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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


どんなに文明が進んでも「自然災害」に勝てない


今から50年先、100年先の未来を考えた時、その時にも、人の暮らし方というのは、それほどの違いはなくて、今と同じように「自然災害」を怖れながら、生きているのに違いない。もちろん、人間の文明や科学はどんどん進化していくとは思うが、だからといって「自然災害」そのものを無くすことはできない。たぶん出来ない。100年後の未来であっても、人はやっぱり同じように大地震を怖れ、大洪水を怖れ、森林火災を怖れ、津波を怖れ、熱波を怖れ、竜巻を怖れ、落雷を怖れ、大寒波を怖れ、火山噴火を怖れ……それらに勝つことが出来なくて“遁れる術”のみを求め続けているに違いない。本来であれば、科学が“解決の手段”を与えてくれても良さそうな気はするのだが、残念ながら「不死の薬」が得られないのと同じように「自然災害を無くす薬」も見つけることは出来ずに、遁れることのみに必死であるのに違いない。自然災害への予測は、今よりもはるかに進んだものになっているとは思うが、何度も言うように、だからといって自然災害そのものを無くす“妙薬”は見つけられない。結局、人は“大自然”に勝つことはできない。何十年経とうが、何百年経とうが、大自然の営み……言い換えれば、生命体としての「地球」に勝つことはできない。だからこそ、それを達観していた古代の哲人は“風水思想”というものを産み出した。つまり生命体としての「地球=大自然」に“寄り添って生きる”……言い方を変えれば“調和して生きる”ことこそが、自然災害から“身を守る”唯一の方法であるという教えだ。そう、勝てないのならば、それに“調和して生きる”以外に、どんな方法があろうか。実は、特別「風水」という言葉を使わなくても、風水と同じように「大自然と調和して生きる」ことを本能的に取り入れている民族や地域は多い。実際、そういうふうにしなければ古代においては生きて来れなかったのだ。そして、彼らは一様に“その大自然”に対して、崇めたり、祀ったり、供えたり、平伏したり……してきた。風水はそれにプラスして“大自然の猛威”を研究し、その規則性や周期性を利用・活用する方法を編み出したともいえる。ただ本当のところまだまだ未完成・未成熟な学術分野だ。それなのに「すでに完成された学術」でもあるかのよう錯覚している研究者が多い。あまりに多い。未完成・未成熟という理解から研究を始めないと、結局、何一つ活かすことが出来ず“ほんとうの風水思想”を埋もれさせたままに終わるだろう。
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