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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「ピン」から「キリ」まで居る「外国人の選別」


昨日、外国人に関する“人権”や“難民”問題を扱っている主要な8団体が結束して、選挙に関連して拡散している「外国人が優遇されている」という噂は「まったく根拠のないデマであり誤解である」と訴え、直ちに「政府や国会は人種差別を禁止・終了させる義務がある」との共同記者会見を開いた。これに対して民間266団体も、この会見に賛同を表明している。確かに、ここに来て急速に「違法外国人問題」や「日本人ファースト」が叫ばれ出したような風潮を感じる。ただ、このような傾向は世界的な現象で「日本」に限っているわけではない。元々、日本というのは島国で「日本語」を母国語としているので、近年まで外国人にとって“居住するにはハードルの高い国”だった。それが、ここ30年余の間にどんどん外国からの移住者が多くなり、それに伴なって“さまざまな問題”が表面化するようにもなっている。ただ、わたしが思うに、一口で「外国人」と言っても様々なタイプの人達がいる。それらをすべて“一括り”にしようとすると、今回のような状況が生まれてくることになる。実際に日本に暮らして永い人達の多くは「日本語」が解かるし、日本人のルールに従っているし、違法なことに精を出すようなこともない。ただ同じ永い居住者の中にも、特定の国や地域から来て集団で“固まって暮らしている人達”の中には、日本に暮らしながら、日本とは“別個なルール”を行使している人たちもいる。海外でも同じ傾向があって、固まって暮らす人たちの多くは、その国に馴染んで行こうというより、自分たちの“昔からの暮らし方”を頑なに守り続けようとする。そうすると、どうしても周辺住民との間で“あきれつ的なもの”が生じやすくなる。昔から「郷に入ったら郷に従え」という。やはり、その国に入って暮らしていく以上、その国に馴染む努力は必要な気がする。したがって、どういう形から入って来るにせよ、最低限の「日本国内においての暮らし方」には従うべきで、それが難しい場合は「日本国内での居住を拒否する」形は作っておくべきだろう。外国人に対しての「日本居住法」のような法整備が不十分な気がする。「外国人優遇」の問題に関しては、特に“外国人富裕層”に対して、そう受け止められても仕方のない現象は見受けられる。或る意味では「外国人」を“差別”ではなく“選別”していく時代になって来ているように、わたしには感じられる。
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