5月, 2025年
2025-05-06
昨年7月、ロケバス車内で、20代のTV局スタッフ女性に「性的行為を行った」ということで吉本興業から契約解除された元ジャングルポケットの斉藤慎二被告。在宅起訴となったが、まだ正式な解決に至ったわけではない。それでも、4月25日に移動販売車「バームSAITOU」でバームクーヘンを販売する商売を開始すると予告し、27日、29日、そして5月4日と、場所を変えながら“新たな商売”に挑んでいる。ネットニュースを観る限り、スタートは上々のようで、長蛇の列ができているという。その商品はというとバームクーヘンだが、ホール1パックで1900円、カット1パックで700円。通常のバームクーヘンの価格としては“お手頃”のような気がする。移動販売車にも工夫があって“急遽始めた仕事”のような雰囲気ではない。彼自身は「もともと原宿でベビーカステラ屋をやりたかった……今回、縁があってバームクーヘンを手掛けることになりました」と語っている。つまり、自分自身が自発的にコレを始めた…というよりも、だれかに勧められ応じた…可能性が強いようだ。そうでなければ、真空パックで“自分の顔”が印刷された袋にカットして詰め込む……という工程を経て、販売する形はとらないような気がする。つまり、背後に仕掛け人がいる可能性が強い。ただ彼は“庶民派芸人”として各地を回っていた。客に接して営業を行うことは手慣れたものなのだ。台本に従って動くことには慣れている。だから逆に“仕掛け人”は居た方が良い。最初から辺鄙な地域で行いながら「長蛇の列ができた」ということは、お手頃価格と“美味しさ”があるからだ。観相学的にも、商売人っぽい雰囲気を元々持っている。眉尻が下がって、眼尻も下がっているのを「四尾の相」と言って、気が多く異性問題を起こしやすいが、大衆商売には向いた相……として広く知られている。それはそれとして、わたしは今回の現象にTVやマスコミや芸能事務所などに対しての“一般庶民の秘かな反発”を感じるのだ。本来なら世間から、企業から、マスコミから、そうバッシングされた人物に“長蛇の列ができる”のはおかしいのだ。それなのに、辺鄙な地方で、それが起こっている。それは多くの大衆は、昨今の“コンプライアンス重視”の在り方に対して、なんとなくの疑問を感じているからだ。もちろん、性犯罪は許されない。けれども、あまりにも“極端な手の平返し”が社会やマスコミには多すぎる。もう少し“人情のある世界”が必要なのではないか……そういうふうな気持ちの表れであるような気が、わたしにはする。
2025-05-05
元SKE48だった石田安奈氏が、4億円とも言われる豪華新居を、メディアに初公開して話題となっている。現在28歳だが、既にSKE48を卒業して7年、比較的すぐに結婚し、子供もいる。旦那様がどういう人なのか私は知らないが、たぶん、その生活ぶりから視て何らかの事業経営者であろうと思われる。通常、タレントが自宅を公開する時、ほんの一部だけ公開するようなケースが多いものだが、この人の場合にはかなり本格的な公開で、まだ完全に家具などが揃っていない状態で、引き渡しとなって直後であるだけに、生活感がなく、逆に公開しやすかったのかもしれない。ただ本人も言っているように“こだわりが詰まった新居”であることはあらゆる面から窺い知ることが出来る。それも比較的正直に、すべてを曝け出している。特に私が良いと思ったのは、自分がセレブ妻として“港区女子”として経済的にゆとりある暮らしであることを、少しも隠していないことだった。よく、こういう時に、一部分のみ公開して“それ以上は見せない”芸能人がいる。見せたくないのなら、最初から公開などしなければ良い。見せる以上は、或る程度、物件ツアーのような形で、視聴者が“視たがる部分”や“知りたがる部分”も正直に公開してしまう方が潔い。そういう面で、この人の公開の仕方は好感が持てた。もっとも、こういう新居を持てることが、そのまま「幸福」とイコールで結びつくかは一概には言えない。長い人生には、予定がそのままの形で走り過ぎていくようなことばかりではない。そういう時でも、いまの気持ちを維持できるかどうかが一番重要なのだ。20年ほど前から、日本には無数と言っていいほどの“アイドルグループ”が誕生していった。特に女子グループは、次々と生まれては消えていった。生き残ったグループがどのくらいあるのか知らないが、そういう中から仕事としてのアイドルに拘って生きていく人も居れば、早々に見切りをつけて“第二の人生”に歩み出す人たちもいる。この人の場合は、明らかに後者だ。21歳でアイドルを卒業し、早い段階で“セレブ夫人”に納まった。もしかしたらアイドルの時に、それほど際立って人気が出なかったことが、かえって“その後の選択”に迷うことなく第二の人生を択べたのかもしれない。人生というのは、なにが幸福に繋がっていくのかは、誰にもわからないのだ。
