8月, 2025年

どういう状況でも「運勢」の「吉凶」は作用する

2025-08-20
数年前まで「大谷晋二郎」はプロレスラーとして活躍していた。若い時から“独特の雰囲気”を持っていて、或る種のカリスマ性もあった。ところが……人間の運命とは判らないもので、その大谷選手が試合途中で動かなくなった。2022年4月10日の試合中に首を鉄柱に強打し、危険な状態となり、救急搬送された。あれから3年4か月が経ったが、頸椎損傷で未だ首から下が動かない。それでも、不屈のプロレスラーは何んとか起ちたいとリハビリを続ける。そのかいあって、彼は今回、医療関係者に支えられながら何とか「起ち上がる」というところまで回復した姿を公開した。通常は「寝たきり状態」が普通だというから、たとえ“支えてもらって”という状態であったとしても、とりあえず「起ち上がった」事実は大きい。わたしは人間の運勢が持つ“不可思議さ”を感じる。なぜなら、いまの大谷氏にとって運勢は間違いなく“幸運期”を示唆している。もちろん、頸椎損傷などでいったん動けなくなった身体は、それ以降リハビリを行うようになっても、ほとんどの患者は“そこまで”回復できない。したがって、本来“通常の運勢”というものが通用しなくなる。つまり“寝たきり”になってしまえば、もう一般的に言う“人間の運勢”というのは当てはめようがない。或る意味では、その時点で“運勢”はストップし、そこから先は通常社会でいうところの“不遇な日々”を過ごさなければならなくなる。起き上がれないのだから「吉」も「凶」もあったものではない。こう言う点について、これまで運命学の研究者たちは、何も語らなかった。視て、視ぬふりをしてきた。ところが、よくよく観察すれば、そうではないことに気付く。たとえば大谷氏は、人の助けを借りながらではあっても「起ち上がった」のだ。これは彼にとっての“大いなる悦び”で、だからこそ彼は、そういう自分の姿をSNS上に投稿したのだ。そして奇妙にも、彼の現在は運勢上では“幸運期”に当たっている。具体的に言えば、ホロスコープ上でトランジットの惑星達が出生時の惑星達に対して“120度アスペクトを六つ”を形成している。但し、良いアスペクトだけではなくて“90度アスペクトを五つ”も同時に与えている。だから実際には吉凶混合だ。その通りな状況だが、90度は“身動きが効かない状況”を意味するもので、入院中などによく示されるアスペクトだ。つまり、良い方のアスペクトも、悪い方のアスペクトも、双方とも見事に“実態化”している。ちなみに怪我をした試合の日には“150度アスペクトが四つ”示されていて、やや体調は不良だったと思われる。格闘技者は自らの体調が悪くても、よほどのことがない限りはリングに上がる。ただ運勢は非情で、彼の将来を奪った。けれども、それ以降もなお運勢は刻々と“吉凶の事実”を伝えつつある……。

26年前にも「似た予感」を持った「SBGの株価」

2025-08-19
人間の「記憶」と「予感」は、どっちの方が人を支配しているのだろう。時々わからなくなる。あれは今から26年前、つまり1999年のことだ。わたしには妙な予感があった。「この株を今買っておけばどんどん上がって金持ちになるな…」という“ヘンな予感”だった。この株とは、その当時の「ソフトバンク」現在の「ソフトバンクグループ(SBG)」のことだ。わたしは当時まだ“株取引”を始めて間もない初心者だった。だから、実際のところ、あまり株の世界のことは詳しく知らなかった。ただ、当時から既に買い始めていたので、この企業が株式市場で“注目を集めている”ことだけは知っていた。何かのニュースで、そのソフトバンクの株価が「3万円を超えました」という報道があった。それを聴いたとき、わたしの中で妙な“予感”が生じた。別に特別な理由があるわけではないのだが、この株を今買っておけば大金持ちになれる…という予感が、どこからか生じたのだ。ただ「3万円を超えた」ということは、この株を購入するには、300万円以上の元手が必要だ、ということになる。当時のわたしは、手元に300万はなかったが、既に購入している株をすべて売却してしまえば、400万円くらいにはなったはずだ。だから、まったく買えないという価格でもなかった。そうは言っても、それまで購入していた株を“すべて手放す”というのは出来ない。急騰している株は、いつ暴落するかもわからない。そんな株に、ちょっと予見が走ったからといって、すべてを託する勇気はなかった。つまり、自分の予感を、それほど信用していなかった。ところが、それ以降もソフトバンクの株価は値上がりし続け、あっという間に、わたしの購入できる金額を上回っていった。そしてとうとう翌年2月には“19万8000円”という史上最高値をつけた。仮に、この時に売れば、一つの株だけで1900万円が手元に入ってくる計算になる。300万円を投資しても、十分に元が取れた計算だ。但し、このあとすぐ「ITバブルの崩壊」がやって来て、それと同時にソフトバンクの株価も急落していった。19万8000円だった株価は800円台にまで下がっていったのだ。なぜ、こういう昔話を書いたかというと、いまソフトバンクグループの株価が急騰し始めているからだ。そして、あの頃と同じ予感を、わたしに囁く。けれども、果たして、これはほんとうの予感なのだろうか。それとも昔懐かしい“失敗した記憶”が蘇っているだけだろうか。そのどっちなのかがよくわからない。たぶん、その両方のような気がするのだが、それでも、あの時と同じく、7月頃から急速に上昇し始めた株価は、いま16705円となっていて、170万円ほどの資金が居る。あの時のことを考えて勇気を出すか、それとも「自分の予感力」など信用せずに見過ごすか……難しいところだ。

