7月, 2025年

「殺害予告」政治が「劇場化」強めてきている⁉

2025-07-18
社民党の副党首である大椿ゆうこ氏に対しSNSで“殺害予告”があったとして、昨日、緊急記者会見が行われた。最近、こういった感じの騒動が多く、過激発言をする政治家には“危険”が伴うようになっている。これは日本だけのことではなく、世界的な現象だ。極右政党の躍進というのも、世界的な傾向だし、自国ファーストを掲げるのも世界的な傾向だ。それだけ時代が“曲がり角に来ている”証拠だと思う。歴史を振り返ると、政治が“混沌としている”時には、時代そのものも“大きく変わろうとしている”時で、そういう一時期を経て、再び「平穏な時代」がやって来る。そういう過去の歴史を振り返ると、いまというのは“人間の暮らし”そのものが“大きく変貌しつつある”時と捉えるべきで、さまざまな文化や芸術や思想や発見なども起こりやすい時だといえる。ただ注意しないと、時としては過激な“思想行動“や“思想事件”なども発生しやすい時だ。「日本」は島国であったせいもあり、単一民族であったせいもあり、一つの言語であったせいもあり、比較的、他の国々に比べて“統一しやすい国”だった。けれども、ここに来て急速に“それ”が崩れ始めている。気候風土にしても、これまでの日本列島は比較的“温暖な気候”だったはずだが、ここ数年、寒暖の差が激しくなって、夏場は東南アジア諸国に似た一時的スコールが生じやすい気候に変わり始めている。ところで「殺害予告」だが、運命学的に観ると、大椿ゆうこ氏にとっては或る意味で「プラスに働く」のではないかと考えられる面がある。運勢的には「生れ変るのに最良の時」として暗示されているからだ。もちろん、実際に死ぬのではなく、事件化したことで、彼女にとって「SNSに殺された形」だが、それを転機として、世の中の多くの人に「大椿ゆうこ」を知ってもらう“良い機会”を得た。全国的には、それほど知名度がある政治家とは言えなかったから、今回のことがあって“全国的な知名度”を上げることが出来、その主張も知られることになり、もしかしたら、その結果として“崖っぷちの社民党”から当選するかも知れないのだ。もし、これがドラマなら、この事件があったことで“ぎりぎり当選”を果たし仲間たちと大喜びするところで「完」となる……そういうドラマだ。

「該当作なし」は出版界が「正常」に戻った証拠

2025-07-17
文学賞として権威ある「芥川賞」と「直木賞」の選考会が行われ、今回は双方の賞共に「受賞該当作なし」と決まった。それぞれの賞に対する選考会は、午後4時から同時に始まったが、芥川賞の方がそれから約2時間後に「受賞作なし」と発表され、さらにそれから約2時間後に直木賞の方も「受賞作なし」と発表された。両賞とも該当作品がなかったのは27年ぶりであるという。近年は、どちらかの賞で“2作同時受賞”などもあったから、そういう意味では「収穫の乏しい年」ということになった。芥川賞にしろ、直木賞にしろ、受賞作が出れば、それは確実に“売上アップ”に繋がり、時としてはベストセラーに変ることもある。したがって、本来であれば、出版業界としては「受賞作を出したい」気持ちを持っているはずで、それを意識しながらの選考で「なし」とするのには審査員作家たちの“勇気”が必要だったに違いない。もっとも、伝統ある両賞に対して“いま一つな作品”を世に出すことはできない。そういう意識の方が強かったということだろう。単なる商業主義に陥らない作家(審査員)たちの“気概の高さ”が感じられた発表式だった。もっとも、この両賞の発表に関しては、各マスコミが相当数集まる。そして、その受賞者たちの写真掲載やインタビュー掲載を誌面上で予定している。つまり“その枠”をあらかじめ用意して記者たちは集まっている。だから、新聞や雑誌では、その“予定枠”を何かで埋めなければならない。雑誌は時間があるから良いが、新聞紙面は午後8時時を過ぎて「なし」と判ったのでは遅すぎたのではないだろうか。スポーツ紙の“芸能文化面”などは、例年、ほぼ一面を使って受賞者たちの写真、履歴、作品紹介、一問一答、そして審査コメントなどを入れる。それらが無くなった分を何かで急きょ埋めなければならない。通常、受賞作の発表まで早ければ一時間、遅くても三時間くらいなのだから、昨日の直木賞選考の4時間は大変な長時間と言える。それだけ「各作品が拮抗していた」ということなのかもしれない。ただ、どれか一つを推すのは“適切ではない”という結論だったのだろう。わたしはそれよりも、文学界というか、出版業界というか、そういう世界が一時期と比べて、正常に戻りつつある証拠だと思う。一時期は、表現が適切かどうか疑問だが「なにがなんでも受賞作を出さねば…」的な雰囲気が感じられた。つまり、そういうことをしなければ「本が売れない」時代があった。たぶん、ここに来て少しは“本来の姿”に復帰し始めているような気がする。どんなにネットが普及しても、活字好きな人はいる。書店で「本を読む姿」「本を探す姿」は無くなってしまうことはないのだ。

