11月, 2025年

ニューヨークの「光&影」でマムダニ市長誕生⁉

2025-11-09
「アメリカンドリーム」という言葉がある。文字通り「アメリカで夢を叶える」的な意味合いの言葉だが、この言葉につられて、どれだけの人が母国を離れているのだろう。そして、どれだけの人が「夢」を掴んだのか。また「夢」を掴み損ねた人たちは、どうなったのか。その、もっとも象徴的な場所がニューヨークという街だ。つい最近、そのニューヨークで民主党左派のマムダニ氏が市長となった。34歳の若い市長で、日本人からすると「ちょっとやり過ぎなパフォーマンス」が目障りだが、まあニューヨークだから、それもあって当選できたのだろう。トランプ大統領からすれば“イヤな奴”が市長になった。どういう政策を掲げているのかと言えば、物価高で生活苦にあえいでいる市民に対して「公営バスの無料化」「安い生活食品を販売する市営スーパーの創設」「賃貸住宅の値上げ凍結」「富裕層に対しての増税」といった判りやすく徹底的に低所得者層の立場に立った政策ばかりだ。ニューヨークを牛耳っているのはマンハッタンなどのビル群に通う“世界の金融マン”たちだが、実際に暮らしている人々は“大儲けの世界”とは縁遠い人達が多いのだ。その結果、数としてはるかに勝っている庶民層たちはマムダニ氏に投票した…というわけだ。ただイスラム系の人物だけに、その種の国やテロリストたちが接近してこないとも限らない。そういう“危うさ”を秘めてはいる。そんなことは解かっていても、それ以上に切迫しているのが今のニューヨークの庶民層の生活なのだ。何しろ、いまのニューヨークは4人に1人が“貧困層”だと言われる。実際、無職ではない人たちの11%がボランティアの“無料食料品配布”を利用したことがある……と答えているのだ。当然、職を失ったり、住居を失ったりしている人たちも多い。それらの小中児童は親戚や友人の家などを転々とし、或いは64000人もの児童たちがホームレス避難所に駆け込んでいる。日本に比べて、アメリカの貧富の差は極端で、特にニューヨークはその象徴的な街だ。林立するビル群の谷間で、ひっそりと“夢を諦めない”低所得者たちが日々もがきながらも暮らしている。

「街全体の景観」か「お城周辺だけ」と観るか⁉

2025-11-08
海外のさまざまな観光地を旅行された経験がある方なら、だれでも感じたことのある違和感の一つに「歴史的建造物」や「遺跡」周辺と、それ以外の地域とでは明らかに“違う街”として扱われていることだ。同じ市内なのだが「旧市街」と「新市街」とでは、あらゆるものが“別物”として扱われる。旧市街では新しいマンションを建てるなどもってのほかで、何百年も、時には何千年も、時が止まったかのように“昔のまま”保存し続ける。その一方で、行政的に区切られている「新市街」では新たな建物が次々と建っていく。つまり、住人も観光客も「ここから先は旧市街だ」という認識で暮らしているから、新市街では“歴史観光を売りにした土産物”などを売っている場所はない。あくまでも「旧市街」は“時を超えた地域”なのだ。その点では、わが「日本」の観光地はどうもあいまいで、どこまでが旧市街なのか、どこからが新市街なのか、目印となるものは何もない。というか、そこに住む人たちだって、どこからが“観光地域”なのか、ハッキリと区別していないように思う。島根県の松江市は「国宝・松江城」で有名なところだが、そうは言っても、それだけでもっているような所でもない。その松江市内で、19階建ての高層マンションが建設中だ。実は、このマンションに対して周辺住民たちが「景観を損ねる」ということで裁判を起こしたのだ。現在すでに17階付近まで建設中らしいのだが、それを「景観を損ねない15階までのマンションに建て替えよ」という主張だ。大昔の話なので、現代でも通ずるかどうかわからないが、確か京都は「6階以上のマンションを建てることは禁止されている」と聴いた。したがって京都市内には高層マンションはない。ただ松江市の場合、京都ほどの知名度はなく、観光客数も比較にならない。確かに松江城は「国宝」として価値があるのは判るが、仮に、その近くに予定通り19階建てマンションが出来たとして、それによって「景観が失われてしまう」と言い切れるものなのかどうか、近景写真でも写り込むなら原告側主張は正しいのだが……。双方とも争う気でいるらしく、妥協の余地はなさそうなので、裁判所がどういう決定を下すのか、全国各地に似たような地域があるだけに、その判決を注目したい。

