2月, 2026年
2026-02-28
美術家の横尾忠則氏は既に89歳であるという。その横尾氏がSNS上に最近の自らの身体の不調をユーモアたっぷりに訴えている。つまり《耳はほとんど聴こえません。補聴器は役に立ちません。眼鏡を掛けても文字が霞んで視えなくなってしまいます。鼻は年中花粉症で、咽喉は喘息、手は腱鞘炎で、五感すべてがボロボロです。それでも第六感で生きています。猫になりたいと思っていたので、ちょうど良かったです》といった感じの内容だ。確かに、年齢が進むことで、すべての五感機能は衰えていく。いやでも衰えていく。だれ一人の例外もなく、衰えていく。わたしは時々、やはり「神様は平等だな」と思うことがある。どのような人物でも、神様には勝てない。特に、この“年齢”というものを与えたのは、素晴らしい“平等観”に立脚しているではないか。どんな権力者であっても、どんな富豪であっても、どんな有名人であっても、どんな天才であっても、どんな美女であっても……年齢には勝てない。老いは確実に進んで行く。どんな権力を使おうと、どんな大金を使おうと、どんな人気を使おうと、どんな能力を使おうと、どんな美容液を使おうと、老いは確実に迫ってくる。そうして、確実にわれわれの全身を蝕んでいく。だれも、それに逆らうことなど出来ないのだ。それが嫌だから、宗教家は「死後世界」というものを作って、そこで「生れ変ることが出来る」と説く。だれも信じてはいないが、信じたふりをする。そうした方が“救われる”からだ。そう、われわれはみんな“老い”から救われたいのだ。救われたいから、信じてもいない「死後世界」を信じて“そこ”で生れ変ることが出来れば、老いを脱却できるから、宗教家の説法を鵜呑みにしようとする。そうすれば未来に希望が持てて、希望の中で生きていくことが出来る。そうなのだ。希望を持ちながら生きていくことこそ、われわれが“若々しく”生きていくための秘訣なのだ。だから「死後世界はない」などとは言わないで、想っていても言わないで「麗しい死後世界で逢うことが出来る」という宗教家の言葉を信じたふりして、生きていくのが健康にも美容にも、そして“老い”が視え始めた運命にも、一番の“お薬”なのだ。
2026-02-27
俳優の石田純一氏が千葉・舟橋の焼き肉店「ジュンチャン」を経営しだして数年経った。マスコミ報道も手伝って“焼き肉店経営”は順調なようで、順次店舗を増やす計画も秘めているらしい。TV番組がそれを特集し、ネット報道が後追いしている。そのネット上の“書込み”を見ると、好意的な反応から批判的な反応までさまざまだが、既に70代の彼が“三人の子供達”を育てていかなければならない状況に同情的な観方も多かった。確かに、既に72歳の彼が13歳、9歳、7歳の三人を“育て上げる”には十数年かかる。そう考えると、いまの状況は大変なようにも思うが、ものは考えようで、70代の俳優が今後“十数年間を第一線で活躍する”のは、もっと大変なことのように思えなくもない。もし、飲食店が順調にいって、何店舗も多角経営するような状況になれば、おのずと収入も増えていく。もしかすると俳優業では得られないほどの経済力を身に着けるかもしれないのだ。いまの「日本」では俳優業で高収入を得ることは、CM契約を多数持ってでもいないとなかなかに難しい。そういう意味では、この人は過去に俳優業の傍ら、さまざまな“経営という形での副業”を行ってきている。失敗したものが多いようだが、事業経営という点では、根っからの素人ではない。したがって、一見“場違い”なように見える“焼き肉店経営”も、それなりに場数を踏んだ人物が、過去の経験を活かして取り組んでいる…とも言えるのだ。もっとも、70代で毎日、舟橋の店まで出勤して働くのは大変なことだとは思うが、子供達のためには仕方がない。それに健康面から考えると、毎日の出勤労働はプラスの部分が大きい。もし俳優業だけであったなら、仲間同士で暇な時には“飲んだり・食べたり・語ったり”で緊張感が乏しい。緊張感が乏しくなると、人は不摂生になり、ぐうたらになり、身体機能も衰えやすくなる。常に接客をしていれば、多くの人達からの“気”を浴びることも出来、良い形で生命力が持続しやすい。或る意味では子供たちを育て上げるまでの間、健康で働き続けるためのチャンスを“神様が与えてくれた”のだともいえる。それに、元々がこの人は“商売好き”なのだ。俳優業だけで満足できるタイプではない。人は、さまざまな形で神様から“試練”を与えられる。それによって苦境に陥ることも往々にしてあるが、どういう環境でも「似た形」を保っていけば“それなり”に生きていくことは出来るようになっているのだ。