日本人女性と韓国人男性の結婚が急増し始めた⁉

2025-07-16
昨年の調査で日本人女性と韓国人男性との“結婚”が急増し始めていることが明らかになったという。全婚姻数の内の10%を占めるまでになって来ているというのだ。前年比との比較でも40%増だというからすごい。ところが、その一方で、日本人男性と韓国人女性との結婚は、むしろ下降し続けているようで、日本人女性と韓国人男性の結びつきの“10分の1”だというから驚く。しかも、この数字は10年前の“5分の1”でもあるという。一般的に言えば、日本人女性が韓国人男性と結婚した場合には「韓国で暮らす」のが普通だと思われるので、そういう点でも、ここ数年の劇的な変化は注目すべきであると思われる。どうしてなのだろう。やはり世界的な“韓流ブーム”にのって“韓国人男性のイメージ”が押し上げられている点が大きいのではないか、と私は思う。特に、若い女性たちの間で“韓流スター”に憧れる人が多くなり、それが影響して韓国ドラマなどを観る機会が多くなっている。そうすると、これまで“異文化”に感じられてきた韓国の暮らしが、比較的身近に感じる人が多くなっているのではないか。もう一つは“経済的な成長”で、近年は韓国の経済力が向上し、韓国1人当たりのGDPが日本を超えている。したがって、経済成長が止まったままの日本より、新興勢力としての韓国の方に“将来的な魅力”を感じる女性たちが多くなってきたのかもしれない。日本人にとって、韓国語というのは“比較的憶えやすい言語”であるとも言われる。少なくとも、中国語より習得が早いのは確かだ。ただ韓国と日本とでは、決定的に違うものがある。「家族」とか「家系」とか「血縁」とかに対する捉え方だ。日本の若い女性たちは、欧米化された家族観で育っている。だから、親子の絆は“希薄化されて来ている”が、韓国は儒教思想が根強いせいなのか、その部分が以上に強い。したがって、日本の“普通の家庭”で育った女性が、韓国に嫁いだ場合、その“親子間の忍従や扶養”に対する考え方の強さに、改めて驚くに違いない。外貌的な魅力や“愛情表現の演出性”に魅了されると、あとになって「こんなはずではなかった」と嘆くようなことにもなりかねない。国際結婚は、あくまでも“国際間での微妙な違い”を意識しておくことが必要なのだ。