プーチン大統領に刺さる昭恵夫人&メラニア夫人

2025-08-18
今回のトランプ米大統領とプーチン露大統領との会談は“共同声明”もなく、何一つ成果がなかったかのような報道があるが、それは違う。いちばんの成果は、実は大統領夫人であるメラニア氏から、プーチン氏に宛てた“個人的な書簡”を、トランプ氏自らの手でプーチン氏に手渡したことだ。もちろん個人的な書簡であるから、その内容は公開されていない。けれども一説には、ウクライナにおけるロシアの占領地で、多数の児童たちを拉致しロシア領内へと連行したことに対する疑問や嘆願だったとも言われる。ウクライナ側のNGOによる指摘では、その実数は判然とせず2万人とも30万人とも言われるが、新しい“ロシアの身分証を発給”して児童たちに対してロシア流の再教育をしているともいわれる。元々メラニア夫人はスロベニアという東欧地域で生まれ育った。したがってウクライナとも地域的に近いので、そういう意味で関心度が高いのだろう。また日頃から“児童支援”の啓発活動に対して熱心とも言われる。そう言う点で、実は日本の安倍元首相夫人である昭恵氏とも話が通じ合っている部分があった。その安倍昭恵氏もプーチン氏に対しては単独で非公式な会談を行い、花束を持って出迎えられた。つまり、メラニア夫人と昭恵夫人の行動には“或る種の共通性”がある。けっしてロシアやプーチン氏をあからさまに批難するのではなく“人間としての問いかけ”を行う形で、平和に向かうよう進言しているのだ。プーチン大統領にとっては、こういう「日本」の元首相夫人や「アメリカ」の現役大統領夫人からの“問いかけ”が堪えないはずがない。トランプ大統領からの“進言”には応じなくても、世界を代表する女性たちからの“私的進言”は重く心にのしかかっていくに違いない。ただ、もう一方のゼレンスキー氏に対しては今のところ誰も“問いかけ”も“進言”もしていないように視える。彼の“正義感”は世界の“多くの人たちの犠牲”の上に成り立っていることに彼自身は気付いているのだろうか。特に、ウクライナを追われた人たちは、まさかこんなにも長く“追われたまま”であろうとは思わなかったはずだ。彼らのためにも“ギリギリの妥協線”を探る時期に来ていると、わたしなどは思うのだが……。

