9月, 2025年
		
		
		
					
		
		
		
		
		2025-09-30
		不可思議で何となく“嫌な気分”にさせられる刑事事件の判決が下った。群馬県の草津町における“奇妙な名誉棄損事件”の判決だった。被告である新井祥子(56歳)に対し「懲役2年 執行猶予5年」という判決だ。「名誉棄損」で告訴していたのは草津町の町長である黒岩信忠氏(78歳)だ。どうして告訴したのかというと、元町議であった新井氏から「町長室でカラダを触られ、肉体関係を持った」という“嘘の告発”を受けたからだ。しかも、その告発には何名かの町議支持者まで居た。当然、町長の名誉は棄損されるし、町長だけでなく、草津市議会そのものの名誉まで棄損されることになる。なぜなら、この告発はやがて電子書籍で『草津温泉 漆黒の闇5』というタイトルで彼女に加担するライターが書籍化したからだ。しかも、その中では草津温泉で町長が新井元市議に対して“強引に性交渉を行った”という記述まであった。これでは誰だって、その支援者たちも含めて「名誉棄損」で訴えるのは当然と言える。町長が彼女に対して、町長室内でセクハラ行為や性交渉を行ったという証拠は存在するのかといえば、その日の録音内容が提出されたのだが、まったく“それらしき気配”は窺われない。したがって、告発を受理した裁判所の方も「性交渉などはなかった」と結論付けている。町長側から訴えた「名誉棄損」の方でも町長の主張が認められ、電子書籍の内容は「ライターが勝手に書いたもの」と結論付けられた。この内容に対しては、新井氏自身も「知らなかった」と逃げている。にもかかわらず、当時のインタビューでは「どうして、わたしなどが町長の性の対象になるのか」と訴えている。実は新井氏は「改革派の町議」ということで当選し、それを実践するべく自らの主張などを展開したが、賛同者が乏しく、徐々に町議会では孤立していた…という証言がある。そこで目立ちやすく、多くの賛同を得られるかもしれない“町長自身への攻撃”に切り替えていった節がある。そして、2015年1月に「町長室でセクハラ行為を受けた」という主張になるのだが、呼ばれたわけでもなく、自らの意志で訪れている。しかも、その録音記録は、だれがどう考えたって“そういう行為”の雰囲気ではなく、何の証拠にもなっていない。実際、事件が発覚してすぐ町長は民事裁判を起こし、続いて刑事裁判を起こしている。こういう場合、すぐ司法に訴えるのは身の潔白に自信があるからである。自信がない人は、あれこれ理由を着けて“放置”したがる。結局、ライターも有罪となり、新井氏も有罪となり、民事では「名誉棄損」の代償165万円の支払いも命じられた。少なくとも政治家を志した女性が、嘘までついて町民を味方につけようとした闇は深い。「可愛くもなく、若くもない自分が襲われた」というインタビューの証言が、今となっては、どう表現して良いかわからないほど孤立した政治家の“虚しい姿”として映る。
		
					
		
		
		
		
		2025-09-29
		もはや本人自身は「卒業した」と思っているようだが、一般的には「旅ドル」という形で広く知られているのが旅作家の歩りえこ氏だ。世界94カ国をひとりでバックパッカーの形で制覇したことで知られる。その後は作家たタレントとして広く活躍しているが、一時的には台湾人男性と結婚していた時期もある。現在は独身で2児のシングルマザーだ。その彼女が「大腸がん」に罹っていることを公表した。身内家族にも「大腸がん」の経験者がいるらしいので、そういう意味では遺伝的な体質の要素がないとは言えない。まだ小学生の子供たち2人を持つシングルマザーであるだけに、がんに罹ったからといってめげてはいない。それを「大腸がんツアー」という形でユーモラスに表現している。わたしの母親は、わたしが4歳くらい、弟が1歳くらいの時に子宮がんに罹った。医者からは「半年から一年の命」と言われたそうだが、この子たちを残して死ねない、と新興宗教に縋った。結果的に観れば、神仏が助けてくれたのか、母親は嘘のように回復した。「病気」というのは“病いの気”と書く。つまり半分は“気”によって左右されるものだ。気力の強い人、使命感の強い人は、大病に罹っても回復していく例が多い。歩りえこ氏の場合も、小学生の子供達がいるので、気力的にも回復していくのに違いない。一つには運勢的に“重い病気”となっていく徴が少ないのだ。大腸がんは、他の部位に比べると比較的回復率が高い。時には本人自身が知らぬ間にがんとなっていて、しらぬ間に治っているケースもあるようだ。彼女の場合、家族にも「大腸がん」の経験者がいるようだが、現在は治っているようだ。遺伝的な要素が強い場合は、身内が何人も“その病”で亡くなっている場合は要注意で、よほど本人の生命力や気力が強くないと、引き摺られてしまう可能性が高い。けれども身内が回復している場合は、本人も回復する可能性が強い。ただ何度も同じ病にかかると危ない。ところで彼女の場合バックパッカーなどの経験から、どうしても旅をする場合に現地の人たちに溶け込もうとする。現地の人たちに溶け込んでいく一番の秘訣は「同じ釜の飯を食うこと」だ。ところが、若いうちはどんなものを飲食しても大丈夫なのだが、だんだん年齢が行ってくると、未知の食品や飲料水は身体に負担がかかってくる。だから、彼女の場合も、ほんとうはなるべく現地の人たちの飲食物は控えめにしていった方が良い。大腸のがんの発生は“それ”を警告しているような気がしてならない。
		
