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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


50年前白かった「五輪」は「黒い雪」に変貌⁉


札幌市が「2030年冬季五輪招致」を“正式に断念”した。元々それほど市民が“待ち望んでいる”五輪開催ではない。この“招致活動”を開始した2014年には67%あった賛同者たちが、最近の調査では24%にまで落ちている。まあ「東京五輪」の印象が、いろいろな意味で良くなかったので、当然の結果と思われる。札幌で「冬季五輪」が開催されたのは1972年だった。つまり今からもう50年も昔のことなのだ。その頃のオリンピックは各国のアスリートたちが平和を願って参加し、純粋に競い合うことに意義があった。つまり、オリンピックの“初心の目的”がそのまま継続されていた。少なくとも、そのように視えた。けれども、いまはもうそういう面影がない。なによりもオリンピックから「清潔感」が消えている。さまざまな思惑が世界各国に潜んでいる。それはただ単に会場建設などの“お金が絡む問題”だけではない。多くのスポーツが“プロ化”してしまったため、それぞれの選手たちは“企業名”を背負う形で出場している。「国」を代表して出て来ているというより「スポンサー企業」の代表として出て来ている形に近い。それは例えば大晦日の“格闘技イベント”に出場する選手たちが、あまりにも多くの企業名を着けたコスチュームを着けて登場するのと変わらない印象を与える。もはや競技者はスポンサーの協力なしでは「金メダル」を取れない時代になっている。そこで「金メダル」が少ないと、出場する選手に出資しているスポンサー企業が表彰台に上がれないケースが出てくる。そこで各競技を細かく分けて、さまざまな企業から“メダリスト”が誕生する仕組みとなっている。これは一部の国だけに“メダリストが偏らない”ようにするための方策でもある。その結果、何千名もの“五輪メダリスト”が誕生する仕組みになっている。「世界一」が何千名もいる……なんてどう考えてもおかしい。しかも、その称号を得ることで、その後の人生を保証されている国まである。ノーベル賞はほとんどの場合、70代とか80代とかになってからしか与えられない。オリンピックの方には10代半ばの学生も多い。この違いは何なんだ。スポーツというのは“先天的な素質”が大きい。努力だけで獲得できるものではない。それに対して人類共通の貴重な発見などに与えられるノーベル賞の方は“後天的な努力”に基づく方が大きい。この違いが埋まらない限り「黒い雪」を喝采で迎えることはできない。
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