日本人女性が「声を掛けて来る」幻想を抱く人々

2025-08-17
どこの国にも、困った人達がいる。その記事を読んでいて“何とも言えない虚しさ”を感じた。訪日客の中には、そういう人たちもいる……現実を、突きつけられたような気持になった。現代は世界各国にインフルエンサーと呼ばれるYouTuber達がいる。表現が難しいが“世の中を先導していく”タイプの動画配信者たちだ。彼らの中には、海外に出向いて、その国の現状などを発信し、それを基に自国の人たちに対して「だから行ってみてはどうですか⁉」的な形でアピールしたりする。韓国人インフルエンサーの中には、日本人女性の中に“近年の韓国男優や歌手”に心酔している人たちが多いとして、韓国人男性そのものに“憧れを抱く女性”もいる……とアピールしている動画がある。そして、これこれの飲食店に行けば、そこでは韓国人男性目当ての女性たちが来ていて、積極的に声を掛けて来る……とローカルな店舗をいろいろ紹介しているのだ。われわれ日本人からすると、実に奇妙な動画だ。大体、日本語がわからない男性達に対して、積極的に話しかけていく日本人女性はまずいない。というか、同じ日本人男性だとしても、一人で飲んでいる男性に対して、日本女性は通常、よほどのことがない限り、自分の方から声を掛けていくようなことはない。仮に日本語がそれなりに話せる外国人だと判っても、だからといって“話しかけていく女性”は滅多にいない。現在の日本人は、相手のプライバシーを尊重するので、相手が“一人で飲んでいる”のを勝手に邪魔しようとはしないのが普通なのだ。ところが、その韓国人インフルエンサーは、その辺を解っていない。ましてや旅行中の外国人に対して、自分から話しかけていく一般女性は滅多にいない。もっとも、その外国人が何かで困っているとか、なにかを探しているとか、その人物の方から話しかけてきた場合なら、応じることは少なくない。つまり韓国人に限らず、外国人に対して親切だったり、友好的だったりする日本人女性は居るが、最初から“若い韓国人男性”を目当てに店に出向く女性達がいるとは、わたしには考えられない。仮に“そういう店”が存在するというなら、それは多分に“夜の相手をする女性たち”であって、少なくとも韓国人男性と恋愛しようとする日本人女性ではない。健全な日本人女性たちは、仮に“そういう店”があったとしても、そういうところにやって来る男性ではなく、ドラマのような“偶然の出逢い”から自然に交際が発展していく……そういう韓国人男性(⁉)を求めているに違いない。韓国人男性に限らず、出逢いを求めての1人旅は、あまり“おススメしない”のが正しい旅のガイドなのだ。

「アイドル後」三つのパターン「小嶋陽菜」社長

2025-08-16
AKB48を卒業して後、自らのブランドを立ち上げアパレル社長に転身したのが小嶋陽菜氏だ。その小嶋氏が久しぶりTV番組に出演したようだ。9月に“3周年記念”を迎える自らのブランドの“新作宣伝”を兼ねての出演らしい。アイドルグループから卒業後に起業していった人物は少なくないが、社員を100名以上抱える本格的な会社の社長となっている人物は滅多にいない。社員が100名以上居るということは、その家族も含めての生活を支えていく…ということで、よほどの覚悟がなければ、短期間で会社をそこまで大きくは出来ない。しかも、この人の場合、比較的「卒業」が早かったような気がする。芸能界そのものには、それほどの未練がなかったというか、自らの起業意欲の方が勝っていた、ということだろう。大体、アイドルグループとして“それなりの人気”が出た場合、その後の人生には大体3パターンある。その一は長期間アイドルグループに属して、その後も、アイドル的なソロ歌手・俳優・タレントとして生きていくタイプ。アイドル期間が長ければ、この“生き方”がもっとも多くなる。その二は、逆にアイドルからはなるべく“距離を置く”ような生き方で、女性の場合は“ふつうの結婚”をして、出産、子育て、趣味の世界などを楽しむ“生き方”が多い。かつてのアイドル山口百恵氏などは典型的なこのタイプだ。芸能界を完全引退した安室奈美恵氏なども、このタイプだ。その三は小嶋陽菜氏のように、最初は“趣味的な副業”や“ちょっとした関心や興味”から入って、やがて本格的な事業・商売として自立していく形で、この場合、かなり早い段階から、起業意欲を持っていることが多い。同じくAKB48に属していた川崎希氏や島田晴香氏なども、典型的なこのタイプだ。この三つのタイプは、アイドルから“卒業した後”の生き方として、多くの人たちが選択している。もちろん、だれもが、その後も順調に“生きていける”とは限らない。特に“芸能界から距離を置く”生き方を択んだ場合、よほど本人に“或る種の覚悟”がなければ、その後の人生を幸せなものにすることは難しい。覚悟がある場合だけが“家庭的な倖せ”を掴むことが出来る。また起業する生き方にしても、中途半端な気持ちだと、継続できない。最初は良いのだが、だんだん起業家のとしての才能が問われてくる。それからが本当の勝負なのだ。