今日は「立冬」この日を「年初」としていた王⁉

2025-11-07
暦の歴史を調べると、いろいろと興味深い発見がある。その一つは、一年における開始時期についてだ。われわれは年初を太陽暦の“1月1日”に置いているが、歴史的には“そうではない時代”の方がはるかに長いのだ。ただ多くの時代や地域では大体「春」を年初とする傾向がある。古代中国の「秦」の時代には一年は「立冬」つまり今日から始まった。つまり季節の「冬」を年初と決めていたからで、どうして「冬」なのかと言えば、当時の五行思想で「冬」は「水」に相当し、その「水の徳を持っている」のが秦の始皇帝とされていたからだ。当時から、季節は“二至・二分・四立”を元に決められていた。二至とは「冬至」と「夏至」のことで、二分とは「春分」と「秋分」のことで、四立とは「立春・立夏・立秋・立冬」のことだ。これらをもとに四季(春・夏・土用・秋・冬)が定められていたのだ。そうすることで、一年間は「木・火・土・金・水」の各五行に振り当てられる。だから「冬=水」なのだ。当然のことながら、立冬は“冬の初め”で当時の「年初」となる。その当時、用いられていたのは太陰太陽暦に基づく暦で“閏月”と言うものが加わって一年の日数を調節する。その閏月を挟むのは、この「立冬」を含む旧暦10月の“前の月”なので、その閏月のことを「後9月」と呼んだ。つまり通常の「9月」の後に「閏月(後9月)」が挟み込まれることになる。歴史に名高い秦の始皇帝という人は、とても信心深い人だったようで、自分が「水の徳を持つ王」であることを常に気に掛けていた。なぜなら「水の徳を持つ王」だけが周王朝を倒し、次の王朝(秦王朝)を築けることになっていたからだ。そこで彼は、すべてを「水」用へと切り替えたのだ。その一つが「暦」の切り替えだった。もちろん彼は、常に“黒の衣裳”を身に着けていた。それは「黒」が“水五行の色”だったからだ。彼の画像として遺されたものを観てみると、そのすべてが“黒の衣裳を着た姿”となっている。彼は万全を期したのだが、不老不死を求めても得られず、その政権が息子へと移った時、あっという間にその息子は政権を奪われてしまった。そして、暦の年初も「立冬」から「立春」へと変えられてしまったのだ。

「怖れを知らない時」「怖れを知った後」の葛藤

2025-11-06
昨年の12月だったか……「パーカーとか着るオジサン」論争というのがネット上であった。その時には、別にたいした興味も持たず「そんなことを言う女性が居るんだ」程度の認識だった。ところが、その同じ女性が、今度は「オジサンは話しかけないで…」ということで、再び炎上しているらしい。その女性とはコラムニストで、毒舌を売り物にして“若い女性たち”から支持されている妹尾ユウカ氏(28歳)だ。彼女は十代からコラムニストとして一部で知られていたらしく、現在は一児のシングルマザーでもある。彼女に対して「あまりオジサン蔑視の発言をすると、敵を作りますよ」という忠告に対しては「そういう奴は、どうせ地方在住の金なしジジイだから大丈夫」と過激だ。ここまで発言する20代女性は珍しい。わたしは自分の“若い頃”を想い出した。いま思えば、わたしも随分と“配慮の欠けた20代”で、会社では社長に向かって「そんな経営の仕方はないだろう」と詰め寄っていたりしたものだ。いま思えば“なんて奴だ”と自分のことを恥ずかしく想うが、その当時は、何の気負いもなく「当たり前のことを言っている」としか思わなかった。それが「若い」ということだ。今の時代は「多様性の時代」ということで、わりと子供の内から“差別発言や侮蔑発言を慎む”教育を受けて育つ。そのせいで、あまり人前で“おかしなこと”を言ったり、行なったりする子は減ったように思う。ところが、小中学生などのイジメは無くなっていないどころか、むしろ増え続けている。もしかすると、表面上では行わないが、陰では“言ったり&行なったり”しているのかもしれない。その方が陰湿で、わたしには怖い。そう言う点から言えば、妹尾氏の発言は、或る意味“正々堂々”としたものなので、正直と言えば正直かもしれない。ただ彼女も、いずれ挫折を味わう。さまざまな不条理を味わう。そして自分も齢を取る。彼女が「オバサン」になった時、人はオバサンとして扱うようになる。どんなに頑張ってもオバサンとして扱われるようになっていく。やがては「ババア」として扱われるようになっていく。そういう時に、怖れを知らなかったときの自らの発言を、どう想うか……懐かしく想うか、恥ずかしく想うか、その頃の彼女と出逢ってみたい。

