「single-blog.php」* 有料カテゴリ:「今日の迷信・余言・禁言」は月額1,200円で読むことが出来ます。// ざっくりとは終了 // Header画像を変更する事

今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「コンプライアンス」から「倫理」を外すべき⁉


最近、やたら眼につくのが「コンプライアンス」という文字だ。一応「法令や規範や倫理を守る」という意味であるらしい。本来は企業に課せられた約束事のようだが、実質的には個人に対しても使われることが多い。いつから、そういうふうなことが厳しく言われるようになっただろう。十年前くらいからだろうか。マスコミも自然と“自主規制”のような形で、それを重視するようになった。その結果として、政治家とか、芸能人とか、アスリートとか、昔なら“見過ごされて来た”ようなことで社会的制裁を与えられるケースが多くなった。時代が変わった……と言ってしまえば確かにそうなのだが、わたしは昔から“人間の営み”というのは、そんなに変わるものではない、と思っている。したがって“法律的に定められた事柄”は従わなければならないが、そうではない事柄……つまり“倫理観”などは、あまり規制しすぎることに疑問を感じてしまう。週刊誌が女優の永野芽郁氏に関する“二股疑惑”などを報じたが、その余波がなかなか収まらない。奇妙なのは週刊誌やネット記事では報道されているが、TV番組ではほとんど扱われていないことだ。もし大きく報道されると彼女と契約しているCM11社、ドラマ放映、映画上映などに影響が出てくる。大手芸能事務所に属している彼女は、何とか“疑惑”を否定し、謝罪して、今回の報道を切り抜けようとしている。近年、この種の報道が多くのタレントや俳優や芸人などをTVから締め出してきた。事故や事件、金銭問題などは法律との兼ね合いがあり、社会的制裁は当然受けなければならない。ただ恋愛とか結婚とか不倫とか性問題とかは“倫理観”に属することである。そして、その倫理観というのも、時代や地域によって、大きく変化する。たとえば同性愛などは、未だに“犯罪”として罰せられる国や地域がある一方で、むしろ“受け入れ義務”のような雰囲気で社会が認める風潮の国々が多くなった。不倫行為に関しても、国や宗教によっては“4人までの重婚”を認めているような国や地域もある。したがって、こういった倫理観に由来する事柄に関しても「コンプライアンス」に含めること自体が、どうなのか……という疑問を私は持っている。仕事ではなくプライベートの倫理観に基づく行為に関しては「コンプライアンス」から外してしまった方が、日本の現状に関しては不平等が起こらなくてスッキリするような気が、わたしにはしてならない。
「ex-module-past-post-list-01.php」出力:single-post用の過去記事ループ処理

過去の記事一覧今日の迷言・余言・禁言