12月, 2025年

「風水」の観点からも「公邸引っ越し」は吉兆⁉

2025-12-30
高市早苗首相が赤坂の議員宿舎から公邸へと引っ越したそうだ。野党が危機管理の観点から、早く公邸に引っ越すよう求めていたらしいが、どちらかと言えば味方である“与党の方から言うべきこと”であった。なぜなら、公邸に入ることで、ほんとうの意味での“国家トップの家”に暮らすことが、風水上の観点からは“本来の姿”として有益だからである。議員宿舎に暮らし続けていては、首相本人が述べていたように「睡眠時間も取れない毎日」となり、通常の“多忙な会社員”と変わらない毎日となる。「現代の城」ともいうべき「公邸」に入ることによって、お殿様(お姫さま⁉)としての日々がやって来る。つまり、外国から“あれこれ”干渉されなくても良い仕事ができる。議員宿舎での生活を続ければ、外国から干渉されやすく、野党からも妨害されやすく、長期間“安泰の政権”とはなり得ない。また“国民生活の安定”という観点からも、公邸に入った方が良い。石破政権が、最初は「すぐ崩壊する」と思われていたのに、意外なほど長続きできたのは、公邸に入ったせいなのだ。人は、そこに住まうことで、その“住まい”の品格を、或いは風格を、日常の中にも、また仕事の中にも、持ち込むことが出来る。「国家」の場合には、一般家庭とはまた違って“安全面”も保たれていることが必要で、そういう点でも、国民が“安心できる”ためにも、安全性の保たれた環境に住まうことを必要とする。安倍元首相は凶弾に倒れたが、彼は公邸には住まわなかった。凶弾は現役を遠のいた後ではあるが、運命学的な観点から言えば、同じようなものなのだ。芸能人などの著名人でも、第一線で継続的に活躍している人たちの多くは“豪邸”で暮らしている。世の中は上手く出来ているもので、税金対策の面からも、一気に収入が増えていったIT社長や芸能人などの場合“巨費を投じる豪邸”が必要となるのだ。もしも、収入が一気に増えても、住宅をそのまま据え置いていると、盛運はあっという間に消えて、高収入も続かなくなる。だから、一見、成功したから“豪邸を得た”かのような印象を受けるが、実際にはそうではなくて、ごく自然に税金対策やセキュリティー上の関係から、豪邸購入せざるを得ない状態となり、それが結果的には“成功を長持ちさせる”秘訣にもなっていた…というわけなのだ。だから、成功しても住まいを変えず、そのまま暮らし続けた人は“そこそこの地位”は得られても大輪の花を咲かせることは出来ず“華やかな成功”の人生を歩むことは難しいのだ。

もはや「吉凶」には関係のない「無意識の習慣」

2025-12-29
人間、或る程度の年齢になると、毎年、その時期が自分にとって“良い時期”であるか“悪い時期”であるか、なんとなく感じるものだ。年末年始というのは、特に、その傾向がある。わたしの場合には、年末年始になると“体調を崩す”ことが多いので、近年は極力そうならないよう用心してかかる。何しろ、年末年始は医療系統が休んでいる。緊急のところは開いているが、必ず、超満員だ。よくも、あんなにたくさん並んでいるのに、待とう…という気になるものだと感心する。まあ普段、会社勤めをしている方達にすれば、その時ぐらいしか時間を掛けてでも診てもらうことができない…という事情もあるのだろう。とにかく、どこも超満員になる。無意識の習慣で、いつも行っていた“年賀状を出す”行為も、今年は個人的事情も手伝って“出さない年”となる。それだけでもずいぶん“気楽”だ。実は、毎年、元旦に“個人的に行う習慣”がある。五百円玉、百円玉、五十円玉、十円玉など相当数の硬貨を洗面器に入れて、その硬貨で元旦の“日の出時刻”に「硬貨で顔面を洗う」行為を、もう十年以上になるか……ずっと続けている。ずっと続けていると、いつの間にか習慣のようになって、なんとなく“行わないと”気持ちが悪い。元々は、その年一年間「お金まみれの生活ができますように…」という“おまじない”的発想の呪術から来ている行為だ。だから、最初の頃はほんとうに真剣に“それ”を行っていたのだが、いつの間にか習慣となって、習慣となると、もう当初の“真剣さ”はそんなに無くて、でも“それ”をやらないと、なんとなくその年は“お金の神様”から嫌われそうで、どうしてもやってしまう。ただ自宅で新年を迎える時はそれで良いのだが、今年のように自宅ではないところで新年を迎える時には、それを行うことはなかなかに難しい。とは言っても、なんとなく行わないと“金運の神様”が離れていきそうで、いや「もう、とっくに離れているかも…」と思う部分もあるが、それでも、習慣とは恐ろしいもので、もう吉凶などどうでもいいのだが、なんとなく行わないと“気分的に良くない”から、たぶん、重くなるので“相当数の硬貨”は持っていけないが、それでも、少しは持っていって行なおうか、それとも完全に忘れて「だから、今年は金運良くなかった」と自分で言い逃れを作るか、迷っている……。