「眼に力」「声に力」この二つが“生命”を与える⁉

2025-11-05
誰でも病気をすれば体力が失われる。その病気からは回復しても、体力そのものはすぐに戻らないケースが多い。タレントの壇蜜氏が最近久しぶりにTV番組に出たが、その頬肉が削られ、その目に眼力が失われたことで、心配の声が集まっている。「眼」と「声」とは、生命力の強弱を判断する物差しになる。過去に壇蜜氏はTVの対談番組の中で、2023年に愛する祖母を喪い、愛猫を喪ったことで気持ちが落ち込み、体力も失われて入院に至った……ことを明かしている。実は、その後も、所属していた芸能事務所が破産し、彼女はマネージャーと“半分独立”のような奇妙な状態で仕事をしている。今年9月には長年続いていたラジオ番組からも卒業した。どうも“悪いこと続き”のようで、これでは気力が落ち込んでしまうのもムリがない。彼女の場合、2019年11月に漫画家の清野とおる氏と結婚しているが、最初から「別居婚」であることを公表していて、現在もそれを続けている。わたしが最初に壇蜜氏をTVで観たのは深夜番組で、その時の彼女は今と比べるとはるかに活き活きとしていた。確かグラドルなどの女性タレントが沢山出演している番組だったが、その中でもっとも目立っていた。そのオーラのようなものから「この女性は活躍するな」と思っていたら、それからぐんぐん知名度を上げていった。それが結婚した辺りから、どうも“本来の姿”が失われて行っているような気がする。輝いていた頃の壇蜜氏は、その言葉にも行動にも或る種の破天荒さがあって、それと見た目の“気品”とにギャップがあって、それが男性たちの興味を惹きつけたのだ。今の壇蜜氏には“気品”は残されているのだが、破天荒なパワーは“その片鱗”も視られなくなってしまった。さまざまな出来事や病気や辛い体験が、彼女からパワーを奪ってしまったのかもしれないが、わたしにはまだ“再ブレイクする”何かを秘めている気がする。いったん、すべてを失って、完全に“ゼロの状態”になってしまった方が、再び、秘めたパワーを呼び戻せそうな気もする。元々「遺体保全師」としての資格も持っているのだから、そういう役柄のミステリードラマなどに出れば、存在感を発揮できるのではないだろうか。

本人のイメージ「姓名のイメージ」が一致する時

2025-11-04
「姓名は“生命”に通ずる」と言ったのは、確か熊崎健翁氏だったような気がするが、文字通り「日本」が戦争に突入する気配が生じていた頃、俗に「熊崎式姓名学」とも呼ばれた“独自の理論”が急速に“世の中”へと広がっていった。何しろ、改名することで戦場へ赴いても「死なずに帰って来れる」というのだ。そりゃ、みんな「藁をもつかむ」心境の時なのだから、熊崎健翁氏の元に殺到していった違いない。もっとも、わたしはそういう“過去の噂”を知っているだけで、ほんとうだったがどうかは判らない。何しろ、わたしが“生まれる前の話”なのだから…。とにかく「姓名は生命」のうたい文句で、一世を風靡したのが熊崎健翁氏だった。さて、時代は変わって、フリーアナでタレントだった小林麻耶氏が、数年前から「國光摩耶」に改名していたが、それを本来というか、元の「小林麻耶」へと再び改名したという。まあ、離婚したわけではないから、あくまでも「通用名を変える」ということなのだろうが、変えるというより「戻す」形にした、ということのようだ。明確な理由は書かれていず「もう、この辺で変えて良いかな…」という“あいまいな理由”からのようだ。もっとも、それに対しての反響はかなり大きい。その一番の理由は、前に用いていた「國光摩耶」の名前が、どうも本人のイメージとしっくりこないからだ。姓名というのは、文字通り“生命体としての印象”を与えるもので、それが合致していれば、人はスムーズに“その名前”に親しみ、その名前を記憶する。その名前が与えるイメージと、本人の外貌的なイメージが、一致している人ほど印象に残りやすく、憶えやすい。名前と本人の外貌や性質とが“かけ離れている”場合、われわれは無意識に“その名前”の方を拒絶する。したがって、そういう名前は“世の中”に浸透しにくい。これは人間だけでなく、たとえば何かの商品名でもそうである。名前のイメージと、その商品とに“或る種の共通性”が感じられるほど、われわれは何の抵抗感もなく、その商品を理解する。そういう意味では、特に新製品とか新商品とかの場合、その名称は想像以上に重要なのだ。人間だって、同じことで“違和感のある名前”は、世の中に浸透できない。そういう意味では、やはり小林麻耶氏は「小林麻耶」の方が良い。変えたからと言って、すぐ仕事に恵まれるわけではないが、少なくとも誰もが“イメージしやすい存在”に変わったことだけは確かなようだ。ちなみに、両方とも、姓名学的には“良名”とは言い難い。家庭運に“難”があるのだ。