「令和」は「ダメな発言」だけどホンネって好い

2025-07-15
最近の日本では「本音でモノを言ってはいけない風潮」が強い。それが「令和」を生きていく上では必須のようだ。ほとんどの人たちが“その風潮”に習って暮らしている。だから、たまに、そうではない人がいると、目立つのだ。日本保守党の党首・百田尚樹氏が数日前に北海道を遊説したようだ。札幌から北広島市などを街宣車で演説して回ったようだが、その街宣車からの演説で「ここから見てもね、札幌はね、美人率が高い‼ これホンマ‼ 大阪なんか歩いとったらね 10人中9人ブスですよ‼ もうね、街宣していても、だんだん嫌になってくるねん…」と述べたようなのだ。もちろん、この発言に対しては「令和の時代に似つかわしくない不適切発言」として、さまざまな人達から批難されている。確かに、いまの時代としては、アウトだなと私も思う。そうは思うのだが、その一方で、妙に懐かしく、ほのぼのとした印象も受ける。或る意味では、今時、まだ“こういう言葉を使う”ということ自体に、わたしは“古き良き時代”を感じてしまうのだ。わたしはときどき“大昔の映画”のTV録画を観る。当然というべきか、そこには“その時代”だから許された映像描写とか、会話とか、発言とかが出てくる。それは邦画であっても洋画であっても変わらない。時代によって“許されること”は、変わっていくものなのだ。だから何度も言うが、百田氏の発言は、今日的にはアウトなのだ。そのことを認めたうえで「だけど、彼のホンネだったのだろう」と私は思う。もちろん、大阪に美人がいないなどとは思わないし、明らかに“オーバーな表現”を用いてはいるのだが、それは「昭和の時代」に、ごく一般的に行われていた表現方法だ。「男女間差別の典型的発言」という評価もあるが「またバカなこと言って…」と笑いながら許してあげる…心のゆとりは“令和女性”に求めてはいけないのだろうか。よく、こういう発言に対して「差別だ」という人がいるが、美しいものを「美しい」と発言すること自体は差別ではない。もちろん「ブス」という表現自体が現代では許されない。ただ男女平等だから「美人」と表現することもダメというのでは、ちょっと息が詰まる。美しいモノを視て「美しい」と表現することくらいは“許すゆとり”が必要だと思う。或る意味で「令和の時代」は“平等”なのかもしれないが“本音を語らない平等”で、そこに「真実はあるのか」と問いたくなる。もしかすると、あと何十年か経って、もう一度「本音で話し合う」時代がやって来ているかもしれないのだ。

「マタハリ」を想い出させる「女スパイ」暗躍⁉

2025-07-14
今から150年ほど前にオランダに生れた女性が、やがてフランスにおいて“踊り子”として脚光を浴び、さらに“ドイツの女スパイH21号”として戦争時に活躍する。やがて密告によって逮捕され、銃殺刑によって41歳の若さで亡くなった。女スパイ「マタハリ」の人生だ。ちなみにマタハリというのは“踊り子時代の名前”なのだが、世界的に“その名”の方で知られている。そのマタハリと入れ替わるような形で活躍したのが「東洋のマタハリ」こと「川島芳子」だった。こちらの方も、本名は日本人名ではないのだが、日本人化することで戦争時に女スパイとして暗躍することになる。元々は中国王朝の血統を持つ“王女”の1人として産まれていたらしい。けれども、こちらの方も中国軍に逮捕され、さまざまな情報を「日本に売った」として銃殺刑にされている。こちらも41歳の時であった。さて、昨年、ベルギーで開かれた各国首脳たちの非公式会議にはゼレンスキー大統領も出席していたのだが、その会議の席上で、NATOの通訳として随行してきた女性通訳が同僚から告発され、警備員によって会場外へと連れ去られた。この女性通訳はEUやNATOの国際会議で20年以上もフランス語やウクライナ語の通訳として随行してきた人物で、信頼されていたのだが、最近になって「ロシア当局との繋がりが疑われる」という情報が入り、関係者たちには秘かに“要注意人物”としてマークされていたのだった。だから同僚通訳が会議内容を「詳細にメモしている」として告発できたのだ。本来、この種の会議での内容をメモすることは固く禁じられている。実は告発を受けた女性通訳は、ロシア人の父と母の元に生れている。ロシア側のスパイとなるべき条件を備えているのだ。ただ彼女の場合、20年以上も国際会議の通訳を続けてきている。もし禁じられているメモを取らなければ、同僚から告発されず通っていたかもしれない。そういう意味で言えば、国際会議というのはどんなに関係者を排除した密談であっても、通訳だけは付き添うのが普通で、ここにスパイを送り込まれたなら“筒抜け”となってしまうわけで、或る意味では「理想的な女スパイ」とも言えそうだ。もっとも彼女の場合には、まだ捜査が続いているようで完全に断定できるまでには至っていないようだ。もし断定されれば、マタハリたちと同じように銃殺刑となるのだろうか。

