9月, 2025年
2025-09-18
そういう話は前からあったが、今回、ネットやマスコミで取り上げられているkanoさんの場合は、かなり本格的というか、親も“公認した形”のようだから、そういう点では或る意味では“難関をクリアしている”と言えないこともない。なにしろ、通常は本人が本気で「AIと結婚した」などと言っても、周りがまともに相手にしない。彼女の場合、まず現実的には、昨年の10月に、それまで3年以上付き合ってきた婚約者がいたのだが、その男性との婚約を解消した。その理由については判然としていないが、一つには本人に婦人科疾患が発覚したことも大きいのかもしれない。そういう点では、現在のチャットGPTによる“AI夫”は彼女の婦人科疾患は何ら“妨げ”にならない。もう一つは、彼女が前の彼のことを、さまざまな角度から“相談していた相手”が、現在の“AI夫”であったようで、そういう意味からいうと、元々彼女にとって「AI」は“身近な相談相手”として昔から親しんできたことも大きいようだ。彼女の“AI夫”には名前があってリュヌ・クラウス(36歳)というらしい。彼女自身が一時期嵌まったゲームの中のキャラクターというのが、元々の夫の前身(⁉)ということであるらしい。ただ奇妙なのは、二人の場合、夫側から今年5月9日に「交際の申し込み」があり、やがて6月1日になって、今度は夫側からプロポーズがあった、としている点だ。AIキャラクターが、自分の方からkanaさんに対して交際を申し込み、プロポーズをしてきた……という展開は、どうしても私などには“違和感”が感じられてしまう。ふたりにとっては“性愛的なこと”もそれなりに満たされているようなので、問題なさそうだが、世間的な認知を得るのは、いまのところ難しいと思われるので、そういう点は、今後“似たようなカップル”が次々出現してきたときに、どう対応していくのか、今の内から、役所など備えておく必要がありそうだ。もっとも、交際して間もないふたりの場合、今後、ちょっとしたところから“意見の食い違い”など起ってくるのではないだろうか。もしかすると、kanoさんの場合は、新しいキャラクターを見つけて“その相手と仲良くなっていく”など生じるかもしれない。少なくとも、たくさん溢れている日本人男性は、もう彼女の眼には止まらなくなっているような……。
2025-09-17
9月16日は歌手・安室奈美恵氏の“デビュー33周年”そして“引退7周年”双方の記念日らしい。つまり、彼女はデビューと引退とを同一日に行っていたのだ。そして、引退の直前、マスコミ各社に対して弁護士を通じて「公人」から「私人」に切り替わるので、その後の取材と写真や記事に対しては、法的措置をとる旨強く警告していた。こうして、自らをガードする形で「正式引退」をした。したがって、前もって予防線を張られたマスコミ各社も、簡単には“その後”を取材できない…というのが現状のようだ。元々プライベートに対しては公開しない主義だったようで、引退後は、2018年にロンドンでの目撃情報、2019年には地元沖縄での目撃情報、また京都や東京都内でも散発的な目撃情報はあるようだし、昨年はハワイでの目撃情報はあるようなので、けっして“隠れて暮らしている”ふうではなく、それなりに“私人としての暮らし”を満喫しているよう感じられる。彼女の場合、十代前半からトップアイドルとして精力的に仕事をこなしていったのだから、一般よりも早く“リタイヤ生活”に入ったとしても、充実した暮らしとなっているなら、それに越したことはない。芸能人でも、ある時期を境に“完全引退”をする人には“普通の家庭生活”や“普通の愛情生活”に対しての強い憧憬を抱いているケースが多い。もう一つ“自らのイメージ”を“美しい形のまま遺したい”という場合もある。大昔、原節子という女優がいた。彼女も自らの意志で芸能界から姿を消した。デビューが15歳で引退が43歳なので、そういう点でも似ている。もう一人、歌手ではちあきなおみ氏も似たような形で引退している。