「大エジプト博物館」出口「クフの地平」視える

2025-11-03
11月4日にエジプトのカイロ近郊に出来た「大エジプト博物館」が一般公開される。この博物館は建設開始から13年が経って、ようやく完成をみた巨大な博物館だ。何しろ“東京ドーム”十倍に当たる広さを持っている。古代エジプト文明に関する展示物としては、これまでで最大10万点にも及ぶ出土品が置かれている。このように多数の遺物を展示できるのは、古代エジプト王朝が“砂漠に近く”乾燥地帯であったことと、もう一つは合計三千年間もの長期にわたって王朝が継続していたからだ。古代エジプトの彫像などを観ると、王家の人々の多くが“眉が長く形良い”ことが見てとれる。これは観相学的に「家系・血縁的な伝承を継承し続ける」素質あることを表している。現代であっても、家系の伝承が重要な歌舞伎の世界とか、古典芸能の家元などでは“眉が長く形良い”人々を視ることが出来る。事業や商売を行って成功されている人は、自分の子供達で“もっとも長く形良い眉の持ち主”にバトンを渡せば、良い形で継承していってくれる。もう一つは「鼻」と「口」とを繋ぐ「人中」と呼ばれる部分で、この部分が長ければ、自分の後も“良い後継者”を得ていくことが出来る。逆な言い方をすれば、眉の形悪く、人中も判然としないなら、お店でも会社でも“一代限り”と諦めた方が良い。さて明日から正式に一般公開される「大エジプト博物館」だが、ここで興味深いことの一つは館内に“日本語表示”が見受けられることである。実はアラビア語表示、英語表示、そして日本語表示なのだ。これは一見、日本が“素晴らしい国”だからと早合点しがちだが、実はそうではない。この博物館を建設するうえで“日本政府”は842億円もの巨費を借款供与しているのだ。それに多数の研究者も派遣している。つまり、日本はこの博物館の建設の“陰の立役者”だからなのだ。しかも、この博物館は今後日本で“エジプトツアー”を組む時に、必ず加えられる観光コースとなる。ここでも日本は“入館料金”でエジプトに貢献する。広大な博物館だが、出口は“全面ガラス張り”となっている。なぜなのかと言えば、そのガラス張りの向こうに“ギザの大ピラミッド”が視えるようになっているからだ。ここで注目すべきは、三大ピラミッドのうち、二つの大きなピラミッドだけが視えるようになっている……という点だ。多くの人は三つを一緒に捉えているが、大きな二つだけが重要なのだ。そして実際に、このガラス張りから視えるのは二つの“同じようなピラミッド”だという点だ。実際にはクフ王のモノの方が少し大きいが、ここから見る限り“同じ”ように視える。実はクフのピラミッドの古代名は「アケト・クフ=クフの地平」というものだ。そして彼らの神聖文字では“二つの大きな山の中間に太陽が沈む形”を描いて「地平」もしくは「地平線」と読む。クフ王ピラミッドとカフラー王ピラミッドの中間には、実際に夏至の日が来れば、その間に太陽が沈んでいく姿を望見することが出来る。文字通り「クフの地平線」となるのだ。

