1月, 2026年
2026-01-31
このほど中国で、ミャンマー北部に詐欺拠点を持っていた犯罪組織の構成員ら11人に対し“死刑”が執行された。その中には国際詐欺グループの主要メンバーも含まれていたという。昨年の夏くらいから、中国公安部は“国際詐欺犯罪”に対して強硬手段に出始めている。今では世界的な犯罪として各国に被害者を出している“詐欺被害”を、何とか食い留めようと本腰を入れ始めたともいえる。何しろタイやミャンマーやカンボジアやラオスなどの山岳部に拠点を持っていることが多い“国際詐欺グループ”は、世界各国から“ふつうの人達”を拉致して“詐欺に加担させる”方式を用いて組織を拡大している。一部報道では世界の29ヵ国から集められた7000人が詐欺拠点に集められ、通信詐欺の役割を割り振りされている…ともいう。もはや巨大な国際企業のごとく組織化されて、強引に“犯罪の一翼”を担わされている人たちが大勢いるということだ。その総数は一部の報道では数万人とも、数十万人とも言われるが、日本人は少ない。どうして少ないのかと言えば、日本人は“英語を話せる者が少ない”ので組織として使いにくいようなのだ。これまで日本人は“英語を話せない”ことが国際的にはマイナスとされて来たが、今回のような国際的な犯罪組織が背景としてある場合、英語を話せない日本人、更にIT関係に弱い日本人は「使いにくい」ということになる。彼らは電話も使うが、国際型はパソコンを使った“通信衛星方式”の方が都合が良いらしく、そういう意味でも日本人は“即戦力”としては役立たないことが多く、犯罪組織の方がこれまでは対象から外しているケースが多いようなのだ。もちろん、英語が通じる日本人が組織として多くなれば“話せない日本人”も拉致の対象となるが、いまのところは面倒なので“巻き込まない”ケースが多いようだ。ただ英語で“募集”を掛けて応じて来る“話せる日本人”は組織にとって貴重なので、幹部候補生として採用される場合もある。つまり国際詐欺犯罪集団にとっては“英語を話せないこと”は、詐欺拠点に連れ込まれて強制労働されられる可能性は低いということだ。彼らにとって、もはや“足が付きやすい”電話による詐欺は極力避けたいようなのだ。ただ中国の公安も本腰を入れ出したので、通信回線の元を断つ…という手段で、オンライン賭博や国際ロマンス詐欺は防ぐことも可能になって来ている。未だ“もぐらたたき”のような状態だが、今回の死刑は中国公安部が“その本気度の表れ”のような気が私には…する。
2026-01-30
多くの人は“怖がり”である。いまの自分の環境とか立場とか状況とかから、抜け出すには“勇気”がいる。ましてや人にそれを宣言するのは、或る種の“思い切り”がないと出来ない。昨日、誕生日を迎えたという俳優業だった人物が、その誕生日であることの報告と共に“役者稼業”から引退したことを宣言した。「小野原幸一(32歳)」という役者さんで、彼によれば既に昨年の7月で“事実上の引退”をしていたという。正直、わたしは“知らない俳優”で、多くの方にとっても、そうなのではないかと思う。そうは言っても昔は「役者稼業は三日やったら止められなくなる」と言われたほど魅力のある職業だ。その舞台から身を引く決断は勇気のいるものであったに違いない。ただ、この人はまだ32歳である。人生の“折り返し地点”にも達していない。そうであれば、新たなる人生の扉を拓くのは何ら難しいことではない。本人がSNS上に投稿した写真は、新たなる環境に飛び込んで、新たなる意欲で働き始めていることを窺わせる“とても充実した顔”をしている写真だ。実質的には昨年の7月で引退していたにもかかわらず、いまになってSNS上で「引退宣言」をしたのは、完全に役者業から身を引いたことに“吹っ切れたもの”を感じているからだろう。そして、同時に“新たな世界や環境”に希望の光を見出しているからに違いない。人はだれでも、人生上での大きな転機に“迷い”“うろたえる”ものだが、その切り替えの向こうに“明るい光”を見出した時、改めて「過去は幻」となり、新たなる世界に飛び出している自分を再発見するのだ。彼自身が「すべてお芝居のために生きていたことが夢のようです」と記述している。この表現は好い。なぜなら完全に“生れ変った”から言える言葉だからである。過去の世界に未練を持っていたなら、どこかしら執着が抜けないままであったなら、こういう表現は出て来ない。わたしはよく「新たなる扉を拓く」という表現を使うが、人間はいつからだって、どこに居たって、あたらな扉を拓くことはできる。生れ変ることはできる。「もう遅い」ということはない、それは本人の中で「もう遅い」と思ったとき、そうなってしまうのだ。