古代の日本人は「タトゥー」入れるのが“普通”⁉

2025-08-15
とても興味深い事実がある。卑弥呼の時代の日本人は「刺青を入れていた」という記述が中国史書『倭人伝』にあり、それはそのまま古代中国の“殷(商)王朝時”の人々の姿に重なる。ところが『倭人伝』が記されたころの中国には、もう“刺青を入れる風習”はなく、それゆえに日本人の“刺青を入れている姿”に違和感を覚えたのだ。ところ変わって現代の日本、歌手のあいみょん氏が雑誌の表紙に登場し、腕にタトゥーが入っている写真を公開したことがネット上で騒がれている。もっとも、昔からのファンにとっては「前から入れていることは知っていた」ようで、むしろ拒絶的な反響の多さに驚いているようだ。日本では近年、タトゥーの扱いについては、人によって大きく違いがあるようで、完全に“肯定派”と“否定派”に分かれているような印象を受ける。ただ歴史を遡れば、卑弥呼時代の日本人は「刺青を入れていること」が“社会制度の一つ”ともなっていたようで、身分を表したり、職業を表したりするうえで必要なことだった。殷王朝における刺青は“悪霊の侵入を防ぐ”目的があったようで、微妙に日本とは異なるが、もしかすると最初は“呪術的な意識”の方が日本でも強かったのかもしれない。ところが、日本ではいつの頃からか“刺青”を「悪徳の表徴」のような捉え方をするように変わった。これは多分江戸時代の囚人たちに対し「囚人の証し」として刺青を入れるようになったことが一因ではないかと思われる。それが徐々に“ヤクザの象徴”となり、昭和の時代には「刺青を入れていること」が“その道に入った証明”として用いられるようになった。したがって“ふつうの人たち”は刺青を入れていないことがむしろ“健全の証し”とされるように変わっていった。欧米ではロック歌手などが好んでタトゥーを入れ、それが一般に普及し、格闘技者やアーティストの一部にも広がりを見せ、現在ではあらゆる階層でアクセサリー的な“趣味の領域”として受け入れられている。日本の場合には、どうしても“反射的な人物”であるかのような受け止め方が未だ抜けていかない。こういうようなものは、その捉え方は“時代とともに変化していくもの”で、どう受け止めるかは行政などが規制すべきものではなく、個々の“良識や倫理観に任せる”のが妥当であると思われる。少なくとも、卑弥呼時代の日本人にとっては「刺青」は“卑弥呼女王の民族である証し”だったのだ。

「ダウ」&「日経」共に“4万台”シーソーゲーム⁉

2025-08-14
いつの頃からか「日本株」に“勢い”が出てきている。もっとも、それを演出しているのは一部の“AI銘柄だけ”とも言えるが、それに引き摺られる形で多くの銘柄も“新高値”に到達し始めている。以前にも述べたことがあるが、この「日本株」の勢いは今後も続く。どうしてかというと「日本」が“デフレの国”から“インフレの国”に転換したからだ。あらゆるモノの値段が上がり始めているのだから、最終的には“日本企業の価格”である「日経平均」だって「トピックス」だって、上がってゆかなければおかしいのだ。だから、そういう点から言って、少しピッチとしては早いが、日本株の新高値は“本来の姿”なのだ。さらに、アメリカとの“関税交渉”が比較的早期に“良い形(⁉)”で決着したことも大きい。外国人投資家たちは、良い結果だろうと、悪い結果だろうと、決着したものに投資したがる。“あいまいなもの”に投資したがらない。「日本株」の場合、外国人投資家たちが購入しだせば上がる構図になっているのだから、いまの「日本株」は上がって当然なのだ。外国人投資家たちにとって「日本株」は「世界の景気敏感株」としての役割を持っている。ここで重要なのは「世界の…」という部分だ。つまり世界経済の“先行指標”としての役割を「日本株」に与えているのだ。したがって、日本株がどんどん上がっていけば、この先の“世界経済の見通し”は明るく、逆に日本株がどんどん下がっていけば、この先の“世界経済の見通し”は暗いものとなる。そういう意味では、日本株が上昇し始めたということは、今後の世界経済は発展していくという見通しが立って来ていることの証しだといえる。アメリカの「ダウ」や「ナスダック」の株価も、もちろん“世界経済のけん引役”として重要だ。特に「ナスダック」は「日経平均」との関連も強い。そのナスダックの勢いも最近は“利下げ観測”で強まっている。ところで「ダウ」は現在4万4千ドル台で「日経平均」は現在4万3千円台に位置している。つまりドルと円で違いはあるが、両方とも“4万円台”で“最高値”に達しつつある。今後も、この数値の上昇は続くと思われ、たまには数値的に“日本の方が上回る”ことが出てくるかもしれない。基本的にはアメリカが先行し、日本がそれに追いついていく。つまりアメリカに引きずられて「日本株」も上昇していく。