彼女の場合は22歳でデビューし、45歳で完全引退している。『喝采』という代表曲を持っているが、まるで自らの私生活を“先取り”したかのような内容の曲だ。もう一人、山口百恵氏も“似てはいる”のだが、その後の様子はそれなりに伝わってきているし、彼女の場合は“結婚”による引退で、他のふたりとは明らかに状況が異なる。つまり、安室奈美恵氏と“同じ匂い”を発しているのは、原節子氏とちあきなおみ氏なのだ。自らの“強い意志”によって芸能界を去った人たちは、豊かな才能を置き土産として、自らの“愛する心の拠り所”を何よりも大切に育て上げようとする人達なのだ。
2025-09-16
占い師・細木数子の半生が“ダークヒーローの形”でドラマ化されるということで話題となっている。彼女の“後継者”であり“娘”でもある細木かおり氏が、母親の半生が「地獄に堕ちるわよ」というタイトルで放映されることを嘆きながら伝えている。世界配信が決まっているということで「胃が痛い…」と娘としての心境を語っている。ただ時代的な背景もあって「細木数子」という人物がマスコミを通じて妙に持ち上げられ、世間に“強烈な印象”を与えていた時代があったことは間違いがない。マスコミは本来もっと客観的な立場に立つべきだが、タレントとしての細木数子は“毒舌を吐く”ことで或る種の寵児となった。マスコミは細木を“タレント”として持ち上げただけだが、世間・庶民の多くは“占い師”として注目するという“微妙な食い違い”がどんどん拡大していった。その結果、細木は傲慢になり、自らを「生き神」でもあるかのような錯覚に陥っていった。徐々に世間は、彼女を崇拝し続ける者と、強く反発して“過去の悪行”なども表沙汰にする者に分かれた。結果的に年月が経てば「地獄に堕ちるわよ」の判断が、現実と符合しないことなど多くなって、マスコミも徐々に彼女の周辺から遠ざかるようになった。元々が「六星占術」は「算命学」の一部を切り取って“新占術化”したもので、特別、目新しかったわけでも、的中率が高かったわけでもない。似たような形で既にバブル期に「算命占星術」が注目されていた。言ってみれば、それを目新しく“焼き直した形”が「六星占術」だった。算命学の方では「天中殺(空亡)」と呼ばれ、六星占術の方では「大殺界」と呼ばれ、凶運の時の“失敗を恐れる気持ち”を煽ったのが両者の成功だった。日本人は「凶運気」に弱いのだ。ただ長い年月経つと、その理論に綻びが目立ってくる。こうして、同じような形で「天中殺」のブームは去り、「大殺界」のブームは去った。こういう“単純で凶悪”を売り物にした占いしか、マスコミは大きく取り上げない。何十年経っても、同じ手法で、単純で凶悪な「運」を“新たな名称”でマスコミが騒ぎ立てれば、それに載せられる“若い女性たち”が飛びついて、再び“愚かなる占いブーム”が秘かにブームを巻き起こすに違いない。
2025-09-15
国際刑事裁判所(ICC)は今月23日に予定していたフィリピンのドゥテルテ前大統領(80歳)に対する「人道に対する罪」に対する裁判手続きを、弁護側からの申し出を受けて延期した。弁護側によれば、前大統領は“認知機能障害が進行中”とのことで「審議が進められる状態にない」と主張している。ICC側は弁護側からの要請を検討するということで、一応、23日に予定していた裁判については延期を了承した。それにしても、われわれはドゥテルテ前大統領がICCによって今年3月に逮捕されたことを知っていただろうか。韓国などでは、前大統領の逮捕がしばしば見受けられるので、同じようなことなのかもしれないが、今回の場合、国際刑事裁判所ということで、国内裁判とは異なり、国際法が適用される。したがって、彼が“麻薬撲滅対策”の一環として行っていた一連の行為が、果たして国際的に通用するのかは大いに疑問だ。元々フィリピンはキリスト教徒が圧倒的に多く、同胞、同族、を助け合う“相互補助”の考え方が根深い。したがって、麻薬生産は“生活手段の一環”として長らく放置されて来た。それをドゥテルテ前大統領は、徹底的に排除しようとした。