					
		
		
		
		
		2025-09-28
		或る程度の年齢以上の人たちと、それ以下の若い人達との間で“決定的に異なる部分”がある。「神仏」や「心霊」に対する捉え方の違いだ。特に「心霊」に関しては、その根本的な部分が相当に違っている。つまり、ヘンな言い方だが“若くない人たち”は、本能的に「心霊」に対して、或る種の恐怖感がある。それは、その存在性について「なんとなく信じている部分がある」からだ。ところが今の若い人たちは、その存在性について「デジタル世界」と同様なもののように捉えている節がある。だから、あまり怖がらない。本能的な怖さはあるのだが、それが「現世」である“自分たちの世界”と直接的に“繋がっている”ようには捉えていない。デジタルの世界が、自分の意志で“すぐ消してしまえる”ように、心霊世界も、一方的に“消してしまえる”ような誤った感覚を持っているのだ。だから、彼らは“怖い”のだが“怖くない”のだ。千葉県の廃墟ホテルが「心霊最強スポット」としてネット上で密かに知れ渡る。そうすると、そこを訪れようとする若者たちがあちこちから出てくる。先にも述べたように、彼らは本能的な“怖さ”は感じているのだが、その一方で“すぐ消してしまえる”存在としての意識が強いので、肝試しで“夜を過ごすのに丁度いい建物”の認識しかない。実際の心霊スポットだとすれば「現世」と「霊界(幽界)」の“架け橋”になっているはずで、予期せぬ“後遺症”をもたらすことがある。警察では「崩落の危険もあるので絶対に近づかないでほしい」と注意喚起しているが、それよりも怖いのは、霊界(幽界)に引きずり込まれること…の方なのだ。私の知人に、彼の娘さんが墓地で遊んでいるうちに「精神的におかしくなった」という人がいる。幸いその後数か月して娘さんは正常に戻っららしいが、墓地だって「現世」と「霊界(幽界)」の“架け橋”として存在している。十代半ばから二十歳くらいにかけての女性は、特に心身とも“変わり目”にあるので、そういう世界に引きずり込まれやすい。今のところ千葉の廃墟ホテルでは“ぼや騒ぎ”程度しか起こっていないようだが、大きな事件・事故が起こってからでは遅すぎる。若い人たちはデジタル世界ではない“もう一つの世界”が“背中合わせに存在する”ことを、ぜひ知って奇妙な“肝試し”など行わぬよう心掛けてほしい。
		
					
		
		
		
