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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


誰もが「発達障害の近くにいる」という社会状況


最近は昔に比べて“発達障害といわれる子”が多い。ときどき、わたしは疑問に思う。ほんとうに“病気としての発達障害”なのだろうか……と思う。たとえば「集団行動が難しい」というのが、その一つの典型的な症状だが、現代は一人っ子が多く、同じような年齢の子供たちで“集団となる機会”が乏しい。幼い頃に甘やかされて育つと、だれでも我がままになって集団行動が苦手となっていく。兄弟が多い家庭で育つと、嫌でも最初から“集団生活”で「難しい」などといっていられない。特に貧しい家庭で兄弟が多い場合には、その集団に加わらなければ食事やお菓子を与えられない。そうなると黙っていても“生きる本能”が、集団に溶け込む術を習得していく。本来、生き物というのは、そうやって“生きていく術”を習得していくものなのだ。そうは言っても環境の違いはどうすることも出来ない。研究者によると、発達障害というのは、遺伝子的な影響の方が、環境的な影響よりも、はるかに強く作用しているのだという。「落ち着きがない」とか「情緒不安定」とかいう特徴は、確かに遺伝子的影響が強そうだ。わたしなど幼い頃から“妙に落ち着いて”いて“情緒的にも安定し”子供らしくない子供だった。そして、それはそれで“子供たちの集団”からは“除け者”にされる要素を持っていた。だから「集団行動が難しい」といっても、必ずしも“そこ”に溶け込めないというのとは違った理由の場合もあるのだ。とにかく、外傷の視えない病気の場合、子供時代は特に、その判別はなかなかに難しい。現代は特に、その育つ家庭環境などに違いが大きくなっているので、その環境を考慮することなく“同一の病気”とか“精神構造”と決めつけると、その育て方を誤るというか、その将来性を奪ってしまう可能性さえある。そういう時に、ホロスコープとか、四柱推命式とか、手相とか、占い的なものが意外なほど役立つことがある。先天的な素質や能力というのは、現代のような複雑な社会になればなるほど、単純に判別しにくい。そういう時に、一つの基準値として“運命学的な性質や能力”を知っておくことは、子供の持っている未知の可能性を引き出すという点からも、大いに有効な場合があるのだ。
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