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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


“高校授業料”の「無償化」は根本が間違っている


「日本維新の会」が提唱して「自民・公明」と共に協議している“高校授業料の無償化”が行き詰まっているという。日本維新の会は、所得制限などなしに「全額完全無償化に踏み切るべきだ」との主張のようだ。この主張は、一見、良い主張のように感じられる方達がいるかもしれないが、わたしは大変に間違った考え方だと思う。わたしは自分自身の体験も含めて、教育というものは、お金を与えれば与えるほど「必死に学ぼうとはしなくなるもの」であると自信を持って言い切ることが出来る。昔、アフガンの子供たちが、荒れ果てた荒野で育つ子供たちが、神様を信じ、毎日、水をくみ、運ぶ姿を観た時……荒れ果てた荒野で、生きることに精一杯な環境だからこそ、神様を心から信じるのだと思った。人間は、特に子供たちは、過酷な環境にあればあるほど、神様を信じるし、熱心に勉強を学ぶ。それは、神様を信じなければ“生きてはいけないこと”を、彼らは本能的に知っているからだ。必死に勉強しなければ、ここから脱出できないことを知っているから、必死に学ぶのだ。明かりの乏しい部屋でも、食料が乏しい状態でも、必死に学び、知識を身に着けようとする。先生が派遣されて来なければ学べない。そういう環境では、教える先生も必死なら、学ぶ生徒の方も必死なのだった。知識を身に着けられる……ということは、素晴らしいことなのだった。人は、特に子供は、与えられれば与えられるほど、生きることに鈍感になる。学ぶことにも熱心にならない。最初から“与えられれば”それが自然なこととなり「感謝しろ」という方がムリな要求となる。学校は基本的に“行きたければ行く”という方向に徐々に変えて行った方が良い。その代わり、その後の人生は保証はしない。そういうふうに社会全般が受け入れるようになれば、自然に「学校は尊いもの」という意識が芽生える。子供達は、黙っていても必死に学ぶようになる。完全無償化というのは、或る意味で“不幸な招来が待ち構えている子供達”を“良かれと思って育ててしまう”もっとも間違った教育方法なのだ。
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