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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「三枝」から「文枝」に変って、次々と逝った⁉


私などはどうしても昔の名前である「桂三枝」と言いたくなるのだが、もう6代目「桂文枝」を襲名して13年も経っている。それなのに、未だに「三枝」と言いたくなるのは、妙に、その名と本人の雰囲気が符合していたからだった。名前というのは、奇妙なもので、その人の外貌的なものも含めたイメージと“符合している”場合は世の中に浸透しやすく、“符合していない”場合は世の中に定着しにくい。そういうふうに出来て居る。だから、そう言う点から言えば「6代目・桂文枝」への襲名は、運勢的には“孤独な道”の始まりだったのかもしれない。TV番組内で、2021年に自分の妻と、その数日後に母親とを相次いで喪っていることを語ったようだ。実は、それが始まりではない。2019年3月に永年の愛人だった女性が孤独死していたことが報じられている。同じ年の8月には落語の愛弟子が亡くなり、11月にも、もう一人の愛弟子が亡くなっている。そして、2021年の1月になって奥様が亡くなり、その葬式中に実母が亡くなっている。さらに、その年には彼を日本の茶の間に知らしめたTV「新婚さんいらっしゃい」のプロデューサーが亡くなっている。こうして、次々と身内的な人達が亡くなって行くのは単なる偶然とは言い難い。彼は「桂三枝」として45年間も過ごしたのだ。その姓名は、彼自身に染み渡っているだけでなく、世間にも広く浸透していた。そして最初にも言ったように、本人のイメージとも妙に結びついて“一体化”しているように視えた。もちろん、襲名された「桂文枝」の名が悪いというのではない。けれども、なんとなく“彼のイメージ”とは符合していなかった。そして実際、姓名学的な観点からも「桂三枝」と「桂文枝」とでは、画数なども圧倒的に「三枝」の方が良いのだ。「文枝」の名は、孤独で家庭的にも支障が生じやすい姓名となっている。古典芸能に通じる…という点では「桂文枝」は大変に良い名なのだ。だが人気運や愛情運という点で、難しい部分を備えている。数々の名誉を得ながら、彼が「老人ホームで死にたい」と漏らしたのは、今現在もなんらかの問題を、身近な人達との間で抱えているからではないだろうか。
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