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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


これが「令和の作詞」なのだと感じさせる指原氏


最近はプロデューサーとしての才能を発揮しだしている指原莉乃氏だが、その指原氏が自らが育てつつあるアイドルグループに託した「とくベチュ、して」という作詞で、レコード大賞の作詞賞を獲得していたようだ。このようなちょっと意味不明な日本語の詞が、今年のレコード大賞の作詞賞を獲得した最大の理由はたぶん年間カラオケランキングの1位であったことにあるのだろう。どんなに意味不明な日本語でも、それが多くの若い人たちの「歌いたい曲」になっているとすれば、それが“令和の日本語”だということになる。日本語は、当たり前の話だが“日本人が用いる言葉”で、それが令和時代の若い日本人達の絶対多数から支持されているなら、それは“現代の日本語”として世の中に通用しているのに間違いはないのだ。正直、わたしはいまのアイドルたちの歌を知らないので、改めて作詞の内容をネットで調べて確認してみた。わたし個人の感覚で言えば、日本の歌謡詞でもっとも優れていると思うのは既に故人となった“なかにし礼”氏の詞で、元々は洋楽から入った人だけに、とても新鮮な日本語の歌詞を数多く遺した。確か私が最初に彼の詞で「すごい‼」と思ったのは「人形の家」で「♬…ほこりにまみれた人形みたい 愛されて捨てられて 忘れられた部屋のかたすみ…」という情景描写がいい。「石狩挽歌」では「♬…破れた網は 問刺し網か(中略) わたしゃ涙でニシン曇りの空を見る…」という情緒性豊かな描写。「エメラルドの伝説」では「♬…湖に僕はひざまづき みどりの水に 口づける…」という幻想的世界。「別れの朝」では「♬…ふたりは 白いドアを開いて 駅につづく小径を 何も言わず歩いた…」という描写。「今日でお別れ」では「♬…優しく気を配る 胸はずむ仕事は これからどなたがするのかしら…」という日常。そして「時には娼婦のように」では「♬…淫らな女になりな(中略) バカバカしい人生より バカバカしいひとときがうれしい…」という刹那的感覚。そのいずれもが、眼に見えるようとでもいうか、映画のワンシーンのような情景として迫ってくる。なかにし礼氏ほど、情緒性豊かな日本語を操れる人はいなかった。もちろん、それは“昭和の日本語”なのに違いない。これからは“令和の日本語”が、ちょっと意味不明な日本語が、外国人を巻き込んで“心躍らせる日本語”として浸透していくに違いない。
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