2026-01-29
テーブルとかデスクとかいうものは、その用途からいって、あまり“流行”とか“時代の変遷”とかいうものを感じない。けれども、こと「椅子」に関しては、その時代や地域や材質などによって見た目的にも“相当な違い”が感じられる。新しい椅子を購入しようとして、ネット上で“その種のページ”を開くと、実にさまざまな用途や形状や色合いや材質などの違いがあることに驚いてしまう。その価格も実にさまざまで極端に安いモノから、極端に高額なモノまで、あれこれ出てきて迷ってしまう。わたしが現在、自分のために使用している椅子は三種あって、その一つは食卓用の椅子、これは説明するのが難しいが、クラシックな食卓用の大理石テーブルに合わせて購入したものだ。大理石が白と茶系のまだら模様なので、それに合わせた感じのもので白い猫足型の本体にベージュの花柄刺繍が入った布柄になっている。もう一つはふだん机に向かう時に用いている椅子で、いま使用しているのが白い机なので、それに合わせた白い革張りのクラシックな印象の椅子だ。最後の一つが、これはリビングでくつろぐ時に使用しているもので、分類的には“一人掛け用のソファ”に属する。中世西洋の王室などで使用されていた形状を“そのまま再現したモノ”で、金色の装飾が背後に付いた白い革張りソファとなっている。考えてみると、中世西洋的なモノばかりで、別に“そういう時代”を特に意識しているわけでもなく、たまたま気に入ったものが“そういう系統”だったに過ぎない。それらに少し飽きたせいもあり、机や椅子だけ“新たなモノ”に変更しようか、正直まだ迷っているところもあり、それでネット上の通販では、わたしの興味を惹く椅子が売られているかどうか、確認したい気持ちもあって、さまざまなものを見比べてみた。その結果、感じたことは、椅子というものは“時代を反映するもの”だということ、或る種の“流行”のようなものがあるということ、また時代や地域によって、相当に差があり、ここの好みによっても現在は“択び放題の時代”なのだということに改めて気付かされた。価格もピンキリで高額なモノは何十万円にもなり、低額なものは何千円で済む。まあ、今度は少し“現代的な感じのモノ”にしようかとも思ったのだが、どうも“薄っぺらい感じ”が、わたしの気分には拒絶感が出る。どんなに機能的に優れていたとしても、なんとなく“薄っぺらい椅子”では落着かないし、じっくり座って物事を行うような気がしない。身体にフィットする椅子も重要だが、より心にフィットする椅子の方が、わたしの場合には落ち着いて“仕事”や“休息”や“食事”に向かえそうな気がする。ただいろいろな商品を眺めながら、こうして想いをあれこれと巡らすのも、或る種の気分転換としては良いのかもしれない。
2026-01-28
元フジテレビの大島由香里氏が今日1月28日に「紅茶入れて」という曲で歌手デビューするそうだ。最近はアナウンサー出身の人が、いろいろな分野にチャレンジしているのを見掛けるので、これもその一つなのに違いない。この曲はタレント木梨憲武氏がプロデュースし、所ジョージ氏が作詞した楽曲であるらしい。近年は、若い人たち向けの歌はあっという間に浸透していくようだが、中年以降の人達が“口ずさみたくなるような歌”はあまり流行らない。特に“日常のさりげない光景”を切り取ったような歌を、ほとんど耳にしない。そういう意味では、この種の歌がもっと出てきても良い。そう想ったら、急に大昔、まだ20代に入って間もなくの頃、友達の家で初めて聴いた井上陽水氏の「傘がない」を聴きたくなった。そこでネット上に探して久し振りに聴いた。「傘がない」を初めて聴いた時、わたしはちょっと衝撃を受けた。こういう日常のちょっとしたことを“鮮やかに歌い上げる”井上陽水という歌手の美声に驚いたからだ。