには問題ないが、仕事量としては幾分物足らない。彼は学生時代から「太宰治」への憧れがあったようだ。ただ太宰氏は作家としては優れていたが私生活では問題児だった。だから太宰とか芥川とか“生き方”として微妙な人物に憧れを抱き過ぎると、ちょっと現代では“生き辛い”感じに変化していきそうで、もっと“私生活も恵まれていた人物”に憧れた方が良いような……。

卑弥呼は「邪馬台国」の女王ではなかったのか⁉

2025-04-26
古代日本史には謎が多い。その代表的な謎の一つが「邪馬台国」に関するものだ。まず「邪馬台国」そのものの位置が未だに判然としていない。近年はどちらかというと“九州説”よりも“近畿説”の方が有力なようだが、決定的とは言い難い。最近、新たに飛び出してきた有力な仮説では、これまで“邪馬台国の女王”とされて来た卑弥呼が、実は邪馬台国という「国」の女王ではなくて、29の“クニ”で形成された“連合国の盟主”に過ぎなかったのではないか……という説だ。瀧音能之監修『ヤマト建国の真相』という本で明らかにされている最新仮設だが、さまざまな歴史的事実から「邪馬台国」は「ヤマト国」を意味していて奈良盆地にあることが示唆され、卑弥呼は古代日本に存在した“いくつものクニ”の盟主ではあったが、日本国の女王とは言えなかったのではないか、という仮説展開だ。ただ、この説にも奇妙な点はあって“女王国”が存在していたことは認めているし、その女王の宮殿が邪馬台国に位置していたことも肯定している。そうなると、むしろ一国の女王ではなかったが、連合国のトップとして采配を振るっていたことになり、丁度、現在、欧州ではEUトップの女性が、どの国のトップでもないが、欧州全体のトップのような形になっているのに近い。だが、EUの主要国は男性がトップを務めているが、邪馬台国の場合「女王国に服属する…」という表現が使われていて「邪馬台国」自体は“女王の国”という“ややこしいこと”になる。古代史というのは、一見すると矛盾した部分も多く、それがのちの発見で明らかとなったり、繋がってくるケースも多いので、ひとまずは「女王ではない可能性もあった」に留めておくのが良さそうだ。もっとも、この卑弥呼の行政能力が“呪術=神託・占い”に基づいていたことは明らかで、そういう点からいうと、現代でも女性の方が呪術や占いに長けていることは多いから、女王国だったのも不思議ではない。現代の日本は、圧倒的に男性の方が政治世界で覇権を握っているが、元々は、というか今から1800年ほど前は、神聖視された女性たちが“牛耳っていた国”だったのだ。

関税前から「7500億円」と「2177億円」の赤字‼

2025-04-25
世界の「日産自動車」と「日野自動車」の2025年3月期の連結決算が明らかになった。共にこれまでで最大の赤字で日産の方が7500億円の赤字、日野の方が2177億円の赤字だ。それでなくても自動車業界は関税の問題で2026年3月期の見通しが危ぶまれている。さらに日産の場合、ホンダとの統合話が壊れ、アメリカでの販売不振が露わとなり、踏んだり蹴ったりの状態が続いている。それにしても赤字額が大きい。今年2月には「800億円」としていた赤字見通しが、なぜか一挙に「7500億円」にまで増えている。関税がどうのこうのいう前に、自滅していっている……としか言いようがない。それでなくても、最近は日本車が一時期のように“世界をリードする”ような状態ではなくなっている。中国での販売不振は日産だけでなくトヨタもホンダも同様だ。その理由は、中国では近年、車産業にも力を入れていて、国産車の販売台数が飛躍的に伸びているからだ。奇妙なことに、日産は疑惑の人・カルロス・ゴーン氏が率いていた時には順調に販路を伸ばし続けていた。いろいろあっても、こと商売という点に関しては、疑惑の人の手腕が勝っていた……ということだろう。自動車という分野は、その関連分野の裾野が広く、日本の場合、車産業の停滞は、そのまま製造業全体の停滞に直結する。これまでの経緯から、アメリカが日本だけを「特別扱いしない」のは当然で、日本は“中国における販売不振”も合わせて考えると、もはや「車産業をメインに据える」方針そのものを転換していかなければならない。問題は、じゃあ何に切り替えるかという点で、日本の“国家産業”として何をメインとすべきか、真剣に考えなければならない時代に入ったということだろう。いまのところ、半導体関連が候補としてはあるのだが、その分野は競合が多く、現今の米中間の衝突状態から言っても、先行きとして心もとない。次にあげられがちなのは“エンタメ・アニメ・ゲーム”などのコンテンツ分野だが、この分野も中国や韓国が著しく伸びてきていて、次々と世界への進出を試みている。そうなると、もう「日本」を“推し出せるもの”は限られてきているが、もしかすると、われわれが忘れている……或いは気に留めずにいる分野で、予想以上に“世界に受け入れられる分野”が、わたしにはありそうな気がする。もはや“昭和のバブル産業”に縋ってはいられないのだ。