「名を残す」より「名を消す」方が本当の優しさ

2025-08-13
長年続いている「さんま・玉緒のあんたの夢を叶えたろか」というTV番組がある。今年も放映されたというのだが、その番組に中村玉緒氏の姿はなく、それを観た多くの人たちから、主役であるはずの玉緒氏の姿はなく、それに対しての言及も一切なかったことに“違和感がある”とのコメントが数多く寄せられたらしい。もっともなことで、この番組が明石家さんま氏単独の“名入り番組”なら、だれも違和感は持たないはずだ。それなのに、もう一人のMCとして長年出演し、番組タイトルにまで名前が登場しているなら、その人物に関して“何も触れず”番組を進めていくのは奇妙でしかない。もちろん多くの視聴者たちは中村玉緒氏が高齢で、近年は体調を崩しているとか、施設に入居しているとか、噂レベルでは何となく知っている。けれども、だからといってスルーして良い問題ではない。もし、もう体調的に出演がムリなら、別の誰かと入れ替えるか、完全に“さんま氏の単独番組”にしてしまうべきだ。わたしが思うに、まだ亡くなられていない玉緒氏に対し、名前を外すことに“さんま氏が反対している”のだと勘では思うが、入れ替えが嫌なら、単独番組に変えるか、別なMCに後任を託せば良い。或いは多少内容を改めて“新番組”にする手法もある。もちろん、さんま氏は「玉緒」の名を入れ続けることで、自分のMCパートナーは彼女しかいないということ、そして、必ず復帰して来るということ……を信じてのことなのかもしれない。ただ多くの人たちに違和感を感じさせるということは、かえって実際には、彼女にとって“迷惑なこと”である可能性もある。玉緒氏は、もう86歳であり、初期の認知症に入っているといわれる。身体そのものにも持病を持っているらしいので、長時間の収録は体力的にもムリなのだ。ということは、本来なら静かに施設の中で過ごしたい状況なのに、この分組が放映されることで、彼女は“ふつうの入居者”では居られなくなってしまう。それは本人にとっても、親族にとっても、施設にとっても、好ましいことではないはずだ。さんま氏は“友情の証し”を表しているつもりなのかもしれないが、心身とも徐々に老いていく本人にとって“過去は幻”であって、本人の記憶の中だけで“留めて置く”ことで“美しいまま”を保つことが出来る。現在の状況をムリに対比させることは、むしろ残酷な場合もあることを番組関係者は考えるべきなのだ。