2026-02-26
京都大学が新たなる“AIロボット”を開発し、仏教に関するあらゆる知識を吸収させ、それによって“悩める若い人たち”の相談相手として活用しようとする試みを始めたようだ。外見的にも僧侶の作務衣を着せて、その所作も座禅とか合掌とか、僧侶的な所作を身に着けている。外見としてのロボットは中国製らしいのだが、わたしは何よりも“顔のないこと”が気になった。「顔」としての外枠的な部分は付いているが、目鼻立ちというか、そういうもののない“のっぺらぼう型”なのが気になるのだ。つまり、口がないのに言葉を発する。動作そのものは“僧侶そっくり”なのに、顔面は“のっぺらぼう型”というのが私個人であれば“拒絶反応”が出てしまう。一般の方達はどうなのだろう。もちろん、ロボットの彼はあらゆる経典を学習しているに違いないから、それなりの“答え”というか“教え”や“癒し”や“説教”は可能だと思うのだが、それだけで人は納得するものだろうか。そういえばイスラム教には「嘆きの壁」というものがある。そこには何の“回答”もない。ただ単に“巨大な壁”があるだけで、信仰者がその壁に“想いをぶつける”形の宗教儀礼だ。或る意味では“それ”に近いような気がしないでもない。京都大の開発したAI僧侶「ブッタロイド」は、正式には株式会社テラバース&AIプロダクト&熊谷ラボの三者による“共同開発製品”で、将来的には実際に「僧侶の役割を果たさせる」ところまで進化させたいようだ。おそらくだが、全国の寺院などにも普及させていきたいのだろう。つまり、やがては各地のお寺に行って、AI僧侶たちが出迎え、若い人たちの“悩み相談にも応えていく”というのが本来の目的(⁉)なのかもしれない。そして、仏教だけでなく、あらゆる宗教に対応させて、あらゆる宗教・宗派のAIロボットを作成し、世界各地に営業販売していくのが最終目標なのかもしれない。だれもが神社仏閣で教会で寺院で“AI僧侶”たちに手を合わせる、さまざまな相談事をしている……そういう時代が遠からずやって来るのか……なんとなく虚しく“空恐ろしい”ような感覚を抱いてしまうのは、わたしだけなのであろうか。
2026-02-25
当たり前の話だが、われわれは“一つの国”に生れ“一つの時代”を生きていく。自分が“生きていく中”では、別な国に生れるとか、別な時代を生きるとかは出来ない。そういう意味で言えば、海外の映画やドラマを観ること、特に、もう何十年も経過している映画やドラマは、どこの国のものであろうと、どの時代のものであろうと、自分にとって“興味深い映画やドラマ”は、わたしを別次元の世界へと連れ出し、そこで実際に生きているかのような不可思議な感覚をもたらす。だから同じ外国の映画なら、最近のものでは“その世界”には十分に入り切れず、もう何十年も経っている昔の映画の方が“その世界”にすんなりと入り込みやすい。そして、その映画やドラマの内容とは別に、もし自分自身が“この時代”の“この国”に生れていたとしたら……というか、この映画世界の住人のような状態や立場であったなら、どうするだろうか……というような意識というか、感覚というか、想像の世界というか……そういうものが、いつの間にか無意識に出て来てしまう。そうすると、もう自分は“その国の人”なわけで、時代的にも“その時代の人”なわけで、そうであれば、わたしの場合やっぱり、こういう時には「こうするだろうな」とか「こう言ってしまうだろうな」とか「こういう行動はとらないな」とか、どうしても自分自身に“置き換えて”観てしまうような部分がある。