月面で「原子力発電」という“荒技”が始まった⁉

2025-04-24
原子力発電に関しては昔から、いろいろ問題が指摘されている。その一方で、実際には太陽光発電とか風力発電とか、地熱発電とか、水素発電とか、バイオマス発電とか、いずれも開発途上で“完全なる切り替え”は難しい状況にある。やはりコスト上の面などから考えても、いまのところ原発に頼らざるを得ないのが現状なのだ。その原子力発電だが、中国ではロシアと協力し合いながら、月面上において原子力発電の建設を進めていく計画を持っている。これは、そんなに遠い話ではなく、数年の内に取り掛かる予定であるらしい。なにしろ、もはや月面は各国が「陣取り合戦」を始めているような状況で、月面になるべく早く国際研究ステーションを設立したい中国は、そのためにも膨大なエネルギーを月面自体で得るシステムを構築したいのだ。とにかく中国は負けず嫌いなのか、アメリカが先行する宇宙開発に「追いつけ、追い越せ」の意識が強い。ロシアにしても、いつの間にかアメリカに水を開けられた意識があるから、ここは中国に対して協力的なのだ。この月面上で原子力発電を行う計画は、中国の宇宙当局が公式に発表したもので、ロシアもこれに応じている。いま、さまざまな分野で、中国はロシアや北朝鮮と手を組み、アメリカとの「二大強国戦争⁉」に勝利を得たいと考えているようだ。なかなかの負けず嫌い。実は「関税ごっこ」が始まってから、中国は密かに、日本とか、欧州とか、韓国とか、アフリカとか、さまざまな地域や国ともほんとうは“手を繋ぎたい”意識を強めている。アメリカの“一国強国主義”に我慢がならないのだ。というか、徐々に「アメリカを孤立させていきたい」意識が強いのだ。そのためには“絶対に必要なこと”が二つある。まず一つは「台湾」を完全に自国に取り込むこと。多少、荒っぽい手段を使ってでも、仲間に引き入れてしまうこと。そして、もう一つは「日本」の存在だ。中国はほんとうはいろいろな意味で日本を“仲間に引き入れておく”ことが、どれだけ優位に立てるかを知っている。なんと言っても「日本」という国は、中国には少ない“信用”というものを世界的に持っている。さまざまな分野で持っている。だから、ほんとうは味方に引き入れたいのだ。世界各国が関税に苦しんでいる今、中国は「味方を増やしていく絶好の機会」と捉えて、日中の友好を深めたい気持ちを胸に秘めながら、付かず離れずの距離を取っている。

昨日1000ドル超の急落、今日1000ドル超の急騰

2025-04-23
このところアメリカの金融市場はジェットコースターのように“上がったり”“下がったり”急転直下で変貌し続けている。「ダウ」は昨日は一時的に1200ドル超も急落したのだが、今日は一転、一時的に1000ドル超も急騰している。「関税ごっこ」を始めてからのニューヨークは、連日、激しい上下運動を繰り返していて、いまのところ収まっていく気配が見当たらない。特に最近、激震の原因になっているのは、トランプ大統領とパウエルFRB議長との“やりとり”だ。一時的な経済悪化を怖れるトランプ氏は早急な“利下げ要求”をパウエル氏に求めているが、これまでの発言からFRB議長は簡単に応じそうもなかった。そこで「任期途中での解任も検討」とのニュースが流れ、昨日の場合は急落したのだった。今日は、大統領の意向をFRBのメンバーが“仲介する可能性”が伝わって急騰している。要するに、金融市場は「連日ニューヨーク市場はハラハラドキドキの状態ですよ」と株価の激震で表しているようなものだ。もちろん、ニューヨークの激しい上下動は、そのまま世界の金融市場に伝播する。「関税ごっこ」が発動されてから、もろにその余波を受けているのが日本株だ。中でも輸出企業の株価は、下落の一方で歯止めがかからない。日本の場合、アメリカとの交渉は開始したが、どうなっていくのかの見通しがたたない。それでなくても連日「値上げ」のニュースばかりが流れている。奇妙なことに、アメリカの激震で一時期の「1ドル160円」から今は「1ドル140円」に変って、本来であれば“価格が下がる局面”であるはずであるのに、値上げラッシュは続いていて、いっこうに下がる気配など生れていない。あれだけ「円高が原因」と騒いでいたマスコミは何故か沈黙する。これまでインバウンドで潤っていた商売も、円高方向に流れると、訪日客たちは若干の“買い控え”を始めるようになる。もし、このままもっと円高に進めば、インバウンド事業の方にも、暗雲が立ち込めて来る。さてアメリカの方だが、FRBがトランプ氏の“脅し”に負けて“早期利下げ”に踏み切るのか、それとも反旗を翻すか、まだまだ予断を許さない。どちらかが「ギブアップ」するまで、ニューヨークの金融市場の上下動は本来の姿に戻らない。「金価格」だけが異常なほどに値上がりを続けていく。