ヒグマVS.人間「殺るか‼殺れるか‼」時代が来る

2025-07-13
昨日も、北海道の函館に近い福島町で52歳の男性が襲われた。早朝、新聞配達の男性が戸建ての玄関に新聞を差し入れようとした瞬間を襲われたらしい。たまたま遠くから目撃した男性が居たのだが、大声を出しても気にすることはなく、襲った男性を銜える形で引き摺りながら去っていったという。やがて、その男性の喰い荒らされた遺体がやぶの中で発見された。なんとも痛ましい事件だ。近年、北海道だけではないが、各地でクマが出没し、人間を襲い、死亡させる事件が頻発している。防犯カメラの映像などを観ても、クマというのは普段はそんなに素早くないが、襲い掛かって来る時は猛スピードとなる。しかも人間を襲う時には、必ず、飛び掛かるような感じで顔面から襲うらしい。だから太刀打ちが出来ないのだ。昔は、クマに出逢ったら「死んだふりをすればいい」などと教わったが、過去の映像など見ると、とてもそんな生易しいことで“見逃してくれる”クマなど居そうもない。なにしろ、車にだって体当たりして来るのだ。ガラス窓を爪で“引っ掻き割ろう”とする。つまり、動く車両を怖がっていない。当然、人間を見掛けたなら、猛然と襲ってくるに違いない。あのスピードで向かって来られたら、とても逃げ切れるものではないし、よほどの武道の達人でもなければ防御出来ない。早朝はもっとも“危険な時間帯”のようで山の中ではなくても、畑が続く草原地帯に建てられた住居などの場合は、その近辺まで出没することが珍しくなくなった。先週だったか札幌の街中にも子熊が出没して、多数の警察官が出動した。熊は川が流れていると、それに沿う形で移動するらしい。その結果として本来なら街中になど来るつもりはなくても、結果的に街中まで出て来て騒ぎとなるのだ。こういう状態が続くのは、どう考えても危険だ。その繁殖力から考えて、少しでも早いうちに手を打たないと、やがては「殺るか‼殺れるか‼」の時代が来る。特に、街中での“銃規制”がある現在は、視掛けたとしても簡単に“撃ち殺す”ということが法律的に難しい。早く、それらを変えて、街中だからこそ見掛けたなら即刻“撃ち殺す”ようにしていかなければ、次々と犠牲者が出るばかりだ。こういう場面でも「動物保護」など言い出す人は、まずは「人間の命」が優先されること、つまり「人間ファースト」で戦わなければ……。

いつの間にか68歳に…「松居一代という生き方」

2025-07-12
わたし自身も人のことを言える年齢ではないのだが、ふと彼女のプロフィールに記された年齢に眼が止まった。もう松居一代氏も“68歳”だったのだ。現在、アメリカで単身で暮らしているらしい。そして、日本に向けて、その日常などを発信し続けている。わたしは大昔、偶然にも彼女が「11PM」というTV番組でカバーガールとして芸能界デビューした姿を観ている。その時、なぜか「ずいぶん個性的で目立つ女性だな」と思ったことを忘れない。その後、彼女はカバーガールから藤本義一氏の“相手役”的な感じのMCに昇格する。藤本氏は彼女に対して番組内で“男と女の関係性”とか“恋愛の在り方”とか盛んに話した。TVの視聴者に向けて話しているのか、隣に座っている彼女に向けて話しているのか、よく解らなかったが、とにかく盛んに“男女間”に関する微妙な話を番組内で語った。おそらく藤本氏にとっては、どんな時でもストレートに受け止めて、自分の意見を返して来る彼女に“未完の大器”を感じていたのだろう。その後、彼女は舞台などを中心に活躍していたようだが、再び、世間的な注目を集めたのは、俳優の船越英一郎氏と結婚した時だった。しかも、この結婚では船越氏の方が初婚で年下であり、松居一代氏の方が“子連れ再婚”で年上だった。しかも船越家からは大反対を受け続けていたようだ。けれども、この結婚後の夫の活躍は、多分に妻の後押しもあったからのようにも思え、そういう点だけからいえば、良い女房にも視えた。ところが、やがて二人の間に亀裂が生じる。そして、その頃から、松居氏には奇行が多くなる。思えば、彼女には“子供想いの母親役”を演じた時期があり、“夫想いの妻役”を演じた時期があり、松居棒を考案して“風水師”を演じた時期があり、それから先は……急に飛躍して“世界を相手にした投資家”として登場することになる。要するに、波乱万丈なドラマチックな人生を歩み続けている。今回は、日本人からの手紙で「ひどく傷ついた」旨を記しているようだが、そして、それが原因で23年ぶりに病院に駆け込んだということのようだが……とにかくニューヨークで孤軍奮闘する彼女の姿は、ドラマではないのにドラマのようで何となく、この先の展開・変化が観たくなる……。

