4月, 2025年

「魂」が入って「ドールハウス」がグランプリ⁉

2025-04-06
ポルトガルで行われた国際映画賞で、日本から出品の「ドールハウス」が見事グランプリに当たる賞を受賞した。矢口文靖監督作品で主演は長澤まさみ氏だ。5歳の娘を亡くした主人公が骨董市で“娘に似た人形”を見つけ出すところから物語は展開する。こういうストーリーは比較的だれもが作中の中に入って行きやすい。どうしてかというと、だれでもリアルな人形には、なんとなく“魂が宿りそう”な体験的“幼い頃の記憶”を宿している場合が多いからだ。幼い頃の“そういう感覚”は徐々に失われ、無かったかのような形となっているが、映画のようなものの中で“そういう場面”に出逢うと、忘れていた記憶や幻想が妙によみがえってくる。われわれの記憶は、そういうふうに出来ている。だから不可思議な共感を呼びやすい。昨日、凱旋帰国した長澤まさみ氏は記者会見の場に、その人形「アヤちゃん」を抱いて登場し、まるで実際の母親のように抱いたまま会見した。この映画はまだ日本では公開されていない。6月に公開だが、海外の映画祭で大好評だったようで、つまりは日本人だけでなく、どの国の人でも“リアルな人形”に対する“幼い頃の記憶と幻想”は存在するもののようだ。ただ、ほんとうに“それ”は“幼い頃”だけの空想や幻覚なのだろうか。わたしは、必ずしも“そうとは思われない”いくつもの実例を知っている。したがって「人形に魂など宿らない」と否定することは簡単だが、そうとも割り切れない“多数の実例”もあることを考えると、この映画はたぶん日本国内においても、予想をはるかに超えた観客を呼び込むのではないだろうか。もちろん、それはこのアヤちゃんに“魂が宿った”可能性が強いからだ。奇妙なことには、こういうものはいったん「魂」が宿ると、必ず、何らかの現象を引き起こす。多分、この映画は多数の母親たちを引寄せることだろう。幼い頃に亡くなった子供がいる母親だけではない。たとえば妊娠したのに、何らかの理由があって堕胎している母親。何らかの障害を持った娘がいる母親。学生時代からすでに“連絡が絶たれてしまった”母親。結婚後に“交流が絶たれてしまった”母親。そして“幼い頃”とは、まったく違った人柄に変貌した娘を持つ母親。さまざまな母親が、さまざまな思惑を持ちながら、この映画を見に行く。

「商人・トランプ」には「商人・孫」が“お相手”

2025-04-05
遂にと言うべきか「トランプ関税」の具体的な数字が明らかとなり、世界からブーイングの嵐が巻き起こっている。わが日本には“24%の関税”となった。基本的にトランプ大統領の主張は「アメリカいちばん」に基づいており、そのための「公平な取引を…⁉」という数字のようである。日本に宛てられた「24」という数字は、今回、公表された世界各国への数字から観ると“真ん中くらい”なので、まあトランプ外交における“日本の位置”というのは、その程度の捉え方と考えてよいだろう。つまり「日本」は“同盟国”ではあるが、韓国と同様、商売をする上で“特別な国”などではない、という捉え方だ。彼が重要視している“輸出入の違い”だが、全体で比較してみると日本の方が圧倒的に輸出し、儲かっている分野は“車関係”と建設などの“機械関係”の二部門で、それ以外は互いに“ほぼ同様の輸出入”が示されていて、大きな違いがない。したがって極端なことを言えば、この分野に関してであれば「高い関税をかけたい」というのも解らないではない。もっとも、日本の車関係、機械関係の裾野は広く、この分野だけでも実際に関税が適用されると、日本経済にとっては大打撃をこうむる。日本からの輸入品だけではないが、アメリカの輸入品で買われやすいのは当たり前の話だが「安くて良い商品」に限られる。つまり、アメリカの庶民にとって、それでなくてもインフレに苦しむ今「安くて良い商品」が無くなっては困るのだ。したがって、トランプ大統領も、その辺が判っていないわけではなく「個々の国との間で交渉する用意はある」というスタンスを崩していない。こういうところが、日本人には理解しがたいところで、徹底した商売人なのだ。つまり“政治的決断”というよりも「値引き交渉のスタートですよ」というアドバルーンなのだ。こういう交渉の仕方に、日本人政治家は慣れていない。そこで、登場させるべきは世界のソフトバンクグループ・孫正義氏である。彼なら、これまで世界のあらゆる商売人たちと有利に交渉事を進めてきた達人であり、しかも、トランプ氏とも強い絆を持っている。つまり、本当の意味で“互角で交渉が出来る”頼もしい人物なのだ。通訳を同行するよりも、彼を同行して“交渉事”に当たる方が、どれだけ有利に話を進めてくれることか、ぜひ、孫正義氏の“交渉人”としての腕の見せ所を観たいと思うのは、わたしだけであろうか。