どんなに文明が進んでも「自然災害」に勝てない

2025-08-12
今から50年先、100年先の未来を考えた時、その時にも、人の暮らし方というのは、それほどの違いはなくて、今と同じように「自然災害」を怖れながら、生きているのに違いない。もちろん、人間の文明や科学はどんどん進化していくとは思うが、だからといって「自然災害」そのものを無くすことはできない。たぶん出来ない。100年後の未来であっても、人はやっぱり同じように大地震を怖れ、大洪水を怖れ、森林火災を怖れ、津波を怖れ、熱波を怖れ、竜巻を怖れ、落雷を怖れ、大寒波を怖れ、火山噴火を怖れ……それらに勝つことが出来なくて“遁れる術”のみを求め続けているに違いない。本来であれば、科学が“解決の手段”を与えてくれても良さそうな気はするのだが、残念ながら「不死の薬」が得られないのと同じように「自然災害を無くす薬」も見つけることは出来ずに、遁れることのみに必死であるのに違いない。自然災害への予測は、今よりもはるかに進んだものになっているとは思うが、何度も言うように、だからといって自然災害そのものを無くす“妙薬”は見つけられない。結局、人は“大自然”に勝つことはできない。何十年経とうが、何百年経とうが、大自然の営み……言い換えれば、生命体としての「地球」に勝つことはできない。だからこそ、それを達観していた古代の哲人は“風水思想”というものを産み出した。つまり生命体としての「地球=大自然」に“寄り添って生きる”……言い方を変えれば“調和して生きる”ことこそが、自然災害から“身を守る”唯一の方法であるという教えだ。そう、勝てないのならば、それに“調和して生きる”以外に、どんな方法があろうか。実は、特別「風水」という言葉を使わなくても、風水と同じように「大自然と調和して生きる」ことを本能的に取り入れている民族や地域は多い。実際、そういうふうにしなければ古代においては生きて来れなかったのだ。そして、彼らは一様に“その大自然”に対して、崇めたり、祀ったり、供えたり、平伏したり……してきた。風水はそれにプラスして“大自然の猛威”を研究し、その規則性や周期性を利用・活用する方法を編み出したともいえる。ただ本当のところまだまだ未完成・未成熟な学術分野だ。それなのに「すでに完成された学術」でもあるかのよう錯覚している研究者が多い。あまりに多い。未完成・未成熟という理解から研究を始めないと、結局、何一つ活かすことが出来ず“ほんとうの風水思想”を埋もれさせたままに終わるだろう。

久しぶりの「JRの地図」は「発見」に満ちている

2025-08-11
本当に久しぶりでJRの長距離“特急”で短期の移動をした。そうすると、いろいろな発見がある。まず、列車の“揺れ”が大きい。今どき、こんなに“揺れる車両”が許されるのだろうか。北海道のJRは赤字続きなので、線路の修復費用などが十分ではない…と何かで読んだが、そうは言っても“命を運ぶ列車”ではないか。万一のことがあったら、どうするのだろう。赤字だから許されるというものではない。それはそうとJRの座席には小雑誌が置かれている。そこには終わりの方に「JR路線地図」というものが載っている。それを視ていて、道内というのは「難しい地名・駅名が多いな」と改めて感じた。元々がアイヌの地名だったところを“日本名”に変えているので、どうしても“当て字”の名称となっている。だが、小学校の時に習ったような気もするが、読み方などは当の昔に忘れている。だから読めない。どうして仮名を振ってくれないのだろう。まあ、なんとなくの感覚で主要な都市の位置だけは把握しているが、それ以外の街というか、町村というか、正直、きちんと憶えていない。だから、こうして、改めて地図で各地域の“距離間”を知ると、自分の何となくの把握が実際には“ずいぶん違っていた”ことに気が付く。たとえば、日ハムの野球場は札幌ドームから北広島市のエスコンフィールドに移ったが、今その“2軍用の球場”をどこに持ってくるかで周辺地域が騒がしい。地図上では、北広島市のすぐ下に恵庭市があり、その下に千歳市があり、その下に苫小牧市がある。何となくの感覚で、その周辺は解るのだが、実際の地図上で観ると、その距離間みたいなものが自分の感覚と大いに異なる。最近になって半導体工場のラビタスが千歳市に出来たが、札幌と千歳の距離間はもっと近いと感じていたが、こうして地図上で目測すると、けっこうな距離感がある。そして北広島の下に千歳があるような感覚で居たが、その間には恵庭市があり、それは丁度二分したような位置関係にある。実際には、札幌市の中でも南に位置する「新札幌」と「北広島」がほぼ同距離、その「北広島」と「恵庭」がほぼ同距離、その「恵庭」と「千歳」がほぼ同距離、その「千歳」と「苫小牧」がほぼ同距離という感じなのだ。久しぶりに駅弁も食べた。しかも、自動販売機で出てくる駅弁を食べたのだ。世の中どんどん変わっていく……。