AIって「世話好きな親戚のおばさん」に似ている

2025-11-02
最近は少なくなったように思うが、昔はどこにでも「世話好きなおばさん」というのが存在した。特に親戚の世話好きなおばさんは、やたら、あれこれ、こまめに連絡をくれ、世話・面倒をみようとする。それは“ありがたい”のだが、ずかずか人の気持ちも考えず“わたし個人の領域内”にまで踏み込んでくる部分は、やや迷惑に思える時もあった。そう、それと同じようなことを、行なうものが出来始めている。いわゆる昨今の“AIを内蔵した”製品群だ。パソコンとか、スマホとか、TVとか、その種のモノはいま別に自分が“それ”を取り入れようとしていなくても、昔の親戚の世話好きおばさんのように、わたしの暮らしの中にあれこれ干渉してくる。たとえばパソコンで“ちょっとした事柄”をネット検索する。一度ではすぐ見つからないようなときには何度も“似た用語を組み合わせ”ネット検索をする。そうするとすぐに「AI」は反応し始める。まるで親戚の世話好きおばさんのように“あれこれ”わたしに、それに関連した情報や画像を教えようとする。特に「買い物」に関しては、異様なほど“AIおばさん”は張り切っていて、あれこれと似た商品とか、新しい商品とか、安くなっている物とか、その品物の関係先とか、それを購入した人たちが購入した“別のもの”とか、とにかく昔の“今はもう興味の無いもの”まで、ありとあらゆる関係先を紹介して来たりする。もちろん、最初に“それ”をネット検索したのはわたし自身なのだから、それを基準として、あれこれ紹介してくれるのは、ありがたいと言えばありがたいが、時としては“ありがた迷惑”な場合もある。これからの若い人たちは、今後、ずっと、こういうもの(AI機能)と嫌でも付き合っていかなければならないわけで、ひょっとすると、いまの親戚のおばさんたちは、昔のように“世話好き”ではなくなったのかもしれないが、でも、その代わりのように“AIおばさん”たちがわんさと出て来て、若い人たちの暮らしを常に“あれこれ”と干渉し、嫌がっても世話をし続けて、もしかすると案外早い段階で“AIおばさん”たちを嫌って、結局、AIは人類にとって“理想的なヒューマノイド”と思えたが、そういうふうに考えた時代は、あっという間に過ぎ去って、だれもが“AIを使わない”時代が、早々にやって来るのかもしれない。

2025年11月の運勢

2025-11-01

「心中⁉」「殺害⁉」双子だけに秘められた謎事件

2025-11-01
双子の人たちが、或る種の共通性を持っていることは、よく知られている。何を行うのでも、だいたい共通しているし、性格や体質や能力など「双子あるある」は、よく知られた話だ。実は、運命学的な観点からも「双子」特に“一卵性双生児”は大いに研究対象となり得る。大体、運命学的には、同じ生年月日時を持ち、同じ地域で生まれていれば、共通した性質や運命が授けられることになっている。したがって、そういう意味では、人生の途中から“二人の運命が大きく変化していく”のも大いなる研究対象となるし、逆に、その生涯を“ほとんど似た形”で終えていく双子も、大いなる研究対象となり得る。10月30日、或る双子兄弟が浜名湖に飛び込んだ。弟の方は、兄から“突き落とされた”と思われ、兄の方は“自ら飛び込んだ”と思われ、そのうち、弟は亡くなり、兄の方は生き残った。当然のことながら、警察は兄を逮捕するが「心中の可能性もある」と視て慎重に捜査を進めている。この双子兄弟が、まだ十代とか二十代なら、もっと世間の関心を集めるのだろうが、既に65歳になっていて、同じ家に同居していた……という事実を知ると、なんとなく今回も「双子あるある」の一現象なのかな…と感じてしまう。なぜなのかはよくわからないが、双子の人たちが世間的に“親しまれやすい”のは、十代から二十代にかけてで、六十代以降となってしまうと、ましてや双方とも無職で同居し続けていた……という話だと、なんとなく“親しみ”からは遠ざかってしまう。逮捕された兄は「こうなることは理解していた」として、弟を突き落としたことは認めている。周囲の人たちの証言では、二人の間に目立ったトラブルや口論などはなかった…という。二人とも無職で、一緒に同居し続けていたのは何故なのか……何となく想像できる部分もあるが、あまり深追いしたくない気持ちになってしまう。わたしの研究では、双子の人達には“微妙な時間差”というものが運命的には生じがちである。何かしら“大きな出来事”が起こる場合、どちらかに訪れた現象は、やがて数か月とか、半年とか、そのくらいの時間をおいて、もう一方の方にも起こってくる。よく「同時に起こる」という人たちもいるが、それは感覚的な事柄で、運命的な“大きな出来事”に関しては、同時に起こるケースは少なく、少し経ってから、なぜか“もう一方”の方にも訪れるのだ。今回の事件が「心中」なのか「殺人」なのかはよくわからないが、少なくとも本人たちにとっては「やがて、こうなるだろう」と予知できていたことのような気がする。