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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「不公平・不平等」まかり通るのが正常な社会⁉


近年は「公平」とか「平等」とかいうことを重要視する人たちが多い。世の中的にも“そういう風潮”が蔓延している。けれども、人間社会というのは、どんなに頑張っても本当の意味での「公平」や「平等」にはならない。極力、それに近づけていく努力は必要だが、実際には“虚しい努力”なのだ。このように記すと、必ず「それはおかしい」という人たちが出てくる。そういう人たちは世の中というものの“本質”が解かっていない。たとえば、大雨で川が氾濫して孤立した人たちが3人いたとする。その3人のうち、一人ずつしか救助できない場合、誰を優先するか……という問題である。平等にしたくても、平等には出来ない状況というものが世の中には山ほどあるのだ。結局、誰かを“助けて”誰かを“見殺し”にしなければならない状況になった時、世の中の“平等”とか“公平”とかは通用しなくなる。だからといって、平等に「だれも助けない」のが“正義”だろうか。わたしはそうは思わない。とりあえず“助けられる誰か”を救助すべきなのだ。結局、そういう時、ひとは本能的な差別をする。自分が“優先して助けたい人”だけを救助する。それは平等でも公平でもないが「正しい在り方」なのだ。その“優先して助けたい人”が「幼児」になる場合、「老人」になる場合、「可愛らしい女性」になる場合、どれを択んだとしても“平等・公平”にはならない。秋篠宮家の長男・悠仁さまは現在、筑波大学専属高等学校に通っている。彼が東大に推薦入学する可能性に対して「平等に入試して入るべきだ」との“反対署名”が1万2000名にも達したという。8月25日、日本では44年ぶりだという「国際昆虫学会議」というものが開催され、そのパネル展示の中に昨年、悠仁さまが「共同執筆」された研究も含まれていたという。彼は子供の頃から“昆虫の生態”に興味を持っていたようで、そういう点ではマニアックな少年だったようだ。そういう彼が、今回も世界の昆虫学者たちが出席する会議の場で「パネル展示」とはいえ“その成果”を示し、東大への“推薦入学への布石”を打ったのではないか、と捉える観方が出てくるのは当然かもしれない。仮に“そうだった”としても、良いではないかと私は思う。大学の入試は「運」も加担して合否が決まるケースが多い。それに、もし実力で東大に入る能力がないなら、入った後に困るのが眼に視えている。そうやって、ひとは何らかの形で“天から平等の確認”を与えられていく。世の中とは、そういうものだ。
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