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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「ふつうに生きる」ということ「倖せ」の第一歩


われわれはどうしても「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で、苦悩しているときには「これさえ上手くいけば幸せになれるのに…」などと思いがちなものだが、いざ、それが過ぎ去ってしまうと、もう“その時”の気持ちはどこへらや“不満の多い日常”に戻ってしまう。落語家の立川志らく氏が坐骨神経痛の悪化により、座布団に座ることも出来なくなって、当分の間、休養することが公表された。女優でタレントの最上もが氏は8月に出演予定だった舞台を“練習不足から降板する”と公表された。最近、芸能人の不測の舞台キャンセルなどが相次いでいる。健康上の理由が多いようだが、予期せぬ出来事による場合も多い。われわれは多くの場合、前もっての予定やスケジュールを組んで生活している。通常であれば「これは組み入れられるな」と思ったときに予定を入れる。けれども、その“未来”が「健康状態良好」という保証はない。また健康状態は良くても、仕事上の都合とか、家庭・家族の問題とか、精神上の問題とか……さまざまな理由から、その予定や計画をキャンセルせざるを得ないことなども多い。つまり「ふつうとはいえない状態」がやって来ることがある。そういう時に初めて“ふつうであること”の大切さや貴重さを改めて感じるのだが、感じるのは一瞬で、文字通り「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で、日常的な不平・不満の多い日常へと戻ってしまう。特に年齢が行って来て、残り少ない人生になっていくと、本来は、もっと、もっと「一日」「一日」を大切に取り扱わなければならないはずなのに、実際には、昔、瀬戸内寂聴氏が言っていた「人間、いつ死ぬかわからないんだから、いま出来ることを楽しむのが良いんですよ」という感覚で、過ごしている場合が圧倒的に多い。実際、極力、ふつうのことを愉しみ、ふつうのことに悩まず、未来を疑わず、生きていくのが「倖せ」を得ていくための第一歩だ。努力しているのに「幸せになれない」と思っている人は、だいたいが“ふつうのこと”を楽しんでいない。ふつうに生きている……ということを楽しめなかったら、どんなに“理想の状態”がやって来たとしても「倖せ」を感じることは難しいものだ。なぜなら“悩み”や“迷い”を「探し出してしまう」癖を持っているからだ。悩みや迷いは“棄てる癖”をつけないと、どういう状況でも、すり寄って来てしまう。そうすると結局、求めていた状況になっても“幸福感”は得られないことになる。まずは「ふつうに生きている」中で、楽しみや悦びを見出す癖をつけることだ。
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