鼻から上の頭部に対して「パンチ規制」すべき‼

2025-08-09
8月2日に行われたボクシングのタイトルマッチで、試合は引き分けとなり、本人の意識は控室に戻るまでしっかりとしていた。その後のドクターチェックの際に意識を失い、そのまま救急搬送され“開頭手術を行った”神足茂利選手(28歳)が8日、意識が戻らぬまま死亡した。少年時代からジムに通い、学生時代から各種ボクシング大会で実力を発揮し、大学卒業後にプロに転向した文字通り“ボクシング一筋”の人生だったようだ。8月2日の試合では、もう一人、浦川大将選手も意識不明となって開頭手術を受けている。また今年5月にも重岡銀次郎選手も意識不明となって開頭手術を受けている。さらに2023年12月にも穴口一輝選手が意識不明となって救急搬送されたが、彼も死亡している。このように見て来ると、格闘技の試合に「危険は付き物」とはいうものの、あまりに意識不明や死亡事件が多すぎる。共通しているのは、顔面を打たれて意識を失ってしまい、その後に死亡するような形の事案が多いことだ。もちろん格闘技の試合なのだから、急所を狙ってパンチを繰り出すことは当然なのだが、基本的には顔面の下半分には“脳神経を脅かす部位”は存在しないように思われる。鼻柱も含めて、眼や眉骨や側頭部など顔面上部に強烈なパンチを食らったとき、意識に関係するような部位の神経が脅かされる……ということではないだろうか。そうであるなら、それらへのパンチは「禁止」して、もしもそれらに対して当たった時には,故意でなかったとしても「反則負け」にするような“厳しい規制・罰則”を加えるような制度を採り入れなければ、次々と犠牲者が出てしまうような気がする。特に後頭部に関しては、元々“生命保存の神経”が集中している部位がある。両者が組み合ってしまったとき、互いに低姿勢となり、無意識に相手の後頭部や側頭部に対しパンチを繰り出してしまう画面をしばしば見掛ける。意識していれば避ける部位でも、試合で興奮し、体力的に疲れている場合は、歯止めが利かなくなってしまう。それでも相手を試合中に殴り殺せば、その殴り殺してしまった方も、一生のトラウマを引き摺って生きることになる。最初から「反則負け」として、すぐ判定が下されれば、意識がなくなってしまうほどのことにはならない気がする。ぜひ関係者は考慮すべき時期に来ている。

続々と「新しいロボット」誕生していく販売店⁉

2025-08-08
中国では北京市内に出来た店舗内で“ロボットの販売”が開始されたらしい。なんと“お安いモノ”では日本円で数万円から“お高いモノ”では数億円に至るまで、実にさまざまなタイプのロボットが展示販売されているというから、すごい。さすが中国というべきか、とにかく何でも“実用化するのが早い”のが、この国の特徴だ。どうしてこんなに早いのかというと、若い起業家たちが多いからだ。しかも、彼らは金が無くても起業してしまう逞しさを持っている。もちろん日本でも、若手起業家はそれなりに居る。けれども、元々の人口が違うから、若手起業家の数も圧倒的に中国は多い。だから起業したは良いけれど、資金が枯渇してギブアップとか、売れる見込みがなくて万事休すとか、そういうケースも少なくないが、それでも「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」で、そういう中から生き残っていく有望な起業家たちも沢山いる。そういう点で日本は到底かなわない。或る意味では“無鉄砲なまでの新時代のエネルギー”が中国には溢れている。そう言う点だけで言えば、アメリカも叶わない。それにしても、ロボットの実店舗での販売というのは、だれでも興味はあるのではないだろうか。近年の“ロボット進化”はすさまじく、たとえば洗濯物をきれいにたたんで仕舞い込むためのロボットとか、サッカーチームを組んで試合をするためのロボットとか、宙返りや坂道ダッシュをするためのロボットとか……とにかく未知の可能性に挑み続けている。そういうロボットが“お安く販売されている”なら、自分にだって何か“手頃なロボット”が存在しているに違いない。日本でも芸能人の何人かはロボットと暮らしているようだし、そういう暮らしも“今後の主流”になっていくのかもしれない。やはり実用化という点では「介護ロボット」がいちばん需要がありそうだ。もちろん人間の“有能な介護士さん”に適うとは思えないが、それでも24時間介護ということが可能な点では、ロボットの方に優位性がある。それに彼らは「イヤ」と言わない。多少理不尽な願いごとでも“聴き入れよう”と努力してくれるような気がする。将来、価格さえ抑えられるなら、お年寄りたちに対して“最高の贈り物”になるのではないだろうか。だが、問題は、まだまだ実用化に時間を要すると見込んでいるのか、日本のロボット起業家は極端に少ないのだ。 « Older Entries Newer Entries »