「揺れ続けるフジテレビ」最後に笑うのは誰か⁉

2025-07-11
今年の株主総会が何事もなく終わって、一応のケリが付いたかのように視えていたフジテレビ(厳密にはフジ・メディア・ホールディングス株式会社)だが、どうも、そうでもないらしい。その後も、村上ファンドで有名な野村絢氏などが株価の買い増しを続けて、既に16.32%まで取得したと報道されている。そして、今後もそれは継続する予定らしく、33.3%保有を目指しているとの話もある。この33.3パーセントというのは重要で、これだけ保有されてしまうと、どんな大企業と言えども、その株主の言うことを“或る程度”までは聴き入れざるを得なくなる。ただ、ここで奇妙に思うのは、今回の株主総会では“村上ファンド”は特にあれこれ騒ぎ立ててはいない、という点だ。今回、注目されていたのは外資の方の米ファンド「ダルトン」で、メディアを通じ“取締役の総入れ替え”を要求していた。ところが、株主総会では、この要求は否決された。どうして否決されたのかと言えば、大株主の村上ファンド側が新経営陣たちを支持したからだ。つまり味方についてくれたからだ。したがって、ほとんどの人たちは村上ファンドは新経営陣たちの“経営方針を支持した”ものと思っていた。ところが、どうやら、そうではなかったのだ。村上ファンド側は、確かに外資が提案した“取締役の総入れ替え”には反対したのだが、だからと言って新経営陣の“経営方針”を受け入れたわけではなかった。実は、外資はフジテレビの“メディア事業”と“不動産事業”とを切り離すべきだ……とも提案していて、その点では最初から村上ファンド側も同様の考えなのだ。ところが、新経営陣たちは“その点”に関しては頑ななまでに「切り離せない」で一致している。つまり、大株主側の要求を入れる考えはない。最初「見守りたい」と言っていた村上ファンド側も、ここに来て株を買い増し、フジ側に対して圧力をかけ始めている。それが16.32%で表面化したのだ。このままでは村上ファンド側の意見を受け入れざるを得ないと見た新経営陣側は、その対抗措置という形で、もし20%以上の買い占めが明らかになれば、他の株主たちに“無償の新株予約権”を与えると公表した。こうすることによって33%の取得を諦めさせようとしている。既に「一件落着」したかに視えた「フジテレビ問題」だが、思わぬ形で“場外乱闘”が始まりそうな雰囲気で、最終的に誰が笑うのか、いまのところ予測困難で、不透明としか言いようがない。

欧州12都市「2300名以上」熱中症で命奪われる

2025-07-10
ここ数日、日本国内でも各地で猛暑や酷暑の状態が続いているが、その少し前から欧州においても熱波の状態は続いていて、各地でじわじわと“その被害”が拡大している。欧州の12都市、すなわちロンドン・パリ・アテネ・マドリード・ロンドンなどにおいて“地球温暖化”の結果として夏場の気温が高まり、熱中症の被害者が続出している。猛暑になり始めた6月23日~7月2日までの期間に調査し、その結果を公表したもので、この期間に12都市合わせて2300人以上が熱中症により死亡したと報告している。有名観光地の多くが38度を超える熱波に襲われて、各種観光地は閉鎖に追い込まれ、山火事も多数発生している。この傾向は欧州だけでもなく、韓国のソウルでも、今年は既に熱中症による死者が8名を超えた。要するに欧州でもアジアでも記録的な“暑い夏”が始まっているのだ。地球温暖化による異常気象を避ける目的で“脱酸素”などの取り組みは始まっているが、いまのところ、温暖化のスピードに“脱酸素のスピード”が追い付いていけない状態となっている。たぶん、もっと根本的な対策が必要なのではないか、と思えてくる。根本的な対策とは、脱酸素を頼りには出来ないのだから、地球そのものの“気候調整をする方法”であるように思われる。もし、それが出来れば、ただ単に猛暑や酷暑に対してだけでなく、台風と豪雨とか竜巻とか寒波とかにも有効なはずで、こういった自然災害による被災者を救う手立てともなる。熱波の状態が続くと、元々身体に持病を持つ人たち、特に心臓病、糖尿病、呼吸器病などの場合、負担が大きくなって死亡率が高まるらしい。最新科学は、まだまだ自然災害に対しては赤子のようにひ弱で脆い。電波通信の速度がどんなに早くなっても、それによって自然災害の人たちが救えるわけではない。もう速度などは良いから、小型化などは良いから、そんなことよりも気温上昇を止める方法、いやそれよりも気候変動そのもののメカニズムから、それを“自在に操れるシステム”を何とかできないものなのだろうか。宇宙に飛び出すのも良いが、その前に“地球そのもの”の環境を“良好化していく装置”を何とか発明してもらいたいものだ。