“鈍いわたし”でも感じてしまう「食品類の高騰」

2025-12-28
久しぶりで近所のスーパーに行ったら、食品類の価格が総体的に“高くなっている”ことに驚いてしまった。たぶん一つには年末年始ということで“いつもより高く設定”しているのかもしれない。それにしても、普段あまり“そういうこと”に対して敏感ではない私でも「高いな」と感じるのだから、そういうことに対して敏感な主婦の人達は、どんなに強く感じることだろう。わたし自身が「日本は今後インフレになる…それも一気にインフレとなる」と予感し、ここにも書いたのはいつのことだっただろう。もう4年くらい前だろうか、5年くらい前だろうか。わたしの言うことはだいたいが“早すぎる”ので、その時には「この人は何を言っているのか」というような反応を示されるものだが、やがて何年も経ってから、わたしが言った通りになっていく場合が多い。予言とか、予告というものは、わりとすぐ実現すると“速やかな反応”が還って良いのだが、わたしのように“すぐあと”ではなくて、しばらく経って、その人も忘れた頃になって急に“形を成していく”と、正直、あまり褒めてはもらえない。わたしの占い結果も、だいたいが、そういうケースが多い。だから、言った本人のわたし自身が忘れた頃になって「先生にむかし言われていたことが、あの時はまったく信じていませんでしたが、その通りになりました」というような反応が多い。とにかく、何年前だったか忘れたが、わたしは「日本はインフレとなり、その代わりのように中国はデフレとなる」と書いた。その通り、中国は徐々にデフレに変わりつつあるが、中国政府は必死に“それ”を喰い留めようとさまざまな手を打ち出している。留められるかどうかは、来年の“中国経済の様相”に掛かっている。いま中国政府は「日本」への渡航を極力“控えさせている”が、実は、もし「中国」が完全に“デフレ国家”になれば、どんどん物の価格が安くなるから、わざわざ「日本」で“物を買う”必要性がなくなる。ましてやインフレの日本は何でも“値上がりしていく”はずだからだ。或る意味では、ようやく日本もほんの少しずつ“高止まりの欧米”に近づいてきたと言っても良い。もっとも、日本の場合、国民の収入が追い付いていないので、まだちょっといびつなインフレなのだ。あと2年くらい経てば「5万円の日経平均」が示しているような“経済力を伴った状態”に変わっていくだろう。今年の日経平均を“下降する”よう捉えているアナリストが多いが、インフレ時の株価は“上昇しないはずはない”ので、たぶん「日経平均」は6万円を突破していくに違いない。

