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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


もっと「自由にものが言える社会」こそが必要‼


いま注目の参政党の党首・神谷宗幣氏が7月3日の街頭演説において「高齢の女性は子供が産めない」と発言したことに対して、一部の有名人たちが激しく嚙みついている。その代表は元宝塚女優の毬谷友子氏で「怒りに震えている」という過激な表現で「差別発言だ‼」と問題視している。けれども、神谷氏の発言に不適切な部分はないと私は思う。むしろ、こういう事実を真正面から取り上げた発言に対して「差別だ‼」という発想や拒絶反応の方が異常に思える。別に「高齢女性は役立たない」とか言っているわけではない。その前後の発言から、少子化の日本を救うのは“若い女性たち”であることを訴え、その若い女性たちが「子供を産みたい」と思うような「日本」にしていかなければならない、と訴えている。別に、高齢女性たちを引き合いに出して「もう産めない女性たちに頼ることはできない」といった発言でもない。近年、世界的な現象として“偏見”や“差別”を意識しすぎるあまり、人間としての自由な発言や行動が制限されているように、わたしには感じられる。今回の発言などはその典型で、事実を事実のまま言って「差別だ」と言われるのであれば、われわれは“自由な発想の元に話す”ということが出来なくなってしまう。もちろん、時代的な変化が昔は“セーフ”だった発言や行為を“許さない”風潮になって来ていることは知っているが、事実を事実のまま語ることさえも「差別」と解されるのであれば、日頃から想っていることを自由に語るということが出来なくなってしまう。もしも時代的な変化で「今は許されない」というのであれば「ほんとはダメなんだけどね」と“優しく笑いながら咎めてあげる”くらいの余裕は持てないものだろうか。わたしは「昭和」の時代が持っていた“ほんとうの自由”が好きだ。お互いに“差別用語”や“偏見用語”を丸出しにして、罵り合っていた時代が好きだ。実際、口に出さなくても、行為として表さなくても、本能的に“心の中で想ってしまう”ことは止めることはできない。現代でも暮しの中で、仮に口に出さなくても、行為として表さなくても「差別されているな」「偏見を持たれているな」というふうに想うことはざらにある。人間の持つ“そういう雰囲気”というのは黙っていたって、何もしなくたって、敏感に感じてしまうのが被差別者側だ。口に出されていなければ、行為として表面上は何もされていなければ、どこにも訴えようがない。差別や偏見問題を“声高に騒ぐ人たち”は、この事実に気付いているのだろうか。心のこもらない「ありがとうございました」よりも「ハイハイ、持ってけ‼」という態度で差し出される方が、快く感じてしまうのは“永い昭和の時代”に身についてしまった“卑しい感性”のせいなのだろうか。
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