		
		2025-09-27
		最近「人型ロボット」というのが各方面から求められている。介護の現場でもそうだし、災害地への派遣でも有効な気がする。今のところ、まだ、完全に“ロボットが判断して”ということろまでは行っていない。あくまで“人間の指示に従う形”で動いている。だが遠からず、ロボットがロボット自身の判断で“自発的に動き出す”ようにもなっていくに違いない。そうすれば、災害地における“救助活動”などは、もっとも向いた領域になっていきそうだ。災害にもさまざまなものがあるが、近年、急速に増えてきたのは「クマに襲われる災害」だ。地震とか津波とか竜巻などによる災害も予知が難しいが、それ以上に予知が難しいのが“クマが出現して襲われる”被害だ。昨日も、札幌の西区住宅街で、犬の散歩をしていた男性が襲われた。その公演はすぐに封鎖となったが、最近は住宅街にも頻繁に表れ過ぎる。今月に入ってからだけで札幌市内での「熊の目撃」は47件にも上っている。だんだん熊が“自らの縄張り”を広げだしたということだろうか。幸いにも、昨日襲われた男性は負傷しながらも近所の家に駆け込み、通報してくれるよう頼んだ。通常、熊は“顔面攻撃”を第一にしてくる。だから、熊と出逢ったなら、まず「顔を防御する」ことを忘れてはならないのだ。しかも反射的に攻撃してくるのが常で、むかし言われていたような“熊との睨めっこ”など何の意味もない。現代の熊は、最初から人間を“敵”と認識している。正確に言えば、人間の住宅街が“自分たちの領域”ではないことを本能的に知っていて、だから“敵の領域内での行動”の鉄則として、人間を見掛けたなら瞬時に襲ってくるのだ。よく野生動物の暮らしを犯した「人間の方に罪がある」というようなことを言う人がいるが、そうではない。どこまでが“自分たちの縄張り”なのか、野生動物は本能的に知っている。人間だって、お米が少なくなると狂乱するように、熊などの野生動物も、自分たちの“主食としているもの”が減って来ると、縄張り外に出没するようになる。したがって住宅街に出没する熊には“睨み合う”余裕などないのだ。とにかく人間を見掛けたなら襲ってくる。敵の領域内なのだから警戒心が強い。瞬時に襲ってくる熊を“静かに捕らえよう”などと思っても無駄なことなのだ。
		
					
		
		
		
		
		2025-09-26
		どこかの漫才コンビが「なに言ってんだか訳わかんないよ」と言いそうな発言なのに、だれも“その部分”を突っ込まない。元々が“独特な世界観”の表現者として活躍してきた3人組ユニットPertumeだから許される表現なのかもしれない。期限を決めず「コールドスリープする」というのだ。「活動休止」ではなく、あくまでも「コールドスリープ(冷凍睡眠・人工冬眠)」で「Pertume」は“継続し続け”いつか“戻って来る”のだという。「かしゆか・あ~ちゃん・のっち」による3人組だが、今も、これからも、ずっと仲良しで、だから「解散なんて考えられない」のだという。そして、個人的に“何かがあった”からコールドスリープなのではなくて、とりあえず“20年間走り続けた”から、コールドスリープで一休みして、より輝きを増して“眠りから目覚める”という文字通り「なに言ってんだが訳わかんないよ」の宣言なのだが、だれも、その部分は“突っ込もう”とはせず、何故か、ちゃんと理解してくれる。いいなあ。正統派アイドルには“この手”がある。わたしのように「もう疲れたし、理事長から狙われているし…」とかいうのではない。それにしても冷凍睡眠は“SFの世界”ではよく用いられる手段らしいが、実際のところはどうなんだろう。冷凍にしてしまえば、本来なら“死んでしまう状態”でも“ほぼ現状のまま”保存できるのであろうか。医学的には“卵子保存”と似たような状態かもしれない。ただ現状の科学や医学ではまだ難しいような気がする。元々アイドルの“生存期間”自体が、だいたい20年間くらいであって、それより後は“残存期間”として継続し続けている……ようなケースが多い。デビューから20年以上にわたって、次々と“新たなパフォーマンス”を見せていくことは容易ではない。そういう意味では20年間での一区切りは“丁度良い感じ”で、ファンたちも“残存期間の姿”を視ずに済む。したがって“活き活きとしたままのPertume”を瞼に刻み続けることになる。さて「コールドスリープ」というくらいだから、何年間か経って“眠りから目覚めた姿”で再登場するだろうか。少なくとも5年以上経たなければ“ほんとうの眠り”にはならない。もし、5年以上経って、3人とも結婚を経験するとか、出産を経験するとかして“新たなる姿”で再登場した時、きっと日本の“優しいファン”はどういう状態であっても“傷口を舐めて”くれるに違いない。
		
					
		
		
		