「不思議な年」から「生れ変りの年」になれるか

2025-12-27
年末が近づいてくると、どのマスコミでも「今年一年」といったような角度から、さまざまなニュースや出来事などを語ったりする。多くの人は、そういうものを観たり聴いたり読んだりしながら……自分にとっては……という感じで想い起したりする。たぶん、そういうふうな感じで“受け止めない人”はいないのではないだろうか。わたしの場合、今年は一言でいえば「不可思議な年」で、良いとか悪いとかいうより、不思議な気持ちのまま、ずーっと過ぎていった年のような気がする。形として、現象として、何が起こったというよりも、なんとなく靄がかかったような状態のまま年末まで来た。わたしも、もう老境であるから、特別、大きな出来事などないのだが、そして、その方が良いのだが、今年に関しては「早く過ぎ去ってしまえばいい」という気持ちが強い。それは、或る意味で“来年に期待する気持ち”が強いからだ。こういう気持ちになったのは、ほんとうに久しぶりで30代くらいまでは時々あったのに、最近は滅多に生じたことがない。未来に何かを期待する時、人は「早く、その時が来てほしい」と願う。だから、若い年齢の時ほど、そういう年末を迎えやすい。そういう意味で言えば、わたしは来年に強い期待を持っているのだ。それが“どういうことなのか”については事情があって書けないが、ただ、同時に自分自身が“生れ変る”かのような感覚もある。そして、思うのだ。やはり、人は、どうしても年齢が行くと保守的になって「なにもない方が安心できる」的な発想を持ちやすいものだが、それでは“若々しい情熱”は保てない。むしろ、自分自身が「生れ変っていく」感覚とでもいうか、未知なるものと遭遇する気持ちとでもいうか、まるで20代の頃のような“不安と期待が交錯する”気持ちで“新たなる年”を迎えられるというのは、なんと素晴らしいことではないか。もっとも、その一方で最近は、確実に“老い”を感じることも多い。人の名前が出て来ない…のは、今に始まったことではないのだが、最近、特に“記憶力の衰え”を感じることが多い。昨日も、絶対に忘れてはならない企業の名前を忘れて、うろたえてしまった。焦れば焦るほど出て来ない。その企業名が出て来ないと会話にならない。来年は、この記憶力の低下を何とかしないと“生れ変っていく”ことも難しい。頼む、記憶力‼

「出来ないと思った瞬間…実現しない」は正しい

2025-12-26
俳優の黒沢年雄氏(81歳)が自らのブログの中で「いまの若い人たち向けに…」と断ったうえで、自らの持論を展開している。つまり、彼は“今の時代”は、自分たちの時代よりもはるかに“可能性あふれる時代”になったとして捉えている。それゆえに「才能と努力しだいではあるが、アスリートなどは何十億円も稼げる時代だ」として、本人の学歴や履歴や環境などは「もはや関係がない」と主張している。そして「世界に通用する技術や能力を身に着けることで夢は実現する」時代であると強調している。そして、わたしが注目したのは、その次の一節なのだ。「出来ないと思った瞬間、その人は何をやっても実現しない」現代は、あらゆる未来がAI予測によって語られる時代となった。そのせいか、若い人たちの多くも、そういう“予測の仕方”を自分自身に対しても与えている傾向がみられる。つまり、いまの自分からAI的に予測すれば、実現できることと出来ないこととがあり、その「出来ないことをやっても意味はない」と捉えるような人達が増えてきたように感じるのだ。これは昔から言う「夢がない」というようなこことは根本的に異なる。自分自身で未来の“達成範囲”を決めつけて、それ以上の領域には向かえない、と放棄してしまっているよう感じられるのだ。人間の潜在能力というものは、一般の方々が考えているよりもはるかに大きいのだが、その潜在能力の限界を自分で決めつけてしまっている。黒沢氏の言うように「出来ないと思った瞬間、実現は困難になる」なぜなら潜在能力が蓋を閉じてしまうからだ。もちろん、それなりの能力と努力は必要だが「実現する‼」と信じ切ることで、それまで隠れていた潜在能力がむくむくと頭を持ち上げて来る。人間の能力は、そういうふうに出来ているのだ。だからこそ、世の中には五万と宗教が存在している。宗教というのは、何のことはない「潜在能力教室」のようなもので、それを引き出すための各種システムだ。だから、ほんとうは宗教である必要もない。自分自身の潜在能力を信じ活性化するためのシステムなのだ。だから、どの宗教に所属する必要もなく、自らの潜在能力の“偉大さ”を信じて「実現できる‼」と暗示をかけることで、能力や技術は自己の持つ限界をはるかに飛翔していくことが可能となるのだ。

