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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「日本最大の医療グループ」創設者の波乱万丈


全国に70以上の病院と300以上の関連施設があるという“徳洲会グループ”の創設者である徳田虎雄氏が亡くなった。86歳であるから年齢的には相応の年齢だが、かなり早くから難病にかかって身動きができないような状態にあった。声を発することも出来ないので、お付きの人が彼の意志を読み取って代弁するような状態が続いていた。日本最大の医療グループの創設者でありながら、その医療手当を誰よりも受けながら“その後半生”を過ごしたと言って良い。「年中無休で24時間開業」の方針は、自らの“後半生”を見越したかのような目標であった。彼に対する評価は“真っ二つ”に分かれる。それまでの日本の医療世界に向かって、果敢に変革を挑んだ“異端児”であったことは間違いがない。彼は医療が行き届いていなかった徳之島の出身で、だからこそ“いつでもどこでも医療が受けられる日本”にしたかったに違いない。「徳洲会」という名称は「徳之島」という意味を持つそうだ。つまり“自らの島”を想い出させるような病院を全国各地に作りたかったのかもしれない。実質的には“政治世界”にも飛び込んでから、その理想や言動に一貫性が無くなっていったような思われる。確かに日本一の“医療グループ”とはなったが、各地域の医師会との間でトラブルが頻発していた。「医療業界の革命児」とも呼ばれたが、徐々に徳洲会病院が増えていくことで、いつの間にか本人が最初もっとも嫌っていた“権威の人”に自分自身がなっていってしまったのではないだろうか。人間は往々にして“初期の頃の志”というものを徐々に失っていく。年齢が行くごとに、常識や社会通念が身に付き、周りの人たちの対応が変わっていくことで、いつの間にか“本来の自分”が遠のいていくことはよくあることだ。だから、必ずしも、それが悪いとばかりは言い切れない。けれども、田中角栄、アントニオ猪木、そして徳田虎雄などの“身動きが不自由に変わっていった”人々を観ていると、神様はときどき「残酷だな」と思うことがある。
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