「ピン」から「キリ」まで居る「外国人の選別」

2025-07-09
昨日、外国人に関する“人権”や“難民”問題を扱っている主要な8団体が結束して、選挙に関連して拡散している「外国人が優遇されている」という噂は「まったく根拠のないデマであり誤解である」と訴え、直ちに「政府や国会は人種差別を禁止・終了させる義務がある」との共同記者会見を開いた。これに対して民間266団体も、この会見に賛同を表明している。確かに、ここに来て急速に「違法外国人問題」や「日本人ファースト」が叫ばれ出したような風潮を感じる。ただ、このような傾向は世界的な現象で「日本」に限っているわけではない。元々、日本というのは島国で「日本語」を母国語としているので、近年まで外国人にとって“居住するにはハードルの高い国”だった。それが、ここ30年余の間にどんどん外国からの移住者が多くなり、それに伴なって“さまざまな問題”が表面化するようにもなっている。ただ、わたしが思うに、一口で「外国人」と言っても様々なタイプの人達がいる。それらをすべて“一括り”にしようとすると、今回のような状況が生まれてくることになる。実際に日本に暮らして永い人達の多くは「日本語」が解かるし、日本人のルールに従っているし、違法なことに精を出すようなこともない。ただ同じ永い居住者の中にも、特定の国や地域から来て集団で“固まって暮らしている人達”の中には、日本に暮らしながら、日本とは“別個なルール”を行使している人たちもいる。海外でも同じ傾向があって、固まって暮らす人たちの多くは、その国に馴染んで行こうというより、自分たちの“昔からの暮らし方”を頑なに守り続けようとする。そうすると、どうしても周辺住民との間で“あきれつ的なもの”が生じやすくなる。昔から「郷に入ったら郷に従え」という。やはり、その国に入って暮らしていく以上、その国に馴染む努力は必要な気がする。したがって、どういう形から入って来るにせよ、最低限の「日本国内においての暮らし方」には従うべきで、それが難しい場合は「日本国内での居住を拒否する」形は作っておくべきだろう。外国人に対しての「日本居住法」のような法整備が不十分な気がする。「外国人優遇」の問題に関しては、特に“外国人富裕層”に対して、そう受け止められても仕方のない現象は見受けられる。或る意味では「外国人」を“差別”ではなく“選別”していく時代になって来ているように、わたしには感じられる。