わたしが何故に「偏印」を「梟神」と記すのか…

2025-12-25
一時期ものまねタレントとして活躍し、その後、グラビアなどでも活躍、2016年に芸人のたきうえ氏と結婚、妊娠して一児を設けた。そこまでは順調なように視えたが、そのあと、夫婦仲がおかしくなって、結局、2020年になって“たきうえ氏”とは離婚した。その後、シングルマザーとなり、地元に戻ったが、そこで8歳年下の男性と巡り合い、今年6月になって“子連れ再婚”を果たした。同時に妊娠もしていて、今月12月23日に緊急の帝王切開により出産した。ところが本人は、妊娠高血圧症候群という病気に罹り、一応、危機は脱したようだが、かなり危険な状態でもあったようだ。そういう波乱な人生を歩んでいるのが、小林礼奈氏(33歳)である。本人は気付いていないようだが、彼女の場合、妊娠・出産をすることで、必ず、問題が生じている。それを表しているのが彼女の生年月日に基づく四柱推命式だ。彼女の場合、命式中の年干と月干の両方に「梟神=偏印」という星が出ている。こういう人は、妊娠・出産で問題が生じやすいのだ。通常、日本では「梟神」は「偏印」と記されることが多い。本場、中国でも「梟神」と記している推命学書は少ない。けれども、わたしは敢えて「梟神」の表記を用いる。それは、この星に実際の“梟(フクロウ)”に観るような“不可思議な要素”が見受けられるからだ。フクロウは“我が児”であっても“成長が難しい”と判断すれば、その児を食する、と言われる。この星に「梟神」と命名したのは宋代の中国人だが、そういう生態の観察から名付けたと思われる。奇妙なことには、フクロウとは異なり、むしろ人間の場合には「梟神」が多いとか、強いとかした場合、妊娠・出産・子育てから“人生の苦渋を味わう”人たちが多い。不妊治療で生活費が圧迫されるとか、体調を崩すとか、夫婦間がギクシャクして来るとか……流産してしまうとか、死産してしまうとか、障害児が生まれてしまうとか、未熟児が生まれてしまうとか、幼少期に亡くなってしまうとか、子育てから精神を病むとか、義理の子と合わないとか、子育てから職場を失うとか……さまざまなケースがあるが、いずれも不運な状況に追い込まれていく。女性の場合には、自分の手で育てることが、さまざまな事情から困難になるケースも多い。どんなに医療が進んでも、どんなに福祉が手を貸しても、運命が与える試練はそう簡単に覆されない。したがって「梟神」が多くても、強くても、子供は欲しい、立派に育てていく…という女性は、或る種の覚悟を持って妊娠・出産・子育てに挑むこと……それが必要なのだ。

「附録」目当てに買っていた“なつかしい想い出”

2025-12-24
昔から“商法”の一つとして「附録」とか「特典」を付けるという方法がある。アイドルグループME:Iからメンバー4人が同時に脱退するという騒動が持ち上がった。最近のアイドルグループは人数が多いので、何人で構成されているのかがよくわからないことも多いが、一度に4人も抜けると、さすがに“それ”に関連する問題が発生しやすいようだ。このグループの場合は、アルバム購入によるの特典会が「振替開催する」という形に一度はなって、SHIZUKUの個別トーク会とか個別サイン会とかが企画されていたようだが、最終的にはそれらも中止となって、最終的に“直筆サイン入りポストカード”を発送する…という形に切り替えられたようだ。ところが一部ファンや購入者からは「振替開催からの中止というのは詐欺に近い」として批判が相次いでいるらしい。最近のアイドルグループは、購入者に対して“似たような形”で何らかの特典を付けている場合が多いようだが、それによって「買う」「買わない」が決まるのだとしたら、それが本来の“歌”や“ダンス”などの評価ではない、ということになる。とはいうものの自分だって子供の時に、付録が欲しくて漫画雑誌を購入していた昔を想い出す。昔の漫画雑誌はほんとうに付録が多くて、特に正月号とかは「20大附録」とか「23大附録」とか、異様なまでの数の附録を付けて販売していた。もっとも子供雑誌だから、付録と言っても大したものではないのだが、それでも“その付録の中の一つ”がどうしても欲しくて、親にねだった記憶を持っている。今になって思えば、母親にとっては“困った息子”だったと思うが、貧しかった我が家の家計から、それでも工面して母親はわたしに“それ”を買い与えようと苦労していた。ところが実際に購入してみると、その“お目当てだった附録”はたいしたものではなくてガッカリとうなだれていた記憶が私の中に在る。だから、わたしは自分が本を出すような身になってからというもの、少しでも“価値ある附録”をつけたい…と思うようになった。わたしの本など“附録目当ての人”がいるとも思えないが、それでも何らかの形で“附録”を加えようと思うのは、幼い日々の記憶が背景としてある。