そして、いま再び“その初期の頃の歌声”を耳にして「そう、こういう声だった」と改めて想った。当時の日常が鮮やかに蘇えった。それに、なにも歌わない間奏も情緒があって実にいい。そう、最近の歌は、この何も歌詞を入れない間奏の楽譜に魅力のあるものが乏しい。「傘がない」という曲は、もう50年も前の曲だと思うのだが、いま聴いても、すこしも色褪せた感じがしない。とても新鮮で“青春期の大切な1ページ”という印象を与える。ハッキリ言って歌詞の内容は身勝手なものなのだが、むしろ、それが青春時代の“若さ”や“幼さ”や“愚かさ”を見事に表していて、とてもリアリティある作品となっている。そして、その歌詞内容に相応しい透明感のある当時の歌声が素晴らしい。こんなことをいうと“陽水ファン”から叱られそうだが、彼のような歌声でも、やはり年齢とともに“透明感”は薄れていった。松山千春氏もそうだったが、初期の頃の透明感ある歌声は、しだいに技巧だけで創られた声質へと変貌していく。それは仕方のないことで、そうであれば、その声質に合った“大人の歌”に変えていけば良い。ところが、これがなかなかに難しい。かつて、十代の時にパンチの利いたジャズ歌謡で一世を風靡した弘田三枝子氏は、その途中から人気が低下しアメリカへと旅立った。そうして、日本に戻って以降、今度は「人形の家」という日本歌謡とも西洋オペラとも言えないような“独特の歌唱法”で再び人気を掴んだ。ただ年齢とともに、その歌声は徐々に弱々しくなっていった。いまは、こういった“その人の人生”を感じさせる歌謡曲が少ない。
2026-01-27
わたしが暮らす札幌も何十年ぶりという大雪だが、それにもまして何十年ぶりという寒波がやって来ているのがアメリカ大陸だ。つまり、アメリカの各州だけではなく、カナダやメキシコも合わせての“広域寒波”がやって来ているのだ。アメリカでは既に12の州で「緊急事態宣言」が発令されている。そして100万戸以上の世帯で停電が発生、真冬の停電は“生命の危機”に直結するだけに文字通りの緊急事態なのだ。ニューヨーク州では一部で氷点下40度以下の地域も存在するという。日本の場合、たとえば北海道では真冬に氷点下30度くらいまで気温が低下する地域もあるが、札幌などの都会では氷点下15度以下になれば大騒ぎとなる。その程度が“通常の暮らし”をしている場合の限界なのだ。だから氷点下40度以下など考えられない。まあ夏場の40度以上の酷暑も“通常の暮らし”は不可能だが、だから人間は下は-40度付近が限界で、上も45度くらいが限界なのだ。事実、ニューヨーク州では既に8人以上が低体温症で亡くなっているらしい。この数字は今後増えていく可能性が強い。元々アメリカというのは大自然の脅威に弱い。南部を襲う竜巻とかでも毎年のように大きな被害を被る。地震は比較的少ないようだが、真夏の熱波や乾燥期の山火事でも毎年のように被害が報告されている。どんなに科学が進んでも、人間は大自然の脅威には勝てない。或る意味では、古代文明人と現代人とは、そういう点では、それほどの違いや進歩が観られないのだ。人類は今日まで“科学文明”を築いて来てはいるのだが、それでいて自然界の力には脆くも崩れ去る。ときどき、それを思い起こさせるのが目的でもあるかのように“大きな自然災害”がやって来る。特に、地球の最先端を行くはずのアメリカには時々やって来て、人間が一番ではないことを教えようとする。奇妙なもので、自然災害にはそれほど科学が浸透しきっていない地域の方が強かったりする。古代からの言い伝えとか、先祖からの教えとか、そういうものが生きている。タイなど大洪水に見舞われても笑顔で後片付けをしているし、インドネシアなど大地震に見舞われても、すぐに復旧作業に入る。元々自然災害の多い地域は“自然界との共存意識”が強い。また先祖から伝えられた“生き延びるコツ”なども活かしたりする。結局、大災害が来たなら、科学などあまり役に立たないことを、われわれは痛感するのだ。本格停電が続けば、どんなに進んだスマホ機能を備えていても充電できず使えなくなる。人間はしょせん、神様と大自然とは“越えられない”ように出来ているのだ。
2026-01-26