ギリギリセーフだった「サシハラスメント」懺悔

2025-04-22
大昔「懺悔の値打ちもない」という歌があったが、実際には誰でも「懺悔したい」と思うような過去はある。ただ、ほとんどの人は一瞬そう思っても、それはもう“過去のこと”として通り過ぎようとする。SHELLYのYouTubeチャンネルに指原莉乃氏が出演し、過去の自分自身が犯していたセクハラ行為に関して振り返り、動画の中で謝罪している。その当時は「サシハラスメント」としてファンの間では知られていたようで、後輩などの“若い女の子”に対して、自らがキスしていったり、オッパイをもんだりする行為を、セクハラの意識なく行っていたとし、時代的にぎりぎりセーフだったが、今となって思えば、明らかに“行き過ぎた行為”であり“セクハラ”として訴えられる行為で、時代が時代だったから……ということだけで本当は「許される行為ではなかった」と「後悔の気持ちでいっぱい」と「本気で嫌だった子もいたに違いない」と、当時を振り返り自ら告白して、動画の中で謝罪している。確かに、これまで何人もの男性たちが“過去のセクハラ行為”を告発され、芸能人としての活躍や人生を絶たれた。それらと比較する時、指原氏の行為はたまたま“女性同士”ということで、微妙にカモフラージュされている部分がある。たとえ同性同士でも、ジャニー氏のようにその死後になっても“後始末をさせられている”ケースもある。それらと比較して、やや“ぎりぎりセーフ”とされがちなのが女性同士の行為だ。表に出ないだけで、実際には、特に昭和の後半から平成の初期にかけては“その種のこと”は、女同士の間でもしばしば行われてきた可能性が強い。ただ難しいのは女性同士の場合には“セクハラ”とか“レズ”とかの意識なく“友達以上”的な形に発展しやすい土壌がもともと存在しやすいことだ。たとえば“抱き合う”という行為も、女性同士ではしばしば存在する行為で、必ずしもそれが“性的な意味”を持たない場合もある。だから、厳密にはどこまでが“友愛”として許されて、どこからがセクハラなのか、線引きが難しい。ただ、指原氏の場合、明らかに本人の中に“そういう意識”を持ちながら、嫌がる子に対しても強行していた時期があるのだろう。時代が“許していた行為”は、果たしてセーフなのか、アウトなのか。

草葉の陰で「泣く」か「笑う」か「判らない事」

2025-04-21
今日21日に、もし予定通りであれば、2023年に亡くなられた八代亜紀氏の“追悼アルバム”「忘れないで」が発売される。このアルバム、実は発売前から一つの騒動に発展している。なぜなら彼女が生前所属していた事務所社長が「許しがたい、中止すべきだ」と言って抗議している。実はこのアルバムには“特典”が付いていて、それは八代亜紀氏の20代の頃の“フルヌード写真2枚”が掲載されているからだ。発売を告知しているのはニューセンチュリーレコードで、批判や抗議があるのは把握しているが法律的にも問題はなく「予定通り発売する」と意に介していない。まあ通常の感覚から言えば、本人の同意なく“フルヌード写真”を掲載するというのは問題のような気もするが、この写真を撮影したのは、その当時同棲していたディレクター男性であるらしい。したがって撮影者であり所有者である彼が「許可をしている」ということだろう。追討を記念して発売されるアルバムであるので、何らかの特典を付けることは珍しくない。ただ問題は“フルヌード”という部分で、果たして亡くなった本人に対して、グラビアアイドルだったならともかく、演歌歌手であった八代氏に対して「冒涜に当たる行為」かどうかが問題となる。オンラインによる反対・抗議の署名活動が行われていて、そこには既に4万人以上が署名している。まあ、当然のような気もするが、その一方で、もし本人が“草葉の陰から視ていた”場合、この騒動をどう受け止めるだろいう。この収益金が実際にどういう形で配分されるのか知らないが、八代氏は“慈善活動”にも熱心だった。もし、収益金の一部が生前と同じように“慈善活動”に振り当てられるのだとしたら、案外、本人は姉後肌でOKを出すような、そんな気がしないでもない。それにしても不思議なのは、それを提供した男性の方で、若い時、一緒に地方回りで苦労しながら“同棲していた”に違いない彼が、その当時の大切な想い出の品であるはずの写真を、どうして一般公開しようとしたのだろう。もしかすると、自分と同じように“若い頃の八代亜紀”を想い出してほしいのか、あるいはただ単に“金銭欲にまみれての行為”なのか、出来れば前者の方であって欲しいが、その行為も含めて……本人の気持ちは誰にも判らない。