その方が、一度の人生であっても、それぞれの映画・ドラマの中で“別な人生”を生きているような不可思議な感覚を得られる。よく「前世」とか「過去世」とかいうものを設定する考えや捉え方があるが、昔の映画やドラマの中に自らが踏み込めば、何の違和感も持たず、その中の人物になり切って“さまざまな出来事を体験する”ことが出来る。もっとも、昔の作品なら、なんでも“そういう異端世界の扉”を開くことが出来るかと言えば、そうでもない。いくら入り込もうと思っても入れないような自分とは異質の世界や異質の物語りもある。あくまでも“自分が興味ある分野”の主人公が形作っていく作品が良い。それらの中で“映画の中”に入り込むことで“前世的”とも言うべき「もう一つの人生」や「もう一人の自分」を“生まれ変わらせる”ことができる。或る意味では自由自在に自分が思い描く「前世」や「過去世」として登場することが出来るのだ。
2026-02-24
日本時間の朝方、アメリカ・ニューヨーク時間は夕方に近づく。そしてアメリカの休み明け株式相場は、トランプ大統領の“新たな関税政策の発動”などを受け、大きく下落して「ダウ」の現在は800ドル前後を下げて“46800ドル”付近にある。一方「日本」の経済指標である「日経平均先物」は現在25円前後を下げて“56800円”付近にある。もちろん、こういう指標は動き続けるので、今後の展開は判らない。ただ奇妙なのは、これまでであれば、ニューヨークの株が下がれば、どこよりも先に“その影響”を受けて変動していくのが“日本株”だった。ところが、今朝の相場を観ても、明らかに“日本株”は“独自の動き”に終始している。数年前までだったら、間違いなく日経先物も500円以上(500円~1000円くらい)は下げている場面なのだ。どういうものか昨年あたりから、日本株はアメリカ株の影響を、最小限にしか受けなくなった。良い意味でも悪い意味でも影響力が“薄まった感じ”がする。もちろん、アメリカ株がこれだけ下げているのだから、まったく影響が出ない、ということはない。ただ明らかに“何か”が違ってきている。昨年の後半、そのころまだ「日経平均」は4万円台前半で、一方の「ダウ」の方は4万ドル台後半だった。つまり現在とそう違わない値を付けていた。その時にわたしは、これからは「日経平均」と「ダウ」とが“シーソーゲームを演じることになる”と予測した。つまり「日経平均」が“数値”的に「ダウ」を抜く場面が出てくるかもしれない、と予測したのだ。まさか、その後あっという間に「日経平均」が数値的に「ダウ」を抜き、しかも、その後に“大きく差を広げる”展開になるとは思いもしなかった。いまやそれが顕著になって、ダウは46800ドル付近、日経は56800円付近に位置しているのだ。もちろん、これは「日経平均」の採用銘柄に“偏りがある”ことも大きく原因している。だが、それでも、あの時点で、こういう“数値的な展開”になることは、おそらく金融アナリストの誰ひとりも予測できなかったことだろう。最近は、その日本株も多少“疲れが視えて”下がり気味なのは残念だが、それでも、これだけの“大きな差が広がって”いることは事実なのだ。もしかすると、今後は日本株の方が6万円を突破し、アメリカ株の方が4ん万ドル台で推移し、あっという間に日本株の方がアメリカ株の“数値的に2倍に達する”などと言う時代が、やって来ないとも限らないのだ。
2026-02-23
最近はいろいろなところで“コラボ商品”とか“コラボ製品”とか呼ばれるものが多い。「共同開発」とか「共同企画」とかの意味合いが強い言葉だが、その結果、大いに売り上げを伸ばす…などの効果をもたらすケースも多い。一般的に言えば“異色の組み合わせ”である方が、成功例が多いように思われる。そのコラボ商品として、最近、登場したものの一つに「夢グループ」と「カプコン」がコラボした「恐怖の悪夢セット」と呼ばれるものがある。これは通販で有名な夢グループからは「夢ぶら下り健康器」が提供され、ゲームで有名なカプコンからは「バイオハザードレクイエム」が提供され、そのセット企画名として名付けられた名称だ。