		
		2025-09-25
		俳優の清水尋也被告が釈放された。それと入れ替わるような形で、同じ俳優仲間の遠藤健慎が清水被告と一緒に大麻を所持使用していたとして逮捕された。近年、芸能界は次々と“新たな俳優”“新たな歌手グループ”などを誕生させていくので、わたしなどは、だれがだれなのか実際のところよくわからないが、とにかく似たような“若手俳優”や“歌手メンバー”が続々と誕生していく。ということは、当然のことながら、その中で“生き残り”というか“確かな手応え”を得て活動を続けられるのは、数少ないと思われる。或る意味では特別な輝きや能力がなければ、消えていってしまう世界だと言えないこともない。ヘンな言い方になるが、昔は「スター」となるべく人は、突出して能力があるか、外貌に恵まれているか……したものだ。ところが近年は、このうちの外貌の方は“総体的に良くなっていて”その結果として、外貌だけで言えば、だれが「スター」となっても不思議ではないような状況にある。これは男女ともそうで、だから、今だと、少なくとも外貌面では「変わりはいくらでも居る」ということになる。それでは才能面はどうなのかと言えば、こちらの方も、総じて若くしてというか、十代の頃から“その種のレッスン”を受けている子たちも多く、平均レベルが高くなっている。つまり、今の芸能界は「芸能人予備軍」とでもいうべき人達が山ほど居て、その結果として、或る意味では「運」だけがほんとうのスターを産み出している。そこで、食み出されがちな人達が沢山出てくる。つまり、完全な“プロ芸能人”とも言えず、だからといって“諦めてしまった”わけでもなく、いわば“しぶとく食い下がっている”芸能人たちだ。こういう人たちは、或る意味では“時間がある”“不安感がある”“夢は見たい”という気持ちが強い。そこで簡単に「夢の世界」に案内してくれがちな“薬物の世界”へとのめり込んでいく。元々が“役者業”などは“幻想世界”であり、自分でありながら“自分ではない役柄”に没頭しなければならない。つまり大麻などの薬物は、そういう点で“まどろみやすい世界”なのだ。その一歩手前は“酒”で、酒だって“幻想世界”を創り出してくれる点では共通なのだ。だから、そのどちらかに“吞まれてしまう”と、もうなかなか後戻りが出来なくなってしまう。今回捕まったのは、まだ二人だけだが、実際には似たような形で“薬物でまどろんでいる予備軍”は案外多いのではないか。もしかすると、今後、続々と“無名に近い俳優たち”が逮捕されていくかもしれない。
		
					
		
		
		
		
		2025-09-24
		海外の事件ではない。日本の熊本で起こった事件だ。それも宝石強盗のような“高額事件”でもない。スーパーの店員が追いかけて来て、口論となり、強引に車に乗り込み、制止しようとした店員を結果的に“ボンネットに載せる”形で発進したという事件だ。幸いというべきか、ボンネットに載った店員は急ブレーキで“振り落とされた”のだが、怪我はなかった。もしも、これが落ち方が悪くて重傷を負うとか死亡するとかしていた場合、たかが“万引き犯”などでは済まなくなる。現代はほとんどの路上犯罪は“防犯カメラ”で追跡される。したがって、その場は逃げきっても、結局は捕まることになる。この万引き犯にしても、翌日にはすぐ逮捕されている。しかも“万引き犯”として逮捕されたのではない。「事後強盗」という形で逮捕されたのだ。なにしろ午後7時半くらいで多数の目撃者がいた。ボンネットに載せたまま走行する状態を目撃者に“動画撮影”されていたのだ。結果的に、犯人は強盗としての“重い罪”を背負うことになる。本人は「ビールを飲みたかった」ということで“6000円相当の商品の万引き”を認めている。数か月前から、その店では“常習犯”としてマークされていた人物だった。61歳で無職の男だ。ただ、わたしが思うに、今回はたまたまスピードがそんなに出ていなかったせいもあって、ボンネットに飛乗った若い店員に怪我はなかった。けれども、実際には危険と背中合わせの行為で、身を張って捕えようとするのは止めた方が良い。日本人の万引き犯は、通常は刃物や銃は持っていないが、外国人などの場合、そういうものを隠し持っている場合もある。したがって、万一のことを考えると、相手が車に乗ってしまった場合は、身体を張ってまで追いかけない方が良い。映画やドラマなどではボンネットに載せたまま走行するシーンが出て来たりするが、振り落とされ方いかんでは“命を亡くす”危険もある。現代は防犯カメラがあるので、よほど特殊な走行さえされなければ“追跡捕獲”が可能なのだ。実際、今回も、目撃者の中に“動画撮影”してくれていた人もいた。万引きも、一度や二度ならともかく、何度も行えば必ず“不信行為”が目撃される。人は何度も成功したような気になっていると“気が緩んで”ボロを出す。だから、常習犯は必ず捕まる。そして今回のように“店員と揉み合う”ようなことがあれば「事後強盗」という罪に切り替わって、強盗として処罰されるのだ。
		