ときどき「運命とは何か」「運勢とは何か」を天空に問いかけながら、わたしは生きて来た。そういう一日がまた始まる。わたしはリアルな形で人の運命というものを追求していきたいので、毎日、さまざまな出来事でニュース報道に上がるような人達の「いま(の運勢)」を四柱命式やホロスコープから検証している。その日によって、2~3名しか検証しないこともあれば、7~8名とか多数を検証することもある。どういうふうに検証するのかと言えば、その人の生年月日に基づく“先天的な命式や天体図”に現在の星の配置を重ねて、その具体的な吉凶の状態を調べるのだ。多くの場合、古来から言われてきた“運勢の吉凶”は、そのままその人に当てはまる形で展開している。つまり、その人にとって“幸運な出来事”は“幸運な運勢”の時期に具体化されて“不吉な出来事”は“不運な運勢”の時期に具体化される。したがって、それらが適応していれば、古来からの運命学上の法則は「信頼できる」ということになる。ところが、全部が全部そういうふうな“占術の方式”に当てはまるような結果になっているかと言えば、残念ながら、そうとはなっていないケースも多いのだ。本来なら、こういうデータ研究を多くの占い研究者たち多数が行えば、もっと早くに、もっと確実に、運命学の真実が把握できたと思うのだが、どういうわけかだれも行おうとはしなかった。いや、正確に言えば科学者などで行おうとした人物もいるのだが、それはどちらかと言えば「運勢」よりは「運命」の方で、しかも、その結果というのも“明確なモノ”というよりは「古来からの運命学の法則を否定はできない」という“あいまいなもの”でしかなかった。一部の占い研究者で、わたしと似たような発想で検証していた人物もいるが、それらのデータもあまり的確な数値とはいえず、判然とした結論を得るには至っていない。まあ、そういう“難しい分野”に挑もうというのだから、わたしに賛同してくれる“プロ占い師”が少ないのは当然かもしれなかった。とはいえ、わたしはやり出したら途中で引き返すような器用さを持ち合わせてはいない。だから、今日のように全国最年少で県知事として当選した石田嵩人氏、89年ぶり二場所連続優勝を達成した安青錦関、初マラソンで日本女子新記録を達成した矢田みくに氏、オートレース中に落車して死亡した鈴木辰己氏のいずれもが、運勢上で示された吉凶とは必ずしも“一致していない”出来事を表すと、改めて「運勢とは何か」天空に問いかけたくなる。いや、むしろ、運勢を“跳ね返す力”を持った人たちをたたえるべきなのか。死亡した鈴木氏も“死亡時期”としての時期ではない。事故による死亡では、そういうケースをしばしば見せられる。本来は、まだ“生命の終わり”ではなかったはずであるのに……。
2026-01-25
近年の韓国芸能界における世界的な進出は、いろいろな意味で注目に値する。トータルでどうなのかはわからないが、少なくとも日本や中国に負けないくらいの“注目度”を浴びていることは間違いがない。同時に、全世界に向けた急速な進出は、さまざまな“弊害”や“危うさ”をも生み出しているよう私には感じられる。先頃、韓国財閥の孫娘であるファン・ハナ(37歳)が、カンボジアの国際空港で麻薬取締法違反容疑で逮捕された。既に2023年7月の時点で国際指名手配されていたもので、麻薬取締法違反での逮捕も、前科がある。韓国報道によれば、彼女はソウルにあるアパート内で知人たち2人に対して覚せい剤を注射し、使用させた疑いがもたれている。しかも、それが発覚したと判ると直ぐ東南アジアに逃亡した…とされているのだ。さて、カンボジアで捕まったハナだが、自らの罪を軽くさせてもらう司法取引に応じて、自分と同じよう麻薬に関わっている多数の芸能人の名前を捜査機関に漏らしたといわれる。したがって“裏付け捜査”待ちではあるものの、今後、芋づる式に逮捕者が出てくる可能性が囁かれている。韓国ドラマには、この手の内容が繰り返し用いられている。つまり財閥系の人物が“裏組織”と繋がり、薬物などを用いて身近な人物に対し、自分に“都合の良い役どころ”を与えていく…という手法だ。今回の場合も、彼女が捕まったのがカンボジアという国であることが重要で、そこには“闇組織の拠点がある”とも言われている。実際、中国の有名なインフルエンサーが誘拐され、薬漬けにされて、路上に倒れているところを救出された…という報道もある。