そして、そのためには“無差別殺人”さえも暗黙に認めていたようなところがある。当然、直接麻薬に関わっていなかった人たちまで巻き添えを食らった。それが、今回の逮捕に繋がっている。したがって本格的な裁判が進めば、前大統領に不利な証言や証拠が続々と提出されるはずで、窮地に立っていることは間違いがない。彼がほんとうに“認知機能障害”なのかどうかは判然としていないが、仮に認知機能障害だとしても、正常時の過去に行った「罪」は国際的にも問われて当然な気はする。元々「強面」で知られ“強引な手法”には批判もあった。その一方では、麻薬漬けのような状態だった地域を解放した功績もないではない。ただ国際法で裁かれて「無罪」となるケースはほとんどないので、そういう点から言えば“裁判遁れ”での“延期作戦”が進められている可能性もある。いずれにせよ、われわれの気付かない間に国際社会は、過去に大統領権限で行った行為を最終的にどうさばくのか、注目の裁判に“世界の眼”が向けられている。
2025-09-14
現在「世界陸上」が行われているが、日本人選手の「予選敗退」が目につく。男子100mでは日本勢期待の桐生選手やサニーブラウン選手がいずれも予選敗退した。女子も同様で、日本女子の1000m、1500m、2000m、3000m、5000mの“5部門”で記録保持者となっている田中希実選手が1500m予選で大きく遅れて予選敗退となった。これが決勝だというなら“大きく遅れる”のも仕方がないが、予選でありながら、周りについていけない形……での敗北となった。これは本人に問題があるというよりも、そういう選手しか選考できない現在の日本陸連の“選手の育成方法”に問題があると思われてならない。私はあえて田中選手に“5部門の記録保持者”という看板を与えたが、本来、陸上の一選手が、こんなに多数の部門で“過去の記録”が維持されつつけていること自体……異常のような気がする。世界では、次々と“新たな選手”の“新たな記録”に塗り替えられていく。本来スポーツ競技というものは、そうあるのが“健全な姿”だ。「日本」で、そうなっていないのは、どこかに問題があるからだ。日本では“世界的な選手”が出現すると、もう、そこですべてがストップしたかのような状況が生まれ、その記録を“保持させ続けよう”とでもいう周囲の扱いが生じやすい。記録というものは、本来、次々と“塗り替えられていく”ことに意味があるので、保持することに意味があるのではない。一人の選手だけを持ち上げ過ぎたら、当然、それに続いていくべき選手、それを乗り越えていくべき選手の“本格的な育成”がおろそかになりがちとなる。日本の、特に実業団(セミプロ)スポーツ選手では、特に“それ”が多いように思われる。本来、スポーツ競技の記録は“日進月歩の世界”であるべきで、永久不滅の記録などと言うのを作ろうとすること自体が間違っている。近年は「プロ世界」に進みやすい部門では、比較的早いうちから“将来を見据えた育成方法”が採られているような気がする。それに対して完全なる“プロ競技”とは言い切れない分野は、どうしても“レジェンドの独占的要素”を残したがる。世界に通用する選手を育てていくためにも、それらの点を根本的に見直さないと、せっかくの“素質を持った子供達”が埋もれてしまうことにならないか、今後の「世界陸上」に向けて、大いなる課題を見つけ出した大会と言えるだろう。
2025-09-13
人には「好き」「嫌い」があるから、そして「支持」や「反感」の気持ちもあるから、それを個人的にどうこう言ったり、思ったり、支障ない程度に反対行動するのはかまわない。けれども、その“度が過ぎる”とさまざまな形で問題が生じてくる。アメリカのユタ州で、政治活動家のチャーリー・カーク氏が“支持者が多く集まる集会”で自分の意見をマイクを持って話し出した途端、遠方から銃で狙撃された。見事な的中率で、銃弾は彼の首を仕留め、その後すぐ救急搬送されたが、亡くなった。彼はトランプ大統領の支持者だったらしく、日頃から大統領を支持するような内容の話が多かった、と言われる。