通常、こういう場合には“双方を組み合わせた結果としての商品”となりがちが物だが、そうではなくて、あくまでも“それぞれが手掛けている商品”を、そのままの形で、手を加えることなく販売しようということだ。だから、本来からすれば“奇妙な組み合わせ”でしかない。ところが、それを「恐怖の悪夢セット」という名称にし、通販の石田社長と保科有里氏のコンビで、主としてバイオハザードゲームの内容などを個人的な感想を交えて話していく…というだけのものだ。ただ、それだと“セット商品”にはならないので、そのゲームを行った後で、疲れた身体とか、緊張感で凝った腰や肩など回復させるために通販商品のぶら下り健康器具を用いるべきだ…ということでの合体商品なのだ。まあ多少強引なこじつけでしかないのだが、それでも「恐怖の悪夢セット」として一緒のケースに詰め込んで販売すれば“セット商品”となる。ただ、わたしが引っ掛かったのは、このセット商品の価格だ。通常、こういうコラボ商品というのは、セット化することで“安く出来る”ということも“売り”の一つなのだが、この商品価格は19800円なのだ。もし、双方を別々に買えば「夢ぶら下り健康器」の方は10000円だし「バイオハザードレクイエム」の方は8000円で購入できる。つまり、それぞれ購入した方が、ちょっとだけ安い。それなのに通販CM動画では「そんなに高くは売れません」と言いながら、実際には1800円ほど高くなっている。それなのに発売即完売なのだ。まあ、夢グループの客層は高齢者たちで、絶妙のコンビである石田社長や保科有里氏のファンである人達も多い。或る意味では“推し活”のような意識で購入してくれているのかもしれない。或いは昔懐かしい「バイオハザード」と「ぶら下り健康器」によって“若さが蘇る”と信じての購入なのかもしれない。
2026-02-22
最近のトランプ大統領は何かと迷走中のように視える。たとえば最高裁の判決に対して文句を言ったり、これまでの関税をすぐ撤回し、新たなる関税を「10%にする」と宣言し、更に翌日には「15%に変更する」と変化させたりしている。実に目まぐるしいのだ。オバマ元大統領の「宇宙人はいる」発言に対しても、批判的発言ののち即「地球外生命体や未確認物体(UFO)に関する政府資料を公開する」と国防総省に指示を出したりしている。どうしてこんなに“落ち着きがない”のか。一つには自分の“目玉政策”であった関税政策が、どうも実質的には好結果に結び付いていないからだ。貿易赤字の縮小が一番の目的だったのに、それが逆に増えてしまっている。もう一つの役割だった“インフレの抑制”に対しても効果が薄く、逆に“物価の高止まり”や更なる“価格上昇”を引き起こす原因になっているという説がある。それらの状況に伴なって、彼の人気も急下降し、これまでの支持者たちもどんどん減ってきている。苛立つのもムリがないのだ。それでも“関税ごっこ”の手は緩めない。それでこそトランプ大統領だ。何しろ、自分の名を「歴史に刻みたい」気持ちが強い。空港名だったか駅名だったかを「トランプ」に変えたのも、その表れの一つだ。なかなか終わらない各地の戦争を「終結させよう」とやっきになるのも歴史に名を遺したい表れだ。ほんとうはそういう気持ちがあっても、あまり“わかりやすく”やらないで、それとなくみんなが“そう”感じるようにやれば尊敬されるのだが、そこはアメリカ人らしく見え見えの判りやすさでやるのがトランプ流だ。UFOに関しては「わたしには判らない」と断言している。一部で語られるUFOとアメリカ政府との関連性についても「知らない」と言っている。この人は或る意味で正直なので、そういう意味では、これらの発言は十分に信じられる。それだけに、これまで“極秘”扱いで塗りつぶされてきた資料の公開は十分に期待できる。果たして、都市伝説として存在している“UFO関連施設”とか“宇宙人との接触”とか“捕えられた宇宙人”とか“押収されたUFO機体”とか……都市伝説で語られてきたものの“真実の姿”を見せてくれるのは、この大統領以外には居ないような気もする。