「精神疾患で休職中」教職員7087名で解決策は⁉

2025-12-23
ここ3年ほど似たような数値が続いているという。小・中・高など公立の学校教職員で“精神疾患により休職中”の人達が7000名を超えているニュースだ。文科省の調査に基づくものだから間違いはないだろう。その要因として、生徒に対する指導問題から…26.5%、職場内での対人関係から…23.2%、学校内での事務的な業務から…12.7%…となっている。職場内での対人関係や事務的な業務に関しては、教職員でなくても起こり得る要因だから、それらを除くと、教職員特有の“生徒に対する指導問題”という部分に注目しなければならない。教職員というのは、基本的には自らその職種を希望した結果の職場なはずだ。つまり、生徒指導こそ教職員を目指す人たちのいちばんの希望目的だったはずだ。その部分で躓く人たちが大勢いる。ただ単に躓くのではなく、回復させていくのが難しい“精神の病”を患う結果となる。どうしてだろう。たぶん、いちばん大きいのは、想い描いていた子供達と、実際の子供達との“違い”及び“親たちの干渉”が加わって来るからではないだろうか。大人が子供たちに接していくぶんには、それほど気を遣う必要はない。けれども、その児の親たちとの接触に関しては、就職前の段階では予測できなかった問題が発生しやすい。つまり、生徒たちの指導とは言うものの、実際には“親も含めての指導”になっていく可能性があるところが、生徒指導を難しくさせている。だから、この問題に関しては、学校側が校内指導においては“親たちの干渉を防ぐ”ようにしないと、必ず、精神を病む教職員たちが出てくるはずだ。子供達にしても、現代は体罰が厳しく制限されているため、言葉では言うことを利かない子供はどうするのか、という問題が発生しやすい。わたしは個人的には子供が育った環境や性質によっては“体罰”の方が適している場合もある…よう感じられる。身体に憶え込ませる…という指導も時と場合によっては有効なのだ。全部を一律で考える現代の教育の在り方は、問題があると思う。教職員が生徒たちや生徒の親たちに“怯える”ようなことがあってはならない。教職員になって半年間くらいは、まず精神疾患が発生する要因となっている部分を、十分に理解・把握させたうえで、現場としての教壇に立たせることが必要なのではないだろうか。

「冬至」から“古代の人々”は「運勢」を学んだ⁉

2025-12-22
今日は12月22日ー冬至ーの日だ。「カボチャを食べる日」ではない。もちろん、一年の内でもっとも“日照時間の短い日”だ。逆な言い方をすれば「暗い夜の長い日」ということになる。当然のことながら、古代からずっとそうだった。毎年、同じころに“長い夜”が多くなり、半年経つと“短い夜”が多くなる。つまり、正確に“長い夜”と“短い夜”とが繰り返される。そういう中で、われわれは生きていく。そうだとすれば、われわれの永い人生にも“長くて辛い夜”と“あっという間に朝が来る夜(真昼の明るさが続く日)”とがあるのではないか……。大自然がもたらす不可思議な事実は、舞台の中央で“スポットライトに照らされる時”と“暗闇の中で耐え続けなければならない時”とがあることを、暗黙に教えているのではないか……。こうして古代の人々は、人間の運勢の“微妙な変化”に気付いていく。ただ「冬至」も「夏至」も、すべての人間に平等だが、運勢の微妙な変化は、その人その人によって“訪れる時期”に違いがある。どうして違うのだろう。それは多分“生まれている時”が違うからだ。こうして、古代の人々は、人間の個々の運勢の変化が、その人の“生れ年時の違い”に基づくのではないか……と考えるようになる。自然界を見渡してみよう。春になって咲く花々は、春にしか咲かない。夏になって咲く花々は、夏になってしか咲かない。秋になって咲く花は、秋になってしか咲かない。冬になって咲く花は少ないが、それでも冬にしか咲かない花もある。花々に、それぞれ“開花時期”や“開花する季節”があるのだから、人間にだって“早咲きの人”や“遅咲きの人”がいたって当然のように思える。それぞれの花の形や色などは、人間の場合はそれぞれ“美しく咲き誇れる分野”があることを暗示しているのではないだろうか。こうして、古代の人々は、人間にも運勢があり、咲き誇れる分野や時期があり、それぞれに“命の違い”があり、花々と同じように生きていることを自然観察の中で悟るのだった。