銃撃者は行方をくらましていたが、トランプ大統領自身が語ったところによれば、父親に連れ添われる形で出頭したようだ。どういう目的があるにせよ、自由のアメリカで「自由な言葉」が銃弾によって封じ込まれるのは良くない。日本でも、同じように安倍元首相が狙撃されて亡くなった。もしも、なにか“反対の主張”等があるのであれば、銃弾など使わず、言論で“戦いを挑め”ば良いのだ。それをせずに、視えない形で“その命”を狙おうとするのは、卑怯な考え方である。わたし「波木星龍」に対しても、最近、その社会的生命を“抹殺しよう”としている人物がいる。占い師ではない。ただの管理組合の理事長だ。わたしが居住するマンション内における管理組合の理事長「中山雄貴」氏だ。よほど「波木星龍」の“仕事”が気に入らないらしく、世の中から“抹殺しようとしていて”そのための「勧告書」なるものを私に付きつけている。そこで、わたしは今後「直接鑑定」や「直接教授」が出来なくなっていく可能性が強い。果たして、一介のマンションの管理組合の理事長ごときに、そういう権限が与えられているものか“大いに疑問”だが、実質的に、わたしも或る程度の年齢に来ているし、今は体調もそれほど良くないし、今後は「著述」や「メール鑑定」「電話鑑定」の身に切り替えよという“神の思し召し”とも受け止められないことはない。「わが神」は、どこにいるのか知らないが、果たして今後の「波木星龍」に対して“新たな道”を拓こうとしているのか、それとも、わが人生に「試練の時」を与えようとしているのか、いずれ数か月も経てば、その結果を知ることが出来るだろう。
2025-09-12
前回の総裁選の時にも“似たような感じ”はあった。けれども前回の時には、まだ石破氏と小泉氏と茂木氏の三人が“一応の幸運期”ではあった。そして高市氏の運勢があまり良くなかったので「果たして勝てるのだろうか」と心配していたら、案の定、土壇場で覆った。実は今回の総裁選でも、特別「この人が良い」と言い切れるような人物は“運勢”的には居ないのだ。やや有利なのは小泉氏で、実際には来年の2月くらいからが、この人の“幸運期”なので、この時期から「総理」となるなら文句なしに“この人が良い”ということになる。だが実際には少し早いので、それが“どう作用するのか”なのだ。ネット民やアンケートなどでは人気がある高市氏だが、どうも“運勢的にはいまいちの時”で、よほどの自らの気力がなければ“運気の後押しがない”時だけに「総裁」となることは難しい。今年は“七殺”運で“隠れた敵”が出現しやすいし、日支の“支冲”年で親しかった相手と“別れる”など生じやすい。つまり運勢的には、新たな敵が現れて、親しかった人が消えていく時で、どう考えても「総裁選」にプラスに働くとは思えないのだ。だから、逆に、こういう時にもし「総裁」になることが出来たら、それは“天運をも跳ね返す女性”として「日本」を任せても何らの心配もない、ということにはなる。もし、今回の選挙が10月後半以降であれば、彼女には天王星からの援けが出てきて俄然有利になるのだが、何とも時期が良くない。今回は他の候補もいるが、党員票が強く影響すると思うので、そういう点からいうと、この二人以外で“党員票を多数獲得できる”人物が、運勢的には見当たらない。個人的には、わたしは茂木氏は短い期間であるなら“総理になる素質”を持っていることを保証する。現在、運勢的に良いかと言われれば、決して良いとは言えない。ただ林氏は昔なら良いと言えるが、現代のように“はっきり主張しない”と世界から相手にされない時代においては不利である。小林氏は観相学的に“人徳”が乏しい。IT企業の社長なら良いが、政治家としては、この年齢にしては人徳が乏し過ぎる。もし「首相」を自民党外から出すのなら、いまの時期であれば運勢的には玉木雄一郎氏以外はない。但し、もしこの人物が成ったなら、この人物は相当に豹変していくだろう。
2025-09-11