2026-02-21
ミラノ五輪でスピードスケートの高木美帆選手が1500mで6位に終わった。本人の中では、もっとも「金」を狙えるはずの競技だった。この結果については、わたしは前もって予測していたので、既に17日の段階で、それとなく記しておいた。なぜなら現在の彼女は「10個のメダル獲得」という異業を成し遂げた年だが、必ずしも運気的に“良い時期”ではなく、本人にとっては最初から「思うように動けない」感覚を持っていたに違いないからだ。それは彼女のホロスコープの中で、現在トランジット惑星から出生時惑星に対して、幸運のアスペクトである120度アスペクトも四つあるが、同時に“動きを妨げる”働きをする90度アスペクトも四つあるからだ。だから彼女としては“不本意な結果”になるに違いないと視ていた。ただベストとは言えない運気の状態で、これだけの結果を残したのだから、運命学的には十分と言える。そして同時に、彼女のような“実力派”にしても「運気の壁」というのは、完全には越えられるものではなかった。そこに、運命というもの、人生というものの不可思議さと奥深さとを私は感じる。ただ、ここで知って欲しいことは、幸運な時期は「黙っていても幸運なのか」不運な時期は「どんなに頑張っても不運なのか」という“難しい課題”だ。そうではないのだ。幸運な時期は、確かに幸運を得られやすいが、それは本人の“実力プラスα”という形での幸運に過ぎない。また不運な時期は、確かに不運な状況を現出しやすいが、それは本人の実力を“出し切れない状況”ということで、何らかのアクシデントが生じるなど“マイナス作用”が働きやすいということだ。だから元々“100”の力を持っている場合、幸運な時には“120”となり“150”ともなるが、不運な時には“80”となり“50”ともなってしまうということだ。人生においては、だれもが多かれ少なかれ“そういう体験”を持っている。だから「運も実力」という言葉があるが、確かに種々な場面で「運」を味方に付けやすい人と「運」を敵に回してしまいやすい人がいる…ことは事実だ。別に個々の運勢を信じる必要はないが、少なくとも、いまが「自分の運気が良い時」か、或いは「自分の運気が良くない時」かの把握くらいはしていた方が良い。なぜなら、良い時には状況不利でも進んで良いし、悪い時にはムリせず撤退する方が好結果につながるケースが多いからだ。或る意味では、ゲームのように“先行き”を予測しながら、その時、その時で対応していくのが「運気の壁」を乗り越えるコツと言えるのかもしれない。
2026-02-20
ネットニュースを視ていて、50代になってからトレーニングを初めて、まだ3年半くらいなのに数々のコンテストとかに出場して入賞している下島美和氏(54歳)が紹介されていた。元々はスラリとしていたのに、肩や背中に肉がついて、若い頃に着ていた洋服が着れなくなって、その背中の肉を落としたくて始めたトレーニングだったという。そういう理由から始めたというのが面白い。そのうちハマって、どんどんのめり込んでいったそうだ。それにしても50代からというのが、すごい。コンテスト時の画像も載っていたが、確かに細いが筋肉隆々だ。近年、男性でも、女性でも、なぜか「キン肉マン」になろうとする人が多い。わたしが思うに、肉体を鍛えて強くすることで「精神も鍛えられる」ような感覚を持っている人が多いよう感じられる。なぜなら元々は“精神的な弱さ”を持っている人が多いからだ。昔、わたしのお客さんで何度も男性に裏切られ、その裏切られやすい部分を指摘され、わたしの前で泣き崩れた女性がいた。その女性は、当時27歳くらいだったが、ひとしきり泣いた後「わたしの場合は“そういうこと”をしても、傷つかないとでも思っているんでしょうか」と訴えていた。その女性は「もう、恋なんかしません」と言って帰っていった。それから、何年も、その女性は、わたしの前に表れなかった。どのくらい経ってからだったか……7年くらいは経過していたと思う。突如、その女性が明るい表情でやってきた。そして開口一番「わたし変わったと思いませんか」と言ってきた。