時代を背負った歌「あゝ上野駅」の歌碑に佇む娘

2025-04-20
世の中にはいろいろな親子がいる。子供の頃には反発していたのに、いつの間にかその親と“同じこと”をしている場合なども多い。そういう点では「工藤夕貴」という女性も、そういうひとりかもしれない。彼女は3年前から父親が歌って大ヒットした「あゝ上野駅」をステージで歌っているのだ。そのことも多少関係しているのか、或るTV番組で父親の歌碑がある上野駅を訪れ、ごく自然に手を合わせ、深く感銘したことをSNS上で発信している。もっとも、父親の歌が大ヒットしていた頃は“反抗期”と重なったせいもあり、反発心が強かったようだ。彼女の場合、歌手としてよりも、役者として、若くして脚光を浴びた。いまでは珍しくないが、人気が出て間もなく単身渡米してハリウッド映画にも出演。国際派女優としても脚光を浴びた。プライベートでは二度の結婚を経験している。そういう点でも、嫌っていた父親と共通しているのだ。たいていの場合、親を極端に嫌うとか、反発するとかする場合、その本人の中にも“似た要素”が秘められているものだ。だからこそ、その血が潜んでいることで、激しく反発するのだ。けれども、それがいつの間にか“尊敬”に変わっていくことがある。完全に“反発心”が消えてしまったわけではないのだが、その一方で、本能的に“畏敬の念”のようなものが沸き起こって来て、素直に尊敬するような気持が強まっていくことがある。親子間の“こういう変化”は実に微妙で、不可思議としか言いようがないものだ。そして今、歌手・工藤夕貴氏は「あゝ上野駅」を歌い継いでいくことが自分に課せられた使命でもあるかのように感じている。不思議なのは、この人は決して“普通で終わった芸能人の子”ではない。ハリウッド女優として、国際派女優として、いまでも燦然と輝く各種の賞を受章した本格派の女優なのだ。それでありながらも、いまは歌手として父親の偉大な足跡を継ごうとする。こういうところに摩訶不思議な家系・血縁の神秘がある。もちろん父親である井沢八郎氏の歌には当時の世相を反映したパワーがあった。わたし個人は「あゝ上野駅」よりも「北海の満月」という雄大な歌の方が好きだが、とにかく「血は水よりも濃く」そして不可思議なのだ。

「先天運」というAIを背負って「紡ぎ出す人生」

2025-04-19
わたしのように長く運命学と向き合って生きて来ると、だいたい“その人”がどういった人生を歩むのか、大方のことはホロスコープや四柱推命式を観て判別がつく。単純に言えば「この人は幸運な人生を歩むな」とか「この人は才能を発揮していくな」とか「この人の人生には苦難が付きまとうな」とか、そういった感じの瞬時の判別である。そういうような観点から言って「サンプルのような人生だな」と思ったのが、昨日、6月に行われる船橋市長選に立候補を表明した鈴木弘子氏の生年月日が表わすホロスコープや四柱推命式だった。一言で言えば、なかなか珍しいタイプの「先天的な運命」なのだ。事実、この人はちょっと変わった履歴の持ち主だ。明治大学を卒業後、福島中央テレビに入社し、アナウンサーとなった。その2年後には早くもフリーの立場となって3年間を過ごして後、結婚をした。そして、その翌年には夫と共に日本を離れ、アメリカのWWEというプロレス団体に所属する。最初はマネージングだったようだが、やがて自分自身もレスラーとなって人気を博した。その後、帰国して日本の各団体のマットに登場。2015年に地元である舟橋市議選に立候補して当選、3年間を過ごした。その後、今度は千葉県議選に立候補、これも見事に当選し、現在に至っている。つまり、市議→県議と進んで、次の目標を市長に定めた……というわけだ。アスリートから政界に進む人物はときどきいるが、市議→県議→市長に進んでいこうとするハードルの上げ方は珍しい。この人の人生を観ると、一つの椅子に座ったままで居るのを好まないというか、常に「次」を目指して動いている。この人の四柱推命式は独立独歩型だが、梟神(偏印)が強く、どこまでも“さすらいの人生”を暗示している。或る意味では、だから、どの椅子にも“座りきる”ことが出来ない。或る意味では、死の直前まで“夢を追って”走り続けるアスリートなのだ。ホロスコープの方も、成功者に多い“弓矢型アスペクト”の典型だが、そればかりではなく“ヨッド三角形”や“直角三角形”のアスペクトも組み合わさった珍しい惑星配置だ。彼女のようなタイプが「日本」の舵取りをしたなら、さぞユニークな方向へと進んでいくことだろう。 « Older Entries