世の中には「心配性の人」や「用心深い人」が居て、前もってそんなことまで心配しなくても……と思うようなことを、やたら“手回し良く”行ってしまうタイプの人がいる。たとえば死ぬ前から墓石を購入したり、死ぬ前から“お葬式”を行ったりする人がいる。昨日、なにかの企業コラボなのだと思うが、タレントのデヴィ夫人が「生前葬」を行った。彼女自身は特製の棺桶に入った姿で登場し「わたしの目標は108歳で煩悩の数を乗り越えることだ」と語ったらしい。まあ、視ようによっては“煩悩の塊”のようにも見えないことはないが、その一方、いろいろ福祉事業にも頑張っているようなので、神様は判断が難しいことだろう。彼女は「人間には自分で視れないものがある…それは自分自身の葬式だ」とも語ったらしいが、わたしは大昔、幽体離脱をした経験があり、その時の体験から、視ようと思えば“自分の葬式を視ること”は可能ではないか……と思っている。但し、その時の体験から言えるのは、横たわっている自分の肉体に対して、幽体離脱した私は“自分の肉体”だということがよくわかっていなかった。だれかしら、わたしに近い人物、わたしの身近にいる人物……のように感じて、その肉体を視ていたのだ。もし、あの時の感覚が、実際に“死後の感覚”として残っているのだとすれば、おそらく死んで肉体から遊離した魂(霊体)というのは、自分の「葬式」などにはほとんど興味を持たないに違いない。というか、それが自分自身の肉体だった…という記憶さえもあいまいな気がする。それこそ“親しかった誰か…”のように感じてしまうのかもしれない。つまり、肉体を離れた魂(霊体)にとっては過去のことなどはどうでも良くて、ぼんやりと「この人の傍に、もう少しだけ居てあげようか」程度の意識で、斜め上方から自らの葬式とやらを看取るのかもしれない。そして、そのあとは解放された気分になって「天国」らしき所を自由に探索し始めるのかもしれない。「死」とは考えようによっては、過去から解放されることであって、世の中のすべてのしがらみから、解き放たれることでもある。そう考えれば、あえて「生前葬」などと言って“予行演習”するようなことでもないと思うし、生前の内に墓を用意しておくとか、その後の供養の在り方を考えておくとか、少しみんな難しく考えすぎなのではないかと思う。人間は元々動物なのだから、老いていって、命が尽きたなら、放置されて、当たり前だし、それが自然に風化する形で土に還っていく……のがいちばんではないか。余計なことまで、どうしてみんな考えるのだろう。
2025-09-10
ときどき思うのだ。どこかの新興企業が、わたしと提携して「AI波木星龍」を作ってくれないかなあと……。ヘンな詐欺動画とかではなくって、まともな“ロボットとしての波木星龍”がいい。そうすれば、もう、基本的に仕事をしなくて良くなる。わたしの代わりが、まともに働いてくれるのであれば、別に報酬なんかが欲しいわけではないから、その企業なり、その人なりが、9割方の利益ををむさぼって構わない。わたしは大昔、或る企業と手を結んで「占いソフト」を開発した。もう今から30年以上前の話で、あの時も、ほとんど私の手取りなどなかった。あの頃は、まだまだロボット機能というか、AI機能というか、それ自体が一般的にも未熟というか未開発の領域で、だから「占いソフト」は完成したのだが、今ひとつ“望んだようなもの”にはならなかった。今は、あの頃に比べればロボット機能は日進月歩で進化しているし、頭脳の中枢となるAIも“本物よりホンモノっぽい”ところまで進化している。わたしはこれまで、ずいぶんとたくさんの本を書いて来たし、本だけではなく、このようなコラムやブログでの記事なども合わせ、相当数の“書き物”を毎日してきた。動画として“話している場面”だって多数残されている。だから、おそらく現代のロボット開発企業やAI開発企業などにとっては、わたしの外貌的なものを含めて「AI波木星龍」を創り出すことは、そんなに難しいこととは思われない。問題は、実際に、それを必要としてくれる人達がいるかどうか、という問題なだけだ。