最近は国際的な“各種の詐欺事件”も、この種の経路を踏んでいるケースが多い。事実か虚勢かは解らないが、ハナの母親が逃亡を企画し、ハナの祖父は警察幹部と親しいので、自分が事件を起こしても“揉み消せる”と仲間には話していたらしい。彼女は韓国芸能人や政界の大物たちが好んで利用する「バーニング・サン」の常連だったといわれ、その点でも芸能界や政界と“深い繋がり”を持っていたという情報もある。とにかく、韓国ドラマでしばしば登場する“危い繋がり”は、ひょっとすると“芋づる式の逮捕”をもたらすかもしれず、文字通り「事実は小説よりも奇なり」という事件に発展しないことを願うばかりだ。
2026-01-24
参政党の比例区から、かつては自民党のエースであった豊田真由子氏が立候補するようだ。この人は自分が衆議院議員だったときに、その秘書たちに「バカ‼」とか「ハゲ‼」とか「ボケ‼」とか怒鳴り散らしていた人で、それが週刊誌に暴露され、世間から“総スカン”を食らって“政治家としての道”を閉ざされた人だ。ところが、昨年だったか参政党に拾われ「政調会長補佐」という“肩書”を貰った。そして、今回の衆院選は“復帰戦”ということになる。実は、わたしはこの人が世間から“総スカン”を食らって政治家としての道を断たれたとき「いつか必ず復活するだろう」と書いておいた。なぜなら彼女の鼻脇にはクッキリとした法令線が刻まれていたからだ。若い女性で、この法令線がクッキリ型の人は、必ず、その仕事分野で才能を発揮していく……という特性がある。男性よりも女性の方が、その意味合いが強い。だから、世間的には「二度と政界に戻って来ることはない」と視られていたし、本人も、そのつもりで居たと思うのだが、わたし“観相家の眼”は“遠い今日”を見抜いていた。したがって、彼女は必ず、当選するだろう。それも“ぶっちぎりで当選する”に違いなかった。さらに言えば、そのあと、参政党においての要職に起用されるに違いないのだ。但し、ここからが問題で、では彼女は、その後、順調にエースとしての道を歩み続けるだろうか。わたしは、そうは思わないのだ。確かに、クッキリとした法令線は、或る意味で“職業線”でもあるので、議員になったら「水を得た魚」のごとく活き活きと活動するに違いない。エースは、どこに行こうとエースなのだ。また傍観していた世間の人々も、彼女の手腕に期待する声が多く寄せられるようになるに違いない。但し、魔物は“そういう時”に忍び寄って来るのだ。というか、彼女の中に“初心を忘れてしまう部分”が出て来てしまうのだ。それから後のことは十数年後か、二十数年後かの“ニュース報道”が証明することになるだろう。そのとき、もし、これを読んでいた“若い人”が居たなら、なんと波木星龍という人は「人の運命を読み取る慧眼の持ち主だった」と驚嘆することだろう。人間の「運命」とは、そういうふうに“不可思議な連鎖”で成り立っている。だからこそ「運命学」は、学ぶに値する学問なのだ。
2026-01-23
人は誰でも本能的に「運勢」と呼ばれるものを実感する時がある。それは「占い」を“信じる・信じない”とは、あまり関係がない。本能的なものだからだ。だが、その「運勢」の存在を“具体的に証明する”ことは難しい。というか、ほとんどの人は「証明など出来ない」と思っている。ここに、二人の“微妙な人物”が居て、それを奇妙な形で体現しようとしている。今回の衆院選挙に立候補する二人だ。と言っても、ほとんどの人は知らない。その一人は自民党公認の新人・藤田ひかる氏(35歳)であり、もう一人は自民党公認から外れた新人・山本建氏(41歳)だ。ちなみに藤田氏は“長野2区”からの出馬予定で、山本氏は“福井2区”からの出馬予定だ。どうして、この二人を並べるのかというと、どちらも、奇妙なハンデを持っている。藤田氏の方は“妊娠してしまった”のだ。だから妊娠中なのに選挙活動をしなければならない。一方の山本氏の方は自民党県連が彼を“公認候補”として推薦したのにも関わらず、党本部から外されてしまった。しかも、党本部は無所属の斉木武志氏を“支持する”という。実はこの山本氏は、高市首相の“義理の息子”なのだ。高市氏本人の子ではない。だが息子ではある。