4月, 2026年
2026-04-05
元SDN48でシンガーソングライターの光上せあら氏(38歳)が大学に再入学を果たし、その入学式に白いスーツを着て行ったせいか「保護者に間違えられ」「サークルからの勧誘もなく」「友達1人も出来ず」夢に描いたのとは大違い“涙の入学式”だった……とSNSで投稿している。その写真を観たが、どうみても“18歳児の母親”には視えなかったので、たぶん保護者に間違えた人は、きちんと顔を確認することなく、白いスーツを着ていた後ろ姿で判断したものと思われる。そんなことよりも、既に結婚し2児の母親でありながら、改めて“もう一度”大学を受験し直して、今度は今いちばん興味ある分野の知識を吸収したいという…その再入学動機が素晴らしいと私は思う。現役で入学した時には“海外に留学しなければ”卒業が出来ない学科であったため、アイドルとの両立が難しく、彼女の場合には仕事の方を択んだようだ。時間に多少の余裕が出てきた今になって、再び大学を目指して猛勉強したらしい。もっとも、余裕が出て来たといっても、4歳と5歳のふたりの子持ちで、仕事も抱えている彼女は、余裕のある状態であるとは思えないが、それでも自ら“真摯に学びたい分野”が出て来たことが彼女の勉学心を燃えさせたのかもしれない。入学式で「友達が出来なかった」というのは致し方のないことで、こういう場違いな形での入学の場合、学校生活に慣れて行った頃に“友達になれる相手”が表れてくるのが普通だ。最初は周りの方が“声を掛けにくい”からだ。サークルの勧誘も同じで、仲間意識が生じた頃に、それとなく勧誘される。どの組織でも、異色のメンバーが入ってきた場合、大体同様な反応の仕方をする。ところが入って行く方は、自分が異色だから避けられたり無視されたりしているのではないか…と思いがちなものだが、そうではないのだ。元々がアイドルグループに居た彼女には“集団の中に入る運”というものを持っている。そういう人は何歳になっても、何かの集団の中に入って活き活きとした生命を与えられ活躍するものだ。きっと彼女の場合も、だから半年も経たないうちに“仲間の中の一人”として自然に溶け込んでいくようになるだろう。人生というものは、そういうふうに“同じような形”で生きていくケースが圧倒的に多い。だから、間違いなく彼女はそのうち「あの集団の中のどこかに居るはず…」と言われるように若々しい学生姿として変身していくに違いない。
2026-04-04
なんでもかんでも「運命」に結び付けるのも良くないが、予期せぬ形で急に襲ってくる病気や怪我はあらゆる予定を覆す。人はそういう出来事に出逢って、改めて人生が「思い通りに歩めるものではない」ことに気付くのだ。近年は“先の先”まで予定を埋めていく人たちが多い。まるで超過密スケジュールの人気アイドルでもあるかのように予定を埋めていく人たちが多い。けれども、必ずしも人生というのは“予定通りには進まない”ということを、不意に襲ってきた病気や怪我にによって知らされたりする。ベーシストとして知られるハマ・オカモト氏(35歳)が持病の悪化で活動休止を余儀なくされた。モーニング娘の野中美希氏(26歳)も持病悪化で活動休止となった。同じくアイドルの今田花琳氏(22歳)も休養が続く。そういえば首の手術をしたマツコ・デラックス氏(53歳)も体調が戻っていないようだ。昨日は自宅で転倒して左足を骨折した松本明子氏(59歳)も1か月くらい入院で仕事を休むと出ていたし、同じく自宅で転倒して負傷した小堺一機氏(68歳)も舞台を休演するようだ。二か月ほど前には元サッカー選手の前園真聖氏(52歳)も番組ロケ中の大怪我で休止せざるを得なくなった。身体の変化というのは誰にも予測できない。どんなに気を配っていても、病気になる人は病気になるし、怪我をする人は怪我や事故に遭ってしまう。そして、決まっていた仕事や予定はすべて流れる。だから、どんなに時代が進んでも、身体変化の予測は付かないのだから、あまりに“先の先”まで仕事や予定を埋めていくのは賢いやり方ではない。「一寸先は闇」という古くからの教えは正しいのだ。そうであれば、何が重要かと言えば“今を大切にすること”が何よりも重要なこととなる。もう一つ“今を楽しむこと”が生きている証として重要なのだ。心配性の人は、とかく「いま」を軽視しがちで、前もっての将来のための“備え”を過剰にしすぎる傾向がある。そのために“今を我慢する”という考え方をしがちなのだ。いつ、どうなってしまうかは誰にもわからない。いまを大切に出来なければ、やがては「今となる未来」も、大切に出来なくなってしまいやすい。
2026-04-03
連日“市場”は“大荒れの状況”が続いている。わたしが前にここで述べた通りの展開だ。その一番の元が今は“原油先物”となっている。とにかく、その価格が刻々と変わる。これを書いている今の価格は、1バレル111ドル台で前日の約10%アップの価格だ。昨日のトランプ大統領の演説以降、原油価格は急騰している。その結果、せっかく前日は史上四番目の上昇を記録していた「日経平均」が、翌日には彼の演説が始まるとほぼ同時に下げ足を速めたのだ。実際には、彼の演説に戦争終結の具体性がなく、原油価格が急上昇した結果、前日の楽観視が消えて「今後の日本は危い」として日本株が急落したのだ。ところが、その日本株の“先物”は昨日とは逆に今日は900円以上大きく上昇している。したがって、もしかすると今日は再び急上昇する可能性もある。とにかくジェットコースターのような値動きが続いている。ただ仮に日本株が上昇したとしても、現在の原油高の影響はじわじわと“輸入に頼る”日本の各製品に徐々に反映されていく。したがって、そういう意味では戦争の長期化やホルムズ海峡封鎖は、アメリカよりも日本の暮らしに影響が大きい。