確かに変わったが、どこがどう変わったのか、わたしには判らなかった。すると彼女は、にこやかに笑って「わたし大変身を遂げたのです……肩幅だって、こんなに広くなったし…」と誇らしげだった。「ボディビルを始めたんです。いまは昔とぜんぜん違います」そういわれてみれば、ガッチリとした骨格になっている。真っ赤なセーターを着ていて中の方は判らないのだが、確かに、顔貌そのものもクッキリとした印象に変わっていた。それから、彼女は仕事も変えて、いまは多くの女性たちを指導する仕事に就いている…と語った。明らかに、あの頃の彼女ではなかった。そして最後に「もう、恋愛とか結婚は良いんです」と明るく宣言した。トレーニングの日々が、彼女から“弱い女”の部分を削ぎ落したかのようであった。
2026-02-19
人間は“長く生きて来ている”内にさまざまなことを発見する。その中には“大きな発見”もあれば“小さな発見”もある。小さな発見は、他の人たちにとっては“どうでも良いこと”が多いが、その人の日常においては“とても大切なこと”であったりする。たとえば私は最近、袋入りの黄桃というのを大変気に入っている。たまたま“大粒みかん”というのが無くて、何か代わりになるものは…と思って、眼に留まったのが“黄桃”だった。このシリーズの良いところは、皮をむくとか、缶を開けるとかの手間がいらず、手指で食べる直前に袋を開けば、すぐ食べられるところにある。わたしは“甘い果物”が好きだが、総じて果物類というのは、そのまま食せるものが少ない。洗うとか皮をむくなど手間のかかるものが多い。わたしは面倒くさがり屋なので、そういう手間を掛けず、すぐそのまま食せるものが良い。そういう点で袋入りは便利だ。量的にも、一人が一回分として食べるのに“丁度いい分量”で入っている。たくさん買って冷蔵庫に入れたままにしておけるのもいい。昔は“手間いらずの果物”と言えば、缶詰に限られた。缶詰は、その缶を開けるのに時間と労力がかかるし、空き缶の処理も手間取る。大昔、わたしが風邪などひくと、母親がよく“みかんの缶詰”を与えてくれた。子供時代だったから、特別、美味しい果物に感じた。それを想い出したからではないのだが、最近は、朝食として“みかんのゼリー”か“袋入りみかん”を付けることが多かった。ドーナツあんパンと牛乳とみかんが、わたしの朝食の“一つの定番”だ。幼稚園児のようだが、わたしはどういうものか、朝から“和食”という気にならないし、かといって“こってり洋食”という気にもならない。幼稚園児のような朝食が気に入っているのだ。ただ、たまたまみかんがなかったことで“袋入り黄桃”を食してみたら、これがなかなかに美味しい。だから、最近はみかんと半々くらいにしている。そして、こういう幼稚園児のような朝食を食しているとき、わたしは何故か“ささやかな倖せ”を感じるのだ。若い時には、そんな“安っぽい幼稚園児食”に“悦び”を感じるようになるとは夢にも思わなかった。大体、あまり“ふつうの食事”で悦びを感じることもなかったし、ソファに腰掛けていることだけで“安らぎ”を感じることもなかった。これは、もしかして、もう“お迎え”が近いからなのか。それもあるかもしれないが、何かしら、最近、わたしは“肩の力が抜けた”とでもいうか、なんでも自然体で受け止めるようになった。そうしたら、些細なことが“愉しみ”や“悦び”として受け止められるようになってきた。若い時には考えられない“不思議な感受性”なのだ。
2026-02-18
