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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


英「安楽死」法案提出、世論は63%が支持する


実は英国では、2015年にも一度、この同じ法案が審議されたことがある。結局、その時にはまだ議会を通過しなかったようだ。ところが、現在は現首相も“賛成”しているようで、世の中の動きというのは徐々に“安楽死を認める”方向へと動いているような気がする。既に、オランダ、ベルギー、ニュージーランド、スペインなどが「安楽死」を合法化している。さて、日本はどうなのかと言えば、今回の選挙でも“この問題”に関しては誰も論じようとしていない。まあ、生きていくことに精一杯で、死の近い人のことまで「かまっていられない」ということなのだろうか。私が思うに、日本の場合、終末期患者に対しては「緩和ケア病棟」というものが用意されていて、実質、そこが“安楽死病棟”に近い役割を与えられている。もちろん、一般的にいう「安楽死」は薬物投与などによって“患者自らが死を望む行為”で、緩和ケアの“痛み苦しみを和らげる療法”とは微妙に違うが、実質、痛みや苦しみが取り除かれるのであれば、安らかな気持ちで「死を待つ」ことが出来るわけで、或る意味では“受動的安楽死”とも言えるような気がする。したがって、日本であまり“この問題”が論争を巻き起こさないのは、実際の医療現場においては“受動的安楽死”が数多く適用されているからで、そういう意味ではムリに「安楽死」を議論する必要性がない国だからかもしれない。一般的に“宗教色の強い国”は「安楽死」を認めたがらない傾向が著しい。キリスト教も、イスラム教も、仏教も、自ら“死を択ぶ”という生き方に対しては否定的である。ただ考えようによっては、末期患者などの場合は、神々が“その人物”に対して「生きていく役割は終えた」と告げているようなもので、それを患者の方が「じゃあ、早く死なせて‼」と願ったとき「勝手に死を早めるな」というのは、どうも矛盾しているような気がしないでもない。そういう意味では比較的“宗教色”の乏しい日本で「緩和ケア病棟」が実質的な“受動的安楽死”に導いてあげるのは好ましいことのような気が、わたしにはする。よく「一日でも長くいきたい‼」などと言う人が居るが、わたしは“自分の役割”を終えたなら、あとはなるべく早く速やかに「あの世」へ行って、新たなる生命(⁉)を得て、新たなる環境で“死にながら生きる(⁉)”のが楽しそうな……。
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