さて、その高市氏だが、藤田氏に対しては既にエールを送っている。けれども、義理の息子の方には“沈黙”を貫いている。それらが何を意味するかは不明だが、興味深い事実であることには違いない。さて、ここで興味深い「占い」の話をしよう。この二人とも、選挙の投票日の“運勢が似ている”のだ。つまりホロスコープのトランジット惑星の配置によれば、藤田氏の方は“120度アスペクト四つ・90度アスペクト四つ”と“吉凶が互角”になっている。一方の山本氏の方は“90度アスペクト六つ・120度アスペクト五つ”とやや90度優勢の状態なのだ。共に支援や助力を意味する120度アスペクトと、身動きを阻止&妨害する90度アスペクトが拮抗している。したがって運勢は既に二人の選挙活動を予兆している……とも言える。ただ、この結果からは、ともに微妙な選挙結果として表出されるだろう……ということは解かるのだが、明確な吉凶とはなっていないだけに、あとは“実力の勝負”となっていきそうだ。
2026-01-22
わたしは中国故事からのことわざ「人間万事塞翁が馬」という言葉が好きだ。どういう意味かと言えば、一見、不幸に思えるようなことが幸運を運んでくることがあり、一見、幸運に思えることが、不幸に繋がることがある。人の運不運は簡単には決めつけられない……というような意味の言葉だ。実際、人生には、そういう出来事が多い。「災い転じて福となす」という言葉も、似たような意味合いの言葉ではあるが、こちらの方はやや人技的なニュアンスがある。より「運命」を感じさせるのは「人間万事塞翁が馬」の方だ。さて、株やFXなどを日頃から行っているOLの女性トレーダーたちを中心として「年末ジャンボ」の宝くじを共同購入して“当選金を山分けにする”という企画が行われていたようだ。それに参加したのは8039人で、総計3600万円分の宝くじ約12万枚を購入。その結果、高額当選はなく回収できた当選金は全部で約1058万円となり、その収支は約2500万円のマイナスとなったようだ。元々「夢を買う」と言われている宝くじであるから、今回のことによって「夢を買う」ことが出来たのであれば、その役割は十分に果たせた、ということになる。ただ計算してみると、よほどの高額当選でも出ないと、人数が多い分“分け前”は少ないはずで、やはり「夢」は個人的に見た方が確率的には良いようだ。わたしは子供の頃、よく隣にあった駄菓子屋さんで「くじ」を引くのが大好きだった。別に“大当たり”の景品そのものが欲しかったというより、当たるかもしれない……というスリルを味わうことが好きだった。それが、やがて人の“運命を当てる”ことへと繋がっていった。だから、わたしの場合、ほんとうはその人が“幸せになっていく”ことに生きがいを感じるというよりも、正直に言えば、その人が自分が見立てた通りの“運命に変わっていく”ことに秘かな悦びを感じる。ほんとうは“危険な性質”なのかもしれない。ただ「人間万事塞翁が馬」という考えを持っている私は、不幸が来たなら、その分、幸運が巡ってくる……という発想の持ち主でもあるから、その人の“災いの種”の中に“幸運の兆し”を読み取ることが出来る“稀有な才能”を持っているようなところもある。果たして、こういう“人間性に問題がありそうな性質”は、世の中に受け入れられるものなのだろうか。ただ古来「投資家」と呼ばれているような人は、そういう“先読み”に賭けて大儲けしている。神様は、それを許しているのだ。
2026-01-21
第19回目になる「マンガ大賞」に清野とおる著『「壇蜜」』がノミネートされた。正式な大賞の発表は3月らしいが、既にノミネートの段階から注目を集めている。何しろ、地元密着型の漫画家が“自分の妻”に密着して取材(⁉)した作品で、タレントであった壇蜜との出逢いから結婚までドキュメンタリーのような感じで進行していく。したがって漫画家としての清野とおる氏に興味ある人達にとっても、タレントとしての壇蜜氏に興味ある人達にとっても、その“外側”だけではなく“内側”を知ることが出来る意味でも、興味深い作品と言えるかもしれない。清野氏は漫画家として売れていなかった一時期“お弁当屋さん”のバイトで生計を立てていたようだ。