「りくりゅう」ペアというのが一躍“流行語”になりそうなほど話題をさらった。5位からの大逆転で「金」メダルを得たからだが、そればかりではなく、木原龍一選手を抱擁する時の三浦璃来選手の姿が妙に“お姉さんっぽい”というか“お母さんっぽい”というか、まるで年齢が逆転したかのような印象を与えたからだ。三浦選手が24歳で木原選手が33歳なのだから、通常であれば、男性の方が女性を“抱擁する形”になるはずだが、どう視ても二人の場合は“女性の方が男性を(母親が息子を、又は姉が弟を)抱擁する形”にしか視えなかった。世界に対して、日本国は「こういうふうに女性が男性を労わってあげる国です」とアピールしているような映像となった。確かに今の「日本」は、女性が首相となって国家をリードしているし、それが7割以上の国民から支持を得ている。神代の昔から、卑弥呼が国家を牽いたように、本来は「日本」はその方が“上手く行く”国なのだ。ところで、話を元に戻すと、三浦選手にしろ、木原選手にしろ、現在の運勢は必ずしも“幸運”でも“強運”でもなく、むしろ“不運”の部類に属する。三浦選手の場合、四柱命式では“食神”運で“部下・後輩を育成する”のに良い運の時であり、ホロスコープでは“90度アスペクトが四つ”と多く、想うようには動けない時…となっている。また木原選手の方も命式では“七殺”運で“敵に囲まれる”戦いの場面で、ホロスコープでは“150度アスペクトが六つ”と体調そのものも万全とは言い難い。そういう中で競技して“世界一”の称号を得たのだ。謂ってみれば、見事に逆境を跳ね返した…と言える。人は往々にして“運が良い”とか“悪い”とか言うが、仮に“不運”でも、その中から“微かな灯かり”を見出し、それに全身全霊を傾ける人に、神は微笑んで手を差し伸べる。そういう意味では「運を超えたもの」が、この世には存在する……ということだ。特に「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があるように、すべて心を無にして「やりきる」ことが出来れば、おのずと好結果が付いてくるのが“世の常”というもののように思われる。いま“心を無にして”と書いたが、実はこの部分が一番重要で、この部分が欠落しているケースがあまりにも多い。
2026-02-17
たまに通販のアマゾンから買い物をする。わたしにとって“通販”の良いところは、何でも売っているからだ。実店舗で、こんなに多種多様のものを売っているところはない。「百貨店」という名称のお店はあるが、そこで何でも揃うかと言えばそうではない。「スーパー」という名称のお店はあるが、そこでも揃えていないものは多数ある。その点、アマゾンとか楽天とかの通販は、分野を問わず何でも売っている。文字通り“雑貨屋”であり“百貨店”なのだ。だから、それに“24時間やっている”というのもなかなかよろしい。但し、よろしくない点もいろいろとある。まず第一に、その場でいろいろ確認することが出来ない。特にアマゾンの場合、実質的には“対応能力ゼロ”で、細かな点を確認したくても、それに応じられる人がいない。というか「人」による対応という部分が、極端に乏しい。だから、最初から面倒と思われるような品物は買わなければ良いのだが、そうもいかない時もある。そういう時、わたしはカートに入れて「あとから買う」という保存方法で、その間に何らかの方法で調べたりする。そうしておかないと、いったんその品物を取り除いてしまうと、今度はもう一度探し出すのが難しい。前と同じように打ち込んでも、すぐ出て来なかったりするからだ。そういうような“買い方”をする私を、たぶんアマゾンのAI機能は理解できないでいるのだ。すぐにメールで「コレコレを買い忘れていませんか」的なメールがやって来る。買い忘れているのではなく、お前では話にならないから、他で調べているんだ…とほんとうは言いたい。昨日、そのAI機能が、わたしが購入しようとした品物に対し「その製品は類似品に対して割高です。代用品を探してみてはどうですか⁉」との文言が出た。正直、ギョッとなった。わたしはAIに対して何も訊いてなどいない。しかも、わたしが何を理由に“その製品”を択んだか、知らないではないか。確かに類似の品物と比べれば、その製品は高い。だが、価格は高いが品質も良いのが、わたしには解かる。見た目だけでも違っている。だから、わたしは「これが好い」と思ったのだ。それなのに、よけいなことを言わないで欲しい。まるで新興宗教の教祖のように、わたしに指示しないで欲しい。わたしが購入するものは、わたしが決めるのだ。
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