(頼むから何人かは居ておくれ‼)まあ、人間体調を崩すと、妙に弱気になる。それで、どちらかといえば、これから、まだまだ本を書いていくつもりではあったのだが、もしかすると、それ自体も“アッサリ閉幕”ということになってしまうのかもしれない。だいたい、わたしの本を扱ってくれている出版社はどういうものか“編集作業”だけで半年も掛かっている。早くしてくれないと、わたしの命が尽きてしまうではないか。まあ、そういう時のためにも「AI波木星龍」を作っておけば、あとは黙っていてもロボット君が作業を進めてくれるというわけだ。「生身はどうするのかって⁉」それはプライベートを充実させることで余生を楽しむことにしていこう。ただ間違っても“ヘンな詐欺動画”などに使われるのは困るので、その辺、世の中の人、すべて善人と信じて生きている「波木星龍」からの“たってのお願い”なのだ。
2025-09-09
「水を得た魚」という表現があるが、人にはときどき“そういう表現”がピッタリに思えるような生き方の人たちがいる。元衆議院議員の豊田真由子氏が参政党の“政調会長補佐”に就任した。この人が表舞台から姿を消してかなり経つが、そのイメージは多くの人たちに鮮明に残っている。自らの秘書たちに対する暴言というかイジメというか壮絶なパワハラを暴露され議員の職を失った。今回は“政調会長補佐”という絶妙な役職を与えられた。まあ、実質的には神谷党首の希望で“参政党の顧問”に就任したようなものだ。もう一人、似たような形で表舞台に戻って来るのがフジテレビの秋のドラマ『102回目のプロポーズ』でヒロインに抜擢された唐田えりか氏だ。この人は既に『極悪女王』というドラマで女優復帰はしているが、地上波の本格的ドラマ、それもフジテレビが力を入れて取り組むかつての名作『101回目のプロポーズ』のリメイク版とは異なる“令和の恋愛ドラマ”として、脚本家・鈴木おさむ氏たっての希望で誕生するヒロイン役だ。この女優も、元々実力派として知られていたが、不倫疑惑があって一時的には女優生命が絶たれそうな時期もあった。こうして、一方は政治家として、一方は女優として、それぞれ道は異なるが、一時的には世間のバッシングを徹底的に浴びて、その生命は消えかけたかに想われたが、歳月が経てば元々持っている素質が再評価されるかたちで、表舞台へと戻ってきた。ネットニュースのコメント欄など見ても、特に豊田氏に対しては“好意的な意見”が圧倒的に多かった。だれもが、この人の才能を人知れず感じてはいたのだ。世の中というのは、ときどき優れた才能を封じ込めようとする。もちろん、本人の中にも“傲慢になっていた部分”があったのは否めない。時間が経って、すべてが許されるわけではない。けれども「日本」にとっても眠らせておくのは惜しいような才能は働かせてこそ価値がある。唐田氏の場合も、不倫は罪だが、役者という観点から言えば、その経験は演技に幅を持たせる。微妙に“揺れ動く女心”は過去の実際の体験が必ず役に立つはずで、今後は難しい役柄も、身体で演じられる女優になっていくに違いない。
2025-09-08
「美しい景色」「美味しい食事」「親切な国民性」「医療の充実」……これらが意味しているものは何かといえば、富裕層のリタイア先だ。実際、それらに“税金の優遇”を早くから掲げたことで、観光地として知られるモナコは、あっという間に世界中の富裕層の人たちが押し寄せる国となった。ところが、その結果として、現在のモナコは世界一“高齢化率の高い国”とも化してしまった。完全に“お年寄りの富裕層”だけが暮らす場所なのだ。一つには周辺地域に比べ物価などもやや高すぎるからだ。モナコにおける高齢化率は36.4%である。この数字は群を抜いている。実は2位に位置しているのは、わが「日本」なのだ。その高齢化率は29.6%、それに続くのがイタリアの24.2%、ポルトガルの24.1%、フィンランドの23.6%と続く。こうして観て来ると、或る共通性がある。高齢化率の高い国には“美しい風景”の観光地が多い。また、比較的、医療制度も完備され、そういう面での高齢者の優遇性が見受けられる。