或る意味で漫画家は芸人や地下アイドルなどと同じく、いつの間にかバイトが本業にすり替わってしまうケースも多いが、清野氏の場合はやがて“本業である漫画家”として人気が定着していった。一方の壇蜜氏は、最初はグラビアアイドルとして活躍していたが、いつしかタレントや著述の方が本業へと変わった。そうしてTV番組を通じて出逢った二人は、またたく間に“別居結婚”という異色の形で結婚してしまった。その後も、ふたりは何故か“別居結婚”を継続していて、そういう意味では“密着取材”は難しい気もするが、そういう特異な結婚生活の在り方についても興味を持つ人たちは多い。ただ最近の壇蜜氏は体調を崩されているようで、グラドル時代とは比べ物にならないほど痩せてしまった。もし、この漫画がマンガ大賞を射止めたなら、作者よりも“作品の主人公”の方に注目が集まってTV出演の機会など多くなるかもしれない。何も言わなくても、不可思議な存在感を持っているタレントは少ない。そういう意味では、この人は“何かしらの闇を抱えている”印象が強いが、不可思議な存在感はずっと保ち続けている。別居婚をしている夫である作者が、ほんとうに壇蜜氏の「闇」の部分を引き出させているかどうか疑問だが、気鋭の漫画家の中身が“ほんもの”であれば、壇蜜氏のハダカの部分を“曝け出す”ことが出来るはずで、それがほんとうに出来た時、間違いなく清野氏は大賞を射止めているに違いないし、その描写を許した妻も“大賞の妻”というに相応しいタレントとして蘇ることが出来るだろう。
2026-01-20
衆院選が始まり、どの党も「食料品の消費税をゼロにする」と何故か“似たような政策”を旗印に掲げている。どうしてなのか、いちばんの理由は“住宅費が高騰していく”ことが目に見えているからだ。そして、この住宅費の高騰に関しては“抑えること”が極めて難しい。だから、その代わりに「食料品は安く抑えたい」ということなのだ。その住宅費の高騰だが、これは賃貸であろうと、分譲であろうと、基本的には関係がない。毎月、住宅費を支払っている(分譲はローンを支払っている)人たちは共通して徐々に高騰していく。そういう仕組みになりつつある。まず、分譲の場合は金融ローンの支払い金利が「固定型」「変動型」その両方とも増えていくことが確実となっている。現在は固定型の場合、大体2.1~2.6%くらいなのだが、この利率が確実に上がる。変動型の場合、大体0.6~0.7%くらいなのだが、この利率も早期に上がる。元々「変動金利」というのは、その時々の状況によって“変化すること”を前提に決められているもので上がって当然なのだが、予定よりも早く、しかも今後も上がっていく可能性が出てきている。それなら「固定金利」に変えようと思う人たちが出てきそうだが、この利率も既にバブル期であった1999年2月くらいまで上昇し始めている。更に分譲住宅の場合、このローンの支払いだけでなく、毎月「修繕費」とか「管理費」とかいうものも、ローンとは別に徴収される。この修繕費や管理費も、建築費や人件費の高騰で急速に上がって来ている。それでは賃貸住宅なら良いのかと言えば、こちらも経営管理や修繕等の必要性から“家賃の値上げ”をせざるを得ない状況にある。つまり、分譲であろうと、賃貸であろうと、住宅費はいままでよりも上がっていくことが確実な情勢なのだ。しかも、このような状況は、欧米から視ればまだまだ“始まったばかり”の印象が強い。生活費の中に占める“住宅費の割合”というのは大きいので、今後の暮らしに直結する値上がりの時代がやってきた……ということになる。そこで住宅費の高騰を抑えるのが難しいのであれば、もう一つの生活費である「食料品代を抑えよう」という発想となる。だから与野党関係なく「食料品の消費税をゼロに‼」というスローガンを掲げることになる。もちろん、これらの大本はインフレだからなのだが、経済の循環において、インフレはデフレよりも“活性化している”という点において良いことには間違いがない。経済的に発展している国は、必ずインフレ率も高いからだ。それはそうなのだが、欧米のように一気にホームレスが増えないか……北国の暮らしでは“危険な寒さ”が続くので……ちょっと心配。
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