価格「十分の一」「百分の一」のインテリア製品

2025-12-21
商品価格というものは、どこで“違いを感じる”ものなのか、時々わからなくなる。久しぶりにインテリア製品の売り場へと出掛けてみた。すると、むかし極端に高かったものが、いまは「こんな価格で売られているのか」と驚くような低価格で売られていたりする。たとえばシャンデリアだ。もちろん、いまでも欧州製の本格的なシャンデリアは何十万円、或いは何百万円もする。けれども、家電として最近売られているLEDを使った色の変化も楽しめる“フェイクシャンデリア”は、なんと1~3万円前後で買える。マンションなどの場合、本格的なシャンデリアは重すぎて使用できないことが多い。そこへ行くと、こちらの方はその重さもかなり抑えられている。絨毯なども、本格的な海外製品はいまでも驚くほど高い。けれども今は、そのデザインをプリント化した“フェイク絨毯”とでもいうか、そういう作品はほんとうに安い。もちろん、実際の手触りとか、文様とか、輝きとか、暖かさとか……明らかに異なっていて、パッと見では解からない“ホンモノの良さ”はあるのだが、別に、本格志向の人に見せびらかすのでもなく、ただ単に自宅で“その雰囲気を楽しむ”のであれば、そういう“まがい物”で十分だといえる。この種のインテリア用品はすこぶる多い。ブランド品などでもそうだが、いまの若い女性は“貸しブランド品”の愛用者も多くなってきているという。つまり特別な催し物とか祝賀会とか結婚式とか同窓会とか…何かしらの時に身に着ける宝飾品とかバッグとかは“貸しブランド品”で十分だというのだ。確かに、何百万円もする高価なブランドバッグなどは、よほどの金持ちでもなければ、日常的には持ち歩かない。けれども何かの催し物の時だけは、見栄えのするものを身に着けて楽しみたい…そういう若い人たちの要望を取り入れた“貸しブランド洋品”が商売として秘かなブームでもあるようだ。時代の変化はさまざまな形で、われわれに驚きを与えてくれる。現代の趣味嗜好は、昔のようにそれを“誇り”とするためのものではなくて、純粋に“楽しむ”ためのものとするなら、本物志向よりも、むしろフェイク志向の方が、気楽に楽しめて、自由度も大きいような気がする。何でもそうだが、一部の特権階級だけが身に着け飾り付け“栄華を誇った”時代は、もうとっくに過ぎていたのだ。

