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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「漫画」「ゲーム」と「現実世界」混在する恐怖


愛知県豊田市で19歳の女性・東川千愛礼さんが、刃物で胸などを刺され玄関先で死亡しているのが発見された。その翌日、京都方面に逃亡していたとみられる元交際相手・安藤陸人(20歳)が殺害容疑で逮捕された。バイト先の同僚同士から交際に発展したが、何らかの理由から別れて、男の方がストーカー的になっていたとみられる。詳しいいきさつは不明だが、まだ19歳と20歳の若いふたりが“交際”から“殺害”に至った形で、おそらく“それほどの深い事情”があるわけではなく、お互いの気持ちのズレというか行き違いから“愛情が憎しみに変った”結果としての殺人であると思われる。この事件で、わたしがいちばん気になったのは、双方ともに、とても周りからの評判がよく、悪い印象を持たれていないことだった。つまり本来から言えば“殺人事件”に発展するような“そういう二人”ではなかったような気がすることだ。それなのに、結果だけ見れば“救いようのない殺人事件”で終わっている。どうして、こんな結果になってしまったのか。わたしの勝手な推測では、この容疑者である20歳の男は、たぶん普段から“ゲーム”か“漫画”のどちらか、あるいはその両方に“入れ込んでいる人物”で、その種の発想しかないような暮らし方をしていたに違いない。最近のゲームや漫画には、敵対するものは“殺して当然”というような発想の元に組み立てられている物語り的なものが多い。もちろん、ゲームとか漫画とかなのだから、そういう形式でないと“面白みに欠ける”のは理解できないこともない。だが、それはあくまでも“架空世界”或いは“幻想世界”だから、それで良いのだ。現実世界に“それ”を持ち込むととんでもないことになる。ところが普段から、そういうものばかりに浸っていると、現実が現実として捉えられなくなっていく。言ってみれば、どちらが現実で、どちらが架空なのか、判然としなくなっていくのだ。したがって、自分に逆らう者、自分から離れる者は「敵」に視えてきて、その敵は“殺してしまう”のが生き残るための行為として正当化される。生き残るためには“それしかない”かのような発想となる。日頃から、あまりにゲーム漬け、漫画漬けの日常になってしまうと、現実世界に対しても、安易な発想しか出来なくなっていくような気がする。したがって、本来は“人柄の良い”人物だったはずなのに、時として過激すぎる行動をとってしまう……そういう人物が増えていくような気がする。
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