2025-05-04
わたしの記憶が確かならアムンゼンだったような気がするのだが「10年の準備10分の成功のため」という言葉を遺していたような……。この事件の容疑者は、あまりにも「後先を十分に考えていなかった」という気がしてならない。大阪市平野区の業務用スーパーの店で4月13日午後9時半ころ、店長を刃物で脅し、金銭を奪おうとして失敗しバイクで逃走した男が、5月3日に逮捕された。無職で37歳の男だった。警察は防犯カメラなどで犯人のその後を追跡し、とうとう自宅を割り出すことに成功した。防犯カメラから昼0時15分くらいに、容疑者が店に侵入したことを突き止めた。つまり9時間以上、犯行まで間があったことになる。どうしていたのかというと、2階から屋根裏に通じるところを駆け上がって屋根の上で、その間を過ごしたようだ。だが、その間、彼は食事もしていないし、トイレにも行っていない。しかも犯行当日は大雨だった。そういう中で9時間以上も、店長が一人になるのを、屋根で待っていたのだ。つまり、この間、彼は忍耐強く待ち続けていたのだが、最初からこんなに長時間待つことを予想していただろうか。おそらく店長が一人になるのが、そんなに遅いとは考えなかったと思うし、当日の天候も、そんなに悪いとは思わなかったことだろう。彼は一応計画を立てた。でなければ屋根裏になど上らない。つまり何らかの理由から2階から屋根に上がれることを知っていたのだ。ただ、彼の計画は、あまりにずさんだった。店長が夜まで残っているなら、夕方にでも店に入れば良さそうなものを、昼間に入った。多分、昼のその時間帯がいちばん店員たちが食事などで居なくなるからだ。つまり、彼は怪しまれず、2階から屋根に上がって、時間を待ちたかったのだ。けれども、自分の食事とか、尿意とか、その日の天候とか、店長の体力とか、犯行後の行方のくらまし方とか……あまり深く計画・準備することなく、実行に移したようだ。わたしは欧米のサスペンス映画が好きで、よく昔のモノを録画して観たりするが、欧米の「大胆な犯行手口」を挿入した物語り内容に驚くことがある。よく、ここまで様々なケースを想定して準備しておくものだな……と驚くのだ。犯罪だから称賛してはいけないが、まあ映画の中だから良いだろう。ああいう映画をたくさん観ていれば、もう少し今回の容疑者も、謎に満ちた事件を提供することが出来たのだが、労力の割に何も得られず、店長に全治10日間のけがを負わせたことで、重い罪を背負うことになった。なんかドラマとしても面白くなく、妙に切ないなあ。
2025-05-03
最近は何でもデジタル化だが、それがかえって“手間取る”原因になったり、いったん故障した場合には、どうすることも出来ない状態となるなど、デジタル化の弊害が目立つ。投資家として知られるテスタ氏が「証券口座を乗っ取られる」という事件が起こった。彼はすぐに口座凍結して事なきを得たようだが、一時期の“振り込め詐欺”に続いて、富裕層を狙った“口座乗っ取り”という手法が蔓延してきそうで怖い。つくづくデジタル社会は怖いと思う。なにしろ、お金が数字で移動するだけで簡単に、あっち、こっち、へと動く。もちろん便利で良いと思う部分も多いので、一概にデジタル社会が悪いとは思わないが、最近は「二重暗証」などと面倒くさいことを言ってくる。テスタ氏の場合なども、その“二重暗証システム”を採用していて乗っ取られたらしいので、要するに、どんなにセキュリティーを強化しても、悪い奴らは“それ”を突破する。若い人たちの中には、財布を持ち歩かない人も多いと聴くが、わたしのような年代だと、とてもじゃないが“そういう気持ち”にはなれない。もちろん、カードを使えるところではそれを使うし、今では“セルフレジ”にも慣れたが、それでもやっぱりアナログで、対面で“お金”や“モノ”の受け渡しをする方が、わたしは好きだ。何となく、その方が「互いの信頼」という言葉が通用し続けられそうな気がする。まあ、そうは言いながらも、その一方でドルの信頼が揺らぎ、金やデジタルゴールドの価値が上がって、日本の暗号資産をリードする企業の株価が急騰すればいいと願うわたしは矛盾している。日本でも、わたしの幼い頃は、戸締りをするのは夜だけで、昼間は鍵など掛けず平気で出かけていたものだ。もしかすると、隣近所の人たちみんな“顔馴染み”で安心だったからなのかもしれない。商店だって、店主がときどき居なくなっていた。それでも、だれも、モノを盗むようなこともなく、店が荒らされるようなこともなかった。デジタル社会は、顔が見えない。そのことが人と人との繋がりを希薄にし、明らかな他人ばかりとなって、犯罪を助長する下敷きになっているとすれば、アナログ社会の大切さを改めて考えることも重要なのかもしれない。