チベット仏教「化身(転生)」制度で「15世」誕生

2025-07-08
現在、ダライ・ラマ率いるチベット仏教はインド北西部ダラムサラに拠点を置いている。最近、ベトナムに派遣されていた高層の1人が現地警察と中国諜報員とによって拘束され、その3日後に“不可解な死亡”が伝えられた。中国は、元々自国の“一部”とみなしていたチベットが“独立国家”のような行動をとることを許さず、自国の管理下に置くことを宣言してきた。したがってダライ・ラマ率いるチベット仏教徒集団は「亡命政府」というような形でインドでの生活を続けている。ただ、もうダライ・ラマ氏も高齢(89歳)である。このままでいけば、自分の死後に完全な“中国政府の統治下におかれる”可能性が強まっている。そこでダライ・ラマ14世は、自分の死後にも600年以上継続されている「化身(転生)制度」によって「ダライ・ラマ15世」が認定されるべきだということを、改めて宣言した。もちろん、彼自身も、その「化身(転生)制度」によってえらばれた指導者なのだ。実はチベット仏教だけが「化身(転生)」というものを信じているかと言えば、そうでもない。いくつかの古代から引き継がれて来た宗教においては「化身(転生)」という存在を認めている。ただ、その多くは“象徴的存在”として継続しているので、チベット宗教のように「政治」も含めて“最高指導者に従う”制度にはなっていない。現代においては「バチカン市国」と「国家としてのチベット」だけが、宗教指導者=国家指導者の役割を兼ねている。ところで、実際問題として、どのようにしてダライ・ラマの「化身(転生)」は成り立つのか。代々ダライ・ラマは、この制度で定められてきた。まず、後継者を選定する役割の人々を決めておく。次に、代々のダライ・ラマが自分の死後に「化身(転生)」する場所や時期を定めておく。したがって、その場所やその時期に出生した児以外は、候補から外れるのだ。選定する側には、先代が使用していた物品や、先代に関連する人々のリストが渡されている。つまり、もし、ほんとうに化身として転生していたなら、その誕生して間もない児は「それを記憶しているはず」というのが“15世択び”の基本となるのだ。したがって、当然のことながら、死後ある一定の期間を経て誕生した児の中から、15世択びは行われる。自分の死後に、この制度を“うやむやにさせる”可能性がある中国政府に対して、先手を打ったのが今回の「化身(転生)制度」の継承の宣言なのだ。その死後に、記憶を失くさなければ良いが……。

斎藤投手&田中投手「19年後」「人生の明・暗」

2025-07-07
人にはときどき“自分の人生”において、妙に“交錯する相手”というものがある。どうしても“避けては通れない相手”とでも言おうか。今から19年前、早稲田実業高校のエースだった斎藤佑樹投手は、同じように甲子園で決勝戦へと勝ち上がってきた苫小牧駒澤高校のエースだった田中将大投手と投げ合った。15回を投げ合ったが決着が付かず、引き分け再試合となって、最終的には斎藤投手の方が優勝投手となった。そのマウンドで、ハンカチで汗をぬぐう斎藤投手は“絵”になったので「ハンカチ王子」と呼ばれた。その後、ふたりの道は微妙に分かれた。田中投手の方は、その年のドラフトで“1位指名”を受け、楽天ゴールデンイーグルスへと入団した。田中投手は一年目から力量を発揮した。一方の斎藤投手の方はプロを拒否して、早稲田大学へと進学した。そして、大学野球において徐々に力を発揮し、最終学年ではエースとなって主将も務めた。その後にプロ野球界に入り、日ハム球団に入って将来を期待された。けれども、なぜか日ハムに入って後の斎藤投手には目立った活躍がなかった。2011年~2021年まで10年間在籍したのだが、これといった成績は残せていない。現役最終年度の年収は、2~3年目の投手とあまり変わらなかった。一方の田中投手の方は2007年~2013年まで日本球界で華々しく活躍し、その後は活躍の場をアメリカの大リーグに求めた。ヤンキースに入団して、最初の数年間は“期待通り”の活躍を見せ、その後も“それなりの数字”を残した。そして、2021年になって日本球界へと戻った。総じて、大リーグから戻ってきて後に活躍する選手は少ない。最盛期を過ぎたからなのか、日本に戻ってきて以降の田中投手の成績は低調のままだ。今年は、もう、首脳陣からも楽天のファンからも“期待されていない”ように視える。さて、斎藤投手の方だが、彼は現役引退後は会社を設立し、その一方ではキャスターとしても登場し“二刀流”を使い分けている。そして、今年からは日ハムの本拠地であるエスコンフィールドHOKKAIDO(北広島市の野球場)内において「サニーテラス」という飲食商業施設のオーナーとして活動している。一つだけの店ではなく、6店舗が入居する施設のオーナーなのだ。今後も“温浴施設”を経営する予定があるという。それらの資金がどこから出ているのかは知らないが、とにかく完全なる社長業として多忙の毎日を送っている。言ってみれば今や若手実業家として注目の存在らしい。こうして、甲子園を沸かせたふたりの球児は、それぞれ「明」と「暗」の運勢に引きずられて、今日を迎えている。もちろん、まだ人生が終わったわけではなく、今後のふたりがどういった未来を歩むのかはわからない。ただ確かなことは、それぞれの「輝ける時」は明らかに違ったように視えることだ。 « Older Entries Newer Entries »