よく「円安になるのが良くない」という人がいるが、別に“じわじわの円安”であれば暮しに直結はしない。けれども原油急騰は、紛れもなく日本の暮らしを直撃する。何しろ、あらゆる製品や食品が原油と無関係ではありえないからだ。ただガソリン価格などと違い、日常生活を支える製品や食品の場合は、すぐに価格に反映されるわけではない。早ければ三か月後くらい、遅ければ一年後くらいになって価格に転嫁されるのだ。だから実際には“今日の原油価格”は半年後の“日本の暮らし”に影響を及ぼす。今日の価格に直接影響するのは「日経平均」くらいだ。ところが、その先物は昨日の時点で既に“それ”を織り込んで下げているので、今日はもしかしたら急上昇するかもしれない。上がるなら急上昇で、下がるならじわじわ型での下落トレンド突入となる。とにかく、しばらくの間は「日本」と“日本株”は、判然とした方向性が視えない間は、乙女心のように激しく揺らぎながら燃え続けていくのだろう。
2026-04-02
書棚を片付けていて、ふと最近「本を購入していないな」と思った。雑誌はときどき購入するが、書籍と呼べるようなものを購入しなくなったな、と感じたのだ。昔と比べて大型書店が遠くなったという事実上の違いもある。けれども、いまは購入しようと思えばネットでも買える。それなのに、まず「購入したい本」がなかなか出て来ない。それに何よりも購入の後、それを“読み切る”自信がなくなって来ている。そうなのだ。以前、購入した本も、まだ読み始めていなかった。昔なら考えられないことである。購入したなら、ほとんどの場合、その日の内とか、少なくとも一週間以内には読み終えていた。それがどうだ。数か月も経っているのに、最初の方の数ページを読んだきり、そのままになっているではないか。その後に購入した特集号の雑誌など、まだ一ページも読んでいない。それでいながら、自分の本だけは何とか書き上げようとする。どうなっているのか。人はさまざまなところから、自分の年齢というものに、改めて向き合うことがある。たとえば毎日の入浴の時、これまであまり意識することがなかったのだが、浴槽に入るとき、脚を上げるが、その脚が思うほど上がらない。だから、今まで無意識に行っていた動作が、意識しないと“高く脚が上がらない”という不思議な現象を体験するようになる。たぶん、お年寄りの人達はみんなそうで、不思議でも何でもないに違いないのだが、それに始めて気付くと、改めて“人体の不思議”に遭遇したような気分になる。本を読み切るのが億劫になったのは、たぶん一つには、長時間読むと眼が疲れるからだ。それに昔ほど早く読めない。雑誌類であれば、昔とそんなに違わないのだが、書籍類はどういうものか時間が掛るようになった。それに、長いものだと“ネットのように纏めて欲しい”と思ったりする。それなら書籍を購入する意味がない。だからたぶん本能的に最近は書籍を買わないのだ。もう一つ理由があって、最近の書籍は高い。昔に比べると本当に高い。自分の本だって、そこそこの価格はするのだから、そんなことを想ってはならないのだが、それにしても高い。だから私の本が“そんなに売れない”のも或る意味では当然なのだ。
2026-04-01
2026-04-01
トランプ大統領が「自分で買いに行け」と言ったそうな。もちろん石油のことだけど、この「自分で買いに行け」という言葉で、わたしは幼い頃の日々を唐突に想い出した。わたしは、よく子供ながら“買いに行かされていた”のだ。何しろ、それは当時の父親にとって“或る種のエネルギー”だった。だから、それが無ければ多分ほんとうには動けないのだった。つまり、それとは“酒”のことだった。石油ではない。けれども、当時の父親には“生きていくうえでの必需品”だったに違いない。わたしは、だから当時まで小学1年生か2年生だったが、父親のために酒屋さんに“酒”を買いに行っていたのだ。いまであれば、子供に酒など売らないが、当時は何の問題もなく“幼い子供”にも酒を販売してくれた。酒と言っても日本酒ではなく、父親の場合には度数の強い“焼酎”だった。それも一本買うのではなく「焼酎を二合ください」と言って、わたしは瓶を差し出す。そうすると、いつものお姉さんが頷いて受け取り“量り売りの酒”をその瓶に注いでくれるのだ。こうして、ほとんど毎日のように、わたしは酒屋に行って“量り売りの焼酎”を買ってきた。ほんとうは嫌だった。何が嫌なのかと言えば、量り売りで買うのが嫌だったのだ。なぜなら、量り売りは客が混んでいない時には、すぐ注いでくれるのだが、客が立て込んでいると待たされる。そこに来ている客というのは殆どが“一杯酒”と呼ばれる“立ち飲みの酒”を飲んでいる連中なのだ。わたしが買いに行くのは夕方なのだが、その夕方の時間で既に酒屋は満杯となっていることも多かった。つまり、その町のその酒屋は“そういう客たち”で成り立っている。もちろん一杯だけで済む客は少なく、何杯も飲んでいて既に酔っぱらっている客も多い。そういうオヤジ達のぎらつく眼はどこか不気味だった。そういう眼で、わたしはときどき睨まれた。子供なのに“秤酒”を瓶を抱えて買いに来ているからだ。実は睨まれた理由はもう一つあって、その店のお姉さんが、わたしに対して優しかったからだ。オヤジ達にはつっけんどんなのに、わたしには優しかった。だからおかしな気持ちを持っているオヤジ達は、わたしを睨むのだった。あの時の光景を、なぜか不意に想い出した。なぜなのかわからない。トランプ大統領の「自分で買いに行け」という言葉が、わたしを言いようのない過去に連れ戻したのだ。
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