2025-05-02
昔から「名は体を表す」という言葉もあるが、同時に「名前負け」という言葉もある。「阿部(あべ)」という苗字を持った親が、わが児(女児)に対して「麻里亜(まりあ)」と名付けるケースが稀にある。もし女児でなければ、当然「マリア」にはならない。アベマリアは言うまでもなく“イエス・キリストの聖母”とされている女性に与えられた名だ。長崎にキリシタンが伝わった時、そこで信仰されていたのはイエス・キリストの方ではなく「アベマリア」の方だった。考えられる理由は二つある。一つには、聖母マリアの姿が“仏教の弁財天”の姿に近く、日本人庶民に受け入れられやすいと考えたこと、もう一つは発音の関係で「イエスキリスト」よりも「アベマリア」の方が、日本人には“親近感を抱きやすい”からではないだろうか。さらに、当時の日本では“仏像に手を合わせる習慣”があった。そこで“仏像に近いマリア像”に手を合わせる方法が採られたのだと思われる。実際「隠れキリシタン」たちは、毎日、イエスキリストの像に対してではなく、マリア像に対して、手を合わせ続けた。その「アベマリア」と同じ発音の「阿部麻里亜」が窃盗の容疑者として千葉県の病院内で逮捕された。直接の容疑は、患者男性の財布から3000円を抜き取った“窃盗容疑”だが、この医院では以前から“同じような被害”が何度もあったらしいので、今回が初めてではなく、常習であった可能性もある。46歳で同医院の看護師である阿部麻里亜は「金銭的に困っていて盗んだ」と容疑を認めている。完全な「名前負け」である。病院の看護師になったまでは、名付けた親の期待に沿って、人生を歩んでいた阿部容疑者だが、どこで“道を間違えてしまった”のだろう。実は名前には、ときどき“こういう現象”が起きる。つまり「名は体を表す」を地で行く人生の人と、時に“180度逆さま”ともいえるような人生を歩み出すタイプの人だ。だから名前は、本人に“精神的な負担がかかり過ぎる”名前はかえって良くない。自分の児でも、芸名でも、ペンネームでも、最初から「名前負け」しないような名を着けてあげた方が、気が楽で、幸せを掴みやすいことも多いのだ。
2025-05-01
職場内において、連日「お前は使えない」などの“強い叱責”を繰り返され、会社の人事課などにも相談し、実家家族にも電話で「この会社を辞めたい」と話していた25歳の青年が、それから間もなくして都内の自宅内で命を絶った。労災としての認定は受けたのだが、それだけでは納得できない遺族側が会社と上司を相手取って、慰謝料と損害賠償とを合わせ9000万円の請求訴訟を東京地裁に起こしている。提訴したのは上場企業である「日本カーボン」に入社後2年足らずで自殺に至った男性のご両親だ。男性は大学院を卒業した後、その会社に“研究職”として入社している。したがって、希望した部門に就職した形で半年間にわたる研修期間を経て、その上司の下で働くことになった。リチウムイオン電池の研究開発部門で、上司からは再三、研究レポートの提出を求められた。本人が大学で研究していたものとは微妙に異なった研究であったようだ。会社側としては、大学院で研究して来ているから「即戦力」的な意図のもとに採用した……ということなのかもしれないが、職場は職場で“初歩段階から教える必要性”はあったような気がする。上司は、本人に対して繰り返し“進捗レポート”を提出させ、その内容が及第点に届かなかったようなのだが、もしかすると“その研究開発”には適していなかったのかもしれない。学校の成績は優秀でも、それが仕事の成果に直結するとは限らない。特に研究者型の人には、基礎的な部分で戸惑い、なかなか応用の利かない人もいる。そういう人には“初歩段階の研究課程など”本人が納得するまで説明してスタートさせる責務はありそうだ。会社側は「パワハラでもなく、業務上の心理的負担もなかった」という形で、今のところ応じている。「お前は使えない」などの言葉は、昔は許されたが、現代の“Z世代”に通用する言葉ではない。昔に比べて、いまの若い人たちが“精神的に脆い”ことは事実だが、育った環境や時代背景が“そういう土壌”を生んでいる以上、或る程度、それらを考慮しながら指導していくことが、現代の組織上司や指導者には求められているような気がする。また若い人の中には“自分が属している環境”から、抜け出すという選択をしたがらない人が多いようにも思うが、適していないと思ったなら、いくらでも別のところで“再出発”をすればいい。未来は“一方向”だけにあるのではないのだ。
2025-05-01
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