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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


9年間「野良犬として生きたチワワ」飼い主の元


わたしは動物たちに関して詳しくないのでわからないが、犬は「飼い主」を求める性質を持ち、猫は「飼われた家」を求める性質を持つ、ということは知っている。つまり、どこまでも飼い主を捜し求めるような傾向を持っているのが「犬」だ。人間はどうだろう、むかし何かの本で森の中に捨てられた幼児が野生の狼たちと一緒に生活して、成長していく物語があった。その後、人間が発見して保護されたのだが、なかなか人間に慣れることが出来ず、近づくと唸り声をあげ、四足歩行をし、夜行性を帯び、もはや人間とは思えないような“動物となっていた”という。その後はどうなったのか、その本には、それ以上のことは書かれていなかった。ただ、その時、強く感じたのは、いかに“幼児教育”というものが、人間を人間らしい暮らし方にしているか……考えさせられるところがあった。まだ、わたしが20代の時に読んだ本だったので、もしかすると、その後の追跡調査などがあるのかもしれない。人間は人間のままだと“森の中”では生きて行けない。おそらく、幼児は本能的に人間を棄て去って、獣として生きて行く道を本能的に学んだのだ。だから逆に“ふつうの人間”にはもう戻ることが出来なくなったのかもしれない。これは極端な例だが、この物語には運命学的に“大きな教訓”が秘められている。つまり、いったん、何かの事情でそれまでの境遇から逸脱してしまったなら、そのその当時のことは“忘れて生きる”のがいちばんだということである。忘れなければ、生きてはいけないのだ。さて、アメリカのラスベガスで、9年前の2015年2月、裕福な家庭に飼われていたチワワが、たまたま裏庭の鍵が壊れていた扉から逃げ出し“行方不明”となった。飼い主だったモラレス氏はすぐにフェイスブックでそれを知らせて情報を募った。けれども特定できるような情報は集まらず、行方不明犬ギズモの話題はいつの間にか消えて行った。ところが、最近、動物救急センターに野良犬として保護された犬のマイクロチップをスキャンしたところ、モナレス氏が飼っていたギズモであることが判明、9年ぶりの対面となった。もちろんギズモはモナレス氏を憶えていた。ただ野生で生きてきたギズモは満身創痍だった。全身の毛を剃らなければならないほど体毛がもつれ、歯の病気にかかり、目と耳とが感染症に侵され、背骨と足に骨折した跡があり、それが固まって身動きも自由ではなかった。それでも、飼い主だったモナレスに出逢えて、いまは落ち着きを取り戻し、徐々に本来の姿に戻るべく回復へと向かっている…。
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