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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


古代の日本人は「タトゥー」入れるのが“普通”⁉


とても興味深い事実がある。卑弥呼の時代の日本人は「刺青を入れていた」という記述が中国史書『倭人伝』にあり、それはそのまま古代中国の“殷(商)王朝時”の人々の姿に重なる。ところが『倭人伝』が記されたころの中国には、もう“刺青を入れる風習”はなく、それゆえに日本人の“刺青を入れている姿”に違和感を覚えたのだ。ところ変わって現代の日本、歌手のあいみょん氏が雑誌の表紙に登場し、腕にタトゥーが入っている写真を公開したことがネット上で騒がれている。もっとも、昔からのファンにとっては「前から入れていることは知っていた」ようで、むしろ拒絶的な反響の多さに驚いているようだ。日本では近年、タトゥーの扱いについては、人によって大きく違いがあるようで、完全に“肯定派”と“否定派”に分かれているような印象を受ける。ただ歴史を遡れば、卑弥呼時代の日本人は「刺青を入れていること」が“社会制度の一つ”ともなっていたようで、身分を表したり、職業を表したりするうえで必要なことだった。殷王朝における刺青は“悪霊の侵入を防ぐ”目的があったようで、微妙に日本とは異なるが、もしかすると最初は“呪術的な意識”の方が日本でも強かったのかもしれない。ところが、日本ではいつの頃からか“刺青”を「悪徳の表徴」のような捉え方をするように変わった。これは多分江戸時代の囚人たちに対し「囚人の証し」として刺青を入れるようになったことが一因ではないかと思われる。それが徐々に“ヤクザの象徴”となり、昭和の時代には「刺青を入れていること」が“その道に入った証明”として用いられるようになった。したがって“ふつうの人たち”は刺青を入れていないことがむしろ“健全の証し”とされるように変わっていった。欧米ではロック歌手などが好んでタトゥーを入れ、それが一般に普及し、格闘技者やアーティストの一部にも広がりを見せ、現在ではあらゆる階層でアクセサリー的な“趣味の領域”として受け入れられている。日本の場合には、どうしても“反射的な人物”であるかのような受け止め方が未だ抜けていかない。こういうようなものは、その捉え方は“時代とともに変化していくもの”で、どう受け止めるかは行政などが規制すべきものではなく、個々の“良識や倫理観に任せる”のが妥当であると思われる。少なくとも、卑弥呼時代の日本人にとっては「刺青」は“卑弥呼女王の民族である証し”だったのだ。
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