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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「令和」は「ダメな発言」だけどホンネって好い


最近の日本では「本音でモノを言ってはいけない風潮」が強い。それが「令和」を生きていく上では必須のようだ。ほとんどの人たちが“その風潮”に習って暮らしている。だから、たまに、そうではない人がいると、目立つのだ。日本保守党の党首・百田尚樹氏が数日前に北海道を遊説したようだ。札幌から北広島市などを街宣車で演説して回ったようだが、その街宣車からの演説で「ここから見てもね、札幌はね、美人率が高い‼ これホンマ‼ 大阪なんか歩いとったらね 10人中9人ブスですよ‼ もうね、街宣していても、だんだん嫌になってくるねん…」と述べたようなのだ。もちろん、この発言に対しては「令和の時代に似つかわしくない不適切発言」として、さまざまな人達から批難されている。確かに、いまの時代としては、アウトだなと私も思う。そうは思うのだが、その一方で、妙に懐かしく、ほのぼのとした印象も受ける。或る意味では、今時、まだ“こういう言葉を使う”ということ自体に、わたしは“古き良き時代”を感じてしまうのだ。わたしはときどき“大昔の映画”のTV録画を観る。当然というべきか、そこには“その時代”だから許された映像描写とか、会話とか、発言とかが出てくる。それは邦画であっても洋画であっても変わらない。時代によって“許されること”は、変わっていくものなのだ。だから何度も言うが、百田氏の発言は、今日的にはアウトなのだ。そのことを認めたうえで「だけど、彼のホンネだったのだろう」と私は思う。もちろん、大阪に美人がいないなどとは思わないし、明らかに“オーバーな表現”を用いてはいるのだが、それは「昭和の時代」に、ごく一般的に行われていた表現方法だ。「男女間差別の典型的発言」という評価もあるが「またバカなこと言って…」と笑いながら許してあげる…心のゆとりは“令和女性”に求めてはいけないのだろうか。よく、こういう発言に対して「差別だ」という人がいるが、美しいものを「美しい」と発言すること自体は差別ではない。もちろん「ブス」という表現自体が現代では許されない。ただ男女平等だから「美人」と表現することもダメというのでは、ちょっと息が詰まる。美しいモノを視て「美しい」と表現することくらいは“許すゆとり”が必要だと思う。或る意味で「令和の時代」は“平等”なのかもしれないが“本音を語らない平等”で、そこに「真実はあるのか」と問いたくなる。もしかすると、あと何十年か経って、もう一度「本音で話し合う」時代がやって来ているかもしれないのだ。
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