					
		
		
		
		
		2025-09-23
		「旧統一教会」がいよいよ追い詰められている。韓国という国は、奇妙なもので支配者が変わると“すべてがひっくり返る”特徴を持っている。その一つの象徴が前大統領夫人の逮捕と、それに続く「旧統一教会」トップ韓鶴子総裁への“逮捕状請求”だ。つまり前大統領が続いていたなら、こういう事態はあり得なかったのだ。罪状は国会議員に対して不正な政治資金を提供した「政治資金法違反」と、前大統領夫人に対してブランド品など贈って便宜を図らせた「請託禁止法違反」の二つだ。特に、後者の方は前大統領夫人の方が既に逮捕されているので、証拠品が押収されている。それにしても、同情するわけではないが、今回の出来事は、何よりも日本人の数多く存在する信者たちへの影響力が強いと思われる。日本人信者は、特に女性信者は或る種“罪の意識”を抱えながら、信仰活動を続けてきた人たちだ。この点について詳細に説明すると長くなるので省くが、ハッキリ言って“キリスト教的な装い”を施している宗教なので、特に日本人女性信者には“純粋な信仰心”を持っていた人たちが多いと思われる。だからこそ、多くの日本人女性たちが“合同結婚式”に参加してきたのだ。この宗教は「韓国」に拠点があるのだが「日本」という国を抜きには“存在しえない”宗教なのだ。つまりキリスト教の“原罪”を、戦時中の“日本人男性と韓国人女性の関係”に置き換えて説いていく。したがって、或る種のリアリティーがあり、物語り的に「罪」と「罰」が受け入れやすい構図となっている。だから日本人女性は、いったんそれを信じ込んで「旧統一教会」に入ると、そこから抜け出すのが難しい。今回の事件は、或る意味では韓国内において、この宗教が持っていた本質が明らかにされたことで、日本人が“デタラメな宗教”だと気付くきっかけを与える可能性がある。これまで、さまざまなことが日本国内からも指摘されてきたが、この宗教の構造上、韓国国内から摘発されたことで、或る種の洗脳から“目覚める”きっかけを与えるのではないか、という気がしてならない。そういう意味でも、トップの韓鶴子総裁の逮捕状請求が認められることを期待している。
		
					
		
		
		
		
		2025-09-22
		過去においては、もっとも「自由な国」として世界から“憧れられていた”のは「アメリカ」だった。日本人的な感覚から言うと、自由というより“何でもありの国”という印象だった。それが徐々に変わりつつある。特に思想的な部分に関しては、最近のアメリカは“自由に語る”ということが難しい国に変わりつつある。特に若い人たちに影響力の強かったチャーリー・カーク氏が銃弾によって命を奪われてから、アメリカ政府や各種団体などから「自由な発言」そのものを規制しようとする動きが顕著になっている。カーク氏を殺害した人物は、まだ22歳の若者だったが、カーク氏の保守的な思想発言、特に「銃規制」「中絶規制」「移民政策」「性の多様性排除」に強く反発、警察の取調官に「もう我慢の限界だった」と発言しているという。アメリカだけではないが、銃規制を行っていない国や地域は、その思想が対立した時に“銃弾で決着する”という手段に頼りがちだ。けれども、銃弾で口を封じても、解決にはならない。何を言っても自由であるはずの国が、自由で無くなるだけの話だ。アメリカ人の多くは未だ“カトリック思想”で、トランプ大統領も“その系列”にある。銃弾に倒れたカーク氏は、その4日前に東京に来ていた。参政党のイベントに出席、公演していたのだ。そして、その後に、日本の移民政策について「パリやロンドンと同じように移民を受け入れてはならない」と投稿している。確かに、フランスもイギリスも“移民政策を拡大”して後、さまざまな問題が起こった。現在でもそうだが、社会全体に“強い規制”を掛けないと、街中そのものの安全や安心な暮らしが得られない状態が続いている。わが日本に関しては、幸いというべきか「言語」の問題があって、直ちに外国人が押し寄せるような状況にはない。けれども、徐々に増えていくことは間違いがなく、そうなることで、宗教的な問題や日常習慣的な衝突なども起こってくる可能性が強い。「日本人ファースト」が正しいかどうかは疑問だが、少なくとも、或る程度の日本語の理解力や日本の習慣に適応できる外国人を入れていく形が、現在の「日本の自由」が保たれていく上では、必要な気がしてならない。そうすることによって、最終的には「日本」だけが“真の自由”を得られる国として、今後も継続していける気がするのだ。
		