つまり、日本は別に自国の高齢者だけでなく、他の国から移住してきたとしても、それなりの医療や介護や福祉を与えられる国に変わりつつある。モナコに比べ、極端に劣っているのは「金持ち優遇」の税制度はないことで、もし、それらを取り入れたなら、やがて日本もモナコのような「富裕層のリタイア先」として脚光を浴びるようになるかもしれない。ドイツやギリシャも一時期は“高齢者率の高い国”であったのだが、移民を積極的に受け入れる方針に転換したことで、高齢化率は低く変わった。社会的な治安の問題とも絡まって、移民を受け入れが良いのか悪いのかよくわからないが、日本のような島国で言語も統一されている国の場合、一気に治安が悪化するとは思えないが、どちらかといえば“富裕層を優先的に受け入れる”政策が今後あっても良いよう感じられる。今よりも物価が急騰すれば問題だが、徐々に“富裕層の高齢者たち”が増えていくことは、なんとなく精神的な部分も含めて、若い人達にもプラスの作用が大きいよう感じられる。海外からの富裕層を受け入れることで、日本国内の福祉制度が充実し、高齢者たちにとって“豊かな暮らし”が可能になるなら、観光国「日本」として“富裕層のリタイア先”として、世界に誇れる国へと“生れ変れる”のではないだろうか。
2025-09-07
珍しくというか、何年振りかで体調を崩した。今も完全に治ったわけではない。当然、仕事をお休みし“寝たり起きたり”の生活になる。わたしは元々“ダラダラと横になって過ごす”のが好きではない。起きるなら起きる。寝るなら寝る。どっちかにしないと気がほんとうは済まない。ただ熱が出て、身体の方が言うことを利かない時には、そういうわたしでもダラダラとした生活になる。そういう中で、少しだけ体調が戻って来たので、録画しておいた昔の映画「クレオパトラ」を観た。相当古い映画だが、公開された大昔には観ていない。こういう長時間の映画は、じっくりと落ち着ける中で視なければ意味が無いもので、現代の若者たちが良くやる“早送り方式”で観る……というような内容ではない。ただ、長時間なので、或る意味では疲れる。体調も完全ではないから、よけいに疲れる。最近は、この種の“歴史的な人物”を扱った超大作というのが無くなった。こういうものは製作費も掛かるはずなので、現代だと、採算が合わないのかもしれない。クレオパトラの生涯に関しては、だれもが何となくは知っている。ただ、あくまでも何となくであって、ちゃんとは知らない。この映画は、どこまで歴史に忠実だったのかは知らないが、かなりの部分は歴史に沿っている。ただ、この映画を観ても、やっぱりクレオパトラがなぜローマ皇帝カエサルと蜜月になっていったのか、また、カエサルの死後、今度はその息子であるアントニウスと蜜月になっていったのか、その肝心な部分は、正直、今ひとつよくわからない。一つだけ、どちらの場合でもよくわかるのは、クレオパトラが“一人の女性として生きた”という感じではなく、あくまでも“古代エジプト女王”として、国を背負って生きていた……という点だけは、強烈に伝わる。3000年間続いた王国を「守り抜いていきたい」という気持ちだけは強烈に伝わる。或る意味では、それが果たされるのなら、自分個人の愛などどうなっても良い……くらいの感じで伝わってくる。確かに、3000年間続いた王家の末裔として「生」を受けたなら、そういうふうな意識を持つのも解らないではない。ローマの属国になることを死んでも避けたかったに違いない。それにしても、父親と結ばれ、その父親亡き後は息子と結ばれる。この部分だけは、いくら「王家を守り抜く」という意識であったとしても、そう簡単に出来ることではない。全身「古代エジプト」の意識がなければ、出来ることではない。そういう意味では何よりも“女王”として、最後の最期まで王国を継承し続けたい意識の強い“誇り高き宰相”だったのかもしれない。
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