「世界的アスリート」は「神の造形した障害者」

2025-12-20
いま想い起せば、そういう報道があったかもしれない……という程度の記憶しかないのが、前JOC会長である山下泰裕氏(過去に柔道でオリンピック“五つの金メダル”獲得)の事故による頸随損傷のニュースだ。たぶん、その当時は、そんなに大きく報道されなかったような気がする。2023年の10月、家族と行った温泉で、突如意識を失って落下し、瀕死の重傷を負ったというニュースだ。それから2年以上が経って病院を退院はしたのだが、もちろん山下氏の頸髄は元のように戻らず、身体が自由に動かず、現在も車椅子生活だ。その山下氏が記者会見を行った。つい先日は自らの職場であった大学へと出向いて、学生たちに向け、車椅子となる前と同じような講義も行ったという。彼は、自分のような名の知られた元アスリートが障害者として表に出ることで、社会や世間の“障害者に対しての理解”が進んで行くことを願っているという。そのための“恥をさらしての会見”だというのだ。確かに、パラリンピックではなく、正真正銘のオリンピックで“五つもの金メダル”を取った人物が、いまは障害者となって、首から下がほぼ動かない状態となって、表に出て活動することで、世間に認識は変わる。生まれつきの障害者ではなくても、世界的に活躍した金メダリストでも、人生の途上で“動けない身体”になることがある。その場合、過去の栄光に縋って、隠れるように生きること……も出来なくはない。実際、そういう人生を歩んだアスリートもいる。その一方で、かつてのアントニオ猪木氏もそうだったが、身体が不自由になって、病気と闘いながら、その自らの“生き様のすべて”を晒していくアスリートもいる。原因不明の病魔に侵されて、身動きが出来なくなっていったアントニオ猪木氏にしてもそうだが、世界一の看板を持ちながら、事故で身動きが出来なくなった山下氏も、その衰えた肉体を晒して生きることは、普通の人達の何倍も辛く苦しいことだろう。それでも、死を免れた自分の役割は何かを考え、完全障害者となった肉体を晒して「社会や世間の障害者への理解が進むこと」だとする考えは、健常者に対しての理解とともに、人生の途中から“障害者になってしまった人々”に対して“仲間としてのエール”を送る姿でもある。人生の途中から“不自由な身体”になってしまった人達が、世の中にはたくさんいる。それでも“前向きに生きていく”ためのヒントを、山下氏や猪木氏は与えようとしているのだ。

欧米に近づく「日本」と、日本に近づく「中国」

2025-12-19
徐々にではあるが奇妙なことが起こり始めている。わが「日本」が欧米諸国に徐々に近づき、その一方で「中国」が“過去の日本”に徐々に近づいている……という現象だ。これは政治とか防衛とかの話ではなく、経済現象の話だ。日銀は遂に政策金利を30年ぶりに「0・75%にする」ことを決めた。年内には難しいといわれていたが、さまざまな状況が“それ”を覆させた。一部に「円安を抑止するため」などと解説している人もいるが、実質的にはあまり関係がない。その一番の目的は“インフレへの抑制”なのだ。じわじわと、あらゆるものが値上げされている。欧米の物価高に比べれば、まだ「それほどではない」とはいうものの、その値上がり速度だけで言えば、このところは日本の方が早いような印象を受ける。日本の場合、賃金上昇率は物価上昇率に追いついていないが、それでも“その兆し”が見られることで日銀は金利引き上げに舵を切ったのだ。さて、アメリカは逆に“利下げ”の方に舵を切っている。この二つの現象だけを見ると“欧米に近づいている”ようには見えないかもしれないが、そうではなくて、欧米はもうピークに達したので“利下げ方向”に舵を切り、日本はまだ追い付いていないので“利上げ方向”で猛追している。さて、ここで登場するのが「中国」で、いまの中国経済は“微妙な立ち位置”にある。徐々に“物価安”のデフレ方向に向かいそうな気配なのだが、矢継ぎ早の経済政策で中国政府が“それ”を阻止しようとしている。なぜなら、そのまま進んでしまうと90年代~00年代の「日本」と同じようにデフレへの道を唯一ひた走り出すことになるからだ。だから、世界全体の経済動向として視れば、欧米は徐々にインフレのピークを迎えつつあり、日本はまだまだインフレ進行中で、中国がインフレからデフレへとシフトチェンジしそうな状況下にある。この流れが続けば、いまは低迷しているアメリカ株だが、もう一度大きく上昇し始め、それが加速して遠からずピークに達し、日本株はその影響を全体的には受けるが、むしろ徐々に“日本独自の動き”に変わっていって、欧米が低迷傾向にあっても“静かな上昇”を続けていく可能性がある。逆に中国株は、過去の日本株のように“動き辛い”状況になって、徐々に低下していく可能性すらある。利上げや利下げはほんのちょっとなのだが、意外なほど“大きな影響力”を秘めて、世界を動かしていく可能性があるのだ。 « Older Entries