					
		
		
		
		
		2025-09-21
		外国人観光客が多くなった。それはいろいろな点で感じられる。電車に乗っていても、この二人は欧州人なのか、ロシア人なのか、日本人にはなかなか判別がつかない。そのロシア人だが、今年1月~8月の統計によると、訪日ロシア人は昨年から倍増しているらしい。どうして倍増しているのかと言えば、単純に「日本のアニメ」が好きで育っているロシア人が多くなっているからだ。その証拠に春は「桜を視たい」秋は「紅葉を視たい」という“和風感覚”が訪日客を増えさせている。或る意味では、戦争中だからこそ“アニメ世代”は“そういう癒し”を「日本」に求めている。その結果、連日、日本大使館の前には100m~200mの“ビザ申請の人たち”の行列が続く。「日本」が“欧州制裁側に付いている”ことなど、もちろん知っているが、若い世代には、そんなの関係ない…で気にする様子もない。なにしろ、日本の「進撃の巨人」とか「ハローキティ」が大好きな世代なのだ。今は“欧州への旅行申請”が多少面倒になったことも「日本」人気を後押ししている。さて、わたしは思うのだが、ロシア人女性は色白で眼が大きく“人形のような顔立ち”をしている女性も多い。欧州系の女性の中では“保守的な考え方”をする女性も多く、その結果、言葉さえ通じれば日本人男性と仲良くなっていくケースも少なくない。こうして日本人男性とロシア人女性とが結婚するケースも一時期は多かった。けれども、多くの場合、添い遂げていないのだ。ロシア人女性は、若い時には“人形のような顔つき身体つき”なのだが、徐々に変貌していくケースも多い。そして考え方だけは“日本的に順応しにくい”場合が多い。だから、よほど順応性のある人でなければ「日本」の中で“幸せを見出していく”のが難しくなる。夫となる男性が“グローバル型”であれば良いのだが、そうでない場合には、お互いに“理解できない部分”が増えていく。これは日本人とロシア人だけでなく、あらゆる外国人と日本人との間で言える部分で、最近は“国際結婚”も増えてきているが、考え方の根本が大きく異なると、最初は良くても年数が経ってくると徐々にその“綻び”は大きくなっていく。そういう意味では「アニメ」を見て育つことは重要で、そういう世代であれば、同一の価値観など共有していけるかもしれない。日本ではまだまだ「外国ドラマ」が少なすぎる。さまざまな国の「外国ドラマ」を視ることで、その国の人々の“根本的な考え方”を学ぶことは、これからの時代、より重要になっていくのに違いない。
		
					
		
		
		