「死人に口あり」の逮捕劇、殺害した女性は誰⁉

2025-04-04
昔から「死人に口なし」と言うが、そうではないケースがしばしばある。今回もそういうケースで、死者が殺人者を特定し、死体を予告、殺害と死体遺棄に関与した3人の逮捕に至った。奇妙な事件だ。まず大阪の堺市で夫婦の心中事件が起こった。それを発見したのは長女だった。その検視中に見つかったのは夫婦が遺した遺書だった。その中身を読むと“謎の一文”が添えられていた。つまり、同じ大阪の堺市に住む或る人物が女性を殺害し、その死体が遠く離れた滋賀県長浜市の裁判所勤務の男性宅内に遺棄されている……との内容だった。早速、堺市の警察署から長浜市の警察署へと連絡が行き、告発された裁判所勤務の男性宅に捜索が入った。その結果、冷凍庫の中から居服を着用したままの女性の遺体が発見されたのだ。そこで、その家に居住する岩瀬龍彦(49歳)と、その父親である岩瀬浩一郎(72歳)、そして女性を殺害した可能性が強い親族・野中秀紀(62歳)の三人が、4月3日に逮捕された。もっとも、これは心中した夫婦の遺書内容を信じれば…ということで、殺害と死体遺棄とを容疑者たちが認めたのかどうかの認否は明らかとなっていない。それにしても、奇妙と言えば奇妙な事件だが、案外、死体遺棄を主導したのは裁判所勤務の男性かもしれない。どうしてかというと、もし、死人が語らなければ、今回の事件はそのまま“闇に葬られた”可能性があるからだ。一つには殺害された女性が冷凍庫で“氷詰め”にされていたということ。おそらく、これによって死体が腐敗することなく、何年も経過した後に冷凍庫を処分しようとしていたのではないか。もし、死者の告発がなければ、何年も経ってから、ゴミ捨て場に棄てられていた冷凍庫から身元不明者の死体が発見された可能性が強い。大阪での殺人事件は、何年も経過した後の他県での身元不明者の遺体発見と結びつかない。管轄が違うから、警察が動かないことを裁判所勤務の男は知っているのだ。さて、殺害されていた女性は誰なのだろう。わたしが思うに“捜索願が出ている女性”ではないような気がする。野中秀紀に妻が居れば、その可能性もあるが、わたしの勘では、そうではないような気がする。だからこそ裁判所勤務の男は“闇に葬り去ろう”としたのだ。「死人に口あり」で“氷詰め”にされていた女性が、心中する夫婦に心霊世界から“言伝”を頼むような形で、哀しい事件が明らかにされたのだ。

1760円→2950円「写ルンです」の“値上げ”に驚嘆

2025-04-03
世の中、なんでも高くなっているので、多少の“値上げ”では、もう驚かなくなっているのだが、それでも直販価格で「44%の値上げ」となると誰もが驚く。富士フイルムは4月1日から、昔の言い方をすれば“使い捨てカメラ”の「写ルンです」を44%値上げし2860円にしたという。実は、この商品は昔、まだ私が若かったころ、大いに流行った。なにしろ普通のカメラよりも安く、しかも簡単で写した写真が“その場”で画像として完成して出てくる。こんな素晴らしいものはない。いまはスマホでどこでもすぐに映して、その画像を残して置けるが、当時はカメラそのものが高級品だったし、また“現像”という段階を踏まないと写真として完成しなかった。だから、その場ですぐに完成した画像として表出される「写ルンです」は画期的な商品として大人気だった。だが、いつの間にか、あまり見掛けなくなり“昔のカメラ”として廃れていった。ところが、ここに来て、若い人たちの間で密かに人気が高まっている…という。レトロな感じが良いのだろうか。とにかく、その「写ルンです」までもが“お高く”なってしまった。ある人の調査によると、2年前までは1760円だったというのだ。それが現在ではアマゾンの価格で2950円だという。数年前までだったら、いきなりこんなに値上がりしてしまったら、拒絶反応が起こっただろうに、最近の“値上げラッシュ”で慣れてしまったのか「まあ、仕方がないか」と受け入れてしまっている自分がいる。それにしても、最近の若い人たちはなんでもかんでも写真に撮り過ぎなのではないだろうか。写真に撮ると、映像としては確かに残るのだが、その分、記憶には残りにくい。昔はすぐに写真に出来なかったので、頭の中に“残そう”という意識が働いた。だから子供時代のこととか、写真が無くなっても、記憶の片隅に残っていて、その方が鮮明で、またその方が美しく感じられたりもする。或る意味で、頭の記憶というのは無意識に“修正”を掛けている。だから、子供時代や青春時代の映像は、どれも、これもが淡いが美しい。いまの写真の方が何倍も精緻で判然としているのだが、主要な部分だけがクッキリと浮き出ている“記憶としての映像”は、どんな写真よりも懐かしく、鮮やかで、幸せな気持ちだけを蘇らせてくれる。哀しい出来事は、神様の配慮で、消えてしまっているのだ。

