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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「携帯電話」を“持ち歩かない”暮しの「罪と罰」


いつからか、わたしは携帯電話というものを“持ち歩かない”ようになった。ハッキリとは記憶していないが、たぶん持ち歩かないようになって十年以上になる。昔は「人並みに持ち歩いていた」のだから「不便ではないか」とよく訊かれる。そんなことは訊くまでもない。大いに不便だ。だが、わたしには妙に頑固な部分もあって、いったん“持ち歩かない”ようにしてしまったのだから、それをとりあえずは“貫きたい”想いも強い。ただ、それでときどき大失敗をする。たとえば人と待ち合わせて、もし、携帯を持って歩いていたなら、どうにかなったものを、持ち歩いていないがため“逢えずに終わる”などのことが起こったりする。それでも「まあ仕方がない」と諦めるのは、根本的に“すべては運命”と思うような部分が、わたしのどこかにあるからかもしれない。そう、人間なんて最終的には「運命」で、携帯を持っていようがいまいが、どうにかなるものはどうにかなるし、どうにもならないものは、どうにもならないのだ。こういうような考え方をすると、もはや“怖いもの”は何にもなくなってしまう。人は、どんなに注意深い人でも、予期せぬ災害にあったり、アクシデントに出遭ったりする。急に地震が襲ってくるとか、津波が襲って来るとか、山火事で自宅を焼失してしまうとか、土砂崩れで自宅が流されるとか、路上が急に陥没してしまうとか……人生なんて、いつ、何が起こるか、だれにも予測できない。わたしのように普段から“運命”というものに向き合っているものですら、一寸先は闇なのだ。そうだとすれば、もう最初から「すべては運命」と割り切った方が気持ちが良い。その方が悩まなくて済む。そうして神様が敷いてくれた“運命のレール”にのっかって「明日は何が起こるんだろう」と少々楽しみに待つ……くらいの余裕を持った方が良い。よく「あの時、ああしていれば……」と嘆くような人がいるが、過去は過去。振り返ってみても始まらない。われわれは過去にタイムスリップして、人生をやり直せるわけではない。そうだとすれば、今と未来を楽しむしかないのだ。未来を不安がったら、現在が楽しくなくなる。未来は「なるようになっていく」と神様に“委ねて”しまえば、とりあえず現状の中で、どうすれば“今を精一杯生きられるか”“今を精一杯楽しめるか”その“二つの選択肢だけ”持って生きていくようにすることが、悩まず、不安がらず、怖れず、たんたんと生きていける秘訣だと、わたしは思う。
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