		
		2025-09-20
		連日「世界陸上」が行われているが、今大会は正直、日本選手の活躍が乏しい。或る意味では、その部分が目立っている。昨日は多くの人が期待した“女子やり投げ”で北口榛花氏が、まさかの予選敗退となった。いま「まさか」と書いたが、実際には“まさか”なわけでもない。なぜなら彼女は今年の大会で“良い成績”を残していないのだ。8月20日に行われた大会では50m93という記録だったし、8月28日に行われた大会では60m72だった。だから今回の60m38という記録は、今年に関して言えば“実力そのもの”で、それがただ単に予選通過とならなかったに過ぎない。アスリートの世界は“日進月歩”で、或る意味では近年ますます“その傾向”に拍車がかかっている。したがって、過去の王者が、いつまでも王者で居られる世界ではない。芸能などと違って“ごまかし”が効かないのだ。したがって、いつまでも王者で居たければ、実力を維持するか、より向上する努力を続けなければならない。ところが前にも述べたように、日本の近年のアスリートの世界は“世界に通用する選手”が出て来ると、一気にブレイクしてしまう。マスコミが飛びつき、陸連の大物たちが飛びつき、そして各種のスポンサー企業が飛びつく。そうなるとどうなるか、よほど精神面で強靭なものを持っていないと、選手たちは“本来の自分”を見失っていくのだ。或る意味では、だから“育てる側”であるはずの上記の人たちが、本人の素質を“一気に潰してしまう”可能性もある。本気で「実力ある選手」「長期的に活躍できる選手」「世界に通用する選手」を育てたいなら、一気に飛びつく……という現在のような在り方を見直すべきなのだ。実際、そういう形で、あっという間に本来の自分を見失って、力を失って、元に戻せなくなった選手がどれだけいることか。もちろん、選手自身の“自己管理能力”も問われるところがあるのは事実だが、やはり一番は“日本陸連”の管理の仕方にある。どの選手も、たとえ急に脚光を浴びても、同様に扱うという姿勢とか、マスコミから極力遠ざけさせる配慮とか、選手本人だけでは難しい部分をいかに守ってあげるか、そして、同時に“その選手”だけでなく「次代を担う選手」をいかに育てていくか、その部分にこそ金を掛けなければならない。これからの時代は、いかにして“次の時代を担う選手”を育成できるか、そのため“予備軍としての選手層”を厚くしておくことが出来るかどうか、それこそが「世界に通用する選手」の“素質発見”の上でも、今後もっとも重要な課題となるのだ。
		
					
		
		
		
		
		2025-09-19
		このところ連日のように「日経平均」の最高値が更新されている。それ自体は、わたしが前に予見していた通りであって、アメリカの「ダウ」が高値を更新し、それを“追いかけ”でもするかのように「日経平均」が高値を更新する。どちらも、ドルと円で異なった貨幣数値だが「ダウ」が「46154」となれば「日経平均」は「45303」という具合で“似たような数値の最高値”が続いていく。本来「日経平均」は「ダウ」よりも「ナスダック」との連動性が高く、その点は変ったわけではないのだが、数値的には“似たような数値”での「追いかけっこ」をこれからもしばらくは継続していくことだろう。今の「日経平均」は完全な“4万円台”となっていて、この数値は「バブル期を完全に凌駕した」という意味で極めて重要なのだ。今年の春くらいまでは、まだ4万円台を“行きつ戻りつ”の状態で、、そういう状態だと、完全に「バブル期を超えた」とは言い難いのだ。今は、そういう点でもう完全な4万円台で、それも“安定した形の4万円台”に変っている。ただ、それでは「日本の株」全体は、それにふさわしいように上昇しているのかというと、これが残念ながら、そういう状況ではない。あくまでも、SBGとか、アドバンテストとか、フジクラとか……俗に“AI関連”と呼ばれる一部の株が牽引する形で、指数としての「日経平均」を押し上げている。ただ、ここで重要なのは、それこそ本物の80年代バブル期に日経平均を押し上げていた銘柄群が、最近、じわじわと上昇し始めていることだ。もちろん「…し始めている」ということで、まだ“初期段階”に過ぎない。したがって、今回の“日本株の上昇”は一部の人たちが「バブルではないか」などと心配しているが、まだまだそういう段階ではない。問題は、いまのような状況がやって来ても、実体経済の方が少しも“右肩上がり”になって来ていないことだ。これは多分、だれが次の首相になっても、すぐ解決できるような問題ではない。物価の上昇に、賃金の上昇が追い付いていない。ただ「日経平均」のような“経済指数”というのは“実体経済”に先行する。どのくらい先行するのかと言えば、1年から3年くらい先なのだ。したがって日本の実体経済に“経済指標”はかなり先んじている。80年代のバブル期には89年12月が指数としてはピークだったのだが、実際の日本経済のダメージが本格化していったのは、91年~92年にかけてで、つまり株価が急落していた90年はまだまだ実態経済では“浮かれた状態”にあった。したがって、今回の経済指標の上昇も、あと2年くらい経ってようやく“実感できる経済状況”がやって来る……と思えば、今の段階で“その後”を考えておくことこそ、指標を活かせる“未来の人たち”ということになる。
		
		
			
			
			
			
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