三井住友FGが「暗号通貨(デジタル通貨)」発行⁉

2025-04-02
三井住友FGと言えば日本を代表する銀行の一つだ。その代表的銀行が、いよいよというべきか「暗号通貨(デジタル通貨)」の開発・発行に本気で乗り出した。これまで日本の銀行は、どちらかと言えば暗号通貨に対しては距離を置いていた。直接的に関わっているのはSBI新生銀行くらいで、ここはその傘下に暗号通貨の取引所を抱えている。ただ「独自に開発する」という姿勢ではない。その点、今回公表された三井住友FGの取り組みは、アメリカの暗号通貨開発企業2社と組んで「独自のステーブルコインを共同開発する」というスタンスだ。日本のその種のシステム企業一社も加わって居て本格的なのだ。つまりアメリカの方からは開発そのものを担当するアバラボ社、そして管理や保管を担当するファイアブロックス社、そして日本のシステム担当企業TISを加えた本格的な陣容で挑む。その意気込みのほどが判ろうというものだ。おそらく“銀行型のステーブルコイン”を目指しているものと思われるが、早ければ年内に完成させ来年度から“発行予定”らしい。暗号通貨としてもっとも有名なビットコインなどは価格が安定しないので、銀行でそのまま採用することは難しいが、ドルなどと連動したデジタル通貨であれば、十分にその機能を果たす。正直、わたしのような世代だと実際の紙幣の方が安心だし、デジタルは「お金」という感じがしなくて嫌なのだが、これからの人たちにとっては徐々にデジタル通貨の方が“当たり前”という感じに変わっていくのに違いない。まあ、大手銀行も、つい最近も“貸金庫”を利用した内部犯罪が起こって信用を失墜したばかりで、そういうものに比べれば、デジタルの方が安全と言える時代に変わりつつあるのかもしれない。確かにカードによる決済なども、いったん慣れてしまうと“その方が楽”に変わっていくから不思議なものだ。ただ運命学的な立場から言えば、昔から「風水効果」などと言って持ち歩く財布の良し悪しで“金運”を占っていたりしたが、もう、そういう“がさばるもの”を持ち歩く時代でもなく、それらで金運が左右される時代でもなくなって、そういえば私の常連の“大金持ちのお客さん(故人)”は財布自体を持ち歩かず、いつもポケットに直接現金を入れていたなぁ…と懐かしく想い出す。

2025年4月の運勢

2025-04-01

マスメディア全体が「大御所体質」反省すべき⁉

2025-04-01
差別問題をもっとも多く扱うのはマスコミ関係である。だが、そのマスコミ関係が、実際にはもっとも「差別」を平然と行っている。しかも、彼らには“それ”が差別だという意識すらない。そこが一番の問題点なのだ。たとえば「大谷翔平氏」の扱いである。彼を扱う、或いは取り入れることで、多くの人に観てもらえるとか、読んでもらえるとか、購入してもらえるとか……そういう現実がある。だから無意識に差別を行う。たとえば、他のニュースとかで時間の無い時に、同じドジャーズの山本投手の話題もあったのだが、それは外して大谷選手の方だけニュースに入れる……そういうことが平然と行われる。本来から言えば、これは差別なのだが、だれも“それ”を咎めない。この種のことはアスリートだけでなく、他の有名人とかタレントとかに対しても平然と行われている。それがマスコミであり、まあ世間一般でもそうなのだ。だから、元々“平等”とか“公平”とかは絵空事なのだ。わたしは昔、何の番組だったか忘れたが、地方局の番組に出た時、同時に“大物タレントが出る”ということで、わたしには“控室”が与えられず、ディレクターの椅子に座らせられて2時間ほど待っていた記憶がある。まあ私は無名に近い占い師だったから、そういう扱いを受けても仕方がないと言えば仕方がないのだが、それなら最初からTV出演などさせなければいい。とにかく“大物タレント”と“小物占い師”は、かくも扱いが違うのだった。この種の経験は何度もある。TVだけの話ではないが、総じてマスメディア関係の人々は、無意識に相手を格付けして、その扱い方に“違い”がある。そういう業界なのだから、今回の「中居氏の性暴力問題」など、その最初の報道があった時から、だいたいの内容は把握できていた。ことさら今になって騒ぎ立てるような内容でもない。要するに、その根底にあるのは「差別意識」なのだ。本来なら、どの人も公平に扱うべきTV局内で、当然のように“大物”と“小物”は差別されて扱われる。そんなマスコミの世界で、まるで“正義のごとく”どこの誰が何をしたとか、どういう内容だったとか、どういう対応だったとか、他のマスコミ媒体が、よく白々しく言えるものだな…というのが、わたしの感想である。その根底に“人間に対する差別意識”が渦巻いているマスコミの世界において、大御所に逆らえないスタンスが変わらない限り、ほんとうの意味での「へつらわない関係性」は無くならないことだろう。 Newer Entries »